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ブラックバイトの幽霊  作者: 半藤一夜
【part time-3】日影亀太郎
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006 まったく難儀なやつじゃな

 東京で立て続けに起きた、収容所内での集団自殺事件。

 日本中がいよいよ狂騒状態に陥り、マスコミが心理学者やら社会学者などを引っ張り出しては「原因はわからない」という結論を繰り返し、これがいかに奇怪で刮目すべき事件かを大衆に向けて強調していた。

 一度目の集団自殺が府中刑務所で起きた後すぐに、他の刑務所や拘置所でも受刑者や拘置者の身体検査を入念に行い、毒物の類を所持していないことを確認していたらしい。出所が不明な以上、他の刑務所でも同じことが起きないとも限らないと考えたのだろう。

 果たしてその通りの結果となった。

 身体検査をしてからたった三日の間にどうやって毒物を調達したのか、警察の捜査はその点に絞って進められているとのことだった。


「そう、問題はそこだぜ」


 アポ無しで執務室を訪ねた俺を部屋に通したウリエルが、両手を頭の後ろで組み机の上で足を組むというおよそ熾天使らしからぬ姿勢のまま言った。

「いくらなんでも、何千人分もの致死性の毒物を一人で調達したとは考えにくいだろ? だから今回の件はネメシスとは無関係なんじゃねえかって言う奴も出てきてる。……納得いかねえってツラだな」

 表情を盗まれた。だがウリエルも同じ意見のようだった。

「堕天使に無理なら人間にはもっと不可能だぜ。どうせ責任転嫁したいだけの日和見主義者どもさ。どいつもこいつも普段から決められたことしかやらねえからこういうイレギュラーに弱えんだ。営業部の連中も意思の統一が図れてねえし、意味のねえことばかりギャーギャ―言い合って後手後手だ。毒がどうやって出回ったかなんてのはあたしらには関係ねえ、人間どもに任せときゃいい話だろ?」

「同感ですね。俺たちがやるべきことは他にある」

「同感できねえな。お前にできることはひとつもねえ」

 ぴしゃりと、先回りして断じてくる。

「そう睨むなよ、キタローちん。このあたしにガン飛ばしてくる奴はお前くらいしかいねえから爽快ですらあるけどな。お前は職務に忠実な優秀な従業員を演じる一方で、根っこの部分ではこの世界の在り方に疑問を抱いてる。その矛盾がお前の人間らしくて面白えところだし、そんなところも含めて気に入ってるけどよ。最近のお前は、その矛盾のバランスが崩れてきてる」

「矛盾のバランス……?」


 ――最近のキタローは〝らしくない〟ね。

 またドクの言葉が蘇る。


「ああ。この上なく偏った危険な思想に嵌まりかけてるぜ。お前がこの事件に首を突っ込みたがってるのは明らかに人間側に寄った理由だよ。アズっちが何を言ったか知らねえけど、別にあたしは我が身可愛さだけでお前に静観を強いてるわけじゃねえ。むしろ熾天使の中じゃ一番リベラルで融通の利く方だと自負してる。そんなあたしでも、今のお前の危うさは看過できねえ。あたしがお前を止める理由はな、大事な部下を失いたくねえからだよ。だからもう何も言わずにこっから出て行け。あたしが沙汰を出すまでのんびり映画でも観てろ」

「……映画はもう見飽きましたよ」

「だから自分が映画の主人公になるってか? ダメだね、何もするな。さあ、もう二回言ったぜ。あたしに三回命令させんじゃねえ」

 俺は考える。

 ここに来る前に心は決めていたはずだった。しかしウリエルの言っていることは正しいし、深入りしすぎているのも確かだ。

 俺の信条は、自分の立場を正しく俯瞰し、組織の歯車として正しく効率的に機能すること。目立つやり方で敵を作ることは御免だし、周囲をかき回して迷惑をかけることもポリシーに反する。天使が何を考え何を考えないかは知ったことではないし、堕天した者が何を企もうと俺の責任じゃない。死後の世界と生者の世界は別物で、それぞれの論理があり、魂の循環は世界を創造せし神の決めたルールに則り為されるべきだ。それで何の問題もない。

