私とパトリスのダイエットな青春
痩せたい!
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学園の園舎裏にあるとても大きな木。
この木は願いを叶える力があって、お互いに惹かれ合うものを必ず結びつける力を持つと噂されている。
その下で告白に成功したら破局することなく生涯良きパートナーになれる。そう言われていた。
私の前に一人の青年が立っている。彼のことはよく知っている。小さい頃からの幼馴染だ。私の…初恋の人。
木陰の下、やや逆光で彼の金髪が一際輝いて見えた。
なんて綺麗なんだろう。子供の頃から彼の髪は宝石のように輝いて見えていた。やや物憂げに見えるその表情も、優しげな瞳も、困った人に手を差し伸べる優しさも、全部好きだった。
「ラウルのことずっとずっと好きだったの。交際してください!」
「やだ。」
即答だった。
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『ノエル、君と交際とか絶対に無いよ。まじありえない。』
『え!?そ、そんな、そこまで否定することないでしょ!?』
『今の半分の体重になったら考えてあげていいけど、お前には無理でしょ。じゃあね。もう悪い冗談はやめてね。』
「はあぁ…」
ひっどい振られ方をしてしまった…こ、心が折れる…。
彼の言い分はわかる。確かに私はかなりふくよかだ。周りの人間にデブだのブサイクだのと何度嗤われたかわからない。
でも…私だって好きで太ってるわけじゃないのに。あんな言い方ってないよなー…。
「なんだ、ため息ついて。腹でも減ったか。」
告白した木の根っこで膝を抱えていた私の上から、無遠慮な言葉が降ってきた。彼はパトリス。彼も私と同じでちょっと…わりと…だいぶふくよかだ。赤い髪の毛と指に嵌められた悪趣味なルビーの指輪が、体型も相まって全く似合っていない。彼は横にも縦にも大きいから、私以上に目立つ。
以前、彼が落としたハンカチを渡してそのまま去ったら、自分の姿を気持ち悪がらない珍しい女認定された。気持ち悪いも何も、自分を棚に上げて笑うことができないだけだ。人としての恥を知っているだけ。
「うるさいなー…失恋中なの。放っておいてよ。」
「そりゃあそんなに顔パンパンなまま迫ってもな。」
「迫るって何よ!?仕方ないでしょ!生まれつき燃費が良すぎて脂肪燃焼されない体なの!ていうかアンタが言うなこの大巨漢!」
そう、私は自分が何故ここまでふくよかになるのかわからなかった。
私の家系は何故か揃って体が膨らみやすい体質だ。食べているものも特別肉が多いわけでもなく、基本的におかずの少ないパンを中心とした粗食だと思う。それは私のお弁当を見たパトリスが「意外と食べないな?」と首を傾げたほどだ。
「なら運動するしかないよな。してるか?運動。」
「…家から馬車を使わないで歩いて来てる。」
「足りないだろそれじゃ。」
…それは正論だった。私は恋愛小説を読むのが大好きで、基本的に屋内で過ごしている。通学と授業以外で体を動かすことは殆ど無い。
「………往復してる。」
「そういう問題じゃないって…。」
苦し紛れの言い訳なのは承知してたので、パトリスになにか言い返す事も出来ない。
だけども、確かにこのだらしない肉ともおさらばしたいとは思っていた。周りの生ぬるい嘲笑もいい加減煩わしい。
それに…幼馴染のあんまりな態度にも腹が立った。振るにしたってあの言い方は無いでしょ!?
「………決めた!私、痩せる!ふくよか卒業だ!」
「何だって?」
「痩せてラウルのこと見返してやるんだから!」
私の良いところは気持ちの切り替えが早いところだ!
失恋した!太ってたからだ!じゃあ痩せよう!
ラウルのやつにぎゃふんと言わせてやるんだ!
痩せ方わからないけどね!
決意を新たに鼻息を付いていると、もう一人のふくよか仲間が一見興味なさそうな顔でとんでもない事を言い出した。
「面白いな。付き合わせてくれよ。」
へ!?
「いやいや、別にパトリスまで一緒にダイエットすることないよ!?」
それに、申し訳ないが彼の方がふくよか具合ではガチだ。私と同じメニューをこなすのはだいぶ辛いと思う。
「違うって。お前のことだからどうせ食べる量減らして無理に痩せようとするだろうからな。ちゃんと運動するか、監視役になってやるよ。」
「うぐぬっ………それは……ちょっとありがたいかも…。」
…図星だった。とにかくまずは断食だと思っていたのを、完全に見透かされている。しかもさぼらないよう側で運動を見守ってくれるというではないか。
…あれ?それって普通に面倒見良すぎじゃない?
