017 ようやく出番じゃ……って終わるんかい!
ミカエルの鬼神のごとき突進を止めたのは、人生ゲームだった。
……この説明でわかるだろうか?
俺はわからない。
わからないが、わからなくても、俺が死を前にして幻覚を見ているのでなければ、それは事実だった。
見覚えのある人生ゲームのボードがミカエルの胸を押し付けるようにして前進を阻んでおり、附属品のオモチャの紙幣が手足を絡め取るように巻き付いている。
最強の熾天使が、一切の身動きを封じられていた。
「人生ゲームとぶつかる。一回休み、じゃ」
一方の手を下した張本人は、暢気にもそんな台詞を吐いた。
「……登場するなり面白いことを言うなよ」
「人間万事サイコロと駒じゃ」
「上手いことも言うな」
いつの間に入ってきたのだろうか、少女がそこに立っていた。
本部の最上階、一番奥の部屋でゲームに囲まれた生活を送っている、見た目に似合わぬ喋り方をする謎の少女。
「メロ、どうしてお前がここに」
「それをこれから喋るつもりなんじゃが、とりあえずその拳を引っ込めたらどうじゃ? さすがにそのままではミカエルが不憫じゃぞ」
言われて気付いたが、俺の右拳はいまだミカエルの左頬に刺さったままだった。
……思ったよりぷにぷにしている。
もう少しこのままでもよかったが、ミカエルの目に恥辱の涙らしきものが浮かんでいたので、メロの言う通り拳を離した。
しかしどうしたことだろう。人のことを言えた義理ではないが、いきなりノックもなしに熾天使会議に闖入してきた少女に対して、三人の熾天使が三人とも何も言おうとしない――というより、驚きのあまり言葉が出てこないといった風情だった。
「いやあ、間に合ってよかったよお」
「うわっ!?」
間延びした声がして反射的に目をやると、足元の床にラファエルの生首が転がっていた。
生首が喋っていた。
「あ、ラフィちゃん! 治ったんだ!」
ガブリエルが嬉しそうに叫ぶ。
よく見ると首の下ではじゅくじゅくと肉片が蠢いていて、再生しているところだった。
申し訳ないが、何度見てもグロい。
「完璧に木っ端微塵になってましたけど……あの状態からでも再生できるんですか?」
「そりゃあ僕は癒しの天使だからね、再生くらいするさ。それにしてもミカエルは相変わらず凄いなあ、痛みを感じるヒマもなかったよ。あれ、もしかして心配してくれたの?」
「いや、まあ……」
心配というより追悼という心持ちだったのだが。
「これラファエル、わしを差し置いて場の主役になるでない」
「あ、これは失礼しました。メタトロン様」
メロに不満そうに言われ、ラファエルが再生したばかりの首を動かして器用に頭を垂れた。
メタトロン? それは、メロの本名か? それに〝様〟って……
と、いまだ動きを封じられたままのミカエルが辛うじて口を開いた。
「そ、総代。何故あなたがここに」
俺は耳を疑う。
「総代!? このガ……お子様が!?」
「ふん、誰がお子様じゃ。ラファエルから臨場の要請を受けてわざわざ来てやったのじゃ、有難く思えよ」
「ラファエル様が呼んだ……? お前が総代? いやでも、だって……え? あれ? ちょっと待て、俺は誰だ?」
混乱のあまり記憶を喪失した。
「誰って、お主はジョン万次郎じゃろ」
「俺はジョン万次郎だった!?」
「お主がそう言ったのではないか」
いや、そんな陽気な名前じゃなかった気がするが……
「取り乱すな阿呆。わしは普段こうして表に出てくることはないが、ラファエルにだけはわしを召還する権利を与えておったのじゃ。熾天使の中でもっとも冷静な奴じゃからな。くく、驚いたろ? 我こそはジェネシスの総代、神の隣に在ってその言葉を賜わりし者。天の書記長ことメタトロンちゃんじゃ」
とても信じられない。
日がなゲームに明け暮れていた子供の正体が、誰もその姿を見たことがないという総代だったなんて。
だが――よくよく考えてみれば不自然な点はたくさんあった。
天使の中でただ一人子供の姿をしていること。どのセクターに属するでもなく本部の最上階に一人でいたこと。メロがこの天界において特別な存在であることを示す材料は充分にあった。
