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ブラックバイトの幽霊  作者: 半藤一夜
【part time-2】蓮花白夜香
20/47

007 仲良く街ブラです

 とは言うものの――

 野に放たれた精霊王と英霊が好き放題はしゃいで大混乱を巻き起こしてニュースにでもなったりしたら俺の監督責任が問われてウリエルに焼かれかねないので、ひとまず二人を尾行して様子を見ることにした。

 原宿の街を生前に歩くことはなかったが、なるほど、若者に人気の街というだけあって、立ち並ぶ店も道行く人も「目立つことこそ正義」というようにカラフルで貪欲で、混沌とした熱気に満ちていた。

 そんな喧噪に、ゆらぎと蓮花の二人は完全に溶け込んでいた。

 外国人の客引きに陽気に話しかけたり、道行く女学生の持つクレープに噛みついたり、露店のアイドルの写真をためつすがめつして黄色い声を上げたりして、存分に楽しんでいるようだった。

 もちろん、実際に人や物に触れられるわけではないので、外国人の客引きは無反応だし、クレープは形を変えることなく、写真が宙に浮くこともない。

 それでも二人は普通に、本当に生きているようにそこにいて、笑っていた。

 しばらく観察しているうち、次第に自分のやっていることが恥ずかしいことのように思えてきて、俺は尾行をやめた。

 子守はゆらぎに任せればいい。俺には俺に相応しい仕事がある。


***


 日中の小学校ほど大人が足を踏み入れるのに躊躇する場所はない。

 本来は足を踏み入れてはいけない場所だ。教師や業者以外の大人が許可なく立ち入ることは建造物侵入罪にあたる犯罪行為だし、過去には物騒な侵入者が起こした悲惨な事件だってある。

 自殺した生徒の調査のためとはいえ、そうそう気軽に入ることはできない……霊体でもなければ。

 蓮花が通っていた学校は、魂が浮かんできた家、つまり彼女の自宅の部屋を物色したらすぐに判明した。学校名とクラス、それだけわかれば充分だ。

 クラスの教室の前まで行ってみたが、授業中だった。さすがに中に入って調べものをするのは難しいだろう。

 時間を潰すため、あてもなく校舎を歩いてみることにした。汗と土が混ざったような独特な匂いが校舎中を覆っている。生徒の甲高い声が遠くから断続的に聞こえてくる。

 小学生の時分のことなどほとんど覚えてないが、それでもその空気は懐かしいと感じた。記憶は風化しても、刻まれた心象風景は意識の奥の方に残っているのだろう。

 小学校とは社会への最初の入り口で、そこで過ごす六年間というのは人生の半分に匹敵する長さだ。世界のすべてと言っても過言ではない。それだけに、そこで自分がどのような立場に置かれるかは命にかかわる大問題となる。

 集団ができれば格差が生じる。自分より立場が上の者と下の者を正しく認識し、自分の立ち位置を確固たるものにすることは、社会的動物である人間の宿命といっていい。

 その過程で歪みが起こった時、「いじめ」が生まれる。

 小学生のいじめなんて、大人から見れば取るに足らないようなものかもしれない。やられたらやり返せとか、親や教師に相談しろとか、嫌なら学校に行かなければいいとか、色んなアドバイスをしてやれるだろう。

 だがそれらはすべて、経験を重ねて〝選択肢〟を身に着けた大人の論理に過ぎない。

 集団の中の個というのは極めてか弱い存在だ。たとえば猿の集団の中で虐げられている一匹がいたとして、その一匹だけで事態を打開することは不可能だ。もし味方がいなければ、身に降りかかる理不尽に耐え抜くしかない。いつ終わるともしれない冬の時代を、身を縮こまらせて、死んだようにやり過ごすしかないのだ。

 もちろん人間と猿を同列には扱えない。長い歴史の中で築き上げてきた社会制度によって個人の人権は保障されているし、他の集団に移る自由も、いざという時のライフラインだってある。環境さえ整っていれば救われる道は十分にある。

 そう――環境さえあれば。

 残念ながら救いの手が届かない者は確実に存在する。それが子供であれば尚更、攻撃への耐性も、自ら選択する力も持っていないのだから。

 蓮花白夜香は、学校という組織の中で『精霊王』にも『英霊』にもなれず、ヒエラルキーの最下層に落ちた。環境も彼女の味方をしなかった。

 すました顔をしていたが、彼女の胸中にあるものは計り知れない。

 たった十年で自らの人生の幕を下ろした心情を理解することなど、誰にもできはしない。


 階段を下りていると、階下で扉が開く音がした。

「ありがとうございました」

 階段を下りてすぐ右側にあるその部屋から出てきたのは、一人の女子児童だった。蓮花と同じくらいの歳に見える。

 その表情は昏く沈んでいた。

「君が正しいと思うことをやるべきだと私は思うよ。もし悩むことがあればまたここにおいで」

「――はい」

 室内から聞こえてくる誰かの言葉に短く答えて、扉を閉める。

 部屋の表札を見ると『カウンセリングルーム』とあった。俺の時代はそんな気の利いたものはなかったが、最近では児童の心のケアのために専門家を置いている学校も多いと聞く。

 と、そこで気付いた。

 蓮花はつい数時間前に自宅で首を吊ったのだ。学校にはもう連絡が行っているはずで、全校生徒とは言わないまでも、彼女のクラスメートや近しい友人には彼女の死が伝わっていてもおかしくない。

