第4話 曲がり角にて
今回はリアル。つまり日常編のお話です。仮想世界がメインなのに申し訳ありません。
黒井輝は凡人である。
黒井輝という人間がどんな人間であるかという問いがあったとしたら、彼を知る人間はそう答えるだろう。
……この問いの一番悲しい所は、聞く人間もいなければ知る人間もほぼいないというところだが。
実際のところ成績に至っては中の上はキープしているが、それも何かしらのゲームに傾倒した時期とテストの時期が被ったりすれば簡単に下の中くらいに落ちる程度には安定していなければ、人間関係に至ってはコミュ症だけあってまともに話せる人間は一人だけ。
平凡と言うには悲しすぎる立ち位置にいることは置いておくとして、周りからは存在さえ認知されていないのでは? と思うくらいに影も薄い。
「…………」
そんな輝は月曜日の朝、つまり学校へ行かなければならない魔の一週間が始まったことに心底辟易としつつも、いつも通りのステルス性を発揮しながら通学路の隅っこを歩いていた。
じめじめとした日陰が心地いい。
このクソ暑い七月の最中、真ん中を堂々とグループで固まって歩き汗を垂れ流している学生たちをあざ笑うのが輝の唯一の楽しみと言っても過言ではない。影の落ちた日陰から輝は一方的に悪意をぶつけ始める。
やーいやーい。
「……はぁ」
あまりに自分の行動が虚しい物であるかに遅れて気付き、溜息が漏れた。
もう、いっその事なんかとんでもないこと起きないかなー。例えばこの曲がり角から美少女がーとか。
あまりに何事もなさすぎる自分の人生に嫌気が差し、現実逃避するようなノリのまま輝が願ったソレは――まさにその瞬間叶えられた。
『――え?』
重なる声。それは、曲がり角から飛び出してきた女の子と輝が視線を絡めた瞬間の出来事だった。
「あ、だ、だめぇ!」
「――」
あまりに突然の出来事に、輝は疑問の声も上げる間もなくソレが迫ってくる。
ふわりと女の子のものであろう甘い香りが輝の鼻腔を突いた。
徐々に近づくその女の子に対して、逃げることできずについに輝と彼女は――。
訂正しよう。
生身の輝と、高速で動く自転車に乗る彼女は、激突した。
ガッシャーン!
「ぎゃあああああ!? いったぁあああああああ!?」
絶叫。
しかし当たりどころは大して悪くなかったのか、真正面から自転車の体当たりを受け止めた輝は、背中をアスファルトで舗装された地面に強打する痛みだけで終わったが、どうにも目の前の女の子はそうではない模様で……。
「なっ……なぁ!?」
女の子に視線を向けた輝は、本日二度目の大声を出した。
何故ならばそこに居たのは、まるで日本人離れした美貌の持ち主だったのだから。
知っている。
この人を、俺は知っている。
それも当たり前で。寧ろ輝が通う柳仙学園に通う生徒で彼女知らぬ人間は学校に一度も来たことがない不登校ぐらいじゃないかと思われるくらい有名なのだから。
百合ヶ丘百華。
それが彼女の名前。
文武両道才色兼備の才女であり、そのあまりのカリスマ性故に柳仙初となる一年生にして生徒会長になるという偉業を達成した、まるで生まれてくる世界を間違えたとしか思えない輝かしいナチュラル金髪の、ハイスペック美少女だった。
「いっ……づつ……」
苦悶の表情を浮かべながらそう漏らす彼女の声でようやく別世界へと軽く飛びかけてた意識が戻り、慌てて彼女に近づく。
「だ、だだ、だいじょぶれふか!?」
噛んだ。死にたい。
輝の体を張ったギャグに対してなのか、それとも強がりなのか、彼女は苦痛をこらえるようにひきつった笑みを顔に浮かべた。
「ご、ごめんなさっ……ぃ。自転車のブレーキが壊れてた、みたいで、……うッ、ぐ」
「あああ無理しないでく、ください」
