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バーの客が酒を飲むとは、限らない。


 客は、一人だけだった。

 最近になって、毎日見かける客だ。この暑いのにいつもきっちりスーツを着て、おまけにテンガロンハットを被ったままでいやがる。俺はこいつが帽子を取ったところを、まだ一度も見た事がない。


 カウンターに出してあるのも、変わり映えしない、いつもの(・・・・)ってやつだ。

 ロックグラスに注がれた琥珀色に、ぷかりと浮かんだ氷は白色。この男はいつも、同じものを頼んでは美味そうに飲む。まずは一口、そして次は、襟ぐりを緩めて、ぐいと一気に。


 気付けばこの一風変わった客の、飲むタイミングまで覚えちまった。面白くないが、しょうがない。もう、この男の連続来店記録は一週間近いだろう。毎日同じ光景を見てれば、嫌でも覚えちまう。


 やたら暑そうにしているのが、妙に目に付いた。

 ハンカチで汗を拭く前に、帽子を取るか上着でも抜いたらどうだ、と言いたくなる。男が額にあててるハンカチは、既に随分と汗を吸っていた。見てるこっちが暑苦しい。


 しかしカウンターの向こうに座って、金を払って何かを飲んでりゃそいつは客だ。そして、バーにやってきた客をあしらうのが、おれの仕事でもある。例えいけ好かねえ客でも、仕事は仕事だ。


 例えその客って言うのが、この「バー・蟒蛇うわばみの巣」の常連客で唯一、酒を飲まねえ男でも。勿体付けて飲んでいるあのロックグラスの中身が、只の麦茶だと、しても。客である以上、やることはやらなきゃならねえ。目の前の客に聞こえねえよう、ため息をつきながらおれは言った。 


「少し、下げるかい」


 口に出して気がついたが、この男とこうやって話すのは初めてだ。カウンターでこうも暑そうにされちゃあ、黙っている訳にはいかねえ。今は他の客はいねえが、陰鬱な客は商売の邪魔にもなる。


「冷えるものならお願いしたいですが、あれじゃあ無理でしょう」


 男は天井傍にあるオンボロエアコンを顎で差し、にこやかに笑って答えた。

 この野郎。内心舌打ちをしたくなる。確かに、骨董品かと思うオンボロなエアコンじゃああるが。


「すまねえなあ、見ての通り酒飲まねえで麦茶飲んでる客しかいねえから、エアコン買い替える金もねえよ」


 思わず口から毒が飛び出ていた。

 まあ、もうコイツが来るようになって五日ほどになる。このくらいの軽口は、笑って許してくれるだろう。実際男も、苦笑いを浮かべてはいるものの、怒っている様子はない。口の悪い奴だ、位にしか思われてねえんだろう。


「お酒は苦手なんです。本当はウィスキーでも飲んでみたいんですが。雰囲気だけでも、と思いまして……似たような色の、こいつを」


 カラン。音を立てて、男の手の中で氷が揺れた。麦茶じゃなかったら、ハードボイルドかぶれ(・・・)に見えなくもなかったろう。


「私の為に、用意してくれているんでしょう、これ」


 カラン。また、グラスで氷が揺れた。確かにバーで麦茶を出すなんて、普通はねえだろう。それは、男が来た日にたまたま自分用に入れといたのがあっただけだ。それを自分の為だなんて、おめでたい頭をしてやがる。まあ、正直に言う必要はねえことだが。


「飲みたがるもんを出してやるのがバーテンってもんだぜ、お客さん。ここんとこ毎日来てくれるのはありがてえが、麦茶なら家で飲んだ方が安くねえか」


「そう言わないで下さい。今日一日の仕事を終えた余韻を、こういう場所で洗い落してから帰りたいんですよ。私は」


 いい年の男が照れる様子は見たくもねえが、言いたいことはわからないでもなかった。実際、おれは同じような男を良く見る。ただ、こいつ以外は全員呑んだくれの馬鹿共ばかりだ。

 しかし、参った。話しかけちまったからには、今黙り込むのも決まりが悪い。幸い愛想はいいヤツのようだ、少し相手をしてやろうじゃねえか。


「お客さん、ここの所よく来てくれるよな。仕事でこっちに来たクチかい?」


「ええ、そんなところです。やっと終わりが見えてきまして、ここにお邪魔出来るのも残り僅かでしょう」


 そりゃあ結構。うちに入り浸っている呑んだくれ共には、酒場で麦茶を飲むような客に絡みかねない奴が何人かいる。余計なトラブルになる前に、連続来店記録は打ち止めにしてもらいてえ。それにしても、仕事とは言え物好きなやつもいたもんだ。


「ゴブリンが暴れまわってるってのに、よくシモキタに来たもんだ。さすがに噂くらい聞いただろ」


 おれの問いに、男はまた苦笑いで答える。


「『脛あてゴブリン』ですか。押し入った先で虐殺の限りを尽くす悪名高き強盗団、ですよね。噂に聞くも何も、私の仕事に彼らの相手も入ってるんです」


 僅かに残った麦茶を飲み干しながら、男はそう口にした。そう言えば、ロクに客が来なくなってこれで何日経っていたか。グラスを磨きながら、おれはそんな事を考えていた。



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