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第一話「エクスメン」

0.

信徒アンドレよ、聞きなさい。

お前の村に異端が紛れ込んでいる。主を語る悪魔に耳を傾け、己をただ唯一の真とする者だ。彼が掲げる信仰は槍のように真っすぐで、揺るぎない。しかし、彼は盲信して止まぬ平等の太陽の為に、過酷な山岳にか弱きものを率い、山崖に爪を立て、山尾を駆ける。悪魔は彼を助けようとするだろうが、報われないのは、彼の後にある者たちである。

か弱きものは山岳に敗れ、奈落を知る。

山崖は彼を最後に崩れ、罪なき人里を押し潰す。

彼が蹴った小石は山尾を下り、土砂を率いて川を塞ぐ。

 アンドレよ、目覚め、災いの根を刈りなさい。何者も信じず、時には己さえも疑い、潜む悪魔を見出し、か弱き者らを救いなさい。


1.

 私たちは生涯、山を下りることはない。標高千二百メートルに位置する高原に築かれた小さな村で、同じ人に囲まれて、同じような生活を送る。水汲み、洗濯、料理、薪割り・・・。同じことを繰り返して、いつかは大人になる。大きくなったら、きっと誰かと結婚して、子どもができて、ママやパパみたいになれるんだろうなって、そう思っていた。

 でも、私はみんなとは少し違うみたい。

「やーい悪魔の子。」

 そんな言葉とともに頬に小石が当たった。走り去って行く二人の足音、目の前に立ちはだかる茶髪の少女の小さな背と、その細い首に巻き付いた、黒い瞳をした茶色の蛇の頭。

 少女が何か叫び、蛇の頭が揺れた。二人の笑い声が返り、また、蛇の頭が揺れた。

「・・・本物じゃないよね。」

 小石どころではない。昔に本で得た知識が正しければ、この蛇の種類は「イースタンブラウンスネーク」。世界的にも屈指の強さの毒を持つ、最強の毒蛇の一角。

 少女が振り向き、蛇の頭はくるりと、少女の背に隠れた。

「うん。残念だけど、偽物。先生に本物は学校に連れて来ないでってお願いされたから、代わりにパパに作ってもらったんだけど・・・。やっぱり鱗の質感とか、瞳の光沢とか、遠目から見ても違うよね。」

 少女はそう言って、蛇の胴を回し、わざわざ頭を胸の前に持ってきた。

「よくできてると思うけど・・・。」

「ありがとう。このクオリティでも褒めてくれるなんて、ディアナちゃん、優しいね。いい子なのに、どうしてみんなディアナちゃんのこと酷く扱うんだろ。」

「それは・・・。」

 それは、私の髪が呪われているから。異端の星を宿した、銀色だから。


 村の教会。

 壇上の、五つの蝋が置かれた長机。主の彫像を背に、それぞれに長机に肘を預ける、五人の審問官たち。彼らの前には群れる五十の黒衣を纏った信徒たちと、長机の前に立つ一人の男がいた。一人を除き、全ての目が、その男の頭に集っていた。

「私たちが信じる神とはなんですか。」

 そう語り出したのは男である。

「私たちが準ずる法とはなんですか。」

「全ては聖書の通り、正しき主の教えの。」

「主が私の娘を蔑むことを許したと言うのですか!」

 審問官の言葉を遮り、男が吼えた。その一声は、他の全ての開きかけていた口を威圧し、閉じさせた。

「私の娘は、ディアナは毎日のように石を投げられている。あれ程に優しく正しい子はいないのに、ただ他者と違った色を持って生まれた、それだけのためにっ・・・どうだ!お前たちはどうだ!他に石を受けた者はいるのか!!」

「落ち着け、アンドレ。大人たちが君の子を害したことがあったか。小石など、子どもの戯れだろう。」

「何が戯れだ!三日前には怪我をしたんだぞ!」

 男、アンドレは腋に抱えていた聖書を投げ捨てた。聖書は指を固く絡めた婦人の足元に叩きつけられ、数枚の頁を床に散らした。アンドレは婦人を睨み、指さした。

「・・・お前たちだ。お前たちの息子から始まったんだ。あのガキどもが、ディアナが悪魔の子などと、とんでもないことを村中の子どもたちに言い広めた。」

「聞いてアンドレ、それには訳が。」

「黙れ!」

 婦人の語る口を、アンドレの地団太が抑え込んだ。

「訳などあってどうなる!ここは信徒の村だぞ。嘘だろうがなんだろうが、悪魔の子と語られれば後にどんな扱いを受けることになるか分かっているだろう!」

「・・・それは。」

「言い訳は要らない、そんなものは何の解決にも繋がらない。いないのか・・・誰かいないのか、俺と娘を憐れんでくれるものは!真に罰を受けなければならないのは誰だ!誰か答えられる者はいないのか!」

「・・・。」

「そうか、そうか。誰も俺たちを憐れんではくれないのか。・・・そうだろうとは思っていた。俺は分かっている、お前ら全員がグルなんだろう。俺を幹部の席から除くために・・・ロンか、ヨーゼか!奴らはここにいないのか!この、この偽善者どもめ!」

「アンドレ!」

 審問官の一人が声を荒げ、椅子を鳴らして立ち上がった。

「その言葉だけは聞き捨てならない。後悔したくなければ取り消すんだ。」

「後悔だと?俺はもう散々にしてきた。住み慣れた地を離れ、大海を渡って教えの為にこの荒地に移り住んだ。安定の為に、開拓に血と汗を流してきた、その結果がこれだ!お前たちは信仰を忘れてしまった。お前たちは愚かだ!みな、主の声から耳を背けている。」

「忠告はしたぞアンドレ!」

「望むところだ。言われなくとも勝手に出て行ってやる。こんな村に残っていたところで、正しき信仰の心が腐るだけだ。」

 アンドレは欠けた聖書を拾いながら婦人の靴の爪先に唾を吐き、頼りない足取りで教会を去って行った。


 あくる日のこと。

 家屋や畑に挟まれた、緩やかに下る通路。早朝にも関わらず、軒先から多くの人々が、通路を行く荷馬車の後姿を見送っていた。手綱を取るのはアンドレ。荷物に紛れて腰かけるのは、アンドレの妻ナタリーと、長女ディアナ、次女シアン、そして小さな木の彫り物で戯れる幼い双子の姉弟メリアとトイ。

