食らう
ショッキングな描写が続いています。注意してお読みください。
宴は、学校の家庭科室で目覚めた。
頬が濡れ、肺が詰まっているように息苦しい。どうやら泣いていたようだ。
(なんだろう・・・思い出せないけど、すごく悲しい夢を見ていた気がする・・・)
家庭科室の椅子に座ったまま考え込んでいると、兄がやってきた。
「おはよう。宴」
「・・・お兄ちゃん」
「大丈夫か? お前、突然倒れるから驚いたよ」
「・・・え?」
兄は、いつもの兄だった。
彼が言うには、会話の途中で宴は意識を失ったらしい。
宴はどこまでが夢の中の出来事だったのかわからず、兄に尋ねた。
「じ、じゃあ、お腹に注射を打ったのは?」
「は? 俺が宴にそんなことしないって」
「えー・・・」
「えーって何だよ」
刺された部位をさする。まだ針の感覚が腹部に残っていたが、兄がそんなことをするはずがないと思っていた宴は、疑うことができなかった。
家庭科室の奥から、匂いがした。
肉の焼ける、いい匂いだ。
「そうだ。弁当吐いたんでしょ? 俺、反省して作り直したんだ。今持ってくるから」
美味しそうな匂いの方に、兄は消えていく。宴は友人の夢が自分のことを待っていることを思い出し、ここで食事をすることに負い目を感じたが、それも一瞬のことで、すぐに兄の反省に付き合おうと決めた。
兄が料理を運んでくる。どれも肉料理ばかりだったが、あのお弁当よりは何倍も美味しかった。
「今日は俺が悪かったからな。たくさん食べろよ」
「わーい!」
宴は、食べることが嫌いだ。だが、兄の為ならば絶対に食べる。
料理を口に運ぶ。いつも満たされないと思ってた胃が、なぜだか今日は満たされていると感じる。
あんなに食べるのが嫌だったのに、と宴は不思議に思った。理由はわからないが、食事が楽しい。悪寒すら覚えた自分の咀嚼音さえも、この食事では気にならなかった。
おおよそ一時間。大量の料理を、宴は残らず食べた。
「ごちそうさまでした」
「はい。すげー。全部食った」
素直に驚いている兄を見て、宴はこれくらい食べられますと、ちょっとだけ胸を張った。
「美味しかったー。肉料理ばっかりだったけど」
「好きだろ?」
「うん。何の肉使ったの?」
宴の質問に、兄は笑った。嗤って、唐突にこんなことを言う。
「宴、宴はどうやって肉を見分けてる?」
「ん? んー味とか?」
兄の何気ない問いに、どうして寒気がするのだろう。
「鶏肉も豚肉も牛肉も、元々は俺等と同じに生きていたって、知らないやつもいるだろ?」
「・・・そう、なの?」
兄は、さも愉快そうに嗤うと、空の皿に『何か』を置いた。
白い、綺麗な髪が、汚れた皿の上に捨てられている。
「あ・・・」
言葉を出そうと口をはくはくと動かすが、声が出ない。
穏やかに微笑む兄の、優しい、優しい声が聞こえた。
「お友達は美味しかったか?」
「・・・う、あ・・・」
脱力し、膝から崩れ落ちる。兄は、そんな妹を支えることもなく、悠然と語り始めた。
「どうして人は、人を食すのかね。まあ、食わせたのは俺だけど」
何度も口に手を入れ、宴は吐こうと試みたが、胃は取り込んだものを出そうとはしなかった。
「信仰か、それとも愛情か。いずれにせよ、異常なことに変わりない」
宴は、自分がわからなくなった。
空腹が、理性を溶かすように、止まないのだ。
「・・・俺は禁忌を犯した。もう行かなきゃいけない」
兄は、玄朔はナイフを自身の胸に当てた。
「じゃあ、俺はいく。さあ、宴」
「待って、何、するの?」
玄朔は躊躇うことなく、その胸にナイフを突き刺した。
真っ赤な鮮血が、愛する兄の胸から零れていく。
だというのに、なぜ、なぜ、
(――なんでお兄ちゃんを、食べたいって思うの?)
「俺を・・・たべろ」
大好きな、優しい声。
宴はふらつく足で兄に近づくと、腕にかぶりついた。
食欲はあるが、食べるのはきらいだ。
宴は泣きながら、兄を食べた。