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ブラックバイトの幽霊  作者: 半藤一夜
【part time-3】日影亀太郎
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016 どれ、ぼちぼち行くかの

 一触即発といった雰囲気だった会議室は一転、水を打ったように静まりかえっていた。

 ウリエルもミカエルもガブリエルも、呆気に取られてこちらを見ている――正確には、俺の足下で全身から血を噴き出して倒れているラファエルを。

「ラフィちゃん!! 大丈夫!?」

 いち早く硬直から解けたガブリエルが慌てて駆け寄ってくる。

 これが人間なら絶対に死んでるだろうと思われるほどの夥しい量の血だまりに横たわっていたラファエルだったが、ガブリエルが助け起こすと薄く目を開けた。

「……ありがとねガブリエル、僕なら大丈夫だから。あー痛い」

 と、ガブリエルに肩を借りながらよろよろと立ち上がる。

 唯一無二の癒しの力を持つ熾天使であるラファエルが突然血を流して倒れた理由を、俺だけは知っていた。

 成仏寸前にまで衰弱していた身体が、嘘のように軽かったから。

「ラファエル様……どうして俺を」

「言ったじゃない、いつでも治してあげるって。えへへ」

 そう言ってピースサインを作る。

「それに、君の『助けて』って声が聞こえたから」

 聞こえていたのか、俺のみっともない神頼みが。

 だけど、他人を癒すために自分が傷を請け負うなんて、そんなグロテスクな行為はもう二度と見たくはないと、だからもう二度と怪我はしないなんて軽々しく誓いを立てて破った俺に、また手を差し伸べてくれるなんて。

「ラファエル、お前……そんな人間を何故救おうとする?」

「そりゃ、目の前で苦しんでいる人は放っておけないよ」

 ミカエルの質問に、まるで天使みたいな答えを当たり前のように返したラファエルが、血にまみれた手を前に掲げた。

「僕にできるのは、癒すことだけだから……。皆がそれぞれこの世界を良くしようとしてるのはわかってるよ。だから、本当は昔みたいに仲良くしてほしいけど、ミカエルやウリエルが争うのも仕方ないって思って何も言えなかった。僕は二人みたいには考えられないから、皆が話して決まったことに従えばいいんだって。でも……それじゃダメだったね。僕は監査セクターのリーダーなんだから、皆のストッパーでなきゃいけなかったんだ。彼が願ってくれたおかげで、ようやく決心がついたよ」