「ねえ、おねえちゃん。」

 シアンがディアナに話しかけた。

「なに。」

「私、出ていきたくないよ。」

「・・・。」

「お姉ちゃん、みんなと仲良くできなかったの?」

「ごめんね、シアン。パパが決めちゃったことだから。」

「うぅ。」

 ディアナはシアンの頭を胸に抱いた。「私が生まれて来なければ、みんな不幸にならなかったのかな。」密かな悲痛を込めた小さな胸に、妹の涙を受け止めた。

馬車が止まり、アンドレの怒声が響き渡った。なかなか門を開けようとしない門番と言い争っているらしかった。この間に、馬車の荷台の周りに子どもたちが集まった。その殆どがシアンを取り合い、攫おうとした。次に多くが、双子を囲み輪を作った。そしてたった一人と一匹が、ディアナのもとにやってきた。

「ディアナちゃん、本当に行っちゃうんだね。」

「うん。お別れ言いにいけなくてごめんね。急だったから。」

「いいよ、大人のシガラミって、子どもにはどうしようもないもん。でも、私はちゃんと準備してきたよ。・・・動かないでね?」

 少女はそう言って首に巻いていたイースタンブラウンスネークを解き、それをディアナの頭の上に運び、蜷局を巻かせた。ヒンヤリとした、固いようで、絶妙な柔らかさがある鱗の感触に、ディアナは身震いした。

「これ、ディアナちゃんにあげるね。外に行っちゃったら、もう守ってあげられないから。・・・小石で怪我しないお守り。」

「・・・本物じゃないんだよね?」

「やっぱり分かる?本物はもっと重量感があるし、なんていうんだろう、生物感?みたいなのが根本から違うよね。・・・ごめんね。本当は本物を渡したかったんだけど、放課後に教室でリボンを飾ってたら先生に見つかっちゃったんだ。」

 少女がディアナを抱きしめた。

「今日はお別れでも、いつの日か会おうね。」

「うん。」

「本物のイースタンブラウンスネーク、首に巻いてあげるからね。」

「・・・ウン、アリガト。」

「約束だよ。」

「ヤクソクぅ・・・。」

 少女はディアナから離れると、その場で気まずそうにゆらゆらと左右に揺れた。すると少女の背後、離れの民家の軒下の花壇の隣にちらちらと、涙ぐむ兄妹が見えた。彼らこそが、ディアナを悪魔の子と呼び、小石を投げつけていた人物たちである。

「あれ。」

 ついディアナが呟いた。

「気づいた?」

 少女は振りむきもせずに、兄妹の方に砂を蹴った。

「あの子たちね。本当はディアナちゃんのこと大好きだったんだよ。」

「・・・え?」

「デタラメ言いふらして独占したかったんだって。」

「え?!」

「しかも悪魔っ子がセーヘキで、こっそり衣装を揃えてたらしいよ。ディアナちゃん釣り目気味だから、それが刺さっちゃったんだって。」

「えぇ・・・。」

「正直、気持ち悪いよね。」

「うん。」

「だからね、ディアナちゃん。私、ディアナちゃんのお父さんの判断って、決して悪くないことだと思うんだ。」

「そうかな。」

「でも、大きくなったら絶対に帰って来てね。約束だよ。」

「うん、それは約束。」

 ディアナは少女と、小指を結んだ。


2.

 カラカラ車輪。カタカタ木桶。コツコツ鉄鍋。キシキシ木箱。シューシュー、シューシュー・・・。

「しゅーしゅー?」

 天辺の蛇の頭を確かめてみた。舌は出さない。たぶん、偽物だ。

 半日が経って、馬車が道を逸れて横向きに止められた。反対側の深い芝の上に、大きな天幕付きの荷馬車が見えた。その馬車から、如何にも行商人らしい恰幅の良い人が降りてきて、少し離れた場所で父と話し始めた。

 シアンはパパの会話に聞き耳を立てようとしていた。ディアナもつられて気になったけれど、それどころではなかった。天幕の下から、ハリネズミを抱いた少年が顔を出していた。彼は、気を抜けば吸い込まれてしまいそうな深紅の瞳で、飢えた狼のように、食い入るようにディアナをじっと見つめていた。顔を背けても、蛇を深く被ってみても、変わらなかった。

じっと、じっと、じっと、じーーーーーっと・・・。

 暫くしてアンドレが戻ってきた。ディアナは前を横切った彼の瞳が深紅に染まっていた気がしたが、真相を確かめることはできなかった。尚もディアナを捉え続ける少年が気掛かりで仕方なかったのだ。馬車が動き出し、遠ざかり、互いに見えなくなると、ようやく深紅の視線を感じなくなった。

「・・・・・・ちゃん。」

「・・・。」

「ディアナお姉ちゃん!」

「ごめん、なに?」

「いい場所があったんだって。」

「いい場所?」

「うん。ヤギや鶏が放牧されてる整った土地。」

「誰か住んでたりしないのかな。」

「もー、誰もいないからいい場所なんでしょ。どうなっちゃうのか心配だったけど、よかったね。」

「うん、そうだね。」

カラカラカタカタ。コツコツキシキシ。シューシュー・・・。

十三日が過ぎ、噂の土地に辿り着いた。並ぶ藁塚、方々で草を食む白ヤギと、畑を駆け回る鶏たち。天井のない廃屋と、戸が開け放たれた大小の家畜小屋。荷降ろしをしながら、土地を見定めたアンドレが満足そうに笑った。

「主のお導きだ。」

 それからの生活は順風満帆だった。トウモロコシ、麦、鶏の卵と、ヤギの乳、たまに兎の肉。でも、幸せは永遠ではなかった。ある年の冬も近いという時期に、何者かによって食料庫が荒らされたのだ。畜生の仕業ではない。人らしい手際の、人ならざる闖入者。食料庫からは苦労して蓄えたチーズや干し肉、穀物が消え、代わりにクッキー生地の携行食品(メープル味)が隙間なく積まれていた。

