005 ついカッとなっちゃいました
俺が少女を苦手としている理由はいくつかある。
まず、いい歳をした男が女児に接近することに対する倫理的抵抗感。これは周りの目を気にしているだけなのだが、しかし「少女の相手をするのは大得意です!」と豪語する成人男性がいたら多くの人は警戒するか通報するだろう。世知辛い世の中、自己防衛のためにも必要な意識だ。もっともこれに関しては霊界では気にする必要はないのだが、染み付いた意識はそうそう治らない。
もうひとつは、子供自体が苦手なのだ。あの無邪気な瞳で見つめられると、やましいところがあるわけでもないのに、どこか後ろめたさを感じてしまう。真っ直ぐに視線を受け止めることができない。それでいて「子どもの前では大人らしくあらねば」という出所不明の義務感にも苛まれるのだからたまらない。
それでも、男児であれば同性の強みで話を合わせることもできるのだが、女児となると何を考えているのか、どう接すればよいのか想像もつかない。
故に苦手。
そしてその苦手な存在が今、目の前で怯えた顔を俺に向けていた。
「お嬢さん、名前はなんと言うのかな?」
会心の営業スマイルでそう質問をすると、照れてしまったのだろう、その少女は慌ててゆらぎの後ろに隠れてしまった。
「もうセンパイ、そんな変な顔したら怖がっちゃうでしょ!」
「こわ……え?」
「ごめんね、このおじさん根は悪い人じゃないの。根が暗いだけなの」
「おい?」
「大丈夫、お姉さんが守ってあげるから。お名前、教えてくれないかな?」
ゆらぎがしゃがんで少女と目線を合わせ、優しく問いかける。
怖いおじさん呼ばわりに対する不服と、〝ゆらぎがいてくれて助かった〟という初めての感情がミックスされた複雑な思いで眺めていると、小学校高学年くらいと思われるその少女の霊はおずおずと口を開いた。
「さやか……蓮花白夜香です」
***
時は十分ほど遡る。
「はあー、今日もなかなかの成仏日和ですねえ」
「成仏したこともないお前に何がわかる」
「センパイもでしょ」
雲一つない快晴。数多の動詞の後ろに「日和」とつけられる好天であることは確かだったが、しかし「成仏」がそこに含まれるのかは疑問である。そもそも天候で成仏するかどうかを左右されてはたまらない。
「逆ですよ。この世とサヨナラする日なんですから、天気くらい良い日にしたいじゃないですか」
ゆらぎはそんな風に言い返してくる。
つい先ほどゆらぎと二人である中年男性の浮遊霊を成仏させたのだが、彼は病気の母を残してきたことをしきりに悔いていた。その身の上話に感じるものがあったのかもしれない。
「あっ。センパイ、あそこ!」
ゆらぎが指を伸ばした方角に目をやると、住宅街から青白い光が昇ってくるのが見えた。
「魂魄だな。死にたてほやほやだ」
様子を窺っていると、青白い光は徐々に形を変えていった。手、足、頭。やがてそれは人間の形になっていった。そのまま昇天せずに生前の姿に変わるということは、浮遊霊、つまり俺たちの客だ。
髪型や服装などの細部が再現されるにつれて、死んだのが十歳かそこらの少女だと判別できるようになっていった。白いブラウスにチェックのプリーツスカートという女の子らしい服装で、ふわふわと漂いながら不思議そうに周囲を見回している。
子供の浮遊霊か……骨が折れそうだな。
「ちょうどいい、OJTといこうか。ゆらぎ、お前が一人で対応してこい」
「えっ。センパイ、もしかして子供が苦手だから私に押し付けようとしてません?」
「心が読めるのかよお前は!」
俺のウィークポイントに関する勘が鋭すぎる。
と、その時だった。
