008 モラハラなんかしてません
「そんな、日和が……!?」
教員が屋上で倒れている女子児童を発見して保護されるのを見届けてから、ゆらぎ達と合流して事情を説明すると、蓮花白夜香はショックを受けたようだった。
飛び降りを図った少女の名前は東条日和。予想通り、蓮花のクラスメートだった。
「ああ。幸い、飛び降りる前に教師が見つけて未遂で済んだがな」
話がややこしくなるのでドクの件は伏せておく。
「どうする。一緒に行くか?」
そう訊くと、蓮花はしばらく沈黙してから口を開いた。
「――冗談は名前だけにしてください、変死さん。どうして私があの子のお見舞いになんか行かなければいけないんですか」
「いや、見舞いに行けとは言わないが。気にならないのか?」
「なりません。心配なんてしません」
そう言ってぷいと顔を背け、どこかへ行ってしまった。
「ちょっといいですか、変死センパイ」
ゆらぎが小声で耳打ちしてくる。
「その子、日和ちゃんっていうんですよね?」
「ああ。それがどうした」
「さっき原宿で、プリクラがたくさんあるお店で遊んでた時のことなんですけど」
プリクラ……言わずもがな、カメラで撮影した写真をシールにして印刷する据え置き型の機械である。今では同型機の総称として使われているが、〝プリクラ〟は商標のため不特定多数の筐体を指す場合は〝プリントシール機〟と呼ぶのが正しい。俺は使ったことがないが、ゲームセンターで女子グループやカップルが撮影している光景は誰もが目にしたことがあるだろう。
「そのお店を歩いてた時なんですけど、白夜香ちゃん、日和ちゃんの名前を言ったんです。私が『プリクラ撮ったことある?』って訊いたら、『ヒヨリと一回だけ』って。それ以上は訊いても答えてくれなかったですけど……白夜香ちゃんと日和ちゃんって、実は仲良しだったんじゃないですか?」
「ふうん」
「ふうんって! 真面目に聞いてください!」
「いや、ずいぶん楽しく遊んできたみたいで良かったと思ってな」
「うっ」
ゆらぎは怒り顔から一転、コップを引っくり返した子供のようにバツの悪そうな顔をした。
「いやあ、それはその……すみませんでした」
「ん? 何を謝る必要がある。ちゃんとわかってるぞ。ゲームの話で俺を除け者にして盛り上がったのも蓮花を楽しませるためだったんだろ? 二人で遊びに行くことで蓮花の緊張をほぐしつつ、その間に俺が調査を進めるっていう作戦だったんだろ? わかってるわかってる、みなまで言うな。俺一人に仕事を押し付けて遊び呆けてたなんて全然思ってないから気にするな」
「センパイって怒ると意外とねちっこいですね……」
ゆらぎに言われるまでもなく、東条と蓮花が近しい関係にいたことは先ほどの蓮花白夜香の反応を見ればわかる。彼女の頑なな態度から、二人の間に何が起こったのかも。
朧げながら真相が見えてきた。俺の考えが正しければ、これからかなり高い確率で面倒事が起こる。ならば相応の準備をしておかなくてはならない。
「で――実際のところどうだったんだ? 原宿観光は楽しめたのか?」
蓮花の後を追おうとしているゆらぎに訊くと、「そりゃもう!」と嬉しそうに笑った。
「本当に楽しかったですよ。白夜香ちゃんもすごくはしゃいでました。来られてよかったって」
「そうか」
同じような経験をしたゆらぎだからこそ通じ合うものもあるだろう。蓮花を連れて行ったのが俺だったら、きっと蓮花の笑顔を引き出すことはできなかった。
前回ゆらぎをショッピングやら遊園地やらに連れ回して失敗したが、原宿だって同じだ。しょせんは死人の戯れ、生きている者と同じように楽しめるわけもない。
だがそれでも、多少なりとも未練が晴れたのなら。
天使に喧嘩を売った意味もあったのだろう。
***
東条日和は自室のベッドに横になり、生気のない目で天井の一点を見つめていた。その傍らには白毛のベンガル猫が寝そべり、飼い主のことをじっと見つめている。
屋上で倒れているところを発見された後、教員たちによって病院に運ばれ、怪我や異常がないことを確認した後に自宅に帰されたのだった。自殺しようとしていたとは思われなかったため大事にはならなかった。
彼女は天井を見つめていたが、何も見てはいなかった。死ねなかったことを悔いるでもなく、死ななかったことを不思議がるでもなく、ただ虚無の中にいるように見えた。
魂の抜けた肉体のように。
「日和?」
二回のノックの後、部屋の外から母親の声が聞こえた。
「学校のカウンセラーの方が来てくださったの。ちょっとお話がしたいんですって。開けてもいい?」
反応のない娘の様子にしびれを切らしたのか、「入るわよ」と部屋の扉を開け、後ろに控えていた人物を招き入れた。
「やあ東条さん。具合はどうかな?」
カウンセラーは若い男だった。カウンセリングルームで話をしていたのと同じ人物だろう。
彼が心配そうに東条の顔を覗き込むが、東条は彼のことが見えていないかのように視線を動かさずにいた。
母親はそんな娘の様子を固唾を呑んで見守っていたが、「すみませんが、二人で話をさせていただけますか?」とカウンセラーに言われ、部屋を出ていった。