「まず飯を食う前に宣言したところが気に入った。いるからな、腹一杯になってからダイエット宣言するやつ。」
「…パトリスって意外といいやつだったんだね。じゃあ、甘えさせてもらう。私のダイエットに付き合ってください。」
「よし、お前が痩せて幸せになるのを見届けてやる。」
「ふっ。さてと、じゃあ始めますか!目指せ!出るところは出てる女!おおー!」
声も高らかに私のダイエット作戦が始まった。
「出すなら腹以外でな。」と無表情でつぶやいたパトリスの頭を引っ叩くところから。
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「本来ならお前くらい体がでかいなら、膝を守る意味でも泳ぐことから始めたほうが良いんだが、湖までは距離があるからな。軽い走り込みからやろう。歩くより遅くなっても構わないから、走るのを止めるな。適宜休憩は挟むから、万が一痛みが走ったらすぐに教えろ。」
武技教練用の運動着に着替えた私達は、学園内の校庭を走っていた。まだ始めてから数分しか経ってないのに息切れがひどい。とにかく、体が重かった。
「言っておくが、俺はダイエットとやらをやったことは一度もない。的確なアドバイスとかはあまり期待するな。」
「まあ、それは、そう、でしょうね。」
隣のパトリスは涼しい顔をして並走している。私よりは体力があるようで、返事をするだけでヒーヒー言ってる私と違ってしゃべる余裕まであるようだ。
「だが食事内容については何か言えるかも知れん。一度お前の家の夕食を見せてもらってもいいか?」
「はい!?」
思わず足を止めてしまったが、「止まるな。」と鋭く制されてしまった。おずおずと――もはや歩いてるのと同じくらいの速さで――走り出した私に合わせて、パトリスが並走する。
「食事を、見たい?理由、教えてよ。」
「お前の弁当見たけど、妙にパンというか、小麦を使ったものが多い気がしてな。体重の割に量は少ないだろうけど、中身のバランスが偏って見える。」
私の家は比較的貧乏な子爵家だ。猫の額に例えられるほどの小さな土地で小麦の栽培と養豚を主として領地運営している。
貧しいながらも食べるのにはそれほど困らない豊かな土地柄、平民からのウケは意外と良好で、冒険者たちからは「引退後にスローライフしたいならここが過不足ない」と評されていた。善良と言えば聞こえの良い父が必要以上に税を上乗せしていないのも一因だ。
「うちの、領地は、小麦が、豊富だから、それでかな。私は、肉は、あんまり、食べないんだけど、パンはね、よく食べるよ。パン、美味しい、もん。油っこい、お肉より、パンが、好きかな。あ、あのさ、話しながら、走るの、辛すぎ。」
「なるほど、それで小麦中心の弁当になるわけだな。パンやガレットが多いのもその為か。」
パトリスは私の後半の嘆きを全く無視して独りごちている。
「よし、とにかく一度お邪魔したい。早速今日良いか?」
「今日!?」
また足が止まったのを見て「走れ。」と鋭く制される。
だが流石に聞き捨てならない。男の子を家に上げるのに、その日に決めちゃうなんて有り!?
ラウル以外にまともに男の子と過ごしたことが無かった私だが、いきなりパトリスを家に連れて行くのはまずい気がした。
「パ、パトリスの家の人とも相談した方が良いんじゃないかな?もう夕食を用意してるかもしれないしさ!」
「そんなこと………いや、それはそうだな。それにそちらの都合もあるはずだ。すまない、俺が軽率だった。なら明日伺ってもいいか、聞いておいてくれないか?」
「う、うん…。」
パトリスは妙な所で率直というか、非を認める時は素直に認める部分がある。喧嘩友達みたいな関係ではあったが、彼のそういう一面は嫌いではなかった。
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翌日。パトリスはきちんと両親の許可を得たらしく、夕食は私の家で食べても良いらしかった。私の方も両親に友達を連れてきて夕食を共にしたいと言えば、すぐに応じてくれた。
「一応、両親には夕食の内容について率直な意見を言ってもらうことは伝えてあるから、忌憚なく話してもらって大丈夫だよ。むしろ娘の事をそこまで気にしてくれてありがとうだって。」
