19話「少年剣士VS暴れトロール」
「み、ミーナ!?」
突如としてファイアーボールを放ち、モーチョの注意を二人に惹きつけたミーナに、ブリーツは驚きを隠せない。
「ここで止めるしかないぴょん!」
「ちょっと待ってよ、でも……!」
このままいくと、モーチョはあと僅かで町に着いてしまうかもしれない。不意に逆方向に進む可能性も無くはないが、モーチョはこの段階で、この花畑付近に居る。そうなると、応援を呼ぶよりも早く町へ着いてしまう危険が、かなり高い。
「でも……いや……やるしかないんだよな、この状況じゃ……!」
ここでモーチョと鉢合わせしたのは不幸中の幸いだともいえる。モーチョが町に行く途中に見つけることが出来たから、こうやって止めようと出来るのだから。
しかし……。
「でもどうやって止めるの! 方法、考えてないよ!」
「ミーナちゃんの魔法でどうにかするぴょん! ただ……」
「そっか、ミーナは魔女に魔法を教わってるんだもんね!」
戦士のアークスにはモーチョを足止めすることは難しいが、ミーナは魔女の弟子だ。魔法が使えるのなら、動きを封じることは容易だ。
「やって! モーチョがもう!」
さきほどのファイアーボールはモーチョの気を引くのには十分だった。モーチョは目の前に着弾したファイアーボールが飛んできた方向を見ると、アークス達の姿を視認した。そして、動き出したのだ。アークスとミーナ、二人の方へと。
「う……」
「早く! 詠唱を!」
猛然と向かってくるモーチョに、アークスは慌てている。
「く……自若たる大地よ、足匹の力を我に与えたまえ……ラングザム!」
「鈍足の魔法か!」
ミーナが唱えたのはラングザム。地属性の、相手を鈍足にする呪文だ。まるで狂暴な牡牛のように暴れまわっているモーチョだが、鈍足になればいくらでも逃げられるし、町へ行くのも極端に時間がかかるようになる。そうなれば打つ手はいくらでもある。
「ぶもー!」
ラングザムによって鈍足にるはずのモーチョだが、その勢いは、一向に衰える気配が無い。
「……ねえ、鈍足になってない気がするんだけど?」
「だ……だったら……石よ、土よ、砂よ、撓り畝ねる蔦となりて軛を与えん……ロックテンタクル!」
ミーナが魔法を唱えると、モーチョの下の地面が盛り上がり、濃茶色の土は見る見るうちにモーチョの足に纏わりついた」
「おっ、やった! 成功ぴょん!」
ミーナが歓喜の声を上げる。
「ぶほー!」
モーチョが足に少し力を入れると、モーチョに纏わりついた土はバリバリと音を立てながら、呆気無く砕け、辺りに散らばった。
「ああっ……脆すぎるぴょん、ロックテンタクルがこんなに脆いはずないぴょん。やっぱり失敗かぴょん……」
「あの……ミーナ……」
「アークス……ミーナちゃんは補助魔法、駄目なんだぴょん……」
「駄目だって……全部?」
「そ、そうなんだぴょん。やっぱり成功しないぴょん~!」
魔法の資質を持たないアークスが言えたものではないかもしれないが、補助魔法が全て使えない魔法使いというのも珍しい。それなら確かに、真逆の効果が出ても不思議ではないのかもしれないと、アークスは一人、納得している。
「とにかく、モーチョをなんとか……」
ミーナの呪文はアテにできない。アークスは剣を抜き、モーチョの方に向けて構えた。
「ぶもーっ!」
モーチョが持っている物は斧だ。形状から推察するに、戦闘用ではない。木材を伐採するための斧だろう。
「来る……!」
――ガキン!