「こんな生活やってられないわ!毎日毎日、口の中がパッサパサ。水を汲みに行くことも増えて・・・洗濯だって手につかない。昨晩なんか、夢の中で私までパッサパッサだったのよ!周りはメープルシロップの海原だったのに!!」

「祈るのだ。きっと主様が救ってくださる。」

 ある朝の、泣いているナタリーと、彼女の背中を撫でながら黙々と携行食品を齧るアンドレ。アンドレは携行食品を持った手を振って、早起きしたディアナとシアンに散歩をしてくるように伝えた。

 パキパキ、枝の音。カサカサ、枯葉。シューシュー・・・。

 ディアナたちの散歩道は畑の裏の森の中。讃美歌を口ずさみながら、あるはずのないリンゴを探す。今朝はそんな気分じゃないけれど、それ以外にできることがなかった。

「最近、ずっとああだよね。」

 シアンが言った。

「そうだね。」

「毎日こうだと、辛いな。」

「私も。パパとママには仲良くしてほしい。」

「違う、メープルのこと。」

「・・・そっちね。」

「私もママの子なんだなあって。お姉ちゃんも、そうでしょ?」

「まあね。」

 二人は同時に立ち止まり、空を隠す枝に目を巡らせた。当然、リンゴはない。

「そろそろ帰ろう。卵ないか探してみようよ。」

 戻り、鶏小屋を漁って見ると、三つの卵があった。シアンは喜び家へと急いだが、昨晩の雨が残した泥濘に足を取られて転んでしまった。掌から逃れた卵は地面に落ちた。シアンは泣きそうな顔で起きあがったが、すぐに真っ青になり、涙を引かせた。彼女の視線の先にあったのは、紅色の液体を垂れ流す、三つの割れた卵だった。

「なにこれ。」

 シアンは卵に近づき、指で液体を掬い取り、ディアナの制止の間もなく舐めた。シアンの息が詰まった。

「なんで、なんで・・・。」

 シアンはかすれ声で囁き、直後、泣き喚きながら家の中に逃げ込んだ。

 ディアナは口にせずとも、その液体の正体が分かっていた。

「イチゴ風味メープルシロップ・・・。」

 苺、近くに生ってたりするのかな・・・?


 それから数日後のこと、ディアナは母ナタリーの叫び声で目を覚ました。寝具を蹴散らして駆け付けてみると、居間ではナタリーが机に蹲り、顔を抑えて「卵、卵。卵・・・」と、繰り返し、呪文のように唱えていた。指と眉間の隙間から、血走り、見開かれた眼が覗いていた。

 後から起きてきたシアンは鞄を背負っていた。シアンは呆然とするディアナを外へと連れ出し、告げた。

「お姉ちゃん。私たちで森の魔女を倒しに行こう。」

「魔女?」

「私、この状況と似たお話を知ってる。・・・ヘン〇ルとグ〇ーテル。森に住む魔女が甘いお菓子で人を肥えさせて食べちゃう、恐いお話。」

 メープル味の携行食品。イチゴ風味メープルシロップ・・・。

「もしかして、ここにいるの?」

「いる。絶対にいる。気づいているのは私たちだけ。」

 シアンに手を引かれ、森へ向かった。道中に見かけた家畜小屋からはヤギと鶏が消えていた。代わりにヤギが入っていた小屋には、レザージャケットとファスナー付きの長財布が置かれていた。

「・・・本当に魔女の仕業なのかな。」

「それも含めて、私たちで確かめるんだよ。」

 シアンは勇敢だった。けれど、重度の方向音痴だった。探訪の末、二人は見知らぬ開けた場所に出た。草が浅く、中央に池塘と大樹を構えた円形らしい平原。大樹の足元までたどり着くと、シアンは四方八方を滅茶苦茶に見回して、三周の後、わあわあと泣き出した。

「どうしよう、お姉ちゃん。どっちに行ったらいいのかわかんないよお、迷子になっちゃったぁ。」

「大丈夫、大丈夫。」

「私、村に帰りたい・・・。みんなと会いたいよお。」

「大丈夫だよ、シアン。」

 シアンは本当に迷子になったと信じ込んでいるけど、真っすぐにしか進んできていないから帰ることは簡単だった。でもディアナ的には、今日みたいに好き勝手に連れ出されると面倒だから、ちょっと懲らしめてやろうか、なんて。

 そんな思いでシアンを宥めていると、木陰から音が鳴った。

 パキパキ、カサカサ、シューシュー・・・。

 木陰から現れたのは深紅の目をした、真っ黒なヤギ。ヤギはディアナと目が合うと気味悪く震えた。シューシュー、シューシュー・・・。蛇、本当に偽物だよね?

 不意にシアンが頭を起こし、ヤギに気づいた。すると立ちあがって、幼児のように健気に手を広げた。

「アニー!ソフィー!シルヴィー!」

 シアンは村の親友たちの名を叫びながら、ヤギに向かって走り出した。

 止めなきゃ!そっちは家と真逆の方向!

 ディアナは一心に手を伸ばして、シアンを呼ぼうとした。しかし、その直前、真っ黒な掌が現れ、口と視界を覆った。どこまでも遠ざかっていくシアンの声。そして耳元を掠める、生暖かい息。

「ビヤンヴェニュ(ようこそ)。」

 真っ暗な視界が晴れると、そこは整えられた寝具の上だった。椅子に座り、猟銃を背負った父アンドレが一言、訊ねた。

「シアンはどうした?」

 ディアナは何も覚えていなかった。

シアンは二度と帰らなかった。

 以来、ナタリーは寝室に籠りきりになってしまった。朝や夜にナタリーの寝室のドアが開くたびに、枯れた祈りの囁きばかりが聞こえてきた。


 何もない一人の時間が増えた。

 洗濯物の量が減り、料理の機会もなくなり、話し相手がいなくなって、アンドレはナタリーの為に狩りの毎日。ディアナの口から出るのは、白い息と、双子がよく歌う童謡ばかり。