 ないはずだった――なのに俺は今、真逆のことを考えている。

「……これからどう動くつもりなんですか?」

「さあな。しらみつぶしに探すのも無理があるし、奴がまだ続けるつもりなら尻尾出すのを待つか。順当にいけば次も近場の刑務所なりを狙うだろうから、そこで待ち伏せるとかな。いずれにせよ決定的なチャンスがない限りあたしからは手は出さねえ」

「俺に考えがあります」

「要らねえよボケ。消えろ。これも二回目だぜ」

 取り付く島もない。俺を気に入っているという言葉を鵜呑みにして抵抗しようものなら、平気で俺を消すだろう。ウリエルはそういう奴だ。

 そう。俺はウリエルのことはそれなりに理解しているつもりだ。少なくとも、仕事を円滑に進めるために部下が上司のことを把握する程度には。

 〝交渉ごとをうまく運ぶためのコツは、相手の性向と嗜好を知ること〟。

 かわいくない後輩がまだ後輩でなかった頃に学んだことだ。


「あなたの嫌いな奴を追い落とすチャンスだと言ったら?」


 ウリエルの目の色が変わった。


***


 大阪府堺市に所在する大阪刑務所は、収容定員数二千七百名を誇る日本屈指の大型刑務所である。

 刑事被告人を収容する拘置所としては東京拘置所が収容定員三千人強と日本最大であるが、受刑確定者を収容する刑務所としては府中刑務所に次いでこの大阪刑務所が日本で二番目の規模となっている。

 その施設内は今、あるニュースで持ちきりだった。


(知ってるか? 府中で大量自殺があったって話)

(ああ。刑務官がピリピリしてんのもそのせいらしい)

(何があったんやろな。自殺なんて阿保らしいでまったく)

(お前、試しに部屋で首吊ってみろよ。あいつらビビりよんで)


 東京で起きた事件については受刑者に知らされていなかったが、どこからでも情報は入ってくるものだ。すでにほとんどの受刑者の知るところであり、自分たちと同じ境遇の者たちの身に起きた惨事は面白おかしく話の種となっているのであった。

 監房の一斉検査が行われ、毒物らしきものを誰も持っていないことは確認されていたが、それでも厳戒態勢は解かれず、刑務官も総動員で受刑者の監視にあたっていた。受刑者の一挙手一投足に目を光らせ、怪しい動きをしようものなら即座に取り押さえられるようにと気を張っていた。

 事が府中刑務所だけであれば、彼らもそこまで警戒しなかったかもしれない。だが事件が東京拘置所にも波及したことで楽観視はできなくなった。

 それでも刑務所のスケジュールを変えるわけにはいかない。午前の刑務作業を終え、昼食が終わると、次のプログラムのため受刑者全員がホールに集められた。

 この日の午後は一般教誨が行われることになっていた。教誨とは矯正施設における講和型のプログラムで、一般教誨と宗教教誨の二つがある。宗教教誨は僧侶や神父が行うもので参加は自由だが、刑務官が道徳や倫理について話をする一般教誨は原則全員参加である。


「全員起立!」


 全体を見渡せる位置に立つ刑務官が声を張り上げる。

 きびきびと全員が起立し、ホールが静寂に包まれると、プログラムを担当する刑務官が壇上に現れた。中央まで歩いていき、真正面に向かって直立不動の姿勢を取る。

 耳が隠れるくらいまで伸ばした茶色の髪に、上背はあるが線の細い身体つき。

 刑務官らしからぬ出で立ちのその男は、受刑者を見渡した後、穏やかそうな瞳を細めて、不敵に笑った。

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