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54話「改造バエ」

 図鑑を凝視しているサフィーが、ルニョーに目線を移す。

「似てるといえば似てるわね……でも、やっぱり別物の感じはするわね。同じハエと思えないわ」

 そんなサフィーを見て、ルニョーはこくりと頷いた。

「まあ、そう感じるだろうね。こいつはね、改造を施されているんだ」


「改造……?」

 難解な事実に、サフィーが眉間にしわを寄せながら聞いた。

「そう、そのせいで体は改造前の蝿の二倍、顔にいたっては三倍ほど巨大化している」

「三倍に巨大化……」

 サフィーが改めて、試験管の中の改造バエを見た。確かに、言われると更に頭でっかちに見える。その異様に頭の大きな改造バエをじっと見ていると、なんだか気持ちが悪くなってくる。


「で、サフィーが指摘した所が重要なんだ。確かに顔だけは、ほぼ別の生き物なんだ。マンティコアって知ってるかい?」

「おおっ、知ってる知ってる、ええとだな……」

 ブリーツにボケさせる隙を与えてたまるかと、サフィーが慌てて口を開く。


「頭は人間、胴は獅子、尾は蠍で蝙蝠の翼も持っている、伝説上の獣よ」

 サフィーは早口で言って、満足そうにブリーツを眺めた」

「あっ……」

「危ない危ない。ボケるタイミングは分かってるんだからね」

「くそー、酷いぜ……」

「酷いのはあんたの節操の無さでしょうが。で、ルニョー。マンティコアを話題に出したのは、もしかして……」


「そう。こいつは人工的に合成されたアソートだ。合成生物だよ」

「アソートですって……まさか……!」

 アソート。古い言葉で「取り合わせ」の意味を持つその言葉は、今では合成生物を意味する言葉となった。合成生物の姿は、まさにマンティコアのように、様々な生物が寄り集まって出来たようなグロテスクな姿なことが殆どだ。


「そう。どうも、こいつの至る所に改良を重ねた跡があってね。実に興味深かった。まず、顔の形状が大きく違うのは何故なのかってことからだね」

 ルニョーがテーブルの下に備え付けられている引き出しからピンセットを取り出し、机の上に置いた。そして試験管立てから再び改造バエの入った試験管を手に持った。

 ルニョーは手際よく試験管のコルク蓋を外すと、中の改造バエをピンセットでつまんで取り出した。


「何故、顔の大きさ、そして形状も大きく違うのか。それはね、これがあるからなんだよ」

 ルニョーは、ピンセットでつまんでいる改造バエに、ゆっくりと自分の人差し指と親指を伸ばすと、その二本の腕で、改造バエの頬の部分を挟み、軽く押した。


「「うわっ!」」

 サフィーとブリーツは、思わず仰け反った。ルニョーが改造バエの頬を挟み、押した途端、改造バエの口から、鋭い牙が飛び出たのだ。


「これ、大丈夫なの?」

「ううむ、こいつはおっかねえな」

 サフィーは仰け反り、ブリーツは蝿の顔に自分の顔を寄せ、まじまじと覗き込んだ。

「これは……見た感じ、ただごとじゃなさそうだけど……」

 サフィーの顔が曇る。何かは分からないが、漠然とした不安がサフィーを包む。


「ああ。見た通り、ただごとじゃないね。こいつは人を噛むことができるんだ」

 見せたいものは見せたと満足したのか、ルニョーはピンセットで改造バエを試験管に戻した。

「この巨大な牙を仕込むのに、頭をこれだけ巨大にする必要があったのさ」

 ルニョーがピンセットで指し、改造バエの頭を示した。

「へぇ……うーむ、よく見ると凶悪な顔してやがるぜ」

「ええ。なんか、嫌な感じよね。顔だけ強調されてる感じで」


 ルニョーはピンセットを横にずらし、改造バエの体の方を示した。


「そして、体も二倍に膨らんだのは、この巨大な頭を支えるためと、もう一つ」

「もう一つ……」

 サフィーは緊張した面持ちで、ルニョーの答えを待った。


「なんらかの毒を内包させるためさ」

「毒って……」

 サフィーの背筋が、一気に冷たくなった。ホーレが全滅した原因。それがこの改造バエにあるのではないか。そう直感した。


「んー……いよいよ穏やかじゃなくなってきたな」

 ブリーツも珍しく、深刻な顔をしている。


「ああ。全く穏やかじゃないね。これなら町一つが壊滅しても驚かない。ホーレで起きた事にも納得したよ。こいつはもっと研究する必要があるね。今ある魔法や薬でどうにかなればいいけど、そうじゃなきゃ、いよいよ本当に厄介だ」


「私達は、ホーレに行く途中にリビングデッドの集団に出くわしたわ。そして、肝心のホーレには人が居ずに、あったのは奇妙な墓だった。この結果から、私なりに考えてみたことがあるの。そして……」

「今、この改造バエに毒があることを知って、辻褄が合ってしまったというわけか」

 サフィーが頷いた。

「ええ……この毒って、リビングデッドになる毒……ってことなのよね?」


「うん……」

 ルニョーはこくりと一回頷いて、サフィーを見た。

「そうだよ。ただ、そうじゃない部分もあるんだ。リビングデッドは、あくまで過程だから」

「過程?」

「そう。まず、最初に狂暴化するんだ。どうしてかっていうと……これはもっと調べてみないと何とも言えないが、仮定としては、毒が脳神経に影響を及ぼすんだろうと、我々は思っている。そして、次の段階がリビングデッドだ」


「そういうことなの……って、それ、ちゃんと死んでるのよね?」

 サフィーはコルクの蓋を開け放たれたままの、改造バエの入った試験管を見て、少し警戒した。

「ああ、これね。大丈夫、ちゃんと死んでるよ。可能性としては、蘇生する可能性は否定できないけど、まず無いだろうね」

 ルニョーはそう言いつつ、コルクの蓋を、改造バエの入った試験管に取り付けた。


「うーん……そう言われても、なんだか不安だけど……」

「まあ、何にしてもだ、この虫に刺されると、最初にバーサーカーって、次にリビングデッドになるわけかー。生命の神秘だよなぁ」

「バーサーカーるって動詞はどうかと思うけど、とんでもないわね。この虫を放つだけでリビングデッドを量産できる、リビングデッド増殖機ってわけね……」

「ああ。そういうことだね。でも、ありがたいことに欠陥がある」

「欠陥……?」

「そう、欠陥。どんなものにもつきものだけど、こいつの場合はまず、アレだね」

「アレって……」

 ルニョーの指差す先を見て、サフィーは顔を曇らせた。あの光景を思い出すと、今でも心がざわつく。


 ホーレ事件の一番最初の出来事。発端という言葉でも表せるホーレの町での出来事だ。サフィーとブリーツがホーレに辿り着いた時には、既に村には誰も居なかった。あったのはマッドサモナーが召喚したブラッディガーゴイルと、この部屋の隅に置いてある、くたびれた木造りの、十字の形をした不気味な墓だった。

 誰も居ないホーレにポツポツと点在する墓は実に不気味で、サフィーの心にはっきりと焼き付いている。ホーレを救えなかったという自責の念も相まって、思い出す度に苦虫を噛み潰したような顔をしてしまう。時々、夢にも見るくらいだ。

アソート(assort)とは、英語で「分類する」「取り合わせる」「調和する」の意味。

古期フランス語では「取り合わせる」の意味で使われていました。

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