013 ロリが弱すぎんか?
「何だと!?」
ロリエルが鋭く反応した。
「ネメシスだと! どうして奴がお前に!?」
「さてね。前にキタローと一緒に私もネメシスと顔を合わせているから、近しい関係だと考えたんだろう」
「そうではない! 奴が我々を裏切ったということか!?」
「知らないよそんなこと」
ドクは興味なさそうに言うが、俺もロリエルと同じく驚いていた。
後ろ盾であるミカエルを裏切ってまで、俺に助け舟を送るような真似をする意図がわからない。その先に何か別の目的があるとでもいうのか。
全員が混乱に陥っている中、一人通常営業のドクが、
「まあまあ、ネメシスの件は置いておいて、とにかく間に合ってよかった。さっきは冷や冷やしたけど、キタローなら演技だと見抜いてくれると思っていたよ」
と、片目を瞑ってみせた。どこかの誰かとは違う、洗練されたウィンクだった。
「いや、本気で言ってると思ってたぞ」
「ええ? 信用ないなあ」
――なんて。
その狙いまでは読めなかったが、演技には当然ながら気付いていた。
いつも何を考えてるかわからないし言うことがコロコロ変わる奴だが、自分の信条に反することだけは絶対にしない。規則に縛られることを俺以上に嫌っている。そして何より、仕事よりも俺と飲みに行くのを優先するような不良天使。
それが俺の知っているドキエルという天使。
俺の友人だ。
「貴様、何をしているかわかっているのか! これはミカエル様のご命令なんだぞ!」
ロリエルが大声で喚く。顔の半分が眼鏡で隠れていて表情が読めないが、鬼の形相をしているに違いない。耳まで真っ赤になっていた。
「知らないね。私は何も聞いてない。ただ法廷部の一員としての仕事を全うするだけだよ。ねえキタロー?」
「……ああ。それが勤め人のあるべき姿だ」
「愚か者め!」
ロリエルが茨の冠から剣を抜いてドクに斬りかかった。ドクが万年筆でその剣撃を受け止め、硬い金属音が響く。
「人間に肩入れするとはな! 貴様のそういう、俺たちを見下したような、跳ねっ返ったところが前から気に食わなかったんだ!」
「君に嫌われていたとは光栄だよ。ところで何だいその面白い眼鏡は? 力が抜けてしまうから外してほしいのだけれど」
怒り狂ったロリエルが再び剣を振り上げ、ドクの頭上に振り下ろす。
しかし当たることはなかった。二人の間に光輪が出現し、振り下ろされた剣を吸い込んだのだ。太刀筋の残滓のみを残してロリエルの剣は消えた。
「シリアスな場面なんだ、浮かれポンチにはご退場願うよ。地球の裏側にでも行って自分の性根と顔を見つめ直してくるといい」
「待――」
光輪が広がり、ロリエルの全身を呑み込む……一切の余韻を残さず、ロリエルの姿が消失した。
異空間を繋げて対象を転移させるドクの固有神技、『流転の楽園』。
テトラを召還したことといい、まったく用途の広い、便利な技だ。気の短いロリエルを挑発して隙を突いたのだろうが、相手が攻撃動作に入ってから光輪を出現させるドクの筆記スピードがあってこそ為せる技だろう。執行形態になるまでもなく相手を叩き伏せるまでもなく、相手を舞台から去らせる。実にドクらしい戦い方だった。
「ペンは剣よりも強しだよ。さあこれで形勢逆転だ」
ドクが言うと、スキンヘッドは面白くなさそうに「ふん」と鼻を鳴らした。
「あの半端者に最初から期待などしていなかったが……狂ったかドキエル。貴様の背任行為はしかと報告させてもらう。堕天使認定は免れんぞ」
「好きにしたらいい。私は今、猛烈に怒っているんだよ。こんな腐った職場で飼いならされるくらいなら喜んで堕天してやるってくらいにね。ああ――だけど存外に気分がいいものだな、自分の気持ちに素直になるっていうのは。キタローの気持ちが少しわかった気がするよ」
