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冷えた麦茶が、冷蔵庫から出てくるとは限らない。

 ヤツはおれの目の前で、嬉しそうにしゃべり出す。

 酔ってる訳でもねえのに、随分口のまわりが良くなってるらしい。


「面白い事にですね。実は、その二件とも今話題にあがった名前です。一つは、脛当てゴブリン。そしてもう一つが、怪盗爪先立ちの貴公子。まあ、聞いたところだと脛あてゴブリンの方は襲撃の噂を耳にした、と言う事らしいですが」


 なんなんだ、こいつは。有名なギャングに、巷を賑わせている噂の怪盗が絡んでる仕事が面白い(・・・)とは、おれには到底思えねえ。イカれてる。


「爪先立ちの貴公子の予告状には、いつもの例の書式でブルジョワーノ邸にある貴重な宝石を盗みにいくと書いてあったそうです。そりゃあ大騒ぎでしたよ。予告通りに指定のものを必ず盗む、あの(・・)爪先立ちの貴公子ですから」


 得体の知れない不快感が、体の奥から這い上がってくる。しかし、ヤツはおれの気も知らず楽しそうにしゃべり続けていた。


「脛当てゴブリンってギャング、面白い人たちですよね。メンバー全員が脛当てをしているらしいじゃないですか。犯罪組織なのに自己主張が強いのはきっと、よほど武力自慢なんでしょう。その襲撃事件と言うのが漏れていたところを見ると、頭の方はそこまででもないようですが」


 嬉々としたヤツの声をどこかぼんやり聞きながら、おれは話しかけた事を後悔していた。

 ならず者が我が物顔でのし歩くこのシモキタじゃ、乱暴な奴は珍しくねえ。だが、そんな街でも敬遠される奴はいる。こいつは多分、その敬遠される(・・・・・)タイプだろう。


「あんまりそう言う事、大声で話すもんじゃねえぜ、お客さん。奴らにもし聞かれてみろ、その帽子に押し込んでる毛まで残らず売りさばかれちまうぞ」


 つまりは、命知らず。ここで巻き添えを食らいたくねえからたしなめてはいるものの、ちっとも心に響いちゃいねえだろう。改めてヤツの顔を見てみるが、案の定へらへら笑ってやがる。


「聞く人なんていないでしょう。ここ数日毎日来てますが、他のお客さんを見た事ありませんから」


「はっ。わりいな、閑古鳥がやかましくてよ。ここんところ、常連のヤツらが出かけちまってんだ」


 賑やかに下世話な話をするしか脳がねえバカ共の変わりに、このいけ好かない男が来た。随分、店は静かになった。

 喧しい日々を懐かしいと思うことはねえ。うるせえ奴らが来ねえのは平和で嬉しいくらいだ。もう顔も見たくねえ。だが、代わりにこいつの顔を見ていても、おれは全く面白くねえ。それに、勘違いをしてやがる。


「それとな、ゴブリン共が脛当てしてるのは顕示欲じゃねえ。『弁慶の泣き所すら守ったおれたちは無敵だ』って言う意味らしいぜ」


 おれの言葉に、突然男が笑いだす。


「あははは、なるほどなるほど。本当に面白い。それに、やっぱり頭は良くなさそうですね。心臓も頭も守ってないとは……いやあ、さすがお詳しい。でも、無敵じゃなかったみたいですよ。全員、死んじゃいましたから」


 煙草を排水溝に放り投げながら、おれは男を見る。どうやら、仕事を頼まれたってのは本当らしい。


「おや、ご存知ありませんでしたか? ブルジョワ―ノさんの家は私設軍を雇っているようで、襲撃にやってきたゴブリンさんたちは皆殺しにされてしまいました。あたりは血の海、彼らは脛当てどころか全身どす黒く真っ赤……なのでそちらは、私の出番なしです」


「金持ちの考える事はわからねえなあ。お客さんみたいなやせっぽちに頼む仕事じゃなくねえか?」


 適当に返事をしながら、おれは再びグラスを手に取り、汚れが付いてないかチェックする。汚れたグラスで出された飲み物に金を払いたがるヤツはいねえはずだ。


「ですから、最初からそっちは私の出番なしなんですよ。私が頼まれたのは、爪先立ちの貴公子の方です。元々、ゴブリンさんたちはあまり重要視されていないようでしたねえ、あれは」


 男は依頼された仕事を思い返しているのか、どこともなく視線を遠くへ向ける。しかしどちらにしろ、こいつがそんなに頼りになる男とは思えねえ。これも、この男の命知らずな悪ふざけの一環かもしれねえ。


「まあでも、もう片付くんだろ、仕事」


「ええ、もうすぐ。多分、今夜あたりに」


 男の返事が、妙に思わせぶりに店の中に響く。


「よかったじゃねえか、無事で。せっかくの仕事終わりだ、夜道にあぶねえ奴らが出てくる前に、大事に財布抱えて帰ったほうがいいんじゃねえか?」


 余計な事は言わねえに限る。ついでに、こいつを追い返したら店は早仕舞いしちまおう。


「ご心配なく、それよりお代わり頂けますか? いいですよね、それ。良く冷えてそうで」


 今更お代りかよ。忌々しく、男が指差す先のアイスクーラーを見つめる。

 中に敷き詰められた氷は溶け始めていたが、確かにデカンタの中の麦茶はまだ冷えているだろう。


「ああ、見た目も涼しい方がいいかと思ってよ。自分用だからこんなもんでいいかと思ってたんだが、もうあんたが飲むほうが多いかも知れねえな」


 空いたグラスに、麦茶を注いでやる。

 ついさっき雰囲気を楽しんだばかりだ。氷は、足してやらなくてもいいだろう。


「すみません、頂きます。ああ、そう言えば、面白い話聞きましたよ。蟒蛇うわばみの巣にいるのは蛇じゃなくて、下品な豚共だとか」


 そういうヤツの顔は、帽子が邪魔して見えなかった。

 

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