子供の霊の近くの空間が白く光ったかと思うと、一人の天使が現れた。ピンポイントで飛んできたということは、目当てはあの子供の霊だろう。
様子を窺っていると、天使は一方的に何かを告げており、対して子供の霊はきょとんとした顔で天使を見ていた。
「あの天使、同業者さんですよね。こうしちゃいられません! 見ててくださいよセンパイ、この成仏促進課期待のニューフェイスゆらぎちゃんがスマートに成仏させてきますから!」
「あ、ちょっと待て」
「いざ成仏!」
俺の制止を聞かず、ゆらぎは妙なかけ声とともに意気揚々と飛んで行ってしまった。事情が変わったから伝えようとしたのに、話を聞かない奴だ。
天使のつけている赤色の腕章。あれはドクと同じ法廷部の職員のものだ。
つまり、あの子供は……
「だーかーらー!」
腕を振り回して喚くゆらぎの声が届いてきた。天使は聞く耳持たんとばかりに首を横に振っている。
明らかに揉めていた。
スマートとかいう言葉を口にしてから一分も経っていない。何が期待のニューフェイスだ。
「おい、やめろゆらぎ」
見かねて止めに入る。
「だってセンパイ、この人いきなりこの子を……」
少女がすぐ近くで聞いていることを配慮してか、ゆらぎはそこで言葉を切ったが、その先は聞かなくてもわかる。
法廷部が出てきたということは、つまりこの少女は自殺をしたのだ。そして現れたこの天使の手によって、即時破魂処分に付されようとしている。それはジェネシスのルールに則った真っ当な処分であり、この天使はただ自分の任務を遂行しようとしているだけだ。
ゆらぎはそれに抵抗しているのだ。
赤い縁の四角眼鏡をかけ口髭を生やした伊達男といった風情のその天使は、鬱陶しそうに俺とゆらぎを交互に見てきた。
「回収セクターのアルバイトか。どういう了見でこの私の邪魔をするのだ」
「いやすまない、俺たちは」
「貴様がこいつの監督者だな。この言葉の通じないエテ娘をなんとかしろ」
「どっちが分からず屋ですか! こんな小さい子供を相手に、ろくに話も聞かないで××しようなんて、それでもあなた天使ですか! あなたの血は何色ですか! 気取った眼鏡かけてるくせに、やってることがみみっちいですよ!」
ゆらぎは怒りが収まらないようで、まごうことなき天使を相手に喧嘩を売り続けていた。ちなみに××の部分はペケペケと発音していた。苦し紛れの伏字なんだろうが、伏せることでむしろ不穏な印象を与えてしまっている。
「貴様……この眼鏡がなんだと? もう一度言ってみろ」
思わぬところに引っ掛かったようで、天使が気色ばんだ。
「何度でも言いますよ! そんな派手な眼鏡してる人は自意識過剰のナルシストです! それに似合ってないし! そのツーブロックも口髭もあんまり似合ってないし! なんでも流行に乗っかればいいってもんじゃないんです!」
批判がいつの間にか辛口ファッションチェックに変わっていた。
ゆらりと……男の天使がゆらぎの方へと歩み出した。真っ赤な額には導火線のように血管が浮かんでいる。
「やめろ馬鹿。ファッションセンスに口を出すのはただの失礼だ」
似合ってないのは事実だが。
「でも、人の内面は外見に出るって言うし……」
「立場を弁えろと言ってるんだ。お前の主張はただの感情論で、この場においては不適切極まりない。そうやってわめき散らす正当な理由があるんなら聞くが、ないなら黙っていろ。あと、その前に謝罪だ」
ゆらぎは口をぱくぱくさせていたが、反論を諦めたようで「ごめんなさい……」とうな垂れた。その顔には理不尽に対する悔しさが滲んでいる。
まったく、なんでこんな面倒なことになっているんだ。
「ふん、まったく訳の分からんことばかりぬかしおって。男、貴様の教育が足りんからこうなるのだぞ」