「東条さん」
カウンセラーは東条の手を取って優しく語りかけた。
「屋上で倒れていたんだってね。何があったんだい?」
東条は答えない。
「どうして屋上に? 君が自分の意思で行ったのかい?」
答えない。
「もしかして、飛び降りようとしていたのかな?」
東条が目を見開く。初めてカウンセラーの顔に視線を移した。
「やはりそうなんだね。どうして君は飛び降りようとしたんだい? 誰にも言わないから、僕だけに教えてくれないかな」
日和は苦しそうに顔を歪めてしばらく黙っていたが、やがてぽつりと零した。
「白夜香ちゃんを、助けてあげられなかったから」
「白夜香ちゃんというのは、例の亡くなった子だね。君と白夜香ちゃんは友達だったのかい?」
「……はい。幼稚園の頃から一緒で」
「よく遊んだりもしていた?」
「はい」
「助けてあげられなかったというのは、彼女の自殺を止められなかったという意味かな?」
「……そうです」
「君は、どうして彼女が自殺したんだと思う?」
「…………」
「白夜香ちゃんはクラスでいじめられていたそうだね」
「……はい」
「どうしていじめられていたのかな?」
東条は、何かに怯えるように身体を細かく震わせていた。
「私の……代わりに」
「君の代わり? どういうことかな」
「私がいじめられていたのを白夜香ちゃんが助けてくれて……でも、白夜香ちゃんが次に標的になっちゃって」
「なるほど。それで? 白夜香ちゃんに助けてもらった君は、彼女がいじめられているのを見てどうしたんだい?」
「……何、も」
「何もしなかった。ただ黙って見ていた」
「そう、です」
「助けようとはしなかった?」
「はい……怖くて……」
目に涙を溜めて震えている東条日和に、カウンセラーは顔を近付けて言う。
「つまり白夜香ちゃんは、君の身代わりになって死んだんだね。助けた友達に裏切られて、味方がいないまま絶望して、首を吊った。そういうことだね」
「……は……い」
「君は、そのことについてどう思っているのかな?」
「……私が助けてあげられてたら……」
「君が助けなかったから白夜香ちゃんは死んだ。白夜香ちゃんが死んだのは自分のせいだと」
「はい」
ようやく東条の鼻先から顔を離したカウンセラーは、呆れるように溜息をついた。
「それは違うよ日和ちゃん。そうじゃない。君は白夜香ちゃんを〝助けられなかった〟んじゃない。彼女の想いを裏切って〝見殺しにした〟んだ。君が白夜香ちゃんを殺したんだよ」
「私が、殺した……」
「白夜香ちゃんが君を助けてくれなかったら君がそうなっていたかもしれない。いや、君は絶対に命を絶っていたはずだ。それなのに、君だけはその苦しみを理解していたはずなのに、友人に寄り添うことをしなかった。命を救ってもらった君だけはそれをすべきだったのに、怖いからなんて理由で冷たく見捨てたんだ。君が殺したようなものだよ。そうだろう?」
「……はい」
「はっきり口にするんだ。白夜香ちゃんを殺したのは誰だ?」
「私です」
「そうだ。だけど死んだ者は蘇らない。白夜香ちゃんは二度と帰ってこない。謝ることも償うこともできない。じゃあ――東条さん、君はどうすべきなのかな? 死んでしまった白夜香ちゃんに、君は何をすべきだろう?」
「何も……できません」
「それも違う。白夜香ちゃんの死に本当に心を痛めているのなら、君はその命をもって贖わなくてはならないんだよ。命に匹敵するものは命しかない。それが友人を殺した君にできる唯一のことだ。それは君にもわかっているはずだよ。だから君は屋上から飛び降りようとしたんだ」
「…………」
「違うかい?」
「違いません」
「よし。ならば私に言えるのはここまでだ。ここから先は君自身が決めるんだよ。もっとも、一度は答えを出しているのだから悩むこともないだろうがね。それにもたもたしていると母君が戻ってきてしまうから、急いだ方がいい」
カウンセラーが立ち上がって手を差し出すと、東条はその手を取った。
それまで人形のようにじっとしていた猫が起き上がり、ベッドから飛び降りると、二人に向かって「にゃー」と鳴いた。カウンセラーは意にも介さない。
「君がお友達の魂に再会できることを祈っているよ」
そう言い残し、背を向けて部屋を出て行こうとする――その時だった。
「相談者を自殺に追いやるカウンセラーか。世も末だな」
誰のものでもない声が部屋に響いた。
カウンセラーが驚いて振り返る。だが部屋には東条の他には誰もいない。
「せっかくだから俺の相談にも乗ってくれないか? うちの会社はそれはもうひどいブラック企業でな。上司のパワハラに後輩のモラハラに、鬱になりそうなんだよ。特に、お前みたいなクズ野郎を相手にしなけりゃならないと思うとな」
誰もいない――いるのは、男を正面から見据えている猫だけだった。
「……驚いたね。ずっとそこにいたのか? 猫に憑依して、この僕を待っていたのか?」
俺はその質問を無視して猫の身体から飛び出し、男の腹に全力の蹴りを叩き込んだ。
殺してしまっても構わない。そう思いながら。