一応明記しておくと、この生徒会長と輝は同学年の為かしこまる必要はないのだが、彼女の絶対強者特有のオーラに負けた輝は既に超低姿勢である。
抑えてる足首を見れば、青く腫れ上がっていた。これは完全に捻挫している。下手をしたら骨折しているかもしれない。
この状態で登校なんて無理だ。門外漢の輝にも分かるくらいには、痛々しい怪我だった。
不幸中の幸いというべきか、周りに人気が一切なく、彼女の姿を拝もうとする野次馬がいないことだけがこんなハプニングに巻き込まれた輝にとっても唯一喜べる点だ。もしこれでこんな現場を誰かに、しかも柳仙の生徒に見られていたら……そう思うだけで輝の顔は青褪めた。
「……よし」
輝は少し考え込んでから決意したようにケータイを取り出し、ある場所に電話をかけ、コールを初めて数回。その電話は繋がった。
『はい。こちら柳仙学園です』
「も、もしもし。い、今なんですが、そちらの高校に所属する、百合ヶ丘百華さんという女子生徒が乗る自転車とこちらが正面衝突しまして……」
『ッ』
電話越しに教員の息を呑む音が聞こえた。
当たり前だ。なんて言ったって相手が学校一の看板である百合ヶ丘百華なのだ。教師側も躍起になるだろう。
しかし今の輝にそんなことを付き合う元気も勇気も時間もコミュ力もない。尚元気と勇気とコミュ力は時間問わずして足りていないが。
面倒くさい話になる前に打ち切ろうと、慌てながらも輝が言い募る。
「そ、それで幸いこちらに被害はなかったんですがどうやら女子生徒さんの方が脚を強くひねったのか青く腫れ上がってまして、今から病院の方に連絡を取って送らせていただこうと思ってますので、学校側にも、そっ、その連絡を」
『そ、そうですか。ちょ、ちょっと今担当の教員と変わりますので――』
「あ、いえ。こちらも時間がないので、詳しい話は病院か彼女自身に聞いて下さい。じゃ」
『え、あ――』
ブチッと無遠慮に輝は通話を切り、ため息を吐いた。
久々にあんな文字数喋った気がする。多分、数年単位ぶりに。
自分が事ながら随分省エネに生きてきたなとドン引きしながらも、彼女の事をこのまま放置するわけにも行かずに近づいた。
地面に蹲るようにして脚を抱えていた彼女は、苦痛を堪えながらもこちらの話は聞いていたのか、非常に申し訳無さそうな面持ちだった。
「あ、あの、本当にすみませんでした。後はこちらで救急車を」
「や。ここからなら運んだほうが早いので」
やばい。今学校一の美少女と会話してる俺。
そう思うだけでミクロサイズの輝の肝っ玉は面白いぐらいはねまわっていた。声が裏返ったりしないように感情を押し殺し話すのが輝にできる唯一の対応。
実際彼女が言うとおりそうしても良かったんだろうが、地面に涙目で動けずに座り込む女の子放置して学校とかいけるわけない。精神衛生上的にも。
いくらコミュ症と言えども、それをやってしまえばコミュ症なんて言葉ではすませられないところまで落ちてしまう事になる。人としてどうかと問われるレベルだ。
少し離れた場所で倒れている彼女の自転車を起こし、車輪を回してみると問題なく動いた。これなら大丈夫だろうと、輝は一度深呼吸してから、
「せいっ」
「ふあ!?」
彼女の身体を持ち上げて、自転車のサドルに乗っけた。
「え、え、えぇ!?」
「あの、動かないで下さい。このまま運ぶんで」
輝は声のトーンどころか感情さえ欠落した無の表情でそう言い、自転車の上に載せた彼女を落とさないようにバランスをとって自転車を手押しする事で病院へと向かう。
「あの、ここまでしてもらってなんてすけど、あなたは学校は大丈夫なんですか……? 柳仙の生徒ですよね……?」
と、運んでいる荷物(自己暗示で人としてみないようにしている)からそんな声が掛かった。