「アン・・・彼がやってくる。」

「ドゥ・・・赤い牛を呼んで。」

「トロワ・・・紫のランタンを右手に。」

「キャトル・・・青いレンズを忘れずに。」

「サンク・・・去り際には屈伸を。」

「スィス・・・番人が目を覚ます。」

「セット・・・・・・。」

 歌詞の意味は分からないけど、なんかイライラする。

「お姉ちゃん、その歌、もう古いよ。」

 顔を上げると双子がいた。メリアとトイ、幼い双子の姉弟。

「もしかして新しい歌があるの?」

「あるよ。」

「お姉ちゃん、気になるな。歌ってもらえる?」

「まだ教えてもらってるところ。」

「そっか。歌えるようになったら聞かせてね。」

「「いいよ。」」

 双子は声を揃えて答え、膝と頭を乱暴に揺らし始めた。メリアは横に、トイは縦に。動きの相違に気づいた双子は、互いに掴み合った。

「トイ、それ違うよ。」

「メリアが間違いだ。絶対に縦。」

「横!」「縦!」

「あー、だめだめ、こんな時に喧嘩しないで。」

 もつれ合おうとした双子の間に、ディアナが割って入った。

「メリアとトイはなにが気に入らなかったの?」

「「教えてもらった歌の踊り。」」

「それなら、どっちが正しいのか確認したらいいんだよ。誰に教えてもらったの?・・・パパ?」

「「ううん。」」

「じゃあ、ママ?」

「「ヤギさん。」」

「・・・ヤギ?」

「うん。真っ黒で、真っ赤な目をした、二本足でも歩ける不思議なヤギさん。歌と踊りと、あと、悪魔がいるから気を付けろって、教えてくれたんだよ。意味わかんないけど。」

 ディアナは頭が真っ白になった。それでも、空白はその上に、失われかけていた記憶をハッキリと鮮明に蘇らせた。シアンと最後にいた場所。円形の平原、大樹、池塘、真っ黒な深紅の瞳をしたヤギと、真っ黒な手。

 深夜。ディアナは狩りから帰ってきたアンドレに思い出したことの全てと、双子の話をした。するとアンドレは血相を変えて双子を叩き起こし、家の外に放り出した。双子の悲鳴を聞いたナタリーがパニックになりながらもアンドレに掴みかかり、問い詰めた。

「なんてことをするの?!もう冬になろうという季節に外に出すなんて、メリアとトイが凍え死んでしまう!」

「聞け、ナタリー。メリアとトイが元凶だった。あいつらは悪魔に魂を売っていたんだ。そうだろう、ディアナ。あいつらがルシファーの化身である黒いヤギと話し、奇妙な歌を教わったと!」

 ディアナが頷くと、ナタリーの目尻に涙が浮いた。

「あなた、どういうことなの。」

「言ったとおりだ。妙だとは思っていた。こんな恵まれた地に人が住んでいないなどと・・・冷静になるべきだった。ここは、悪魔の餌場だったに違いない。」

 アンドレが背負っていた猟銃を腕に抱えた。

「待って、まさか、あの子たちを撃ち殺したりしないでしょうね?」

「殺しはしない。メリアとトイは、ひとまず今晩は聖書とともにヤギの小屋に閉じ込めて祈らせる。銃を持つのは、悪魔を殺すためだ。」

 そう言って、アンドレは弾薬箱を開け、中の銀色の弾を銃に詰め始めた。

 

 その頃、外では、寝巻のままに放り出されたメリアとトイは寒さに苦しんでいた。身体だけでなく、胸も締め付けられるように痛かった。二人は家の中の会話を聞いていたのだ。

「私たち、悪魔なのかな。」

 メリアが呟いた。

「・・・ヤギさん、ブレーメン的な面白いヤギさんだと思ってたのに。本当は悪いヤギさんだったんだね。」

「ねえ、トイ。悪魔って、どうなんだろう。」

「小悪魔は需要あるらしいよ。」

「でも、なるなら小悪魔じゃなくて、かわいいお姫様が良かったなあ。」

「小悪魔なお姫様になればいいんだよ。」

「確かに、そうだね。・・・トイは魔王になるのかな?」

「僕は。僕は、魔王じゃなくて、勇者になりたかったなあ。」

 そう言い残し、襲う眠気に目を閉じかけた時。二人の目の前に輝きが落ちてきた。見てみれば、それは内側から光を放つガラスの靴で、光は森の中へと一直線に、道標のように続いていた。

「お姫様!」

 メリアは光を追い、靴を拾った。

「エ〇スカリバー!」

 トイはメリアよりも早く駆け出していた。輝く道標の向こうには、一際に輝く、地面に突き刺さった金色の剣があったのだ。

 メリアとトイが森に消え、拾われず残ったガラスの靴が冷たい風に溶けてしまった後、アンドレが外へ飛び出した。アンドレは双子がいないことを不審に思ったが、すぐに足跡を見つけ、追いかけた。大声で名を呼んでも返る声がないと、悪魔の仕業と断定した。

「メリアとトイをどこに隠した!出て来い、悪魔め!我こそは正しき神の僕。愛する家族のため、獅子となってお前の喉笛を掻き切ってやる!」

 叫び、曇る空へと三発の銀の銃弾を放った。だが、悪魔は現れなかった。メリルとトイが見つかることも、二度となかった。


 アンドレが出て行った後、ナタリーが玄関に錠をかけ、小さな印鑑を持ってディアナにすり寄った。ナタリーは怖気づくディアナの袖を捲って、腕の腹に黒字の家紋の印を刻んだ。

「ディアナ・・・聞いて。ママね、実はパパよりも仲がいい人がいるの。」

「えぇえ、それって!」

「今はなにも言わないで、ただ聞いていて。パパが帰って来る前に、急いで持てるだけの毛布と食料を持ってここを抜け出しなさい。そして村に帰って、誰でもいいからその腕の印を見せるのよ。あの人・・・蛇好きの変人だけど、きっとディアナを助けてくれるから。」

