おかえり雫
家に入って居間へと花ちゃんを通す。
雫以外の他人を入れるのはこれで初めてだ。
過去の友だちだって、家の中に入れたことがない。何でか分からんけど。
「大志くんの家、実は来るの二回目なんだよね」
「そーなの?」
「大志くんがインフルエンザで休んだ時に、私が家に課題を届けに来たんだよ。そしたら夜柳さんが迎えてくれて、お茶を出してくれた」
「麦茶だった?」
「紅茶だったかな。そこ重要?」
「いや別に」
そうか、昔一度だけ来ていたのか。
だから住所を知っていたんだな。
「その時、大志くんは二階で寝ていたから知らないと思う」
「声かけてくれれば良かったのに。頑張って三回で起きたぞ、きっと」
「三回も起こすのも悪いしね」
花ちゃんは本当に優しいな。
中学の時も、その心根の良さに何度助けられたことか。何回だっけ、一、ニ、三…………数えるのダルいな。最近は十以上の数の計算が疲れるくらいだし数えるのやめよ。
とにかく、いっぱい助けられた!
「取り敢えず勉強すっか」
「お、前向きだね。大志くん」
「せっかく花ちゃんが手伝ってくれるわけだし、頑張らないとさ」
「ふふ、そうだね」
俺はカバンから参考書とノートを取り出す。
雫に言われた通り、試験範囲を教科書に印付けて見やすくしたり、解らない所を予めまとめておいたりしていた。
まあ、殆ど解らないからまとめるというより教科書見たら新鮮さがあった。
「それじゃ、花ちゃん先生よろしく」
「はい、じゃあまずは数学からね――」
花ちゃんが隣から身を寄せて来る。
見やすいように、という心がけなのだろうが肘にアレが当たっていた。
一瞬だけ俺の手が反射的にその感触で止まる。
でも、よく考えたら雫がよく寄りかかったりして同じような感触を幾度となく味わってきたと思うとあまり喜びも無かった。
「分からないところがあったら遠慮せず聞いてね」
耳元で囁かれて俺は頷く。
そうでなければ頼んだ意味がないし。
それにしても――花ちゃんってこんなキャラだったか?
中学の頃は大人しめで、よく夏はカブトムシを捕まえて来ては教室で自慢しているガキ大将みたいな子だった。…………たぶん違うヤツだな、それ。
あれ、花ちゃんってどんな感じだったっけ。
ただ、少なくとも今の彼女が別人のように感じるくらいのキャップがあった。
「ここはね」
ゼロ距離からの指導だった。
雫の匂いだと緊張しないのだが、他の女子だと浮ついてしまうのは男の性なのかもしれない。
すまん、雫。
雫に魅力が無いと言ってるわけではないぞ。
ただ雫に魅力を感じないだけだ!
でもこの前は可愛かったな。
「ここを、こう…………か?」
「お、大志くん飲み込み早いね」
「そうか?」
「これでちゃんと授業を聞いてたら、復習なんてしなくても出来てる筈なんだけどね」
「雫にもよく言われる、人以外の話を聞けって」
「じゃあ、これからは人の話を聞こうか」
やんわりと花ちゃんは俺の事を導いてくれる。
思い出したぞ。
花ちゃんは、中学の頃は大人しめだが頼れる人だった。確か体育祭では常に応援団長を務めていたくらいに立派だった。
…………あれ、これも違うな、誰だ?
「花ちゃん変わったよね」
「変わった…………何処が?」
「遺伝子が」
「真面目に」
「うーん…………明るくなった、かな。後は元から可愛い子だったけど余計に綺麗になったよな」
「もう。余計って、そういう言い方はダメだよ」
ほら、そういうところだ。
大人のようで、あどけなさもある。
ころころ変わる表情とかも凄い女の子っぽい…………女の子っぽいって言ってみたかっただけで、俺これまで女の子っぽいという言葉の意味を真に理解はしてないけど。
「ふふ」
「ん、どした?」
「何でもない。ほら、次解こう」
少し嬉しげな花ちゃんに催促されて次の問題を解く。
捗ってはいるのだが、横から香る匂いと柔らかい感触で集中力が研ぎ澄まされた。
未知の領域である。
花ちゃんの外見は激変してしまったが、中身は以前と変わりない、ような気がするような、感じなので安心感もあった。
不思議な心地に浸りながら、俺は勉強を勧めていった。
それから時間が経って、徐ろに花ちゃんが隣から声をかけてくる。
「大志くんは夜柳さんが好き?」
くそ、またか。
勉強中、唐突な質問に俺は顔を上げた。
せっかく集中が持続していたところなのに、この子は本当に邪魔しかしないな。
隣から教えてくれるのだが、いい匂いがするし腕に当たった胸が柔らかいし、可愛いしで全然集中させてくれない。
花ちゃんを悪く言いたくないが、帰ってくれないかとも思い始めている。
いかん、いかん。
中学最後は話すらできず疎遠になっていた大切な友だちだ。
そんな些細なことで友情を損ないたくない。
あー、雫にバレてパンが帳消しになったら絶交しよ。
「雫が好きかって、何で?」
「凄く仲が良いから。周囲から見たら幼馴染っていうのでも信じられないくらい」
「これが幼馴染の普通じゃねえの?」
「違うよ」
ふむ、これも俺が非常識だったと。
如何に俺が雫によって甘やかされているかを言外に突きつけられているかのようで、何だか気分が悪くなってくる。
「男同士として好きかってこと?」
「うん。異性として、ね」
雫が異性として好きか。
好きか嫌いかで言われたら、めちゃくちゃ嫌いだ。
俺には勿体なくてぴったりってくらいの女の子だし。
雫には何度も命を救われ、何度も命を脅かされた因縁がある。
好きか嫌いかを聞くなんて愚問。
当たり前に好きだ。
「好きだと思う」
「……じゃあ、なんで恋人にならないの?」
「そりゃ勿論――」
その問に答えようとして。
『ただいま』
玄関の方から響いた声に俺たちは固まる。
え―――――――――もう?
いや、帰る前に連絡くらいは来る筈だ。
てか、俺の家だからただいまっておかしくね?おかえり雫。
いや、それよりも。
「花ちゃん、隠れて!」
「どうして?」
「忘れたのか、花ちゃんがいるとバレたらパンが帳消しになる!」
「大丈夫。言ったでしょ、夜柳さんに友だちが家にいることはおかしくないって証明するって」
「あ、なら大丈夫か」
俺は居合腰だった体を落ち着かせ、座り直す。
そこで丁度良く居間の扉が開かれて、雫が現れたので元気よく挨拶しておいた。
「雫、おかえり!」
「お邪魔してます、夜柳さん」
「――――――――――は?」
雫は目を見開き、カバンを肩から落として俺と花ちゃんを凝視した。




