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ブラックバイトの幽霊  作者: 半藤一夜
【part time-3】日影亀太郎
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003 願えば天に届くのじゃ、知らんけど

 監査部のオフィスを出た後、俺はその足で最上階へ行き、廊下の突き当りにある部屋の扉を叩いた。

「おお、来たかジョン。入るがよいぞ」

 幼い声が返ってくるのを確認して扉を開けると、例によっていつもの如く、ちんまい少女がゲームの準備を万端整えて待機していた。

 例の総会後のパーティの最中、会場を抜け出した俺が偶然出会い、束の間ゲームに興じた少女。もう会うこともあるまいと思っていたが、どういうことか、あれから事あるごとに俺はこの部屋を訪ねては二人で数々のゲームに興じているのだった。

「負けるとわかっているのに挑んでくるとは、懲りん奴じゃな」

「いや、俺が挑むというか、お前が俺を呼んでる気がするんだが」

「気のせいじゃ。実は新しく〝ジェンガ〟というゲームを手に入れたのじゃが、主がどうしてもというなら特別にやってやってもよいぞ」

「こっちの台詞だよ……まあいい、それで勝負だ」

 二人でジェンガを箱から取り出す。

 勝負内容が決まってしまえば、後は基本的に無言だ。

 傍から見たらおかしな光景だろう。だが、俺がこうしていきなり訪れても、この少女はいつも待ち構えていたように俺を出迎え、俺もそれを自然なこととして受け入れている。約束をしているわけでもないのに、それが当たり前のことのように。

 もちろん今は業務時間内であって、子供と遊んでいるなんてバレたらアズラエルから大目玉を食うだろう。なのにどうしたことか、この時間は何よりも優先しなくてはならないような気がしてしまう。

「よし、積んだぞ。主の番じゃ」

 器用に引き抜いた積み木を天辺に乗せ、少女がターン交替を告げる。

「いや、これはもう無理だろ。降参だ」

 下から三段が一個だけで積まれていて、不安定にゆらゆらと揺れている。どうして倒れないのか不思議なほどに芸術的な形状に成り果てていた。

「この程度で何を言う。全段一個ずつにして天井まで届かせるんじゃろうが。ほれ、男を見せい」

「無茶言うな。そういうゲームじゃねえよ」

 案の定、俺の次の一手で芸術的建造物はあえなく崩落してしまった。

 少女は「むう」と不満そうに口を尖らせた。

「主、どうせ崩れると諦めてたじゃろう? 指に心が込められとらんかったぞ」

「諦めたわけじゃないさ。お前が器用すぎるんだよ」

「違うな。わしの見立てでは主でもあと一手は積めるはずじゃった。自分の常識の中で〝そろそろ崩れるべき〟と勝手に思い込んだんじゃよ。思わば現実となる、故に崩れたのじゃ」

 全知全能の神みたいなことを言う。

 実際、こいつならもう一段と言わず五段くらいは宣言通りに積み上げそうだった。

 これまでに何種類のゲームで対戦したか覚えていないが、俺はただの一度も勝利したことがない。どれだけ妨害しようと裏をかこうと、神がかり的な読みの深さと運で最後には勝利をさらっていくのだ。『ゲームに負けない神技』でも持っているんじゃないかと疑いたくなる。

 しかしそうなってくると、こいつは果たして俺とゲームをしていて楽しいのだろうか?  勝つとわかっていてやるゲームほど退屈なものもないんじゃないか?

 そう訊くと、少女はこう答えた。

「主との勝負が面白いかという問いに対する答えは〝ノー〟じゃな。じゃがそれは主が弱いからではない。所詮は児戯、勝ち負けなぞ二の次じゃ」

「そうなのか? でもじゃあ、何で俺とゲームするんだよ」

「主を見ているのが楽しいのじゃ。ゲームの結果は予測できても、その過程で主が何を考えているのかはわからんからの。主がどういう戦略を立て、それをどこで修正し、わしの一手にどう反応し、追い込まれても負けじと抗うのか、はたまた諦めるのか。世の中わからないものほど面白い。混沌から選択肢が生まれ、命は生たり得る。もし〝可能性〟というものが存在しないとすれば、それは完全不変の一なる世界ではあるが、退屈極まりない虚無の世界でもあろうよ」

 思わせぶりで小難しい言葉を使う。ゲームや漫画の影響だろうか。

 その時、ふと――どうしてだかわからないが、少女に訊いてみたくなり、質問をぶつけてみることにした。

「なあ。〝魂の穢れ〟って本当にあると思うか?」

「はん? なんじゃ藪から棒に、魂云々などと。漫画の読みすぎじゃぞ」

「一番漫画みたいなキャラクターしてるお前が言うな。天使なら知ってるだろ、自殺すると魂が穢れるっていうあれだよ」

 魂の穢れなんてものは存在しない――ネメシスが言っていたことだ。

 個人的な意見だと奴自信も言っていたし、信じているわけではないのだが……天使にも視えないというのが本当ならば、その実在を確かめる術がないのは事実だ。

「この天使のように汚れなき少女を相手になんちゅう話を振ってくるんじゃ主は。お楽しみ中にじじむさい話題を持ち出すんじゃないわ、この野暮天め」

「じじむさいのはお前の口調だろ」

「いいの! とにかくその話は終いじゃ!」

 んー……そんなに拒絶するような話題だろうか? いつもならどんな話題でも食いついてくるのだが、どこかはぐらかしているような妙な印象を受ける。

 まあ、どうしても聞きたいというわけでもないし、別にいいか。

 その話題はそれきりにしてしばらくジェンガで遊んでいると、業務用スマートフォンが着信音を鳴らした。


『緊急事態だ、今すぐにオフィスに戻れ』


 アズラエルからのメールの文面にはそう書かれていた。

 〝緊急事態〟とはまたろくでもない響きだ。気付かなかったことにして楽しくゲームに興じていたいが、そういうわけにもいかない。

 ゲームの途中で抜け出すことを少女に謝り、帰宅の意思を告げる。

「よい。またいつでも遊びに来るがいい」

 帰り際、ふと思い立って「お前、名前は?」と今さらな質問をぶつけてみた。

 考えるまでもないはずの質問に何故か思案した後、

「名前は多すぎて忘れてしもうたが……そうじゃな。では『メロ』とでも呼んでくれ」

 と、そう答えた。

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