 遠くから銃声が聞こえ、妻の首に冷や汗が垂れた。

「ママはどうするの?」

「ママは、まだ行けない。メリアとトイを待たなくちゃ。」

「そんな。」

「いいから早く!」

 それはナタリーが声を張り上げると同時のことだった。ドアが勢いよく開かれ、メリアとトイの寝巻を手に下げたアンドレが押し入ってきた。

「・・・なぜ鍵を閉めていた。」

「あなたこそ、どうしてあの子たちの服だけを持っているの?」

「森の近くで消えていた、服だけを残して。」

「そんな言葉を信じられると思っているの!」

 ナタリーはアンドレに殴り掛かろうとした。だが、その時、ナタリーの腰から印鑑が落ちた。印鑑は床を転がり、アンドレの爪先で止まって、拾われた。

「・・・なんだ、これは。これは、ヨーゼの家紋じゃあないのか。なぜこんな物が・・・いや、待てよ、まさか!」

 アンドレは一度、外へ出て、斧を手にして戻ってきた。

「今、全てが分かったぞ。諸悪の元凶はお前だったんだな、この悪魔め!ヨーゼと手を組んで、俺を追い出すつもりだったんだな・・・すべてお前たちの仕業だったんだな。よくも抜け抜けと!」

「悪魔はあなたよ!その銃を誰に撃ったの。メリアとトイを返して!」

「黙れ、その口で俺を騙すのだろう。今まで散々に騙してきたのだろう!血を流せ・・・お前の血は何色だ!」

 振り下ろされた斧が、ナタリーの肩に突き刺さった。ナタリーは斧を伴なったまま倒れ、床に真っ赤な血だまりを作った。

「色まで誤魔化すとは・・・狡猾なやつめ。」

 アンドレがディアナを睨んだ。

「お前はどうなんだ。そもそもお前は俺の子なのか。その銀の髪は誰からの貰いものだ。こいつか、それとも悪魔か。」

 印鑑が乱暴に床に叩きつけられ、空いた手がディアナを捕まえ、外へと引き摺った。アンドレはディアナに馬乗りになり、力づくで片腕を抑えつけ、短く持った斧を振りかぶった。

「お前はまだ幼い。例え悪魔の血を継いでいたとして、俺の目を騙すことまではできないだろう。・・・ディアナ、見るな、歯を食い縛れ。右腕だけだ、それでお前を測る。」

「やめて、パパ!」

「全てお前の為だったんだ。」

「やだ!」

 ディアナが恐怖から固く目を瞑った瞬間、空から鮮血が滴った。腕の感覚はまだあった。異変を感じ、目を開けてみると、鼻の先に黒いヤギの顔があった。ヤギの顔の後ろで、アンドレが血塗れの腹を抑えながら、よろよろと立ちあがって後退し、家の壁に背を擦った。

「お前か・・・お前か、ルシファーめ。」

 アンドレは黒いヤギの赤黒く染まった角を睨んだ。だが、その視線は段々と力を失って浮き上がり、握られていた斧すらも落としてしまった。

「娘は・・・・・私の・・・。」

 言い切れず、アンドレは血を吐いて息絶えた。

 ディアナは父の亡骸に寄り、膝をついた。一心に、どうしてこんなことになってしまったのだと、嘆いた。そしてその果てに行き着いたのは、いつものように、己の存在を憎むことだった。

 ・・・私が生まれて来なければ、みんな幸福だったのかな。

 十字を切り、母を案じて家に急いだ。しかし、居間に母の姿は無く、乾きかけた真っ黒な血の痕だけがあった。

「おいで、ディアナ。」

 声に向くと、まず、家族で食事をしていたテーブルに黒表紙の厚い本が目に付いた。そして、その反対側、奥側の席に、全身を黒のマントで包み、背に闇を落とす、男のような人物が座っていた。

 彼の押し殺したような囁き声に導かれるままに本の前の椅子に座ると、独りでに本が開いた。

「何が欲しい?」

「あなたは誰?」

「私は君たちが思うような存在ではない。君のような恵まれない者のための案内人だ。さあ、言ってみたまえ。何が望みだ。」

 彼のこれは魅力的だった。ディアナはつい望みを口にしかけたが、寸前で唇を結んだ。

「難しいか?何も一つだけじゃあなくてもいい。手始めにマンゴー風味メープルシロップはどうだ?・・・レモン風味もある。これをパンケーキに塗って味わうのはどうだ?」

 ディアナの喉がごくりと鳴った。気づいていなかったが、唇の端から涎が垂れていた。携行食品以外の食べ物を意識することは久々だった。ディアナは抗い難い心の揺らぎを感じて、やむなく意を決した。

「・・・自由になりたい。私の呪われた髪に偏見を持つ人がいなくて、誰も傷つくことがない場所で。」

「家族には会えなくてもいいのか?」

「会ったって・・・また不幸にしちゃうだろうし、そんなことを願ったら、きっとたくさんの代償を求めてくるんでしょ。」

 彼は笑った。笑いながら、闇から漆黒の筆を転がした。

「署名を。」

 

 署名の後、ディアナは黒ヤギに跨り森に入った。大樹を過ぎ、池塘を渡って平原を抜け、最後には大きな湖に辿り着いた。そこでヤギから降りると、どこからともなくマントの彼が現われ、ディアナを湖に誘った。一歩、踏み込んでみると、湖の下はまるで水が存在しないかのように自由で抵抗なく、固い地面と生暖かい気流が感じられ、足の裏に妙な振動が伝わった。首元までを沈めると、何者かに胸を触られた。次に口に甘く、鼻に柔らかい風。耳に届く歓声。そして目に飛び込んだ、七色の世界と、舞台上で火を囲んで踊る全裸の妖艶な女たち。

「ビヤンヴェニュオン サバト(ようこそ、サバトへ)」

 そうキザに言放った彼の声は上ずって高く、女性的だった。

「・・・サバト。」

「知っているだろう?さあ、君も服を脱いで。」

 サバトとは、魔女と悪魔が交わる、汚らわしき悪魔崇拝の夜宴。しかし、目の前の狂宴は、どうやらただのそれではないようだ。全ての樹木に表情を与え、枝を巡って輝く色彩豊かなネオン。降りしきるサファイアカラーのサーチライト。あちこちで回転し光を照り返す謎の銀色の球体。骨を砕くような重低音、頭を割るような高音、それでいて心地よく心に馴染むアップテンポの力強いビート。

