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ブラックバイトの幽霊  作者: 半藤一夜
【part time-1】木霊ゆらぎ
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001 死後、こき使われる

「宝くじで五十万当たったばかりなんだぞ! まだ全然使ってないのに!」

 気にするな、たとえ一億当たったところで命は買えない。


「童貞のまま死にたくない! せめて成仏する前に一回だけでも……!」

 死んだ奴には子種は残せない、つまり性交渉の必要はない。


「来週握手会があるんです! どうせなら翼くんの笑顔を見てから死にたい!」

 生憎だがあんたに微笑んだのは死神だけだ。


 今日も今日とて死んだ者たちは、未練とも言えないような些細な事柄に後ろ髪を引かれて現世にしがみつこうと必死だ。必死というか、もう死んでいるのだが。

 生きていた頃は人間関係やら将来への不安やらで頭を悩ましていたはずなのに、いざ死んだとなると輝かしい未来ばかりを信じたくなるらしい。

 だがありのまま伝えたところで反感を買うばかりで逆効果にしかならないことをこれまで嫌というほど思い知らされてきた俺は、百貨店の熟練店員ばりのスマイルを顔に貼り付け、猫撫で声を作り、それでいて威厳のある〝それっぽい〟雰囲気を醸しながら優しく案内してやるのだ。


 ――ご安心を。お金などに振り回されることのない永遠の安息があなたを待っています。

 ――大丈夫、性行為など比較にならない充足感が得られるでしょう。

 ――お察しします。ですが次の人生を始めれば、きっとまた翼くんに会えますよ。


 だから成仏しましょう、と。

 心にもない言葉を、心を殺して吐き続ける。

 殺すまでもなく、死んでいるのだが。


***


「やあキタロー、調子はどうだい?」

 本日三人目の浮遊霊の魂を回収したところで、偶然通りかかったらしい赤い腕章の天使が声を掛けてきた。

「ドクか。法廷部のお前がここにいるってことは、また自殺か?」

「そんなところさ。どういうわけか最近やたらと数が多くてね、辟易しているんだよ。君がうちに来てくれたら人材不足も少しは改善されるのだけれど」

 そう言って、雪のように白いロングストレートの髪をかき上げて嘆息する。

 元人間の浮遊霊である俺と違い、このドクことドキエルは生粋の天使だ。宗教画に描かれているようないかにも天使らしい出で立ちでこそないものの、上下黒のスーツと髪や肌の白さとの対比は人間離れして美しく、洗練されて見える。スタイルの良い美人は何を着ても似合うものだ。

 さらにドクの場合、ぴっちりと身体のラインが出るタイトなシャツを着崩しているので、髪をかき上げる仕草もいちいち悩ましい。同僚の浮遊霊であるテトラが「紹介しろ」としつこく言ってくるのも無理のない話だった。

「そういう話なら俺じゃなく上に掛け合ってくれ。うちだって万年人手不足だから、他に人員をまわす余裕はないだろうがな」

「それに、君の親分が君の異動を認めてくれるとも思えない」

「だろうな」

 素っ気なく答えると、ドクは肩をすくめてみせる。

 まあ今の仕事にこだわりがあるわけでもないのだが、法廷部なんて堅苦しい部署で働くのは御免こうむりたいのでその方が有難い。

 適当なところで雑談を切り上げて行こうとした俺の背中に、「そうそう」と言葉を投げてきた。

「今私が手掛けている案件、もしかしたら君のところにいくかもしれない」

「うちに? ってことは、〝マルシキ〟か?」

「これからその確認をしに行くところだけど、恐らくね」

 こいつの「恐らく」が外れたところを見たことがない。そして厄介事であれば十中八九俺の担当になる。

 今週のノルマも大分残っているというのに……また残業続きになりそうだ。

 つまり、しばらく映画が観れなくなる。

 やれやれ。

 足下に目をやると、曙光に照らされた街並みはもう目を覚まし始めていて、車や人間が気だるげに行き交っているのが見えた。

 死んでからも仕事に追われる奴がいるなんて、彼らは思ってもみないだろう。


 循環機構ジェネシス。それが俺の雇い主である組織の名称である。

 その目的はただひとつ、〝魂の円滑な流通〟。

 大半の人間が想像しているだろう天界のイメージとは異なり、ジェネシスの組織構造は人間界の企業に近い。大きく四つのセクターに分かれ、さらにその下に業務内容別の部署に細分化されており、マネージャの指揮命令下で職員が動く。いわゆる階層組織である。

 たとえば――死者の魂を円滑に成仏させる役割を担っているのは〝回収セクター〟であり、中でも特に泥臭い現場仕事を担当しているのが、俺が所属している〝成仏促進課〟である。


