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ブラックバイトの幽霊  作者: 半藤一夜
【part time-4】 盤上の駒たち
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001 日影亀太郎の神頼み①

「やあ有名人クン。よく来てくれたね~」

 監査部を訪ねた俺を、ラファエルがいつもの間延びした口調で出迎えてくれた。

「そこにかけてよ。何か飲むかい?」

「いえ、お構いなく。あとその有名人ってのやめてくださいよ」

「謙遜するね~、広報誌で独占インタビューまで受けた時の人が」

「見たんですか、あれ……」

 回収セクター以上に少数精鋭である監査部の狭いオフィスを見渡すと、いつか俺に事情聴取をしたレヴィエルが、ちらちらとこちらを窺いながら隣の席の天使とコショコショ話をしていた。

 誠に不本意なことながら、あの一件で俺の顔はジェネシス中に知れ渡ってしまったらしく、歩いているだけで名前も知らぬ天使から話しかけられることが増えた。天界中が注目している中でミカエルに喧嘩を売ったのだから身から出た錆とはいえ、なんともやりづらい。

「ラファエル様、俺の顔変えることってできませんか? 癒しの力で」

「え~? 君のファンは整形なんて望んでないと思うけどなあ」

 残念ながら、俺に興味を示す輩は今のところ変人しかいない。目の前の眠たげな目をした天使も含めて。

「仮に俺にファンがいたとしてもその意向は無視します。そういうことじゃなくて、別人になりたいというか、人生一からやり直したいというか」

「君は言うことがコロコロ変わるねえ。顔が変わろうと君は君だよ、日影クン」

 ラファエルが笑う。

「まあ、どのみち僕には無理だよ。〝癒す〟っていうのは〝元の状態に戻す〟ことだからね。はい、お水」

 と、俺の前に水の入ったコップを置く。ただの水とはいえ、熾天使自ら接待してくれるとは光栄極まることではあるが、遠慮なくそれに口をつけるくらいには俺も免疫ができているようだった。

「さて、それで……今日はどういった用向きなのかな?」

 ラファエルは俺の対面に座ると、どこかうずうずしたような目を向けてきた。

 熾天使会議から十日ほど経ち、ようやく諸々の事後処理にもひと段落ついたのを見計らって、俺は〝ある用事〟のために再びこの忌まわしき本部に足を運んだのだった。

「実は、折り入ってラファエル様にお願いがありまして」

 俺が切り出すと、ラファエルは「はあー」と肩を落とした。

「……あの、ラファエル様?」

「さん付けでいいよ。やっぱりそうか、そうだよね。僕に用なんて、何かお願い事がある時くらいしかあり得ないもんね。君が個人的に僕なんかに会いに来てくれるなんて期待する方がおかしいんだよね」

 え、もしかしてガッカリされてる?

 前は誰かに頼りにされるのが嬉しくてしょうがないようなことを言っていたのに。

「いいよいいよ、どうせ僕なんて友達のいない陰キャだもの。一緒にあんな劇的なイベントを経験したばかりだから面白可笑しく思い出話に花を咲かせに訪ねてきてくれたのかもなんて期待した僕がいけないんだ……」

 面倒くさいスイッチが入った。そういばこの人こういう性格だったっけか。

「ええと、ラファエルさん。俺はあなたのことは恩人だと思ってますし、もしよかったら一個人として親しくさせていただければとも思ってますよ」

「本当かい!?」

 ラファエルの顔がぱあっと輝く。

 これはお世辞ではなく、本当にそう思っている。裏表がなく話しやすいし、本人が言うほど友人が作れないタイプとは思えない、が……。

「そう言ってもらえると嬉しいよ~。さあさ、お願いとは何かな? 僕にできることなら何でも言ってよ、友人のためならいくらでも細切れになっちゃうよ! いや、なりたい! 僕を細切れにしてくれ!」

「そういうところですよ……」

 『無記の聖典』を直すためにラファエルが粉微塵に爆散した光景は俺のトラウマになっていた。利他精神と言えば聞こえは良いが、自己犠牲の犠牲レベルが洒落になっていないし、それを自ら進んでやろうとするものだから、敬遠されてしまうのも仕方ない気がする。

 と、ラファエルが思い出したように言った。

「ああ、でも……ミカエルを元に戻してほしいというお願いには応えられないよ。あれは神の沙汰だからね、僕の力でも覆せない」

「いえ、お願いってのはそれじゃないですよ。正直、あれに関しては悪くない結末だと思ってますし」


 あの時――すごろくの5マス目に書いてあった『振り出しに戻る』という文言は、もう一度サイコロを振り直すという意味かと思ったが、そうではなかった。

 総代メタトロン、ことメロは、まさにその指示通りの処分をミカエルに与えた。

 結果、ミカエルは幼児になった。

 長かった髪は肩くらいの短さになり、すらっと伸びた手足は縮み、完璧に近かったプロポーションは丸みを帯び、均整の取れた顔は庇護欲を誘うベビーシェマに。

 凛々しい美人が見る影もなく、ただの可愛らしい幼女に。

 精神年齢も見た目通りに退行したらしく、おもちゃの魔法ステッキに変えられた神剣を振り回しながら大声で泣き喚いていた。「めんこいのう~」とメロに頭を撫でられていたミカエルの姿は忘れられそうにない。


「悪くない、か。まあ僕としても昔の無邪気なミカエルに戻ってくれて嬉しいって気持ちはあるんだけど、メタトロン様を呼んだ張本人としては責任感じちゃうよねえ」

「……すみません」

「ああいや、そういう意味じゃないよ!」

 慌てて手を振るラファエル。

「僕が自分の意思でしたことなんだから! 君のせいなんて全然思ってないから! だからその、ええと……嫌わないでくれえ」

「なりませんよ。もう大好きです」

「本当かい?」

「ええ。ハグしたいくらい」

「ハグ!? それはちょっと早いというか、物事には順序があるというか……ああいや! 別に嫌っていうわけじゃなくてだね……う~」

 やっぱりちょっと面倒くさいが、これはこれで面白い。

 続けていると本当に好きになりそうだったので、話を戻すことにする。

「ラファエルさん。俺は今日、とても個人的で身勝手なことをお願いしに来ました。それはルール的に許されないことかもしれなくて、だから監査部の長であるあなたには容認できないことかもしれない。でも今回の件が例外として認められる可能性があるなら――」

「わかったわかった。いいから言ってみなよ。ダメかどうかは僕がちゃんと判断するからさ」

 俺の前口上を遮って言う。

 その通りだった。今さら言い訳がましく取り繕う必要もない。真面目なアルバイトとしての仮面なんて、とっくに捨ててしまったのだから。

 俺が端的にその願いを伝えると、ラファエルは目を丸くして、そして笑った。

「あはは、そりゃあ確かに個人的で身勝手なお願いだね――まったくもって人間らしい」

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