「・・・ダ〇ト・パンク?」

「申し訳ないけれど、彼らの爆発四散を惜しむ会は随分前に終えてしまった。今回はイギリス風にア〇ィーチなんだ。」

「彼、ストックホルム出身じゃなかったっけ。」

「全英チャートを参考にした。間違いはない。」

「チャートならアメリカとかドイツでも載ってたよね。」

「・・・。」

「まあ、別にいいけど。」

 既にディアナの身体は音に支配されていた。服を脱ぎつつも指先はリズムに絡めとられ、首や腰、膝は自然と縦ノリを始めていた。

 ・・・そっか、メリアとトイは縦ノリか横ノリかで揉めていたんだ。

「危ないから頭の蛇も取ってもらおうか。」

「蛇は駄目。親友から貰ったものだから。」

「・・・本物じゃないだろうね?」

「大丈夫、偽物(たぶんだけど)。」

 舞台に上がる直前、ネオンの看板が目に付いた。

「Super」

「Anti aging」

「British」

「Banquets」

「At」

「Toulon!!※」

※トゥーロン=地中海に面するフランスの観光都市。

 ここ、比較的内陸な上に山の上なんだけど・・・などという下らない胸の内はかなぐり捨て、ディアナは舞台上の妖艶な女たちに紛れ、気が狂ったように踊り始めた。熱に浮かされ、勧められた盃の中身を確かめもせずに一気に飲み干した直後、視界が歪み、意識が溶け出した。脱力し倒れかけた時、数多の手に背を受け止められ、重低音で波打つ地面の上に仰向けに寝かされた。

 割と振動がキツく、なんなら普通に気持ち悪かった。しかし、不快を感じる時間は短かった。感覚が段々と鈍くなり、あらゆる振動は心地よいものになっていいた。ディアナは人として最後の、深い眠りについた。


3.

 ぐるぐる木目、知らない天井。あちこち毛糸、吊られた衣服。モフモフふかふか、柔らかベッド、シューシュー、シューシュー、イースタンブラウンスネーク。

 頭がすごく痛かった。絶えず耳に入るカタカタという音に向くと、四角い部屋の隅に、揺り椅子に座り読書に耽る大変に醜い老婆がいた。老婆が右肘を乗せた机の上では、何の便りも無しに自ずから針が働き、編み物をしていた。

「起きたかい。」

 老婆が言った。容姿が容姿であるから驚きはしなかったが、酷くしわがれた声だった。

「はい。」

「綺麗な声をしているね。ああ、よかったよかった。他所の奴があんたにストレガの原液をたらふく飲ませちまったって聞いたから心配してたんだよ。」

「・・・はあ。」

 何も思い出せないディアナの手元に、どこからか水の入ったガラスのコップと薬包紙がやってきた。なんとなく薬包紙の中身の黄色い粉末を水で飲み込むと、たちまちに頭痛が引いた。空になった薬包紙は宙で燃え突き、コップはふよふよと漂い、扉代わりの民族柄の垂れ幕の奥に消えていった。

「歩けそうかい?」

「はい。薬、ありがとうございます。」

「いいんだよ。それより、落ち着いたら他の子に合わせるよ。」

「他の子?」

「魔女だよ、魔女。これからあんたの友だちになる子たちさ。」

「えっと・・・?」

「なに呆けてんのさ。あんたも魔女だよ、自分で選んできたんだろうに。」

「はあ・・・・・え?」

「ハッキリしないね。水、もう一杯いくかい?」

 垂れ幕が捲られ、コップが頭を出した。

「いえ、それは結構ですけれども・・・。」

「なら行くよ。会えば実感も湧くだろうさ。」

 老婆の椅子が浮き、垂れ幕を潜った。追いかけると、垂れ幕の先には、左右に絵画と溶けない蝋燭を並べた、白を基調とした永遠の長廊下が続いていた。廊下を進んでいると、壁に寄りかかるジャッ〇・ス〇ロウと出会った。彼は何かを期待するようにニヤニヤとディアナを見つめていたが、老婆は彼に構うことなく、あっさりと通り過ぎてしまった。

「トーアにはもう会ったね?」

 老婆が問いかけた。

「ジャッ〇のことですか?」

「そうだね。」

「会ってないと思います。」

「いいや、会ってるよ。あれは案内役だから、会っていないはずがない。あいつは悪戯好きでねえ、いつも違う姿をしているけれど、慣れれば変装を見抜けるようになる。黒ヤギだの、エイリアンだの、奇抜な変り種ばかり真似しているから。」

「ああ。」

 ディアナは黒ヤギとマントの彼を思い出し、納得した。

 ふと老婆を運ぶソファが止まった。老婆は過ぎかけた右手の扉をノックした。扉には「調律中」と書かれた看板が釘で止められ、その周囲を筆記体のサインやら得体の知れないシンボルやらシールやらが埋め尽くしていた。少しの間を置いて扉が少しばかり開けられ、渋い男性の声を背に連れた少女が顔を覗かせた。右目を隠した、黒髪のボブカット。右側の毛先にはピンク、左の毛先には緑のメッシュを入れていた。少女は胸の高さに見慣れぬ銀髪を見つけると、目を見開いて顔を引っ込めた。どたばたと慌ただしい足音の後に渋い男性の声が止み、そろそろと、また戻ってきた。

「・・・どちらさまぁぁあ?」

 頬を引き攣らせた少女が訊ねた。

「新入りのディアナだよ。挨拶をし。」

 老婆が答えるや少女は身を乗り出して、扉の陰の老婆を睨んだ。自ずと扉が勢いよく押し開かれ、ディアナはその薄暗い部屋の様子を目にすることとなった。難解な抽象画(色的にたぶん自画像)、青白い肌をした渋いおじさんのポスターとタペストリー、青白い肌をした渋いおじさんの写真が頭に貼られた巨大な熊のぬいぐるみ、見知らぬ痛々しい格言を飾った画枠、なんかキャンドルっぽいライト、意味深な装飾が施されたノート棚、魔法陣、六芒星、弦が錆びたギター、埃を被ったドラムなどなど・・・。