 一日のノルマである五人目を成仏させたところで定時を迎え、業務報告のため成仏促進課のオフィスに戻った俺を、予想外の人物が待ち受けていた。

「よ、キタローちん。ちっと頼みたいことがあんだけどよ」

 セクター長のウリエルが俺を見て目を光らせた。

 ドクに言われて覚悟はしていたが、こんなに早いとは。定時を過ぎてから捕まるというのがまた萎える。

「おい日影、なんだそのあからさまに嫌そうな顔は。不敬だぞ」

 いちいち目聡く注意してくるのは俺の直属の上司、成仏促進課課長のアズラエルだ。

 高級そうなダブルのスーツを着こなし髪はサイドを刈り上げたオールバックと、いかにもエリートの風体だが、こいつが机に座ってハンコを押している以外の姿を見たことがない。性格は几帳面、というより融通の利かない堅物で、この間なんか「押印の向きがおかしい」とか死ぬほどどうでもいいことで因縁をつけてきた。正直上司にしたくないタイプである。

「申し訳ありませんウリエル様、こいつ上の者に対する態度がなっておらず」

「細けえこと言うなよアズっち、今どきは風通しのいい職場ってのが大事なんだぜ。あたしは言葉遣いなんざ気にしねえし、仕事さえきっちりこなしてくれりゃ文句はねえよ。確か〝人は宝〟とかって言うだろ、なあ?」

 と、俺に向かってウィンクを飛ばしてくるのが、回収セクターのセクター長にして宗教史にその名を馳せる、天使の最上位階級である熾天使(セラフィム)が一人、ウリエルその人だ。

 すらりとした長身をタイトなブラックスーツに包み、燃えるような赤い髪を揺らして圧倒的な存在感を振りまいている。

 そんな畏れ多い存在から「キタローちん」なんて気安い愛称で呼ばれるのは末代まで語り継がれる偉業と言っても過言ではないだろう。

 ……まあ、自分が末代なのだが。

「マルシキでしょう? ドキエルから話は聞いてますよ」

「おっ、話が早えな! さすがキタローちん、愛してるぜー」

 遠慮も躊躇もなしにハグをかましてくる。

 ウリエルの過剰なスキンシップは日常茶飯事である。拒否でもしたら不敬罪で火炙りになるような気がするので身を任せるうち、次第に慣れてはきたが……油断していると耳を舐めたりしてくるから警戒は怠らない。

 〝智の天使〟なんて異名もあるようだが、実際のキャラクターを知っている俺に言わせれば〝痴の天使〟の間違いじゃないかと思ったり。

「んじゃま、さっそくだけど頼んだぜ。場所とか詳しいことはアズラエルから聞いてくれ。楽な仕事じゃねえけどヘマはすんなよ。したらハルマゲるぞ?」

 ウリエルがたまに脅し文句っぽく使うその造語の意味するところはわからないが、たぶんわかった瞬間には手遅れな類だろう。

「その代わりうまく片付いたらご褒美にチューしてやっから、頑張れなー」

 そう言い残して颯爽と消えていった。

 ご褒美のチュー……。

 まあ正直、悪くはない。悪くはないが、熾天使にキスなんてされた日には〝神の祝福〟的な力が働いて勢い成仏してしまいそうで怖い。

 気を取り直して、仕事の詳細を確認しようとアズラエルの方を向く――と、

「なんでお前ばかり……」

 なにやら恨めしそうな目で俺を睨んでいた。

 どうやらハグとかチューの件か。アズラエルは管理職なので手柄を挙げてウリエルに褒められることがないから、俺に嫉妬しているのだろう。

 アズラエルがウリエルに尊敬以上の感情を抱いているのは見ていればわかるが、俺がウリエルに気に入られているのは権力争いとは無縁の一介の浮遊霊で、命令に忠実に動く従順な部下だからであって、それ以外の理由はない。だから俺を妬む必要なんてまったくないのに、難儀なことだ。

 というか、天使が嫉妬とかするなよ。大罪だろ。

 いっぺん教会で懺悔でもしてこい。


***


 要鑑識対象浮遊霊、通称〝マルシキ〟。

 鑑識というと警察の科学捜査のようなものを思い浮かべる人が多いかもしれないが、やることは実際アナクロもいいところで、対象の霊と接触して詳しい事情を聴取し、場合によっては追加調査を行い、罪の軽重を含めて意見を取りまとめるという、バイトにしては責任も負担も重い仕事だ。

 そしてその対象は、自殺者の霊に限られる。

 魂の円滑な流通を理念とするジェネシスにおいて、自殺は魂を穢す行為として、その理由を問わず罪深い行為とされている。

 自然死や事故死などのケースでは、成仏した魂は一度霊界でプールされた後、新たな肉体のもとへ運ばれる。いわゆる輪廻転生だ。しかし自殺者の場合はそのルートから外れて断罪されることになる。

 自殺の罪とはかくも重い。

 ――ただし、何事にも例外はある。


「あの……あなた、誰です?」


 その例外がマルシキであり、怯えた目を俺に向けているこの娘の霊というわけだ。

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