私としては当然の配慮をしたつもりだったが、パトリスには余程意外だったようだ。相変わらずの無表情だったが、その声は申し訳無さそうだった。
「そうか、すまない。ご両親に気を使わせてしまったな。考えてみれば家の食事に文句をつけるようなものだ。断られても仕方なかったのに、よく受けてくださった。心より感謝する。根回しをしてくれたお前にもな。」
「ちょっ、お礼を言うのは私達の方なんだから気にしないで!でも…あの、すごく言いにくいんだけどさ。」
私はパトリスのお腹を直視した。
「やっぱり、その、私よりふくよかだと説得力がないかも…。」
「そこは問題ない。少し眩しいかもしれないが、我慢してくれ。」
「え?」
彼はそう言って悪趣味な指輪を光らせた。あまりの眩しさについ反射的に目を閉じてしまう。
「もういいぞ。これなら問題あるまい。」
「え……えっ!?」
そこにいたのは、パトリスの声をした、違う誰かだった。
赤い髪の毛はそのままに、スラリと伸びた手足と、端正な顔立ち。引き締まった体は相当鍛え込んであることが見て取れた。確かにパトリスの面影こそあるが、明らかに別人だ。
「パトリスなの!?うそ!?何がどうなってるの!?」
「いや、すまん。いらぬ夢を与えたかもしれないが、これはハッタリだ。」
そう言うとあの悪趣味な指輪から黒いモヤが現れ、パトリスっぽい美男子を覆い隠した。そしてモヤが晴れると、そこにはいつものパトリスがいた。
「この指輪の力で、一時的にだが思った姿に変身できるようになるんだ。気を緩めるとすぐ元に戻ってしまうから、いざという時にしか使わない。」
「変身…?じゃあ、別にパトリスが痩せたらああなるって訳でもないんだ?」
「あくまで俺の願望だ。」
そう言って肩をすくめる彼は、いつもの調子より少しだけ影があるように見えた。仕方なく私に付き合ってるようでいて、実は彼にも自分のふくよかさに思うところがあるのだろう。
「君の家では偽名を使おう。そうだな、ロランにするか。」
偽名?確かに変装というか変身はするだろうけど…。
「別にそこまでしなくてもいいんじゃない?」
「万が一あの姿のパトリスのことをお前の幼馴染が知ったら色々面倒になるだろう?半端に似てるのもあって、学園で変な噂が立つかもしれない。」
あ、なるほど。それはその通りだ。
「あくまで念の為だ。協力頼むぞ。」
「ええ、わかったわ。」
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パトリスは変身した上でさらにメガネとウィッグを着けて我が家にやってきた。夕食のためにそこまでする理由がさっぱりわからない。
彼は私の家で夕食を共にし、初めに「ありがとうございました、食事は全て美味しかったです。お料理がとてもお上手なのですね。」と謝意を示した後、いくつかのアドバイスを残してくれた。
まず、量は問題ないのだが、主材料が小麦に偏りすぎている事が指摘された。パトリス曰く、パンの中でも白パンに分類される柔らかく甘みのあるパンは、その中に砂糖やバターが含まれているため、脂質と糖質が多いらしい。一部ではさらなる甘みを求めて多めに砂糖を練り込む家もあるらしく、そう言ったパンを過剰に常食していると特に太りやすくなるのだとか。我が家では砂糖こそ過剰に練りこんでいなかったが、バターは多用していた。つまり、私が普段食べていた美味しいパンこそが、太りやすい原因だった。
「無論、パンは保存性が高く常食に向いてるのも確かなので、断つのではなく他の食品を増やして、普段そちらを先に食べることを第一に考えてほしい。出来れば野菜や豆をもっとメニューに加えるといいな。ただ体が冷える野菜も多いから気をつけてくれ。チーズはそれほど気にしなくていい。そんな普段から大量には食べないだろうしな。あと、肉は太りやすいイメージがあるだろうが、脂身の少ない部位…赤身なら食べてもさほど問題ない。鶏肉が一番ベストだが、大事なのは全体のバランスだ。もしどうしてもパンを満足行くまで食べたいなら、ライ麦で黒パンを焼くといい。あれなら固くなる分あごも使うから、満足度も高くなる。慣れれば味も悪くない。是非検討してくれ。」
………いや、詳しすぎない?なんでそんなに詳しいの?料理人ですか?
