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ブラックバイトの幽霊  作者: 半藤一夜
【part time-1】木霊ゆらぎ
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012 たったひとつの冴えないやり方

「テトラ、やれ」

「ういっす」

 無理やり引きずられて来たらしく、苦い顔をしてウリエルの後ろに控えていたテトラが、ウリエルに指示されて木霊冬美に近づこうとする。

 俺はテトラの行く手を塞ぐように立ちはだかった。

「邪魔すんなキタロー。そこどけ」

 ウリエルが射殺すような目で睨んでくる。それだけで成仏してしまいそうだった。

「どきません」

「邪魔だ、どけ」

「お願いです、話を」

『どけ』

「な――!?」

 気付くと俺はテトラに道を譲っていた。強制的に後退させられたのだ。

 これは……ウリエルの神技、『三令』か。

 以前にドクから聞いたことがある。ウリエルが同じ命令を三度下すと、命令を受けた者は魂を拘束され、服従せざるを得なくなるのだと。その強制力は絶対であり、主天使クラスのアズラエルでさえ逆らうことはできない。そもそも二度もウリエルの命令を拒否する者がいないので実際に見たのはこれが初めてだが……まさか自分が食らうことになるとは。

 木霊冬美にはテトラもウリエルも見えていないから、看護師がいきなり独り言を言い出したようにしか見えないだろう。もっとも彼女はうずくまったまま目を閉じて娘との交信に集中しており、こちらの異変には気付いていないようだった。

「待ってください!」

 なんとか声を絞り出す。

 ウリエル自らがテトラを連れてここに来た理由はひとつしか考えられない。木霊ゆらぎが悪霊認定を受けたのだ。だが、何故?

「こいつには滞留勅許がある! 悪霊認定は保留されているはずです!」

「寝呆けてんのか? あれは何してもいいって免罪符じゃねえ。あたしは生きてる人間の命を脅かしていいなんてひと言も言ってねえだろうが。いいからてめえも早くその体から出やがれ」

 低い声で威圧してくる。ウリエルは明らかに怒っていた。

 仕方なく憑依を解く。我に返った看護師は目をぱちくりさせていたが、「え、ちょっと何これ!?」と大いに動揺を見せた。

 憑依されている間の記憶は人間には残らない。彼女からすれば、廊下を歩いていたら突然部屋の中に移動し、拘束されていたはずの患者が胸を抑えてうずくまっているのだから、驚くのも当然だった。

 ひとしきり慌てふためいた後、看護師は病室から飛び出して行った。応援を呼びに行ったのだろう。

 俺は往生際悪く抵抗を試みる。

「こいつが憑依しているのは自分の心臓で、相手は母親です。危害を加える意思はない。俺が許可したことだし、俺が責任をもって見届けます」

「責任? 笑わせんなよキタローちん、お前が取れる責任なんて尻を拭く紙にもならねーよ。お前が何しようとしてるかくらいこのウリエル様にはぜーんぶわかってんだ。わかってて言ってんだよ。もしお前が正しいことをしてるんなら、悪霊管理部の連中が何を言おうとあたしが止めてやる。けどな、そいつはやり過ぎだぜ。自分の心臓だからノーカンなんてガキみてえな屁理屈が通用するわけねえだろうが。お前は女々ったらしい感情に左右されねえ奴だと思ってたんだけど、あたしの見込み違いだったか?」

 自分の甘さに反吐が出そうだった。こうなることくらい予想できたはずなのに。

 組織の論理に従わなければ意を通すことができないことくらい知っていたはずなのに、自分の感情だけで突っ走った挙句がこのザマだ。

「……お願いです、もう少しだけ待ってもらえませんか。もう少しで全部終わるんです。俺が直接悪霊対策部に話をつけます。そうすればこいつに危険がないことはわかってもらえるはずです」

「てめーは神か?」

「は?」

「神じゃねーならあたしの前に立つな。――ハルマゲんぞ」

 ウリエルの目が怪しく光る。

 部屋ごと押し潰してしまいそうな強烈な霊圧に、口を開くこともできない。三度の命令も必要なかった。

「すまねーなアニキ」

 テトラがバツが悪そうに呟くと、床にへたり込んでいる木霊冬美の胸に手をかざし、そのまま木霊ゆらぎの魂を引っ張り出した。

「あっ、あれ?」

 元の姿に戻った木霊ゆらぎは、事態に気付いていなかったようで、ウリエルたちを見て口をぽかんと開けていた。両目が真っ赤に腫れている。

「ようお嬢ちゃん。初めまして、そいでサヨナラだ。四台熾天使が一人ウリエルの名において滞留勅許は現時点で無効、即刻法廷送りとする。この場で消されたくなきゃ大人しくついてきな」

 ウリエルの言葉に顔を硬直させ、次に俺を見る。

「すまない。俺のせいだ」

「入鹿さん……」

 ただ謝るしかできない。

 話はできたのだろうか。伝えたい言葉は、気持ちは、伝えられたのだろうか。

「ゆらぎ! 行かないでゆらぎ! ゆらぎ!」

 ゆらぎとの接続が切れたことに気付いたようで、冬美が自分の心臓に向かって呼びかけ続けていた。

「ついでにお説教させてもらうけどな、キタローちん」

 硬直したままの俺を見下ろしながらウリエルが言う。

「その嬢ちゃんのやったことは絶対的に〝悪〟なんだよ。命ってのはその人間だけのもんだ。それを勝手に他の奴にくれてやろうなんておこがましいにも程がある」

「それは……この世界の理屈でしょう」

「違うな。あたしは人間の理屈を理解はできねーが、知ってはいるんだよ。人間の視点から言ってもその嬢ちゃんは罪深いことをした。我が子の命を押し付けられて喜ぶ親がいるか? その嬢ちゃんは逃げたんだよ。母親の病気を言い訳にしてな。そのせいで母親は苦しんでるんだぜ。他人を生かすためなんかじゃねえ、他人を地獄の釜の底に叩き落とす、もっとも罪深い自殺行為だよ。そんなのは絶対に美談にしちゃいけねー、そうだろ?」

