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ブラックバイトの幽霊  作者: 半藤一夜
【part time-1】木霊ゆらぎ
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006 裏切りの劇場

 そして迎えた三日後。デッドマーチによるダメージで昇天寸前の身体を引きずって繁華街にある大きなシネコンへ向かうと、木霊は先に来ていて、入り口にぽつんと立っていた。

 俺の姿に気付くと、木霊が手を振って駆け寄ってくる。

「遅れてごっめーん! 待った、イルくん?」

「いや、いま来たところ……って、無理やりカップルっぽい会話に持ち込むな。遅れてきたのは俺だから立場が逆し、誰がイルくんだ」

 そもそも俺の名前、入鹿じゃないし。

「いいじゃないですか、一度言ってみたかったんですよ。それにしても凄いですね、こんなに色々やってるなんて。どれを観ましょうか?」

 並んでいる上映中のタイトルのポスターを品定めしながら、わくわくした様子で訊いてくる。

「そうだな……この『望郷のシエル』というのはどうだ? フランスの有名な監督の作品で、カンヌにもノミネートされた名作だ。戦争で記憶を失った兵士がPTSDと闘いながら故郷の地を目指すというストーリーで、リアルな人物描写とヨーロッパの美麗な映像が話題らしくてな」

「あっこれ! 私これが観たいです!」

 俺の説明を遮って木霊ゆらぎが指さしたのは、おどろおどろしいフォントの煽り文句をバックに、長い黒髪に顔を覆われた白装束の女が両手に血まみれの千枚通しを携えて荒野に立っているポスターだった。

 タイトルは――『怨霊・イン・テキサス』。

 たいしたネーミングセンスだ。

「あんた、幽霊のくせにオカルト系のホラーなんか観るつもりか?」

「逆の視点で楽しめそうじゃないですか! 怨霊側に感情移入して!」

 斬新すぎる楽しみ方だった。

「どうせ霊が人を呪い殺すとかいう内容だろう。精神衛生上よくないと思うぞ」

「ぜんぜんヘーキです! むしろ私も頑張らなきゃって思えるはずです!」

「怨霊にインスパイアされるんじゃねえよ」

「あれ、やけに嫌がりますねえ。もしかして入鹿さんホラー苦手なんですか?」

 ……う。

「そうじゃなくてだな。ほら、怨霊とか悪霊ってのは俺たち善良な浮遊霊からしたらアウトサイダーというか、クラスで浮いてるヤンキーみたいなもんだし。そいつらのせいで俺たちのイメージまで悪くなるわけで素直に活躍を喜べないというか」

「入鹿さんの弱点見っけ」

 見透かしたように言い、笑う。

 その後もお互い譲らなかった結果、同じ映画館で別の映画を観るというテトラが聞いたら腹を抱えて笑い転げた後にきつめの広島弁で罵倒されそうな選択をした俺たちは、上映終了後に外で待ち合わせることにして一度別れることになった。


 上映開始から二時間ほど経ったところで、業務用の携帯端末に着信が入った。

 表示されてる発信元を見て軽く舌打ちをする。

 そもそも映画の最中に電話に出たくはないが、映画は冒頭から陰鬱とした画面が続いていて今のところストーリーの盛り上がりもなく、欠伸をかみ殺していたところだったので、仕方なく応じることにした。

『日影、今どこにいる?』

 アズラエルの無感情な声が聞こえてくる。

「今ですか? マルシキのところですよ。ちょうど事情聴取をしてたところでしてね、ええ、それはもう順調に」

 口からすらすらと嘘が飛び出した。

 いや、木霊ゆらぎと会っているのは事実だし、「事情聴取のために一緒に映画観てます」と言ったところでアズラエルに納得してもらえるはずがないので不要な情報を伏せただけだ。

『ほう。マルシキがお前の目の前にいるのか?』

「もちろんですよ」

 俺の目の前では、足を引きずりながら歩く主人公が天に向かって呪詛の言葉を吐き散らしていた。木霊の目の前では怨霊が呪いをまき散らしているだろう。

 あっちは今頃クライマックスを迎えている頃だろうか。こちらの方が上映時間が長いので、木霊にはしばらく外で待ってもらうことになりそうだ。

『そうか、それはご苦労だな。その調子で仕事に励んでくれ』

 アズラエルが感心するように言った。その声色にわざとらしさを感じ、違和感を覚える。

 嫌な予感がした。こいつは業務の進行状況をいちいち電話で確認してくるような奴じゃない。

『ところで――話は変わるが、先ほど管理セクターの方から連絡が入ってな。お前の担当しているマルシキがたった今単独行動を取って現世に干渉しようとしていると警告を受けたのだが、お前の言葉を信じるなら偽情報だということになるな』

 ……ん?