母は熱心にメモを取っているが、父はパトリスの博識ぶりに驚いていた。だが彼がいる前で正体を追求するような真似はしなかった。むしろ娘のために情報を一所懸命提供してくれている彼を好意的な目で見ていた。
「ノエル。おそらく彼は高位貴族か、それに近しい存在だ。上に立つものほど食事内容と健康に気をつけるものだが、その中でも彼は特に詳しいな。まるで専門家だ。まあ、それにしたって君の友人であることに変わりない。どこの家の者でも良いから、身分は気にせずまた遊びにおいでと伝えてくれ。」
多分、父はこのときもう彼の正体に薄々気付いていたのだろうと思う。
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食事内容を改善し、運動をパトリスと一緒にこなすこと半年。
スタートがあまりに巨漢だった私は見る見る内に痩せていった。あまりに急激な変化で自分でも驚くほどだ。
妊婦のように膨らんでいた腹はフラットになり、ややくびれらしきものを確認できるようにまでなった。顔の肉もだいぶ減って、鏡に映る自分がちょっと信じられない。少々急激に痩せたせいで皮が余ってしまっていたが、それは時間が解決するだろう。
黒パンの味にも慣れてきた。はじめはその硬さに面食らったが、噛めば噛むほど味が出てくるので食べていてとても楽しい。
また、運動の内容として新たに"冒険者依頼の遂行"が追加された。まさか本格的に冒険者を目指す訳でもないので山に薬草を取りに行く程度だが、これがなかなかハードだった。痩せた原因の半分以上はほぼこれと言って良いだろう。何しろ採集系の依頼とは近隣や楽な環境に存在しないから依頼が来るのであって、たとえ魔獣と遭遇しなくても非常に体力を消耗する仕事だ。領地によっては採集はF~Eランク冒険者の仕事としているが、おそらくそういった領地は常に担い手不足と薬草不足にあえいでいることだろう。
パトリスは護衛代わりに同行してくれているのだが、意外にも彼は結構強く、ソードラビット程度では相手にもならなかった。あの巨漢がまさかという俊敏さと剣捌きで魔獣を圧倒する様は、出来の悪い冗談にしか見えない。多分、学園の誰に話しても信じてもらえない。
だが、そんな私に付き合ってくれているにも関わらず、パトリスの方は全く痩せる気配が無かった。別に間食をしてる気配もないのに、なんだか可哀想に思えてくる。
「パトリスも頑張ってるのにね…なんでだろう?」
「お前のセリフじゃないが、俺の場合は体質の問題が大きいな。これでもお前の家と食べてるものはほぼ同じなんだ。量は流石に男だからちょっと多いけど、それでもお前と大差はない。仕方ないよ、これは。」
肩をすくめてはいるが、やはり影が色濃く見える。彼が今の体型を気にしてるのは明らかだった。
「見たかったのにな。」
思わず、口からこぼれ出た。
「…うん?」
「痩せてるパトリス、きっとカッコいいと思うよ。別に私は見た目あまり気にしないけどさー。やっぱり見てみたかったな。」
彼だって頑張ってるのだ。少しくらい結果に反映されても良いじゃないかと思う。
「…そうか。なら、俺が痩せるためにも俺たちの運動をさらにハードにするか。例えば魔獣討伐の依頼を受けるとか。」
「私達は何を目指してるのかな?ん?冒険者か?冒険者になりたいのか?ていうか私に魔獣狩らせる気なの?一応子爵令嬢なんですけど!?」
こんな馬鹿を言い合える時間も、実はそれほど残されていない。
私達は三年生だ。そして、数カ月後には卒業が控えている。
恐らく卒業したら彼と一緒にダイエットする機会も無くなるに違いなかった。寂しいと思うのは、きっと彼に対して戦友のような気持ちを抱いているからだろう。
「知ってるよ。お前は最初からちゃんと令嬢だった。気持ち悪いデブが落としたハンカチを嫌な顔をしないで拾って渡すことが出来て、好きな男には正面から告白できる。芯のある令嬢だと最初から思ってたよ、俺は。」
だから今感じているこの気持ちは友情に違いないと、自分に思い込ませていた。
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卒業まであと数週間となり、どこか周りも落ち着かない雰囲気になってきている。多くの生徒たちが婚約を決め、ある者は騎士となり、ある者は家を継ぐ道を選ぶ。
私は残念ながらそういう気分を学園の大きな木に置いてきてしまったので、後継者となる養子を取るか、婿を迎えるまでは領地運営を手伝う方向で卒業を迎えることになりそうだ。
学業以外を冒険者ギルドの採集依頼に当て込んでいた私の体型は、まさに劇的な変化を遂げていた。
体重はピーク期の半分になり、重い物を運んだり遠くまで採取しに歩いたりを繰り返した結果、ある程度以上に引き締まった体をしている。自惚れていなければだが、令嬢としては理想以上の体型だと思う。ていうかこれは冒険者の体つきだ。
脂肪が減ったために胸はやや控えめになってしまったが、顔の肉厚が減ったことで目が今までの3倍は大きく見えるようになった。個人的に肩こりから解放されたので、今ぐらいが丁度いい。
………ていうか依頼やり過ぎなんだよ。冒険者さんたちから何度かスカウトされたじゃないか。
さて、今日の学園は休みで、パトリスも用事があるとかでダイエットには付き合ってもらえなかった。仕方ないのでいつものランニングだけこなしてから街に出ることにした。馬車は使わない…ていうか街までなら走っても疲れない程度には体力が付いていたので走っていくことにする。
別に街に用があった訳じゃなく、単純に暇だったからだ。娯楽がないのだ、我が領地には。
領地からやや離れた公爵領にあるこの街は、王都ほどではないが結構栄えている。近くに景観に優れた観光名所と鉱山があり、いつも観光客と労働者で賑わっていた。服飾の有名店もいくつか入っていて、学園に通っていた令嬢たちの中にもここでドレスを買い揃える子が多かった。
私は体型が体型だったので特注にするしか無かったが、今ならあのウィンドウに展示されてるドレスも着られるだろう。
ボゥとしてドレスを眺めていたら、ウィンドウに反射して見覚えのある赤髪が映り込んだ。思わず振り向くと、紛れもなくパトリスがいた。いや、痩せイケメンモードなのでロランというべきだろうか?用事があると言いながらなぜ街にいるのだ?