と、俺に流し目をしてくる。
聞いている方が心配になるような問題発言ではあったが、ドクは清々しそうにしていた。
「さあ、いつまで寝ているんだいキタロー。まだ勤務時間中だよ」
「ドク。俺は……」
「ゆらぎちゃんのことなら聞いたよ」
胸がずきりと痛む。重い鉄枷のように、心がまだそれを引きずっていた。
いかに形勢逆転とはいえ、時間が巻き戻ったわけではない。自分自身とこの世界に対して感じた絶望が拭われたわけではない。
立ち上がる理由が――まだ、俺には。
「死んだら終わり、じゃないだろう?」
ドクが言った。
「君が証明したんじゃないか。他ならぬ彼女を救った時に、君は彼女の母親から聞いたんだろう? 心臓が動いている限り、彼女はそこで生きているのだと。命は心に宿すことで永遠にもなる。それは人間にしかできない、天界のルールの穴をつく裏技なんだと、君が飲んでへべれけになる度に何度も何度も、嫌気がさすほどに熱く語ってくれたことじゃないか。だからあえて私は君に言おう――〝その胸に訊いてみろ〟と」
どくん――と。
心臓がひと際強く脈動した。
それは盛大な気のせいだったのだろう。ゆらぎの母親と違い、俺の心臓は俺のものなのだから。ゆらぎはもうどこにもいないのだから。俺のこの霊体にあるお飾りの心臓が反応したのは、ただドクの言葉に反応しただけに過ぎない。そうに違いない。
なんて。
俺もたいがい嘘つきだった。
「どうだい。君の胸は、君の中にいる彼女は何と言っている?」
「……気持ちの悪い言い方をするなよ」
心臓は全身に血を巡らせるためのただのポンプ装置だ。肉体でも霊体でもそれは何ら変わらない。
鼓動にあわせて血液が全身を駆け巡る。脳が、手足が、心が覚醒していく。
俺はようやく立ち上がることができた。
「お、やっとやる気になったかアニキ」
「よし。それじゃ弔い合戦といこうじゃないか」
「ああ――ひと暴れしてやる。今なら二人分くらいはいけそうだしな」
スキンヘッドはこちらの出方を見ようと様子を窺っている。ごろつきは残り五人。
ここからどうするか。残りのごろつきたちは束になってもテトラの相手ではないだろう。問題はスキンヘッドだ。ロリエルと違いかなり慎重なタイプのようだし、同じ手は通用しないだろう。
「キタロー、これを」
ドクが突然、本と万年筆を投げて寄越した。
「行くんだキタロー、時間がない。行き先はわかってるね?」
「あ、ああ。だがこれ、俺にも使えるのか?」
「私が使う場面を見ているのだから使い方は知っているだろう。行きたい場所を思い浮かべながら円を描けばいい」
「えらく簡単だな……」
いつもそれらしい詠唱をしていたのはただの趣味か?
「ああでも、それなりに霊力を消費するから使いすぎには注意だよ。キタローレベルの霊力じゃあまり乱発すると動けなくなって本末転倒ということになりかねない」
前言撤回、めちゃくちゃリスキーだった。
「待て、どこへ行くつもりだ!」
スキンヘッドがこちらに駆け寄ろうとするが、ドクとテトラが前に立ちふさがる。
「てめーらの相手はこの俺じゃ! って、いっぺん言ってみたかった台詞が言えたわ」
「ああ、いいねそれ。キタロー、ここは私たちに任せて先に行け!」
「……ああ」
ノリの合う二人だった。
万年筆を握り直す。見た目以上にずしりと重かった。
いつもドクがやっているように空中に円を描くと、目の前に光輪が現れた。
今度こそ、やり遂げる。
震える足を拳で一発殴り、俺は光の中に飛び込んだ。