今まで疑問を抱かなかったのか不思議なくらいに。
「そりゃそうじゃ。主が余計なことを考えないように、ちょこっと意識をいじらせてもらってたからの。もっとも主は元々詮索屋ではないようじゃし、その必要もなかったのかもしれんが、万一にも他の者に話されたら面倒じゃからの」
何だそれ……総代こわ……。
「おいキタローちん。お前、総代とどういう関係なんだ?」
ウリエルがおっかなびっくり訊いてくる。
「なに、ちょいと暇つぶしの相手になってもらってたんじゃよ。部下を勝手に借りてすまんかったな、ウリエル」
「い、いやそんな! 滅相もないです」
あのウリエルまでもが恐縮している様子を見るに、どうやらすべて事実のようだった。妙な奴にばかり好かれる俺の体質もここまでくると職人芸の域だ。
兎にも角にも、といっても俺もまだ整理がついていないのだが、それでも無理やり意識を戻すならば、メロの出現によって状況は完全に一変していた。ミカエルは動きを封じられ、俺の足下にはミカエルの悪事を暴く証拠が転がっている。
「して、ミカエルよ」
名前を呼ばれたミカエルが怯えた表情を浮かべる。
「キタローが小便垂らしながら必死こいて持ってきたドキエルの『無記の聖典』、そこには主がロリエルやザコエルに指示した内容が赤裸々に記されておる。すべて一切偽りのない真実であろう。それはそういう神具じゃからな。この場で読み上げてやってもよいが、どうする?」
「そ、それは……」
メロの言い方からすると、どうやらすべての経緯を知っているようだった。神の代理人は千里眼のような能力でも持っているのだろうか。
あと、何気にスキンヘッドの名前が判明した。ロリとザコか……哀れなコンビだ。
「衷心より進言してやるが、やめておいた方がよかろう。もはやこの場はジェネシス全体が注視するところになっておる。言うても主はジェネシスの頭目なんじゃからの、公開処刑のような真似はわしもしとうない」
そう言って、メロが何かを取り出した。
サイコロだった。俺とのゲームでも使っていた、黒字に赤い目の、何の変哲もない正六面体のサイコロ。
そしてもうひとつ。メロの頭上に大きなすごろくが現れた。全部で6マスのごくシンプルなもので、6マス目の上には吹き出しに『ゴール!』というポップ体が躍っている。
「これ以上論じるべきことは何もあるまい。覚悟はよいかミカエル」
「お、お待ちください! いったい何を」
「決まっておろう。仕置きじゃよ。いかな理由があったとて、己が目的のため霊界と人間界に騒乱を起こし神の座に近づこうとした主をお咎めなしというわけにはいかん。祈るがよい。処分内容はこのサイコロが決める。運よく6が出たらしっぺ一発で済むぞ」
「サイコロって、そんな……」
これに関してはさすがにミカエルに同情を禁じ得なかった。ゲーム感覚で処分を決められるなんてたまったものじゃない。天に運を任せるとはこのことだ。
……いや、どうだろう。
結局のところ、それこそが真理だったりするのかもしれない。この世のすべての因果の責任を取らされるなんて、神だってたまったものじゃないはずだ。
「知らんかったか? 神も賽を振るのじゃ」
メロがサイコロを天高く放った。
重力のままに放物線を描いて地面に落下したサイコロは地面をコロコロと転がり、やがて停止した。
「ふむ――5か。惜しかったな」
すごろくの上を駒が移動する。5のマスで止まると、「パッパカパーン!」と陽気なサウンドエフェクトが流れ、マスに書かれた文字が大きく浮かび上がった。
「総代! 私は……!」
「戻るがよいミカエル。無邪気な正義を信じておった昔の主に」
ミカエルの全身が神々しい光に包まれる。他の天使が力を使う時とは比べ物にならないほどに明るい、目を開けていられないほどに眩い光に。
目を閉じる前にかろうじて読めた、5マス目の内容。
そこにははこう書かれていた。
『振り出しに戻る』。
【part time-3】日影亀太郎 完




