005 馬鹿と幽霊は高いところに昇る
と、意気揚々自信満々に威勢のいい殺し文句を吐いたところで。
今どきの女子高生が喜びそうな場所なんて知る由もない俺が木霊ゆらぎをどこへ連れて行くのかというと、テトラ直伝「ワシに任せとけコース」を辿るということに他ならない。
まずはショッピングモール。
「さあ、好きに見て回るといい」
「でも見るだけで買えないですよね……」
「そうだな」
次にアミューズメントパーク。
「どうだ、幽霊だから入場料もかからんし、待ち時間もないぞ」
「でも乗れないですよね……」
「そうだな」
最後は一流のレストラン。
「ここは完全予約制でな。一部の金持ちしか来られない店らしいぞ」
「でも食べられないですよね……」
「そうだな」
以上、「ワシに任せとけ」コース終わり。
……テトラを頼った俺が馬鹿だった。
というか、少し考えればわかることだった。二重に馬鹿だった。
普通に水族館とかアーティストのコンサートとか、見るだけで楽しめる場所くらいいくらでも思いつく。あるいは本人の希望を聞けばよかった。
死ぬほど楽しいどころか死ぬほど気まずい感じになってしまった俺と木霊ゆらぎの二人は、近場のビルの屋上に降り、寄る辺もなく夜の街並みを見下ろしていた。いよいよ雨までぱらついてきたが、幽体が雨に濡れることがないのが不幸中の幸いである。
「あー、悪かったな。退屈だったろう」
俺がバツ悪く謝罪の言葉を絞り出すと、木霊は慌てて両手を振った。
「いえ、楽しかったですよ! こんなに何もできないのって逆に新鮮といいますか!」
胸を抉るようなフォローの言葉。
「それにほら、あれですよ! 入鹿さんの時代は女の子とデートしたりしなかったでしょう? 仕方ないですよ」
「いや……まあ、な」
そういえばまだその設定が生きているのだった。
「夜中に女性の寝室に忍び込むのがトレンディーな男の証だったんでしょ?」
「昔の男を総じて性犯罪者みたいに言うな」
あとトレンディ―とかも言うな。今どきの若い娘が。
「そんなのは一部の貴族だけの話だよ。男女の色恋なんて昔も今もたいして変わらんだろうさ。というか、そもそもこれはデートじゃないしな」
「あれ、そうなんですか? てっきり私、この後入鹿さんに告られるのかと」
「誰が告るか!」
お花畑はこいつの頭の中にこそあったらしい。勘違いも甚だしいし、そんな目で見られていたとしたら俺に対する信頼だって揺らぎかねない。
「これも仕事の一環だよ。少しでも気が紛れればその重い口が開くかと期待しただけだ」
「そうなんですか? でも、それでも嬉しいです。無理やり拷問とかされるんじゃないかと思ってましたから。血の池に頭から沈められたりとかして」
「だから血の池とかそんなもんないって」
木霊はアハハと笑うと、眼下の街を見下ろした。
「冗談ですよ。ああ、やっぱりいい眺めだなあ。夜なのに、こんなに明るい」
と――儚げに手を伸ばす。
人々の営みの光。俺たちが手放してしまったもの。
「この街にもたくさんの人がいて、泣いたり怒ったり笑ったりしてるんだなって思うと……なんだか不思議な感じです。幽霊にならなかったら、こんな景色を眺めることなんてなかっただろうなあ」
呟くように言いながら、何も掴むことのないその掌を慈しむように握りしめる。
最初に会った時もそうだったが、夜景が好きなのだろうか。それにしたって、疲れて適当に降りた場所が最高の評価を受けるとはつくづく情けない話である。
「私、お父さんを亡くしてるんです」
木霊が唐突に言った。
「……そうか。まだ若かっただろうに。病気か?」
「自殺です。車で、一酸化炭素中毒で」
思わず振り向いてしまった。
木霊は視線を下に向けたまま、まるで世間話のような口調で続ける。
「私が十二歳の時でした。お父さんのやってた工場が倒産して、自己破産したんです。すごい借金を抱えちゃって、それでもしばらくは何とかやりくりしてたんですけど、お母さんが重い病気にかかっちゃって。保険も解約していたから治療費が払えなくて……それで」
失意の底に沈み生きる希望を失った木霊の両親は、一家心中を決意した。
「だが結果的に父親だけが死に、母親とあんたの二人が残されたということか」
「はい。お母さんは病気のこともあったのでそのまま入院して、私は里親に出されました」
破産、心中、里親。
つまるところ――言ってしまえば木霊は、実の両親から一度殺されたのだ。そのまま父親とは死に別れ、母親とも別離した。
そして父と同じ道を辿った。