 ここで俺は、木霊のために何かを言うべきなのかもしれなかった。

 だが反論の言葉は出てこない。

 ウリエルの言っていることが正しいからだ。木霊ゆらぎの話を聞いて、俺も同じように思い、同じように憤りを覚えたからだ。

 突き詰めて考えれば、自殺とは手段や目的ではない、ただの結果だ。木霊ゆらぎが最悪の死に方をしたとしても、その時の彼女にしてみたらその選択しかなかったのだろう。なるべくしてそうなった。だから俺はその怒りを木霊ゆらぎにぶつけるつもりはなかった。

 しかし納得はできない。

 木霊ゆらぎは身勝手だった。生きることの苦しみを分かち合ってきた母親に、取り返しのつかない方法で、最悪の復讐をした。

 ウリエルの言う通り、彼女の選択は絶対に間違っていたのだ。

 俺はようやく口を開いた。

「あなたの言う通りですよウリエル様。こいつは間違いを犯しました。それが取り返しのつかない罪だというならそうなんでしょう。だから、これは懺悔なんです」

「あん?」

 ウリエルは首を傾げた。

 きっともう、外野が善だ悪だと言うことに意味はないのだ。

 母親の苦しむ姿を見た木霊が誰よりも理解していて、誰よりも罪の意識を持っているのだから。

 間違いを犯さない人間などいない。間違いを犯したら償えばいい。反省して、取り戻すための努力をすればいい。

 死んでしまってはそれもできないが、木霊ゆらぎにはまだ機会が残されていた。

 ならば――償うことはできないにしても、せめて母親に「ごめんなさい」と伝えるくらい、そのくらいの特別扱いをしたって罰は当たらないだろう。

 木霊をここに連れてきた理由はそれだけだった。

「懺悔、ねえ。お前、あたしら天使がその言葉に弱いと知ってて言ってんじゃねーだろな?」

 ご名答。

「とんでもない。あなたに弱点などないでしょう」

「へっ、食えねえ奴。だがあたしは一回やると決めたことは絶対にやるぜ。そいつはこのまま連れてって法廷にかける。……懺悔が済んだらな」

 ウリエルのそのひと言と同時に場の霊圧が弱まる。

 俺はようやく硬直から解けた頭を下げた。

「ありがとうございます」

「うるへー、いいから早くしろ。あたしは忙しいんだ」

 木霊ゆらぎを見ると、彼女も俺を見ていた。

「ごめんなさい入鹿さん。私のせいで叱られちゃいましたね」

 と、困ったような顔で笑う。

「まったくだ。これでも優秀な部下で通っていたのに、評価がガタ落ちだ」

「ごめんなさい」と、頭を下げてくる。

「私なんかのために、ありがとうございました」

「いいさ。仕事だからな」

 多少見苦しいところはあったが、まあ及第点だろう。

 その時、ドタドタと騒がしい足音が近づいて来たかと思うと、病室の扉から四人の看護師が雪崩れ込んできた。

「木霊さん、大丈夫ですか!?」

 心臓を押さえて途方に暮れている木霊冬美を見て、ベテランらしい年配の看護師が血相を変えて駆け寄ってくる。発作ではないことを確認し、二人がかりで冬美を起き上がらせると、ベッドに横たえた。

「看護師さん」

 冬美が、俺が憑依していた若い女性看護師に声を掛けた。

「その、ありがとうございました」

「え?」

「先ほど仰ってくれたことです」

 冬美の言葉に看護師はきょとんとしていたが、年配の看護師からの視線に気づいて慌てて「知りません」というように手を振る。後で説教を食らうかもしれない。悪いことをした。

 冬美は続けた。

「自分の心に訊いてみろと言ってくださいましたよね。それで問いかけてみたんです。ゆらぎの声が聞こえました。ごめんなさい、ごめんなさいって、何度も何度も、泣きながら謝ってきて……だから私も、私こそこんな母親でごめんね、私のところに生まれてきてくれてありがとうって……私、確かにあの子と話をしたんです。この心臓はあの子のものだから。だからあの子はきっと、ずっとここにいるんです」

 冬美はもう落ち着きを取り戻していたが、それでも最後の方は声が震えていた。

 やり取りを聞いていた木霊ゆらぎが、涙を拭って立ち上がった。

「……なんだ、もう話は済んでたのかよ」

「はい、ちゃんと言えました!」

 その表情にもう迷いはなかった。〝憑き物が落ちた〟とはまさしくこのことだろう。

「未練はないか?」

「はい――本当にお世話になりました、入鹿さん」


***


 ――成仏管理課、日影亀太郎。要鑑識対象「木霊ゆらぎ」の自殺に関する詳細調査業務完了。マルシキの身柄は法廷部に引き渡し済み。意見書を添付する。


 深夜のオフィス。

 報告のメールを送信しながら、自分がどんな処分を受けるのかを想像して、俺はこの世の終わりのような深い溜息をついた。

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