ちょっと立派な服を着ていたので、もしかしたらデートかも知れないと思い、こっそり後をつけていく。何故か少しだけ心臓にチクリと痛みが走った気がするが、たぶんさっきまで走っていたためだろうと無視した。
だがデートではなかった。むしろデートの方がましだった。
彼は私の予想を遥かに超えた場所へと入っていった。
「おかえりなさいませ、パトリック・フォン・ロベール様。」
「ご苦労。街の治安は良好だな。皆の日頃の職務精励のおかげだ。」
「もったいないお言葉です。」
「………嘘でしょ!?」
そこは、間違いなくこの街で最も大きな屋敷。
ロベール公爵家の屋敷に間違いなかった。
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私はあまりの出来事に混乱し、逃げるように走り出すと、無意識に学園の一番大きな木まで来ていた。そして、あの日のように膝を抱えてうずくまる。
ショックだった。確かに彼は学園でも一人だけ爵位を明確には表明せず、かと言って平民とは思えない身なりで謎の多い男だった。
だが、それでも彼と長い間友人だったつもりだ。そしてたぶん、ラウルと同じくらいには好きになりかけてた。太ってても、友人のために時間も体も使ってくれる彼に好意を抱き始めていた。彼の内面がとても高貴に思えていた。
「そりゃ高貴だよ…だって公爵家の令息じゃん…手が届かないほど高貴だよ…。」
ため息をつけば、またあの太った男の声が聞こえる気がした。
『なんだ、ため息ついて。腹でも減ったか。』
…ムカ。
『面白いな。付き合わせてくれよ』
…ドキッ。
『出すなら腹以外でな。』
…ビキッ!!
イライライライラ…!!
いやこれ、よく考えたら半分騙されてたようなものじゃないのか!?多分あの痩せてる姿が本当なんでしょ!?太ったままなのはそっちが変身形態だっただけでしょ!?痩せられなくて可哀想とか思ってた私馬鹿みたいじゃない!?
思わず頭をぐしゃぐしゃとかきむしり、声を張り上げてしまった。
「…ああー!もうムカつくー!私に隠し事してた挙げ句に二度も失恋じみた物味わわせるとかアイツなんなのさー!?」
「二度ってなんのこと?」
「それはね!!ラウルに振られたと思ったら今度は…んん!?」
そこにいたのは、ラウルだった。
春先に私の事を完璧に振った幼馴染が、何故か私の前で立っていた。
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「あのさ、もしかしなくても、その声はノエルだよな?すごく痩せてキレイになったね…見違えたよ。」
彼は顔を紅潮させて、私の容姿を絶賛してきた。
あの、告白のときに私を酷評したあのラウルが。
「きっとすごく頑張ってダイエットしたんだね。幼馴染として鼻が高いよ。よく頑張ったね、ノエル。」
あのラウルが、私の事を褒めてくれているなんて。
『ノエル、君と交際とか絶対に無いよ。』
振られたときの事を思い返して、胸にこみ上げるものがあった。
パトリス…ありがとう…。
私、やっとラウルを見返してやることが出来たよ。
きっとパトリスがいなかったら、ラウルに振り向いてもらう事なんてできなかった。
全部、あなたのおかげ。
きっと、もうすぐあなたにも会えなくなっちゃうね。だっていずれ公爵様になるお方だもんね。
でも、卒業まではまだ少し時間がある。もう少しだけ、私のダイエットに付き合ってくれないかな。
そしたら、私も新たな一歩を踏み出せると思うから。
「いいよ、今の君となら付き合っても。」
………ん?
「合格だよ。今のノエルとなら僕ともきっと釣り合うと思う。もうすぐ卒業だし、結婚も視野に入れて交際を始めよう。」
はい?
「返事を、聞かせてもらえるかな?」
「やだ。」
迷わず即答した。
何言ってんだこいつ?