 部屋の中を見られているとは露知らず、少女は舌打ちをした後、扉を閉めかけて、くいとデコで彩られた原色不明のスマートフォンを持った手をディアナに伸ばした。

「あの・・・なんかやってる?よかったら交換しない?」

 スマートフォンの画面に青い鳥のイメージが映った。

「ごめんなさい。それ知らないです。」

「そっか。じゃあ、スマホ買ったらまた来てよ。」

 そう言って、少女は扉の奥に消えた。閉まった扉が、間もなく再び開いた。

「・・・あっ、その。今度はババアとじゃなく、一人で来てよね。スマホの使い方とか、おすすめのソシャゲとか、配信者とか、教えてあげるから。じゃね。」

 少女はそう告げるなり扉を閉め、カチャリと、鍵までかけてしまった。

「・・・名前、なんだったんだろう?」

 ディアナは「調律中」の看板を裏返してみた。そこには「アンリ」と記されていた。読めたことが不思議なくらいの、謎の書体だった。

「ディアナ、ほら、早くおいで。」

 遠くからしわがれた声がディアナを呼んだ。

 次に出会った「ランクマ」と記された看板が下げられた扉は、ノックも無しに問答無用に開けられた。その部屋はアンリのものとは打って変わって、家具と言えばたったの二つ。長机とハンガーラックを置いただけの簡素な有様だった。騒がしいものと言えば、机に向かう少女の手元で鳴り続ける、カチカチ、カタカタ、という音と、少女の目を隠すグラサンが反射するモニターの映像と、床に張り巡らされた配線と、部屋を走り回るル〇バぐらいだった。

 ル〇バの侵攻を阻むクッションのサークルに囲まれた横向きの少女は奇抜な柄のヘアバンドで前髪を上げ、色の薄い額を晒していた。深い青色の髪は全体的に長く、クッションのサークル内に海原を生み出していたが、見るに爪だけはきちんと短く切られていた。

「あの子はファーナ。ランクマ中は話しかけちゃいけないよ。今は上位五十パーセントにも入れていないらしいけれど、健気にプロゲーマーを目指している。・・・魔女以上に厳しい世界だろうにねえ。・・・それと、部屋に無断で踏み込むこともいけない、驚かせてしまうと家中の電気が止まってしまうからね。」

「どうしてですか?」

「ファーナは電気を扱うのが得意なんだ。ここで消費されている電気は全部、ファーナが生み出してくれたものなんだよ。」

「・・・へえ。」

「因みにあのグラサンはブルーライト & UVカット。大抵の機器はロ〇クール製だけれど、キーボードだけはレ〇ザー製。キーが光ると目障りだとかで、光らない物を選んだらしいね。パソコンはBTOのものとガ〇リア。配信しているけれど、顔出しはしていない。使用している回線はMURO光。本当は圏外だったんだけれど、ファーナが力づくで引っ張ってきてくれたんだよ。」

「へえええええ。」

「どうだい。魔女はすごいだろう?」

「そうですね。」

 ディアナは老婆の言っていることが理解できなかった。

 次に出会った扉を、老婆は開けかけて、結局やめた。看板には「(自主規制)中」と記されていた。

「ロノエはまた今度にしようねえ。」

「(自主規制)ってなんですか?」

「口に出すんじゃないよ。それとも分かってて聞いてるのかい?」

「・・・良くなかったですか?」

「あんた、ウブだね。」

 扉の前を通り過ぎる時、高い奇声と重低音が耳に入った。胸を晴らす、頭を沸かす、あの力強いアップビート・・・。

 老婆は最後の扉を開けると、ディアナを中へと招いた。その部屋はモノクロなゴシック調で、ベッドとタンスと本棚と壁掛け時計と・・・ディアナが夢にまでみたような、機能性に優れた無駄のない落ち着いた内装をしていた。老婆はディアナをベッドに座らせ、自身の揺り椅子を部屋の真ん中に降ろした。衝撃で椅子から落ちた埃が黒のカーペットを汚してしまった。

「最後は私だね。私はルケ。この“恵まれぬ子らの家”の長だよ。」

「ルケおばあちゃん?」

「 “メハシェファ エクス”またはエクスとお呼び。」

「・・・“メハシェファ エクス”。」

「そうそう、よろしい。ところでディアナ、私がいくつに見えるかい?」

「えっと・・・・百五十歳くらい?」

「惜しいね、千と、それに六百歳さ。五世紀から生きているんだよ。魔女になってしまうと老いることがないからね。・・・私はね、この目で数々の英雄たちの伝説も見て来たんだ。」

 エクスは袖に手を潜らせ、その内から腕よりも長い杖を取り出し、先端を高く掲げた。すると杖が輝き、椅子から落ちた埃が浮き上がって色を抱え、宙に幻想を描いた。ディアナは幻想に目を奪われた。それは英雄たちの歴史の映像だった。

「あの時の私は若かった。若く美しく、最も力ある魔女の一人だった。けれどね、私は英雄たちが名を連ねたあの物語に名を残すことができなかった。なぜだと思う?」

「控えめな性格だったんですか。」

「いいや、違うよ。私はね、愛に憧れていたんだ。英雄たちを手助けするモ〇ガンやマー〇ンのような偉大な魔術師ではなく、ガ〇ェインとの間に真の愛を見出したラグ〇ルのような存在に焦がれていたのさ。」

「へー。」

 ベッド、めっちゃ柔らかい。

「けれど、運命は私には傾かなかった。と言うよりも、誰も私に呪いをかけてくれなかった、かけられなかった。私は強くなりすぎてしまったんだよ。夢も恋も叶わぬまま、何も成せないまま、彼ら伝説が終わるのを見届けるだけで、今の今までこんな山奥でひっそりと生きてきてしまった。」

「苦労してきたんですね。」

 寝たい。

「空虚だったよ。空虚な歳月をただ過ごしてきた。・・・だけど、今こんなことをしているのはね、ちょうど三十年前に新しい夢を見つけたからなんだよ。森に迷い込んだ少年が持っていた雑誌がきっかけでねえ・・・。」

 ザッシ?

