015 そろそろ見物にも飽きてきたぞ
「なんだお前は? 今は会議中だぞ、立ち去れ」
〝第一会議室〟というプレートが掲げられた扉の前には二人の天使が立っており、近づく俺の前に立ち塞がった。
ここまで細かに転移を繰り返して会議室の場所を探しつつ追っ手から逃げてきたが、神具を使うことによる負荷が想像以上に大きく、すでに霊力が尽きかけていた。全身が痛み、視界は霞み、気を抜いたら倒れてしまいそうだった。
もう『流転の楽園』は使えない――ならば、俺に残された武器はただひとつ。
「そこを通してくれ。ロリエルから預かった調査結果をミカエル様に届けに来たんだ」
俺の十八番、嘘をつくことだけだ。
「ああ、その件か。ミカエル様から話は聞いている。通れ」
一人が頷き、道を空ける。だがもう一人はその場を動こうとせず、ぎろりと睨んできた。
「待て。どうしてロリエル本人が来ない? それに回収セクターの者が届けに来るのはどういう訳だ?」
「個人的にロリエルとは付き合いがあってな。ロリエルたちはまだ調査に当たっているが、会議に間に合うように取り急ぎ中間報告を持ってくるよう頼まれたんだ。早く通してくれ、急いでいるんだ」
「ならばまずその調査結果とやらを検分させてもらおう。見せてみろ」
と、手を伸ばしてくる。
ここで断ったら確実に怪しまれる。しかし正直に『無記の聖典』を見せたら、そこに書かれていることがミカエルの裏工作を暴くものだとバレてしまう。かといって門番の天使二人を振り切って強行突破を試みるほどの力も残っていない。
どうしたものかと考えていると、
「あ、お前」
道を空けた方の天使が、何かに気付いたように声を上げた。
「お前、日影亀太郎か!?」
くそ、バレたか。
俺はいつの間にそんなに有名人になっていたんだ? 管理セクター各オフィスの壁に、俺の顔写真付きの指名手配書でも貼ってあるのか?
「取り押さえろ!」
二人が血相を変えて向かってくる。
逃げようにも足が思うように動かない。破れかぶれに『剣より強き筆』を振ってみるが、インクが切れた万年筆のように何も出ない。
そのままなす術なく床に押し倒されてしまった。
「よし、捕まえたぞ!」
「俺が押さえておくからミカエル様に報告してこい!」
一日に何度目の地べたか、もう数えたくもない。抵抗しようにも力が出ない。
ようやくここまで来たのに――ドクやテトラに送り出してもらって、くたばる寸前まで霊力を削って、それでも届かないのか?
こんな誰の目にも届かない場所で果てるのか。
――見てますよ。少なくとも私は、センパイのこと。
どこからかそんな声が聞こえてきて、俺は目を開いた。
***
「あれえ、キタリンだ!?」
ガブリエルが驚いたように声を上げ、それで他の三人も俺に気付いたようだった。
「な――何故貴様がここに!? 警備は何をやっている!」
ミカエルはまるで幽霊でも見るような目で俺を見てきた。久しぶりに生で見るミカエルは相変わらず神がかった美人で、思わずたじろいでしまう。
「あー……警備ならそこで居眠りしてましたよ」
「なんだと!?」
信じられないのは俺も同じだった。
たった今自分の身に起こったことが現実のこととは思えない。というか、一刻も早く忘れてしまいたい。悪夢のような出来事だった。
だが二人の天使が外で安らかな眠りについているのは事実だ。
熾天使会議はまだ進行中のようで、モニターで見た時と変わらず、四つの机に熾天使が向かい合って座っていた。
どうやら間に合ったらしい。
「よお。来てくれると信じてたぜ。ちと焦らされたけどな」
ウリエルがそう言って破顔する。
「ってことは、こっちの状況については……」
「当然ご存知だぜ。アズっちから随時連絡は受けてるかんな」
そうだったのか。まったく抜け目のない。
「遅くなってすみません」
「いいんだよ。お前はあたしの期待を裏切らねえ奴だと知ってる。愛してるぜ、キタローちん」
と、投げキッスのジェスチャーをしてくる。