 掲げた手が光を帯びる。それに呼応するように、部屋中の床が光を放ち始めた。

「待て、何をするつもりだラファエル!」

「僕は熾天使が一人、癒しの天使ラファエル。父の御名の下に因果を紡ぎ直し、破壊を破壊し滅びを滅ぼす者なり。我が身を依り代に、滅失せし御魂を救済せん」

「やめろラファエル――」「きゃあっ!」

 ミカエルが詰め寄るより早く、ガブリエルの身体を突き飛ばして距離を取ったラファエルが、その神技を発動した。

 唯一の特技だと胸を張っていた、癒しの力を。


 バチン!と。

 タイヤが破裂するような破壊音とともに、ラファエルの全身が砕け散った。


 全員が、息を呑んで立ち尽くしていた。グロテスクで美しい、言葉では形容しがたい奇跡に目を奪われていた。

 千々になって宙を舞う肉片と、キラキラと輝きながら降り注ぐ血の雨の中。無数の光の粒が俺の腕の中に集まってきて、形を成していく。

 『無記の聖典』が、破壊される前の姿に再生していた。

 最初に動いたのはミカエルだった。

「日影亀太郎、それを渡せ」

 と、俺に手を差し出してくる。

「……また破壊するつもりですか」

「当然だ」

「ミカちゃん!」

 ガブリエルがミカエルの肩に縋りついた。目に涙を溜めながら。

「もうやめて! ラフィちゃんがここまでして直してくれたんだよ!? また壊すなんてダメだよ!」

「ガブリエル、貴様も誇りある熾天使の一人なら感情に流されるな。ラファエルの奴がどういうつもりか知らんが、ルールはルールだ。その本に証拠能力は認められない」

 次の瞬間、ミカエルの身体が横に吹き飛び、ものすごい勢いで壁に激突した。

「てめえ、いい加減にしやがれ!」

 ミカエルを殴り飛ばしたウリエルが叫ぶ。

「そこまでして総代の座が欲しいのか! こんなやり方で総代になったって誰も認めねえ! あたしもガブ子もラファエルのバカも全員、お前についていきやしねえぞ!」

「勘違いをするな」

 ミカエルは静かに立ち上がり唇の血を拭うと、ウリエルを正面から見据え、諭すような口調で言った。

「総代になればお前たちの信頼など必要ない。私の声は神の声となり、誰もが従う他なくなるからな」

「この野郎……」

「お前たちは、このままでいいと思っているのか? 腐り切った今の人間どもをそのまま放置して胡坐を組んでいるだけで、自らの使命を果たしていると言えるのか?」

 ウリエルが口をつぐむ。ミカエルの真意が初めて語られる瞬間だった。

「神の創りたもうたこの世界ではあるが、人間は完全とは程遠い生き物だ。だから我々が導く必要がある。人間が道を誤ろうとした時には我々が天罰を下す、太古の昔より天使と人間はそういう関係だったはずだ。だがいつの頃からかその関係は変わってしまった。人間は変わらず罪を重ねているというのに、神は口をつぐみ、天使は管理業者に身をやつしている……こんな怠慢が許されていいはずがないだろう」

 その主張は、宣教の堕天使が言っていた現状への不満と通じるものだった。

 もしかするとミカエルは、ネメシスを利用する以上に、同じ理想を抱く同志として見ていたのかもしれない。

「私が現状を変える。そのために総代となり、神に近い場所までいくのだ――邪魔立てをするな」

 ミカエルが手を高く掲げると、新たに剣が顕現した。

 以前にウリエルから聞いたことがある。あらゆる物体や霊体を触れぬままに切り裂く絶対勝利の剣。それをミカエルは無限に精製することができるのだと。

 シンプルにして至高、天界最強の戦闘力を持つミカエルの神技、『栄冠を呼ぶ神剣ソード・オブ・クラウン』。

 勝利を掴むまで決して折れることのない剣のごとき断固たる決意こそが、すべての天使を束ねる〝正義の天使〟ミカエルの本質なのだろう。その掲げた剣を本気で振るうつもりなのだと伝わってくる。

 ウリエルは冷めたような表情でミカエルの話を聞いていた。ガブリエルは迷っているようだった。

 今のこの状況を、多くの、あるいはジェネシス中の天使が聴いているだろう。

 自分たちのトップの腹の内を聞いてどう思っているだろう。クーデターじみたやり方に呆れているだろうか。あまりに大それた野望に眉をしかめているだろうか。あるいは心を揺さぶられ、共鳴しているだろうか。

 冗談じゃない。

「――うんざりだ」

 三人の視線が俺に集中した。レンズ越しに注目が集まっている感覚を覚える。

 目立つことは好きじゃないっていうのに。

「ミカエルさん。あんた、そんなことのために何千人も自殺に追い込んだのか? あんたの言うことが本当なら、日本だけじゃ足りないよな。お次は世界中でも同じことをやろうとしてたってのか?」

「無論だ。これは序章に過ぎない」

「はあ。考えることが幼稚っていうか……思ったより馬鹿なんだな」

「なんだと?」

 ミカエルが気色ばむ。

「馬鹿なんて言われたのは初めてか? それも人間風情に。まったく、どいつもこいつも馬鹿ばっかりだよ。何が正しいとか間違ってるとか勝手に思い込んで、自分が何かを変えられるなんて思い込んで、突っ走って……それで失われるものに想いを寄せることもなく。あんたもネメシスも、人間とまるで変わらない。俺と同じ、不完全で愚かな馬鹿野郎だよ」

「貴様!!」

 極大の霊圧を迸らせたミカエルが神剣を振りかぶって地面を蹴った。


 ――神様、聞いてるんだろ。

 もういっそ全部ぶっ壊してくれ。

 人間も天使も熾天使も堕天使も浮遊霊も悪霊もジェネシスも。

 全部振り出しに戻して、それでもう一回、やり直させてくれないか。

 間違えた記憶も失敗した痛みも後悔の念も懺悔の気持ちも贖罪の祈りも全部ひっくるめて背負い込んで、次こそちゃんとやってみせるから。

 また間違ってしまうかもしれないけど。

 天地創造ができるあんたならそれくらい、容易いだろう?

 もう一回くらいチャンスをくれたって、罰は当たらないだろう?


「させるか!」

 突進するミカエルをウリエルが止めようとする……が、今度はウリエルの方が弾き返された。

 俺は聖典を放り捨てて、ラファエルに治してもらった右の拳を振りかぶった。

 もちろん俺の拳など当たるわけがない。当たったとしてもクラゲがクジラを刺すようなものだ。何の意味もない。

 ただの意地だった。


「――え?」


 俺も含めた全員が間の抜けた声を上げた。

 俺の破れかぶれのパンチが、ミカエルの左頬に命中したからだ。

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