「・・・その名はエクスメン。愛に生き、愛の為に闘う戦士たち。」

 エクスメン?

「私はね、恵まれない少年少女を集めて、ヒーローを生み出すことにしたんだ。トーアが少女ばかり連れてくるから、今は魔女しかいないけどね、本当は勇者も育てたいんだけどねえ・・・まあ、それはともかくだ。」

 エクスの椅子が浮いてディアナに近づき、エクスの両手がディアナの肩をがっちりと掴んだ。痛くはなかったが、とても老婆のものとは思えない力が込められていた。

「そう言う訳だから、頼んだよディアナ。あんたらは世界中を飛び回って悪人を倒し、愛に生きるヒーローになるんだ。」

「えっ、でも、そんなこと急に言われても。」

「大丈夫。アンリやファーナやロノエやトーアも一緒なんだから、安心をし。みんなで一緒に力を合わせて、世界中から愛されるエクスメンになるんだよ。」

 私が・・・私がっ。

「私がエクスメンに?!」


 第一話 完


次回予告


 世界各国でヒーローとヴィランによる終わりなき死闘が繰り広げられる中、技術大国日本は莫大な資本と影響力を手にする「三大企業」の冷戦下にあった。

 派手な演出と召喚術に定評のある「エニーアックス」。

 時を操る奇術師と個性的な装備が話題を呼んだ「クリィィィム」。

 大陸から遥々やって来たミリタリークリエイター集団「十聖」。

 「国際共同戦線協定」によって、特許の効力が無と化した魔の時代。三大企業は利益保持の為に手の内を隠し続け、ヴィランの登場は企業たちの防衛技術品評会と化していた。つまり、実質ヴィランは野放し状態!

 これに目を付け、第四の勢力として加わろうと画策する「メハシェファ エクス」と彼女が率いる少女たち。果たして、少女たちはどうなってしまうのか!愛に生き、愛に戦い、愛に散ることなかれ!!


 次話 「結局やっぱ日本はガ〇ダム」

 

 次回はノーサービス!! 続きは来ないけど、よい年越しを!

 



登場人物

  

アンドレ=唯一の犠牲者。神を語る悪魔の声に執心。ディアナ大好き。それなりに優秀で教会の幹部。

ナタリー=アンドレの妻(?)。ひつまぶしが大好物。優秀な猟師で、アンドレが使っていた猟銃は実は彼女のもの。あの後、こっそり村に帰ったし傷も治った。

シアン=童話が大好き。幼少期には就寝前にママがよく読んでくれていた。黒いヤギ(トーア)が責任をもって村に返した。

メリアとトイ=お姫様にも勇者にもなれなかったけれど村で健やかに暮らしています。

ディアナ=けっこうモテていたが、好意表現が下手なやつらしかいなかったので嫌われていると勘違い。孤独になろうとした結果、紆余曲折あって魔女に引き取られる。実は念動力がある。ダンスポップが好き。


老魔女ルケ=太古から生きる魔女。アイルランド民謡が好き。


魔女ロノエ=森の隠れ家という限られた生活の中で、趣味は交流、或いは(自主規制)。その為に杖を巧みに振動させることに精魂を注いでいたが、ある日に振動する杖がなぜか電波をキャッチ、杖が奏でたのはイカしたEDMだった。文字通りイカれた彼女は以来、音楽に浸透。趣味が興じて都会のDJを勤めるまでになり、異名は「電子の魔術師」。ニューシングルを近日発売予定。チャート入りを目指している。

お洒落好きで、稼いだお金を衣服に投資する。そのほか、仲間の魔女の為にと小物を買ってあげたり(アンリのキャンドルライト、ファーナのヘアバンドなど)、おこずかいをあげているのだが、小物の柄が奇抜なために、度々に非難を受ける。それでもめげない。

身体に石炭を塗ることにハマっている。森でディアナの目と口を塞いだのは彼女。


魔女トーア=イケメンに生まれたかった女。コスプレが趣味で、いっつも男装をしている。ジョ〇ーデップが大好き。飄飄と独りで歩き回ることが多く、そんな自分に酔っている。化けることが得意。映画好きで、悪戯好き。色々と無駄に手が凝ったことをしたがる。

クラシックやジャズを聴く自分が大好き。


魔女アンリ=人見知り。永遠の中二病。痛々しい音楽が好きで、それ以外のジャンル全てを拒絶する傾向にある。トレンドに執心するが、拘りも手放さない。SNSのフォロバ数が友だち。(基本的にフォロー数と同数)

ラジオが好きで、トレンド情報の多くはそこから仕入れている。ショッピングチャンネルが大嫌い。あるイケボ配信者に恋をしており、オフ会も希望しているが、そもそも機会がないし、あったとして魔女と言う素性に加えて実年齢がけっこう高いので、ハードルがエグイ。人見知りが極まると人を殺しかねない。


魔女ファーナ=ラフな人柄。常にデジタルの世界に生きようとする少女。昔はMMOが好きだったが、チャットで「リアル魔女」と明かしたところ、出会い中とアンチに苦しみやむなく引退。以来、パンドラの箱となっている。現在はFPSに没頭。

ゲーマーであり、愛も強いが、電力を自給自足で賄っているため、集中しきれていない。そう言う訳で継続的な集中力と忍耐力が求められるゲームが大の苦手。因みに費用の多くはロノエが払っている。電気代はかかっていない。

ファーナの魔術は強力で、力づくで引き寄せているインターネット回線は常にマイナス(ピン)を叩き出している。

髪は伸ばしきりだが、爪は三日おきに切る。

ハッキングに応用可能な魔術を有しているが、使うことはしない。偉い!ヒーロー映画が大好き。一番好きなヒーローはク〇ック銀。足が速い男の子が好き。


続きません。

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