お兄ちゃん
ショッキングな描写が含まれています。注意してお読みください。
何者かが、自分を監視している。
これまでに感じたことのない異質な気配に、宴は息を飲んだ。
「・・・誰?」
絞り出した声が、誰もいないはずの部屋に溶けていく。宴は警戒しながら視線の主を探したが、埃っぽいこの部屋には、自分一人だけだ。
「宴、こっちだ」
立ち止まった瞬間、突然背後から男性の声がして、宴は恐怖で飛び退いた。
(なんで? ここには私しかいなかったのに、どうして?)
振り返れば声の正体がわかるのに、首はその正体を見る事を頑なに拒んだ。
一歩、また一歩。知らない何かは、もう宴のすぐ後ろまで迫っていた。
「嫌、嫌・・・!」
耳を両手で塞ぎ、うずくまる。だが未知の生き物は宴に襲いかかることはなく、その手を宴の両肩に置いた。
「おい、大丈夫か? 俺だよ、俺」
暖かい、太陽の匂いがする。宴がためらいながらも顔を上げると、そこには親愛なる兄の姿があった。
「お兄ちゃん・・・?」
張り詰めた緊張が解けていく。あんなに怖がっていたのが嘘みたいだと、宴はほっと息をついた。
「あざみ先生から連絡があったから、お前を探しに来たんだよ」
「夢ちゃんは?」
「・・・待ってる。宴のこと」
穏やかで、安心する声。事態は収束したのかと安心した宴は、ふと兄の顔を見た。
兄の目は、視線こそ宴に向けているものの、青紫色の細い瞳には、一切の情が籠もっていなかった。
彼の目は、いうならば、空だ。
何かを映しているようで、その目は何も映してはいない。
「宴、お弁当、不味かったろ、ごめんな?」
兄の様子がおかしい。手を振り払って逃げろと、頭の隅の自分が叫んでいたが、遅かった。
「お兄、ちゃん?」
腹部に痛みが走る。兄が、太い注射針を腹に突き刺していた。
「今度は美味しいお弁当、作るから」
意識が闇に落ちるさ中、甘く、恐怖すら感じるほどの優しい声で囁いた。
――嫌な夢を、見ている。
夢ちゃんが、調理台に乗っている。
手足は特殊な機械で押さえつけられていて、夢ちゃんは泣き叫びながらもがいている。
「可愛い顔をしているな。どうしてこんなに可愛いのだろう」
知っている声、でも、誰だかわからない。
悲鳴と、嗚咽。夢ちゃんの白い髪が刈り取られる。
めが、えぐられ、うでが、もがれる。
・・・ああ、ちがう。これはゆめちゃんじゃない。ひとじゃ、ない。
あれは白猫。白猫が、人に虐められ、殺されている。
だからあの内蔵も、骨も、あれも、全部猫。猫の死体。
「・・・死んだか」
手が、優しく猫を撫でる。猫の血に染まった、人間の手。
「妹。だからかな。こんなに愛おしくて、切ないのは」
不気味な程の、優しい声。
駄目だ、わかっちゃった。
この優しい声は、これは――