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「へ!?ど、どうして!?俺と付き合うために痩せたんだろう!?」
「どうしてラウルと付き合うために痩せなきゃいけないの?」
「ど、どうしてって、そりゃ!?」
「いやだってそんなこと一言も言ってないでしょ。そもそも私との交際なんて絶対にないって言ったのラウルじゃん。」
「それは、その、だってあの時のお前は太ってたし!」
「じゃあまた太ったら別れるわけ?」
「うっ!?」
100年の恋も冷めるってこういうのを言うのか?
いや、たぶん前の告白で100年分冷めてるから、合計200年分冷めたのか。ほぼ氷じゃないのかそれは。
「あのねラウル。私はあの時あなたのことが大好きだったから告白したけど、あんな振り方してくれたおかげで綺麗サッパリ未練なんか無くなってるのよ。振るにしても言い方ってもんがあるでしょ?」
まあ確かにあのときの私は"今の私の2人分"は体重あったけどさ。断られても文句は言えないレベルだったのは認めるし仕方ないとは思ってるけどさ。こちとらなけなしの勇気総動員して告白したわけですよ、この木の下で。断るにしてももう少し誠実に断って欲しかった。
例えば、ダイエットに成功するのを待つからもう少し体重を落としてから答えさせてくれとかさ。そしたら私もあなたのために頑張れたよ。その結果もう待てないからやっぱり無理ってなっても…まぁ傷つくだろうけど、納得は出来たよ。私の努力不足だからさ、それは。
でもあなたのは違うでしょう?
「この際だからはっきり言うけど、私は別にあなたのために痩せたわけじゃないわ。あくまで最悪な振り方をしたあなたを見返すために、そしてとても大切な友達に報いるために痩せたのよ。それに私って一番辛いときに支えてくれる人が好きなの。それじゃ、私はそろそろ帰るから。また学園で会いましょう。」
横を通り過ぎてさっさと帰ろうとしたのに、二の腕を思い切り掴まれて…いや、握り込まれてしまった。
凄まじい握力は、絶対にこのまま行かせまいとする意思が込められていた。
「ちょっと…!?離してよ!」
「デブがちょっと痩せたからって調子に乗りやがって!痩せたからって何が偉いってんだ!?ただ自己管理の出来てないデブが普通になっただけだろうが!!」
「はぁ!?痩せて自信を持ったからって何が悪いのよこの勘違い男!あんたにダイエット決意する人間の気持ちなんてわからないでしょ!」
こいつに何がわかるっていうの!?
普通に過ごしてるだけで、おやつだって食べてないのに体重が増えてって、デブだブサイクだって言われ続けることの辛さがあんたにわかるか!?
「ハハハハハ!!何か勘違いしてるのはお前の方だろう!俺は知ってるんだぞ!お前、同じデブ仲間のパトリスと仲いいんだってな!俺に振られたからってあんな気持ち悪いやつで妥協するなんて見下げた女だ!プライドが無いのか!心は太ってた頃と何も変わってないなあ!」
なっ…!こ、この男ッ!!パトリスを嗤うなんて!?
完っ全に頭に来た!
私は思いっきりラウルに詰め寄ると、その胸倉を掴んで叫んだ。
「パトリスの事を悪く言うのはやめてくれる!?パトリスは私が失恋でダイエット決めた時からずっと私のこと手伝ってくれてたのよ!!あんたと違って私が一番きつい時期に手を差し伸べてくれたんだッ!あんたと違ってすぐに私を見放したりしないでッ!あんたと違って自分の時間を削って体を張って助けてくれてッ!ずっと私のダイエットを手伝ってくれたのよッ!そう、あんたと違ってねッ!!」
私がここまで激昂したのは初めてだ。
少なくともこいつの前でこんなに乱れた姿を見せたことは一度もない。
胸倉をつかむ手に力が入りすぎて痛みが走った。血が滲んでいるかもしれない。
だけど、あのパトリスを愚弄したこの男を許せなかった。だって、あいつは!パトリスは!
「パトリスは私にとって最高のダイエット仲間だッ!!私の一番大事な友達だ!!気持ち悪いのはあんたの方だッ!!この自意識過剰の勘違いナルシストッ!!私の友達をこれ以上馬鹿にしたら許さないわよッ!!」
「こ、こんの野郎ッ!!調子乗るんじゃねぇぞデブ女が!!」
胸倉をつかまれたまま叫ばれたラウルは、青筋を浮かべて私の手を強引に振り払うと、バランスを崩して転倒した私の顔面に向けて拳を振りぬこうとした。
興奮が天井突破しておかしくなっていた私は、殴るなら殴れと腹を括っていた。拳が目の前に迫ってくるのを真っ直ぐに見つめてその到達を顔面で受け止めてやろうと覚悟を決める。
「俺の友達に手を出すな。下種が。」
だけど、私に向かっていた拳は、その手首を横から伸びてきた手にがっちり掴まれていた。
そこにはいつもの太ったパトリスではなくて、痩せたパトリス…パトリック公爵子息が立っていた。
その目は今まで見てきた中で最も冷たく、鋭く、敵意に満ちている。
「なっ!?て、てめぇ誰だ!!」
「俺か?良いだろう、お前でもわかるように教えてやる。」
彼は上等な服に付いていた紋章の中で、最も輝かしいものをラウルに突き付けた。
その紋章はこの小さな領地など一瞬で吹き飛ばせるだけの権威と私兵を保有する最大勢力の証。国が有する三大魔道士の一人に与えられた特別な勲章にして、王族に準ずる特権の保有者であることを証明するものの一つ。
な、何故パトリスがそれを持っているの!?