さて、どう返したものか。相手は生徒会長だ。このまま人生初のサボタージュないしは遅刻となるわけだが、それをそのまま伝えては、
◆
「サボりです」
「そんなの生徒会長の私が許しません! ギルティ!」
◆
「遅刻します」
「そ、そんな……私のせいで将来性のある若者一人の未来が……。私、ギルティ!」
◆
と、そうなるに決まっている。
つまりこの問に対しての真の答えは――。
「……違います」
「思いっきりウチの制服着てますよね……」
「これは……そう。コスプレです」
「自分でも相当苦しいの分かってますよね! すっごい声震えてますから!」
「チッ、面倒くさいな(ボソッ」
「まさか今ぼそっとディスられましたか!?」
「あの、ちょっと荷物らしく静かにしててもらえませんか?」
「まさかの人間どころか生物としての扱いを拒否! こんなの初めてですよ!」
「こっちだって初めてなんですけど」
「あ、そ、そうですよね。すみま――って何ですかその切り返し!? まさか今私逆ギレされてますか!?」
ただでさえ変なシュチュエーションで心労半端無いんだからこれ以上ダメージ背負わせてくるのやめろよぉ! となんとか真顔を維持しながら心の中で輝は叫んだ。
昨日といい今日といい。きっと世の男性は羨むであろうがいかんせんここにいるのはコミュ症の中でも更にそのエリート。コミュ症キングの輝である。喜ぶ前に緊張と興奮と恐ろしさとストレスで体中が悲鳴を上げている。
真面目にお祓いでもしようかと考えながら自転車を手押しで進むと3分も掛からずに総合病院へとついた。
自転車でそのまま彼女を待機させ、素早く受付と話を済ませて彼女を運んでもらい、一応不安だったので彼女の処置が済むまで待機していると、30分もしない内に彼女が出てきた。
どうやら大事には至ってなく、軽い捻挫で済んだらしい。
「そ、その、本日は本当に申し訳ありませんでした。それと、本当に有難う御座いました」
「あ、や、気にしないでください。それじゃあ俺はここで失礼します」
ふふ。学校一の美少女とこんなに会話してしまった。
これだけでも3ヶ月は頑張れそうだ。
輝は内心ニヤニヤと笑みを浮かべながら踵を返そうとする。
「いえ! 待ってください。まだお礼も何も」
「あ、いや、もう貰ってるんで」
「?」
あなたと会話できただけでクラスどころか学校単位で最低カーストの俺は幸せなんです。なんて言ったら流石にドン引きされることくらいは空気読めない子の輝でもわかることなのでそれ以上無駄な発言はしない様に口を噤んだ。
「あーその……とりあえずお礼とかはいいので。それでは」
「ぁ――や、やです!」
「ふぁあああ!?」
素早く帰ろうとした輝の背に向かって、彼女はなんと突進した。逃がさないように制服の裾をつかむというおまけ付きで。
「だめです! やっぱりそれじゃあ満足できません! せめて名前を教えてください! 私、あなたの名前だけでも、知りたいんです……」
「ぅぁ……」
その言葉に嘘はないんだろう。振り返れば彼女の瞳は真摯な光を宿して潤んでいた。
その言葉に答えないで去ることは、コミュ症だとかどうとか関係なくダメなことと思わざるを得ないほど、真っ直ぐな気持ち。
せめてその言葉くらいには真摯に答えなければと、輝は息を呑んでしっかりと彼女の正面を向いた。
覚悟を決めよう。
できるだけ口元を優しく緩め、先程まで輝の袖を淋しげに摘んでいた彼女の伸ばされた手を両手で包み。
彼女の顔がぱぁぁ! と花咲く様に明るくなったのを見計らって、聞き間違えなど無い様に、しっかり、はっきり、輝は言った。
「絶対に嫌、です」
「」
彼女の顔から表情が死に絶えた。
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