 とすると、今カウンセリングルームから出てきた女子児童は、もしかすると蓮花の件で来ていたのだろうか。

 確認するため、後を尾けることにした。クラスメートであれば俺の下りてきた階段を昇って五年三組の教室へと戻るはずだった。

 だが彼女は廊下をまっすぐに進み、突き当りにある方の階段を昇り始めた。

 これでは遠回りになってしまうから、違うクラスの生徒か。蓮花の件とは無関係だったのかもしれない。

 念のため後をついていくと、その女子児童は迷いのない足取りで階段を昇り続け、ついには最上階に到達した。

 屋上へと続く扉の前で立ち止まっているその姿に、さすがに不審さを感じる。

 カウンセリングを受けるほど精神的に参っているから、一人になれる場所を望んで屋上へ来たのだろうか。だが学校の屋上には生徒が自由に出入りできないよう鍵がかかっているはず――

 ガチャリ。

 少女がノブを回すと、扉は何の抵抗もなく開いた。

 馬鹿な。生徒の安全に配慮すべき学校で、屋上への扉が開けっぱなしになっている? それもつい先ほど生徒が自殺したばかりで、いっそう注意をしなければいけないこのタイミングで。

 開け放たれた扉の向こうには憎らしいほどの青い空が広がっていた。

 女子児童は吸い込まれるように、ふらふらとした覚束ない足取りで屋上に歩を進める。

 その時点で俺の脳内センサーは最大音量でアラートを鳴らしていたが、後を追って屋上に出た俺の視界に〝そいつ〟が見えた瞬間、疑念が確信に変わった。

 俺が地面を蹴ったのと、女子児童が金網のフェンスに手をかけたのは同時だった。

 ――飛び降りようとしている!

 辺りを見回すが、俺の『視えざる指』で物理干渉できそうな物は見当たらない。金網を倒して動きを封じるか? いや、それでは一時しのぎにしかならないし、危険すぎる。

 そうしている間にも少女はフェンスをよじ登り、今にも乗り越えようとしていた。

「ドク! 手を貸してくれ!」

 俺は上空からこちらを見下ろしているドクに叫んだ。

「やあキタロー、よく会うね。ゆらぎちゃんを一人下に残して来るなんて、君は屋上愛好家か何かなのかい?」

「この子が飛び降りるのを止めてくれ!」

 するとドクは両手を大きく広げて肩をすくめる仕草をした。

「どうして自殺者を裁く法廷部の私が自殺を止めなくちゃならないんだい? 私はその子が飛び降りるのを待つためにここに来たっていうのに。野生動物を乱獲してきた人間が絶滅危惧種の保護を謳うのと同じくらい矛盾しているよ」

「御託はいい! 後で説明するから、頼む!」

「それじゃ通らないと言っているのさ、キタロー。私と君は確かに友人関係ではあるけれど、正当な理由なく使命から逸脱して君に助勢するわけにはいかないよ」

「だから――」

 正当な理由なんて、そんなもの――

 いや、俺がゆらぎに言ったことじゃないか。

 正当な理由なくわめくな、と。

「まさか、ガブリエル様から直々に依頼された行方不明の使徒探しのために不審な自殺の調査をしていて、君がうちのロリエルから身柄を引き受けた子供の自殺と関係しているかもしれないその子を生かしたまま泳がすために自殺を止めようとでもいうのかい?」

「百点満点だ!」

「そういうことなら仕方がないな」

 ドクが胸ポケットから万年筆を取り出し、空中に円を描いた。

 少女はすでにフェンスを乗り越え、屋上の縁に立っている。

中位三隊力天使(デュナミス)が一人、調停の天使ドキエル。父の御名の下に無血を導く者なり」

 ドクが万年筆を振ると、二つの光輪が出現した。ひとつは少女の前に、もうひとつは俺の目の前に。

 女子児童の足が地から離れる。

 何もない空間に向かって倒れ込むように、その身を宙に投げ出した。

「天地は一の揺蕩う海。叡智の理法によりて時空の扉を開かん――『流転の楽園(エデンズ・ノーウェア)』」

 光輪の輪が広がり、投げ出された少女の身体を通過する。

 サーカスの火の輪くぐりのように輪をくぐった身体は、空間を飛び越え、俺の前に展開したもうひとつの光輪から飛び出してきた。

 地面に叩きつけられる前になんとか抱き止める。

「やあ、ナイスキャッチだね」

「……いや、ナイスボールだ」

 万年筆型の神具『剣より強き(マイティ・ワン)』により発動するドクの固有神技のひとつ、『流転の楽園(エデンズ・ノーウェア)』。

 複数の光輪を出現させ、通過した物質を別の光輪に転移させる空間操術だ。逃げようとする霊を強制的に連れ戻すために編み出したという、いかにも面倒くさがりのドクらしい技だが、この場面ではこれ以上なくおあつらえ向きだった。

「悪い、助かった」

 ドクはふわりと屋上に降り立つと、やれやれと首を振った。

「まったく、君は私の仕事を奪うことを生き甲斐にしているのかと疑いたくなるよ。詳しい話を聞かせてもらえるんだろうね?」

「ああ。だが――」

 話も何も、こいつの場合すでに全部知っているんじゃなかろうか。ロリエルとの一件もすでに耳に入れているようだし、相も変わらずの地獄耳だ。

 女子児童は気を失っていて、俺にしなだれかかるようにしていた。小さな呼吸のリズムが伝わってきて、その身体を強く抱きしめる。

「君もロリエルかい?」

「俺がロリを得て喜んでるみたいに言うな。お前の同僚だろうが」

 少女の身体を静かに地面に横たえる。

 たった今自殺を図ったとは思えないほどに、それは安らかな寝顔だった。

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