『それでは俺から先方にガセネタを流すなと返答しておこう。ああ、安心したよ。部下の担当しているマルシキが悪霊認定を受けたなんて報告したらウリエル様はきっとお前の魂をワインビネガーにつけて踊り食いにでもされるだろうからな』

 ワインビネガーに、のあたりで俺はシアターを飛び出した。

 携帯端末で座標を割り出すと、木霊の現在位置を示す光点はここから五キロメートルは離れた地点で点滅していた。

 五キロ!?

 シアターの女性用トイレが混雑しているからちょっと近くのコンビニまで行ったら迷って戻って来られなくなったという可能性は……いやそんなわけあるか。幽霊はトイレなんて行かない。

 最初からこういうつもりだったのか? 俺の監視を逃れて単独行動をするために、俺をスクリーンに縛り付けるために、映画館に連れて行けと言ったのか?

 何のために?

 ……決まっている。

 やり残したことをやるため。事情聴取が終わる前に目的を達成するため。

 復讐を遂げるためだ。


***


 木霊の所在地を示す座標にあるのは大学病院だった。都心にもかかわらず広大な敷地を有し、来院した者を威圧するような巨大な病棟がそびえ立っている。

「この病院は……」

 先日河川敷で話をした時のことを思い出す。

 河川敷で自殺を図った木霊ゆらぎは、昏睡状態となりながらも一命を取り留めた状態で病院に運ばれ、一ヶ月後に息を引き取った。その場所が確かこの大学病院だったはずだ。

 死者の魂は死んだ場所で肉体を離脱し、霊体となる。だから木霊はこの病院が自分の死に場所だということはわかっているのだろう。それはいい。それ自体には何の問題もない。

 だが、何故今、ここに来たのか。

 彼女が言っていた「復讐」という言葉。それを今、ここで果たそうとしているのなら……うだうだと考えている時間はなさそうだ。

 広い病棟の部屋を片端から見て回る。患者と付き添いの者でごった返すロビー、消毒薬の独特の匂いが漂う廊下、忙しなく人が出入りする診療室に検査室。

 こういう大きな病院では、日常的に死が付きまとう。霊界にとって関係深い場所とも言えるが、病死した者はほとんどがそのまま成仏するため、俺たちが病院に足を運ぶことは滅多にない。

 死んだ身とはいえ、なるべく来たくない場所には変わらない。


 入院患者用の病棟を探していると、見つけた。

 病室が並ぶ廊下の途中、『面会禁止中』というプレートの貼られた扉の前で、扉に背を向けてうずくまっているその姿を。

「木霊!」

 声を掛けると、木霊はびくっと肩を震わせて顔を上げた。瞳が水面のように光を反射していて、遠目にも涙で潤んでいることがわかった。

「入鹿さん……」

 その声は震えていた。

「何をしてる。勝手に行動するなと言っただろう!」

 思わず声を荒げてしまう。騙された、裏切られたという思いが俺の中にあった。

「ごめんなさい」と小さく呟く。

「いつからここに?」

「すみません、映画始まってすぐに抜け出して……」

 ということは、この病院に来てもう二時間も経っているはずだ。

 俺ははやる気持ちを抑えられずに木霊ゆらぎの肩を掴んだ。

「正直に言え。ここに何をしに来た――何をしていた? 場合によっては、俺はあんたを……」

 そこで、木霊ゆらぎの肩に乗せている俺の手が外れた。

 離すつもりはなかった。万一逃げようとしても捕まえられるように、手に力を込めて掴んでいたのだ。

 なのに外れた。何故か?

 木霊が俺に身体をぶつけてきたからだ。至近距離からの体当たり。さすがにその行動を予測していなかった俺は、抵抗もできず、為す術もなく。

「入鹿さん!」

 抱きつかれた。

 思考が停止する。背中にまわされた両腕に封じられたように、身体が動かなかった。

 体重を預けてくる木霊に身を任せ、泣きじゃくる彼女の涙でシャツの胸元がぐしゃぐしゃになるまで、俺は、時間が過ぎるのをただ待ち呆けていた。

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