ゆらぎの謝罪でなんとか矛を収めた天使が俺に言ってくる。
「ああ、申し訳ない」
「わかったならそこをどけ。仕事の邪魔だ」
「悪いがそれはできない」
ゆらぎが驚いたように顔を上げ、男の天使が眉をしかめた。
「……聞き間違いか? 私は〝どけ〟と言ったのだが」
「俺は〝それはできない〟と言った。この浮遊霊は俺たちが担当させてもらう」
俺の言葉に男は、再び額に導火線を浮かべて怒りを爆発させた。
「貴様も立場が理解できておらんようだな! いいか、これ以上邪魔をするなら業務妨害どころか背任行為とみなすぞ。ミカエル様の手を煩わせるまでもない、この場で私が処分してくれる!」
次の瞬間、男の全身がまばゆい光に包まれた。
「きゃっ!」
少女が小さく悲鳴を上げてうずくまり、ゆらぎが庇うように抱きすくめる。
男は、かっちりとしたスーツ姿から、茨の冠と赤い衣を身にまとった本来の姿に変身していた。天使の執行形態――わかりやすく言えば戦闘モードだ。
「下位三隊権天使が一人、法の天使ロリエル。父の御名の下に審判を下す者なり」
周囲の霊圧が急激に上がっていた。こうなると身動きを取ることすら難しい。
「これが最後の警告だ。五秒以内にここから消え失せろ」
男が頭上の茨のトゲを引き抜くと、それは光り輝く剣へと姿を変えた。その切っ先を俺とゆらぎの方へ向けてくる。
有無を言わせぬ雰囲気……恐らく俺たちの説得など聞く耳持たないだろう。法廷部の天使は、良く言えば厳格、有り体に言えば融通の利かない石頭タイプが多い。業務性格上そういう性質の者が集まるのだろう。ドクは数少ない例外だった。
つまり、違うやり方で訴えかける必要がある。
……ああ嫌だ。最近本当にろくなことがない。
「まあそういきり立たないでくれ。勘違いしているようだが、俺たちは正式に勅命を受けてここにいるんだ」
「貴様らが勅命を? この期に及んでたわけたことを」
ロリエルは口の端を歪め、剣の柄を握り直した。
「嘘じゃない。あんたも法廷部なら知ってるだろう、近頃不審な自殺者が増えているという話を。俺たちは営業部と連携してその件に関連する調査に当たっていて、その子供の霊もその対象なんだ。それもガブリエル様からの直々のご用命でな」
「ガブリエル様だと? 貴様、もしそれが私を欺くための偽りなら――」
「嘘だと思うなら営業部に問い合わせてくれ。すぐに回答が得られるはずだ」
危険な賭けだった。もし本当に問い合わせられたら嘘だとばれ、沙汰を待つまでもなくこの場で処分される羽目になる。いや、完全に嘘というわけではないのだが、ガブリエルから正式に依頼を受けたわけでもない以上、その場しのぎの虚言で天使を謀ったと判断されてもおかしくない。
だが、俺の自信ありげな顔にロリエルは黙り込んだ。やがて「ふん」と鼻を鳴らすと、執行形態を解いて元のスーツ姿へと戻った。
「いいだろう、そこまで言うなら疑うこともあるまい。そこな自殺者の対応は成仏促進課のアルバイトに一任したと上に報告しておく。それでよいな」
「もちろんだ」
余裕の笑みを崩さないよう注意しながら軽い口調で応える。
それでようやく、張り詰めていた空気が弛緩した。
「うちの新人が無礼を働いてすまなかったな。ドキエルによろしく伝えてくれ」
「ドキエルに? どういう関係だ」
「ただの飲み仲間さ」
「……貴様の名を聞いておこう」
「俺か? 俺の名は――天草四郎、時貞」
ロリエルは疑いを見せる様子もなく、もう一度「ふん」と吐き捨ててから光を身にまとい、姿を消した。
薄氷の上を渡るような十分間がこうして過ぎ。
そして現在に至る。




