004 センパイは女たらしです
「たらいまー! あ、ドキエルさんだ!」
まだ酔いが醒めておらずハイなテンションのゆらぎがオフィスの扉を開けると、テトラと、また遊びに来ていたらしいドクの二人が立ち話をしていた。他の職員は出払っているようで誰の姿も見えない。
「お帰りゆらぎちゃん、それにキタロー。パーティはどうだった?」
「疲れた。浮遊霊の相手をしている方がよっぽどマシだ」
「おうおう、そりゃねーじゃろアニキ。こっちはただでさえ総会の準備を手伝わされてヘロヘロなのに、アニキたちが遊びに行ってる間の雑用まで押し付けられたんだぜ」
テトラが恨みがましい目で見てくる。元ヤクザだが、童顔のためまったく凄味を感じない。
悪いな、と土産に包んできた寿司折を渡すと、テトラは途端に機嫌を直したようで、「死んで以来のシースーじゃ!」と包みを破くが早いか寿司を口に放り入れた。迂闊な奴め。
「これがキタローたちの国の料理か。うん、なかなかイケるね。白ワインと相性がよさそうだ」
俺が仕込んだ大量のわさび入りの寿司に当たったテトラが悶絶しているのを尻目に、ちゃっかり大トロを口に運んだドクが鞄からワインボトルを取り出す。
ドクは天使には珍しい美食家かつ愛飲家であり、仕事終わりに馴染みのバルに誘われて付き合うことがよくあった。
「よそのオフィスで堂々と飲むなよ。まだ仕事中なんだろ」
「つれないことを言うね、君たちはしこたま飲んで食べてきたくせに。まあ確かに仕事中だけど、休憩がてら一杯くらいいいだろう。今日もこの後まだひと回りしてくる予定なんだ」
と、白ワインを注いだグラスをくるくると回しながら言う。
「まだ忙しいのか? 例年ならそろそろ繁忙期も終わる頃だろう」
「そのはずなんだけれど。最近不審な自殺が増えていると前に言っただろう? 法廷部もとうとう重い腰をあげて原因調査に乗り出したってわけさ」
「ってことは、自然増ではないと判断したのか?」
「まだわからないけれどね。問題は、本来であれば自殺しないタイプの人間の自殺が増えているってことなんだ」
「自殺しないタイプって、んなもんあるんか?」
わさびの衝撃から回復したらしいテトラが話に加わってきた。ちゃんと全部飲み込んだらしい。偉いな。
「正確にはタイプというより属性かな。いじめの加害者やブラック企業の社長、子を虐待していた親など、言ってしまえば〝自殺する側〟ではなく〝させる側〟の人間の自殺が増えているんだ」
「自殺をさせる側……」
「実際に話を聞いても皆が皆、『自分は生きている資格がない』の一点張りだ。おかしいだろう? 他者を蔑ろにする人間ほど『自分は悪くない』『自分だけは死にたくない』と言うものだ。それがある日突然罪を悔いて自殺するものだから、うちの異常検知センサーに引っ掛かったというわけなのさ」
話を聞いても、俺には特段それが異常なことには思えなかった。
ドクが属性と言い直したのは正しくて、人間は誰しもが加害者にも被害者にもなる素質を備えている。いじめっ子がある日を境にいじめられる側に回ることは珍しくない。運命を決めるのはその時の環境や人間関係だ。
だが法廷部がそう判断したということは、そういった事情を踏まえた上で尚、不自然な自殺だったということだろう。
そこで俺は先ほどガブリエルから聞いた話を思い出し、ドクに話した。
「――ふうん。自殺を抑止する役割でもって下界に遣わされていた使徒が行方不明か。それが自殺事件の増加の原因なんじゃないかと、そういうことかい?」
「ただの思い付きだけどな」
ドクは興味深そうに思案していたが、やがて首を振った。
「確かにそれも自殺が増えている一因かもしれないが、残念ながら今回の件とは無関係だろうね。自殺しそうな人間を止めることと自殺しそうにない人間が自殺している事実の間に関連性が見出せない」
まあ、そうだろう。そうそう都合よく様々な物事が繋がるはずもない。
寿司を平らげたテトラとドクが残りの仕事を片付けに出て行くと、オフィスには俺とゆらぎだけが残された。やけに静かだと思っていたら、応接用のソファでだらしなく足を投げ出して寝そべっていた。
「おいゆらぎ、起きろ」
「なんですかあ、蘇我入鹿さん。信長を泣かせた話、また聞かせてくださいよう。えへえへ」
うわ、めんどくさ。
「場の雰囲気だけでよく泥酔できるもんだな。酔った経験もないくせに」
「センパイ、おモテになるんですねえ」
むくりと起き上がり、急にそんなことを言ってくる。完全に目が据わっていた。
「なに言ってんだお前。水飲んでもう帰れ」
「証拠は挙がってるんですよ。ガブちゃん様に抱きつかれて鼻の下伸ばしてたし、会場抜け出して女の子と遊んでたってゆーし!」
「勝手にガブちゃん様とか呼ぶな。あれでも熾天使だぞ」
「センパイはああいう可愛いタイプの子が好きなんですか?」
と、じっとりとした目で俺を見上げてくる。
木霊ゆらぎ、享年十七歳。そういう話が好きな時期なのかもしれないが、幽霊の恋バナなんてこの世でもっとも不毛な会話のひとつだろう。
「すまんが、そういう話はやめてもらえないか」
「あれ、もしかしてこういう話苦手です?」
「違う。これはできれば言いたくなかったんだが……実は俺、ここで働くにあたってウリエルに去勢されたんだ。それが条件だと言われてな」
「去勢!? それってあの、アレをコレするっていう……?」
「いわゆる宦官ってやつだ。おかげで髭も生えないから楽でいいんだが、そういう話を聞かされると色々思い出してな……辛いんだ」
「そうやって嘘ばっかりついてるといつか暗殺されますよ」
「もう死んでる」
どうせまたすぐに信じると思ったのだが、例の一件から俺の噓に警戒しているらしい。はぐらかされて不満なのか、口を尖らせてソファに突っ伏してしまった。
まったく、あれがチヤホヤされているように見えたのなら呑気もいいところだ。こっちはウリエルにミカエルにガブリエルと四大熾天使のうち三人と渡り合い、わけのわからん少女に拉致され酔っ払いの後輩に絡まれ、モテるどころか完全に女難の一日だった。
やはりパーティなど行ってもろくなことがない。