「……これもお前の差し金か、ウリエル。何を企んでいるか知らんが、ちょうどいい。ネメシスと繋がっていた張本人が来たのだからな――これを見ている者、よく聞け! 内通者はそこにいる日影亀太郎だ!」
尊大な態度を取り戻したミカエルが、俺に指を突きつけて叫ぶ。
「おうおう、張り切っちゃってまあ。証拠はあんのかよ」
「言ったはずだ、私の部下が現在調査を――」
そこでミカエルの言葉が途切れた。
冷静な振りをしていても少なからず動揺していたのだろう、ようやく思い至ったようだ。俺の身柄を押さえているはずのロリエルがこの場におらず、俺一人だけが登場したことの意味に。
「日影亀太郎、貴様……ここに何をしに来た?」
慎重に言葉を選んではいるが、訊かない方がいいことを訊いてくる時点で心中の焦燥が伝わってくるようだった。
「俺がここに何をしに来たのかって、そんなことはわかり切っているでしょう。上司との約束を果たしに。仲間の期待に応えに。後輩の仇討ちに」
ドク、テトラ。ゆらぎ。
だいぶ不格好ではあったが、辿り着いたぞ。
「あんたを失脚させに来たんですよ、ミカエル様」
ミカエルが勢いよく立ち上がった。反動で椅子が吹っ飛んで転がる。その顔は怒りに震えていた。
「貴様、私を……このミカエルを、こともあろうに失脚だと! この神聖な会議の場で、浮遊霊ごときが!!」
「ちょっとミカちゃん、落ち着いて! スタンダップスタンダップ!」
「それを言うならカームダウンだ!! どけガブリエル!!」
ガブリエルが慌てて制止に入るが、ミカエルは怒りが収まらない様子でその手を振り払い、俺の方へ向かってくる。が、その前にウリエルが立ちはだかった。
「どけウリエル!」
「どかねえよ。ミカエル様ともあろうお方が何を取り乱してんだ? キタローちんはあたしが呼んだ証人だぜ。議論の行く末を左右する重大な情報を持ってきたんだ、全員で拝聴するのがルールってもんだろうが」
皮肉の混じったウリエルの言葉にミカエルは一瞬戸惑いの表情を見せたが、すぐに強硬な姿勢を取り戻す。
「認めん! その者はネメシスと通じている容疑のかかった張本人だ。そんな者の証言を認めるわけにはいかん!」
「そりゃお前が言ってるだけじゃねえか。お前の言う証拠とやらはまだ到着してねえんだから、あたしとキタローちんを容疑者扱いするのはお門違いだぜ。――キタローちん」
ウリエルが俺に向けて手を差し出した。俺は懐から取り出したドクの『無記の聖典』をウリエルに投げて渡そうとした――
「ミカちゃん!!」
パンッ、と。
ガブリエルの悲鳴と同時に風船が割れるような音が響き――聖典が粉々に弾け飛んだ。
あまりのスピードに何が起こったのかわからなかったが、ミカエルの長剣が会議室の壁に深々と突き刺さっていた。ミカエルが投擲した剣が聖典を貫き、破壊したのだった。
馬鹿な。ここまでするのか。
「てめえ、何したかわかってんのか!」
激昂したウリエルがミカエルに詰め寄る。
「わかっていないのは貴様の方だ! これは神聖な熾天使会議だぞ。不正に提出された資料の開示を阻止するのは議長として当然の務めだ」
「上等だよ、てめえ」
二人の間に火花が飛ぶ。比喩でなく実際に飛んでいた。二人の霊圧が空気中でぶつかり合い、鍔迫り合いを繰り広げているのだった。
室内の霊圧が急激に上昇し始めていた。その極大のプレッシャーはほとんど霊力の残っていない俺には致命的で、気付くと仰向けに倒れていた。
霊力も気力も底をついた。もう指一本動かない。
この場で二人の戦闘が始まろうものなら、その衝撃だけで俺なんて蝋燭の火同然に吹き消されてしまうだろう。
「……助けてくれ、神様」
目を閉じて、小さく呟いてみる。これまでも散々助けてもらってきたというのに、ここにきて神頼みとは無様なことだった。
――また助けてあげましょうか、センパイ?
すぐ近くで声が聞こえた気がして、目を開ける。
「承ったよ、日影クン」
ああ、そういえば――もう一人いたのだっけ、熾天使って。
俺の顔を上から覗き込んでいる癒しの天使が、眠たげな目を細めて嬉しそうに微笑んでいた。