「そ…それ…は…まさか、そんなっ!?」
「俺の名はパトリック・フォン・ロベール公爵。周辺の学園では普段パトリスと名乗って姿を偽り、学力と品位の低下が疑われている学園を抜き打ち検査するために日々潜入している。そして王命により、王都周辺領地の食糧事情と健康状態について調査と分析をしている特別調査員だ。そして――」
あの若さで子息じゃなかったんだ…!?
パトリスは、いやパトリック公爵は、初めて私の前でにやりと笑った。ひどく嬉しそうに、そして目の前の男に見せつけるように。
「こいつと最高のダイエット仲間でもある。よくも俺の大切な友達を傷つけてくれたな。覚悟はいいか?」
「ひいいっ!?す、すみません!!公爵様と知らず、とん――」
「うるさい、黙れ。」
言葉は時に刃に例えられるが、彼の刃にはそれに猛毒が塗られているらしい。触れただけで全てを斬るのではないかという冷たい刃を食らったラウルの顔は、紫色になっていた。
「お前にはわかるまい。自分の体が膨れていくその理由がわからず苦悩する辛さも、その理由がわからなくても諦めずに抗おうとする精神の尊さも。だから、俺の手でお前にそれを教えてやろう。」
そう言うと、パトリスの手に真っ黒い靄が集まっていく。見ただけで鳥肌が立って止まらない。あれはたぶん、危険なものだ。それを直接向けられたラウルは恐怖のあまり腰を抜かし、失禁していた。
「パ、パトリス!!暴力はだめ!!」
私はいざとなれば、パトリスを突き飛ばしてでも止めるつもりだった。彼なんかを傷付けて、パトリスが悪者になるのは嫌だった。
止めるつもり、だったのに。
「大丈夫だよ、ノエル。俺に任せろ。」
そんな優しい顔で微笑まれたら、突き飛ばせるわけ、ないじゃないか…!
だがその後すぐラウルへ向けたのは、牙を剥く獅子の如き獰猛な笑みだ。
「さあ言っただろう!お前にノエルの気持ちを教えてやるとッ!我が秘術をその身に受けるがいいッ!!」
「ひいいいああああ!!!」
ラウルの体を真っ黒い靄が包み込んだ。
余りにも靄が濃くて中の様子が伺えない。
しかししばらくすると靄が払われた。そこには――。
「え!?だ、誰!?ラウルなの!?」
「な、なんだよ、なんだこの腹!?お、俺の腕が!?顔が!?」
私がラウルに告白した時と同じくらいの、超肥満体となったラウルがいた。おそらく彼の体重は約2倍に膨れ上がっているだろう。
クスクスとパトリスが邪悪な笑みを浮かべる。
「我が魔力の一部を貴様の体に滞留させ、擬似的に脂肪を再現した。その脂肪は数日程度の断食や、ちょっとやそっとの運動だけでは払えぬ。規則正しい生活、食生活の改善、そして適度な運動を全てこなす事で初めて払われる魔の脂肪よ。精々健康的な生活に励むのだな。」
「い、いやだ!こ、こんな!?取ってくれ!!反省するから、今すぐ払ってくれ!!」
「やだ。」
即答だった。
「俺のノエルをいじめた罰だ。泣いてる暇があったらダイエットしろ、たわけ。」
「行くぞ。」と学園の外へ向かうパトリスと、パトリスに手を引かれて学園の外へ向かう私。学園に残されたのは、魔法の肥満体の重さにむせび泣く、私の元初恋の幼馴染だけだった。
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スタスタと歩いていくパトリスだが、どこか目的地があるのだろうか?……いや、これ、どう見ても同じ道をぐるぐる歩いてるよね。
何故か耳を真っ赤にしながら前を向いて歩くパトリスの姿は、歳不相応に幼く見えた。
「ねえ、パトリス?」
「ち、違うからな!?」
急にバッと私を振り向いたパトリスの顔は、私の3倍は赤かった。
「あれは言葉のあやだから!気にするなよ!?俺の発言については質問禁止だ!絶対に聞くなよッ!!」
「え?は、はあ…いや、もうどこから聞けばいいのかよくわかんないんだけど…まずそんなに表情豊かだったっけ?普段のポーカーフェイスはどこに消えたのよ?」
今のパトリスは今までの姿との乖離が激しすぎて、同一人物とは思えない。ラウルにも"いい笑顔"見せてたし、なんかすごく怒ってたし…。
