008 詰めが甘いんじゃ、詰めが
ウリエルは次に狙われるのは東京近郊の刑務所だろうと言っていたが、俺の予想は違った。ネメシスは近場から手あたり次第にテロを仕掛けるような行き当たりばったりな計画を立てる奴じゃない。より多くの人間を、より効率的に自殺に追い込む方法を考えるはずだと、俺の直感が言っていた。
府中刑務所と東京拘置所は、どちらも東京にある施設ではあるが、犯罪者が多く収容されているという共通項もある。収容人数の多い順でいえば、次は大阪刑務所、名古屋刑務所と続く。
日本の刑務所や拘置所の規模など、ジェネシスの連中は知る由もない……元人間の雇われ浮遊霊を除いては。
さらに言えば、その二つの施設を続けざまに攻撃すればジェネシスの目が東京周辺の収容施設に向くことも予想していた。そこで離れた場所に狙いを移すことで、リスクを最小限に抑えたまま日本中をターゲットにできる。そういう目算があったのだろう。
「落ちあぶれたな、宣教の天使。いつから嘘八百を垂れ流すペテン師に鞍替えしたんだ? あんなに熱く理想を語っていたくせに」
ネメシスは俺の挑発もどこ吹く風で、涼しげな笑みを浮かべていた。
「それは誤解だよ。宣教師なんて元よりペテン師そのものだ。政治家や宗教家が真実しか語らないとでも? 社会をより良いものに変えるためには嘘偽りが必要経費なのさ。君の方こそポリシーに反しているんじゃないのかい? これは明らかに君の仕事じゃないだろう」
「いいや、これも仕事だよ。不正を働いた政治家や宗教家を吊るし上げて弾劾するのは庶民の務めだからな」
「ふっ。なんだか感情的だな。もしかして君、怒っているのか?」
「仕事に私情を挟まないのが俺のポリシーだよ」
これは嘘で、俺はまさしく腹を立てていた。
ネメシスは俺に言った。傷つけられた者だけが罪を背負わされるのはおかしいと。人を傷つける行為こそが悪であり、悪が正しく裁かれる世の中でなければならないと。そうなるように人間を導くために天使はいるのだと。
手を差し伸べられたあの時……東条日和を自殺に追いやることは絶対に間違っていると思ったからその手を取らなかったものの、心のどこかで俺は、こいつの言っていることを正しいとも感じていた。『結実託宣』による誘導ではなく、他ならぬ俺自身の考えとして。
今まで多くの死者と接してきた。その悲しみに、やり場のない怒りに触れてきた。そいつらに少しでも寄り添える世界になるのなら、この理不尽な世界を少しずつでも変えていけるのなら――悪くないのかもしれない、と。
だが、その行き着く先がこれなのか。
罪を犯した者たちを十把ひとからげにして、個々の事情を顧みることなく悪のレッテルを貼り、「お前らの人生に価値はない」と洗脳し、甘言でたぶらかして自殺に追い込み、根絶やしにする。
一切の努力も葛藤も放棄した焦土作戦。
そんなのはテロリストの思考でしかない。それこそ主張とは真逆の――命の尊厳を否定する行為だ。
「まさか君が僕の理想を否定する急先鋒になるとはな。君は僕の誘いに応えなかったとはいえ、僕の言葉は響いていたように思っていたのだけどね。残念だよ」
「それはこっちの台詞だ。これが理想だと? お前がやってることはただの独りよがりじゃないか。お前は選民思想に脳まで浸かった独裁者と同じだ。理想を語るならサボってんじゃねえよ」
「見解の相違だな。私に言わせればそれが目先の感情であの加害者の娘一人を見捨てられなかった君の限界、凡人と改革を為す者の境界線だ」
どこまでもいっても交わることのない平行線。どうやらこれ以上の問答は無意味だし、問答をしている余裕もなさそうだった。
周囲の受刑者がじりじりと俺ににじり寄ってきていた。その目には明確な敵意が浮かんでいる。今この場において、俺は連中にとって救いを妨害する邪教徒でしかないのだった。
もしこの状態で襲われたら勝ち目はないし、暴行を受けるようなことになれば、憑依しているこの受刑者の身体を傷つけることになる。
今回はテトラの銃もない。大量に発生した悪霊の対応に追われていて、借りることができなかったのだ。
だから、俺は後ろ手で携帯端末を操作した。
通話を開始する――すぐに反応があった。
『はい、こちらゆらぎ!』
通話を開始すると、ゆらぎからすぐに反応があった。
休職中の俺が取れる方法はこれしかなかった。ネメシスを発見次第、俺がゆらぎに連絡を入れ、ゆらぎが営業部に通報する。この地点の座標を送ればすぐさま撃滅部隊が飛んでくるだろう。それまで俺がここで粘れば勝ちだ。
あとは俺がこう言えばいい。
ネメシスを発見、ウリエルに連絡を取れ――と。
だが、俺がその指示を発する前に、予想外のことが起きた。
携帯端末が俺の手から離れたのだ。
「なっ――」
ネメシスはその場を動いていない。振り向くと、いつの間にか背後に忍び寄ってきたらしい刑務官が俺の携帯端末を手にしていた。
そいつの四角眼鏡には見覚えがあった。特徴的なツーブロックの髪型と口髭にも。
「また会ったな、成仏促進課の不良バイト」
「あんたは……ロリエル?」
蓮花白夜香を破魂処分にしようとしてゆらぎと揉めていた法廷部の天使だった。
『センパイ? おーい、センパーイ!』
通話口からはゆらぎの声が漏れ続けていた。
「……端末を返せ、ロリエル。ネメシスの証言もそこに録音してある。あとは外に応援を要請するだけだ」
ロリエルは「ふん」と鼻で笑い、右手に力を込めた。その手に握られていた携帯端末がべきべきと音を立て、粉々に破壊される。
「おいあんた、何を!」
「バイト風情がご苦労だったな。この場は私が預からせてもらう。そいつのことは私に任せてお前は消えるがいい」
任せろ、だと?