「死んでもこんな風にいられるんだったら、あんなに怖がらなくてもよかったかなあ。あの時ちゃんと一緒に死んでたら、もしかしたらこっちで一緒にいられたのかな」
「滅多なことを言うな。あんたの父親も今ごろは成仏して次の人生を歩んでいるだろうさ。それに前世の縁ってやつは不思議と切れないもんだ。お前も転生したら、どこかで父親にまた会えるかもしれんぞ」
「本当ですか? 眉唾っぽいですけど、それ」
俺の根拠のない慰めに、木霊は力なく笑う。
「里親とは上手くいっていたのか?」
「どうなんでしょう。私は〝いない人〟として扱われてたので」
無視、ネグレクト。存在の否定。
里親にはかなりの額の手当が国から支給されると聞いたことがある。悲観的な推測ではあるが、もし里親が彼女を引き取った目的が金だとしたら、引き取られた先にも彼女の居場所はなかったのだろう。
しかし、木霊が自殺をした理由は果たしてそれだったのか。
明るく振る舞ってはいるが、自ら死を選んだという事実は決して生半可なものではない。これだけの目に遭ってきたのだ、人生そのものに絶望したとしてもおかしくはない。だが……
それだけでは、木霊がマルシキに認定された説明がつかない。
まだ何か隠された事情があるはずだ。今がそれを聞く絶好のチャンスだろう……
「よし。今日はここまでにしよう」
「ふえ?」
木霊ゆらぎは間抜けな声を出した。
「それで、提案なんだが……次はあんたの行きたい場所に行かないか?」
「えっ。私の?」
「今日の失敗を踏まえてリベンジだ。どこでもいい、行ってみたい場所はないか?」
「私の行きたい場所……」
しばらく目を伏せて考えていたが、やがて顔を上げてニヤリと笑った。
「じゃあ、入鹿さんの好きな場所に連れて行ってください」
「俺の? いや、お前の希望を訊いてるんだよ」
「だからそれが私の希望ですよ。入鹿さんが楽しい場所ならきっと私も楽しめるでしょ?」
なるほどそう来たか。
「そんなに期待されても困るが……映画館くらいしか思いつかないな」
「映画館!? 映画を観られるんですか!?」
と、その目を輝かせた。
「ああ、好きな席で好きな映画を観放題だ。映画が好きなのか?」
「はい、金曜日とか毎週家で観てました! でも映画館には行ったことがないんですけど、連れて行ってくれるんですか?」
「あんたがそれで良ければな」
「やった! 喜びのキリキリ舞い!」
両手を交互に突き上げる妙な動きをして喜んでいる。
「といっても俺にも仕事があるから、次はそうだな……三日後にしよう。三日後に迎えに来るから、それまではくれぐれも大人しくしておいてくれ」
「アイアイです! やった、映画デートだ!」
「デートじゃないって言ってんだろ」
別れを告げて去ろうとした時、「入鹿さん」と呼び止められた。
「あの、どうして私にそこまでしてくれるんですか? 入鹿さんは私の話が聞ければそれでいいんですよね?」
俺は言葉に詰まった。
疑問に思うのも無理はない。我ながららしくもない提案をしたものだと思う。
どうして俺はさっき踏みとどまってしまったのか。らしくもなくリベンジなんて提案までして。
「別に、ロハで思い出作りに協力しているわけじゃないさ。言っただろ、これも仕事のうちだって」
「私を映画に連れて行ってくれることが仕事なんですか?」
どこか不服そうに訊いてくる。一体どんな答えを期待しているのだろう。
「……やり甲斐の問題だよ。俺が日頃相手してるのはこの世に未練を残した死者ばかりでな。未練ってのはつまり、望んだ生き方を全うできなかったってことだろ。未練を解消してやることは俺にはできないが、そいつが少しでも心置きなく成仏できるのならそっちの方がいいってだけだ。良いことをした気分になれるからな」
嘘ではない。涙ながらに心残りを語るのを聞いて力になってやりたいと思うことはこれまでに何度もあった。だが未練を払拭するということは、死者が現世に干渉するということであって、それは許されない行為だ。
人間、死んだら終わりなのだ。
「それに、俺ばかりが映画を楽しむというのも気が引けるからな。あんたが俺の罪の意識を軽くしてくれるなら俺にとっても望むところなんだよ」
「ふうん。ま、そういうことにしておきますよ」
俺の答えをどう捉えたのか、木霊ゆらぎは両手を後ろに組んで笑った。
「それじゃ映画、楽しみにしてます! お仕事がんばってくださいね、入鹿さん!」
そんな労いの言葉を胸にしまい、オフィスへ戻る途中――
俺は翌日からの激務に思いを馳せて、この世の終わりのような深いため息をついた。
これから三日は恐らく休む間もない。デスマーチならぬ、デッドマーチだ。