物語に登場する銃が、撃たれるとは限らない。
カラン。
ロックグラスに満たされた氷が、またヤツの手の中で揺れた。中身はもうほとんど残っちゃいなかった。
「お代わり、どうだい」
暑そうなところを見ると、まだ飲み足りねえだろう。先に気付いてやるのが、バーテンダーの勤めだ。
「いえ、それよりたまには……」
男はカウンターを覗きこんで来る。
「何かお食事、出来ませんか。小腹が空いてしまいまして」
間の悪い男め。ここ最近は平和に過ごせちゃいるが、シモキタの街は随分物騒で仕込みが出来てなかった。この冷蔵庫の中に、食い物は入っちゃいねえ。
「わりいな、今出せるのはナッツくらいだ。食うかい」
男はそっと、首を振る。まあ、ナッツじゃ腹は膨れねえだろう。
「立派な鍵つきの冷蔵庫なのに中身が空とは、物騒な街は色々大変ですねえ」
「ふん。この街で水商売やろうと思ったら、冷蔵庫に鍵をつけるくらい常識だぜ。気取ったとこだと、金属探知機使った入口チェックやらなんやらしてるってよ。まあ、店中でどんぱちやられちゃ明日からお飯食い上げだしなあ」
ここはそんな気の利いたもんはねえけどな。精々あるのは鍵付きのドアに鍵付きの冷蔵庫、それに鍵付きの倉庫。鍵、鍵、鍵だ。
「鍵といえば、最近は有名な怪盗さんがいるらしいですね。ゴブリン達と違って、随分と美学溢れる変わった方のようですが」
「ああ、『爪先立ちの貴公子』とか言うこそ泥だろ。予告状出した所に誰も殺さず盗みに入る、なんて何番煎じかわかりゃしねえぜ」
おれの言葉に、男はくすりと笑う。何が可笑しいってんだよ。
「ああすみません、気を悪くしないで下さい。お詳しいな、と思ったので」
顔に出ちまっていたか。バツが悪くなったおれは、煙草を咥える。
「こんな商売やってりゃ、詳しくもならあな。目の前で悪さする相談見かけた事なんざ、数えきれねえ。そういう奴らとうまく付き合うのが、商売を長く続ける秘訣よ」
「なるほど、なるほど。ところで煙草、お吸いにならないんですか?」
「火が見つからなくてよ」
つい手が伸びちまったが、仕事中に煙草を吸うつもりはなかった。更にバツが悪い。
「よかったら、これどうぞ」
思わず、咥えていた煙草がぽろりと落ちた。
男が持っていたのは、ライターなんかじゃなかった。ヤツはおれの目の前で、銃を突きつけていやがる。
「何だ。何だってんだ」
おれの前に突きつけられた銃口を睨みながら、言う。
まだ撃たれた訳じゃねえ。金で済むなら渡しちまおう。この辺りで生きてりゃ、別に銃なんざ珍しくもねえ。声は震えていなかったはずだ。目まぐるしく、おれの頭は状況を理解しようと働き続ける。
しかし、男はおかしそうに笑いながら答えた。
「ですから、火です。どうぞ」
男の手が引き金にかかり、そして
――ぼっ。
オレンジ色の火が、銃口の先に灯った。
肺に広がる煙をゆっくり味わいながら、おれは男を睨みつける。銃の引き金を引かれた時はさすがに慌てたぜ。この辺りじゃ銃や刃物なんて、それこそ人間と同じ数だけ見るもんだ。まさかおもちゃだとは、逆に驚きだった。
「そんなに怒らないで下さい。趣味なんです、人が驚く顔を見るの」
「あんまりいい趣味じゃねえな。この辺りで同じような真似してみろ、言葉の代わりに鉛玉飛んで来るぜ。まさか仕事で使うって訳でもあるまいに」
タチの悪すぎる冗談だと思った。自殺志願としか思えねえ。こんな所でそんなものを出す馬鹿がいるなんて。よほどの田舎ものか、命知らずなんだろう。
「これは本当にただの趣味です。仕事は、これ」
差し出されたのは、名刺だった。肩書きだけの簡単な奴。どうやら仕事で来てるってのは本当らしい。名刺には、こう書かれていた。
――――――
問題解決、請け負います!
トラブルリザルバー・ショーン
――――――
「聞いたことのねえ肩書きだな。便利屋みたいなやつかい」
「似たようなものですね。出来れば探偵、と言って欲しいですが」
また、相変わらずのにやけ笑いだ。いけ好かねえ。つくづく、いけ好かねえ。だがヤツはおれの気もしらず、相手をしてもらえるのが嬉しいのか饒舌に口を動かす。
「実は、この近くの豪邸の警護を頼まれまして」
この辺りで豪邸と言えば、思い当たるのは一つだ。
「ブルジョワーノさんか」
十中八九、間違いねえだろう。うちによく来る荒くれ共の話題でも、よく聞く名前だ。そもそもこの辺りで商売をしていて、あそこの名前を知らねえヤツはいねえ。
「ご存知でしたか。実はそこに」
もったいぶってるつもりなのか、男は再びぐいと体を乗り出してこう言った。
「犯行予告が届いたんです。それも、二件」
急に、おれまで汗ばんできた。これは、多分冷や汗だ。