何かがおかしい。
ネメシスの捜索は法廷部の仕事ではない。なのにどうしてロリエルがここにいる? それも刑務官の格好などをして。ネメシスの居場所を突き止めて潜入していたのか? いや、仮にそうだとして、どうして俺の携帯端末を破壊したのだ――
と、そこで。
ようやく気付いた。思い出した。
先ほどネメシスは、俺を「天草四郎時貞」と呼んだ。
毎度のように偽名を使っているから気付かなかったが、俺はネメシスに名乗った覚えはない。そしてその名前を使った相手は確か、ロリエルではなかったか?
ロリエルに名乗った偽名をネメシスが知っている、ということは――
「あんた、ネメシスと通じていたのか!?」
思わず口にしてしまったが、これは明らかに失策だった。
ロリエルの青いフレームの眼鏡の奥がぎらりと光る。慌ててその場を離れようとしたが、遅かった。
目にも止まらぬ速度で俺の背後に回ったロリエルがその腕で俺の頭部を掴む。憑依していた肉体から力任せに霊体を引きずり出され、地面に叩きつけられた。
「うがっ……!」
その悲鳴が自分の口から洩れたものだと数秒経ってから気付く。
物理干渉力を加えたその一撃により会場の床は派手な音とともに破壊され、周囲の受刑者が悲鳴を上げて逃げ惑い、刑務官が怒号を上げて走り回っていた。傍目には刑務官が殴った床が陥没したように見えただろう。
一切の躊躇のない暴力だった。
「木っ端幽霊が出しゃばるからそうなる。おいネメシス、早くどこかに身を隠せ。こいつがここに来た以上、誰かが嗅ぎ付ける可能性がある」
「手間を取らせて悪いね。それじゃお言葉に甘えるとするか」
ネメシスがふわりと飛び立った。
逃げられてしまう。だがロリエルに踏みつけられていて微動だにできない。
「待て! 逃げるのかネメシス!」
「お尋ね者なんだから逃げるに決まっているだろう。君流に言うなら、逃げるのが僕の仕事だよ。縁があったらまた来世で会おう」
そんな台詞を残して飛び去って行くのを、ただ見送ることしかできなかった。
悔しいが、今は自分の身の安全を考えるべき場面だった。ロリエルがネメシスと繋がっていたのであれば、それを知った俺をこのまま見逃すとは思えない。
「何故だロリエル。あんたがネメシスに加担する理由がどこにある?」
とにかく対話に持ち込んで活路を見出すしかなかった。
「ふん、無駄話で時間稼ぎのつもりか? 貴様には話しても意味のないことだ。どうせ理解すらできまい、我らの崇高な目的はな」
「崇高な目的、だと?」
いや、それよりも。こいつ今、「我ら」と言ったのか?
だがロリエルは話は終いだとばかりに腕に巻いている茨のトゲを引き抜き、剣を具現化した。
「下位三隊権天使が一人、法の天使ロリエル。父の御名の下に審判を下す者なり――我が正義の執行を妨害し堕天使の逃走を幇助した罪で、貴様を『破魂処分』に処す」
剣を俺に振り下ろそうとしている。
俺は覚悟を決めた。神具の一撃を食らえばそこで俺は終わるだろう。
だが、ゆらぎがいる。ここで俺が消えても、ゆらぎが異常を感じ取ってくれていれば望みはある。
と、その時。
「こらぁーーーっ!!!」
甲高い叫び声が会場に響き渡り、俺は這いつくばりながら肩を落とすという器用なリアクションを取る羽目になった。
「ジャスティスキーック!!」
全速力ですっ飛んできたゆらぎが、勢いそのままにロリエルにドロップキックをかました。