今だって、ただでさえ赤かった顔をさらに真っ赤にさせて、目線を逸している。
「こ…こっちが素なんだ。もうわかってるだろうけど、太ってるほうが変身後の俺なんだ。でも変身後の姿はあくまで魔力で模倣してるだけで、表情筋までは再現できない。つまり、無表情で固定されるんだ。」
なるほど。脂肪を再現しただけのラウルとは違うわけね。
「で、でもクールな雰囲気もあったよね?」
「表情が一切動いてないだけで内心は修羅場なんだよ…黙ってるときはクールじゃなくてセリフ考えてるだけ。」
それはどんまいだね…。
「じゃあ、時々憂鬱そうにしてたのは?なかなか痩せられないねって話をしてたときとかちょっと暗かったよね。」
「あれのモデルが太ってた頃の俺だからだ。色々思い出すんだよ。…すまん、ダイエットしたことないと言ったな。あれは嘘だ。超頑張った。」
まじかよ。だからダイエット仲間発言を否定しないのね…。
「我が家ではずっと最初からクールだったじゃない。」
「お前の家の食糧事情と健康状態の把握、そして状況改善の方法について述べるため集中してた。職務遂行の際に私情は一切入らないからな。だがお前の家を出たあとは色々悶絶してた。」
最後は黙ってたほうが良かったんじゃ…。
「…よく、私のいる場所わかったね。」
「尾行には気付いてた。まさかダッシュで逆方向に逃走するとは思わなくて焦ったけどな。いるとしたらあそこかなと思った。違ったら学園の中とか家とか全部探すつもりだった。」
……ごめん。ありがとう。
「…ねえ、なんでここまで、私のために頑張ってくれるの?」
この質問は彼にとって特別なものだったのか、パトリスの表情が明らかに曇った。それは古い傷跡を見せるかのような、苦い顔だった。
「……俺が変身してた時くらい太ってた頃、痩せたくても誰も何も手伝ってくれなかったんだ。ただ努力不足を嗤うだけで、自己管理能力が無いって偉そうに説教もされた。だから、放っておけなかったんだ。ハンカチを拾ってくれた礼でもあったけど…なんとなく、お前を助ければ、昔の俺を助けたことになるような気がしたんだ。」
きっと、彼は自分の体型のせいで、色々悲しい思いをしたんだろう。私は周りの嘲笑には拳で答えるだけの度量があったからいいものの、普通の人はすごく傷付く。彼もきっと傷付いた。
彼は私に同じ思いをさせたくない一心だったんだ。
なんて優しくて、強い人なんだ。
…優しい彼なら、きっとこの質問にも答えてくれるよね。
「俺のノエルってどういう意味?」
「そのままの意味だ。俺のノエルを他の誰かに渡すなんて考えられ…な…。」
あー…顔の赤さが限界突破してらー…私もだろうなー…。
「……あ……ちょ……か、帰る!俺は帰る!俺は公爵だから忙しいんだ!学生はさっさと帰れー!!」
茹で上がるんじゃないかってくらい真っ赤な顔をさせながら、パトリスはズンズン隣町の方角へ歩いていこうとした。
「ね、ねえ!!パトリス!!」
ビクリと肩を震わせて止まる彼に、真っ赤な顔の私は心のままに叫んだ。
「明日!!園舎裏の木の下で待ってるから!!」
「ッッ!?」
驚いた顔で振り向く彼は、公爵の顔じゃなかった。歳相応の、同年代の少年の顔だった。
この人に好きって言いたい。今すぐに。
ずっと一緒にいたいって伝えたい。
私を助けてくれたあなたを抱きしめて、キスしたい。
でもきっと私もパトリスも、まだ今の距離が一番気持ちよくて、一番楽しいと思うから。
「卒業後のダイエットメニュー!考えないと駄目でしょ!ね!約束だよ!」
今はまだ、一緒にダイエットしようね。パトリス。
「……ああ!必ず行く!約束だ!!」
満面の笑みを浮かべてくれた彼は、きっと明日来てくれるだろう。
だって彼は、あの木の下で…お互いに惹かれ合うものを必ず結びつける力を持つ木の下で約束してくれたんだから。
『よし、お前が痩せて幸せになるのを見届けてやる。』
しっかり見届けてもらうからね。私のパトリス。
幸せ太り不可避。