モーチョが猛然と振るう斧を、アークスは剣で受け止めた。が、想像以上の衝撃が、アークスの体に伝わる。
「うぐぅぅっ!」
アークスがくぐもった悲鳴を上げながら吹き飛んだ。体感で数メートル弾き飛ばされたアークスは、腹部に痛みを感じながら花畑の中を転がっていく。
「う……ぐふ……」
苦しい。剣で防いだはずなのに、まるで強烈なボディーブローを受けたようだ。ようやく体が静止して、身動きをとることができるようになったアークスだが、あまりの苦しさに、剣を持たない左手で腹を押さえて体を丸めて縮こませた。
「ぶもー!」
暴れ狂うモーチョは、相当に無駄な動きをしつつだが、アークスの方へと向かってきている。
「く……」
アークスは、腹の痛みを我慢して、よろよろと立ち上がり、構えた。
「どうすれば……」
ミーナはなにやら、必死に魔法を唱えている。失敗し続けているのか、成功しても効いていないのかは分からないが、モーチョの様子を見る限り、意味を成していないようだ。
「僕がどうにかしないと……でも……」
思考を巡らせながら、モーチョに隙を見せないようにじりじりと後ろに下がるアークスだが、モーチョは無駄な動きをしながらとはいえ走って向かってくる。すぐにアークスに肉薄すると、斧を振り降ろした。
アークスが右に跳んで、それをよける。
「ぶもー!」
モーチョは振り下ろした斧を、そのままアークスに向かって振るった。
「ぐっ……早い……!」
口からは思わず「早い」という言葉が出たが、モーチョの動きは鈍重だ。正確に表すなら隙が無いという方が近いだろう。振り降ろした斧を、殆どノーモーションで振るえる力。それはトロールの持つ怪力と、過度の興奮状態との相乗効果だろうか。アークスは、そんな事を考えつつも、咄嗟に剣を前に出し、モーチョの斧を防いだ。
「うあぁっ!」
再び吹き飛ばされ地面に転がるアークス。
「うぅ……」
意識は朦朧とし、今度は体中に痛みを感じる。
「剣で受け止めてるのに……こんなに……なんてパワー……」
ブリーツは歯を食いしばり、どうにか意識を保ちながら立ち上がった。
「っくぅ……」
間接的に二回ダメージを負っただけなのに、立っているのすら辛い。気を抜くと倒れそうだ。
「だ、駄目だ、次は……」
次にモーチョの攻撃を受けたら、僕はもう意識を保っていられないだろう。
防いでもこれほど体に打撃を与えられるということは、もし直接斧で攻撃を受けていたら、僕の体は切り裂かれていた。アークスはその事を考えると、ゾッとして背筋も凍る思いだ。
「でも……」
モーチョは斧を自在に振り回すことができる。まともに接近戦を挑んだら勝ち目は無いだろう。
しかし、動き自体は鈍重だし、恐らく錯乱状態にあるので無駄な行動も多い。近くでまともに打ち合わなければ、こちらに分がある。
つまり、一気に間合いを詰め、一撃を放った後に、やはり一気にモーチョの間合いの外へと離脱する。所謂ヒットアンドウェイだ。
「モーチョの足を狙う」
足さえ止めれば、自由は相当奪う事が出来る。モーチョの体を傷つけてしまうが、このままでは三人とも無事では済まなくなる。止むを得ない。
「後で傷とか残らないように気を付けないと……」
アークスがモーチョの動きを注意深く観察する。
「ふっ……」
モーチョの間合いに深く入らないように、モーチョの斧を避ける。
「ぶもーっ!」
モーチョが体をくねらせながら、空に向かって雄叫びを上げた。アークスはその隙に、出来るだけ間合いを広げる。
「ぶもーっ!」
モーチョが再びアークスの方へと走ってくる。アークスはそれを注意深く見て――斧の一撃をかわした。
「ちょっと痛いけど……ごめん!」
アークスが全力でモーチョの側面を目掛けて走り、すれ違いざまにモーチョの左足を斬りつけた。
「ぶもぉぉ!」
モーチョは身をよじらせながらアークスの方へと方向転換しようとするが、うまくいかない。アークスの思惑通りに、左足に深々とを負ってしまったからだ。
「ぶもーっ!」
モーチョが怒り狂って暴れている間に、アークスはモーチョから距離を取った。
「はぁ……や、やった……」
アークスは安堵した。ここまでくれば、モーチョは攻撃を仕掛けられないだろうし、町にも行けない。足の傷は痛々しいが、あの傷の深さならば、自由に歩くことは不可能だ。理性を保っている状態ならば、少しずつでも歩を進められるだろうけど、この精神状態では不可能だろう。こうやって暴れているしかできないだろうから、そう遠くへ行くことはないだろう。一安心だ。
「ごめんなさい。落ち着いたら、すぐに医者に見せに行くので、今は耐えてください」
アークスが深々と頭を下げた。
「……さ、ミーナ、今のうちに直してよ」
「えっ!? ミ、ミーナちゃんがぴょん!?」
「そうだよ?」
「だ、だって、補助魔法苦手ぴょん」
「でも、もうモーチョの攻撃は無力化したし、集中して何回かやれば出来るでしょ?」
「出来るかもしれないぴょんが……でも、モーチョを落ち着かせるには……うー……やっぱりだめだぴょん。モーチョを落ち着かせるのに使えるミーナちゃんが知ってる呪文は、やっぱりティアードロップしかないぴょんだから……そんな魔法をもう一回かける事になると……」
「そっか……もう一回失敗したら……もっと危険かもしれないのか……」
モーチョがこうなったのはミーナの魔法の影響だという事を、アークスは思い出した。魔法によって、こんなに錯乱状態になってしまったモーチョを、更に同じ魔法で直そうとするとなれば、最悪の場合、こんな精神状態になる魔法を二重にかけてしまうことになる。
モーチョが普段は穏やかな性格だと言うことを考えると、相当強力な効果が出ている。これが二重にかかってしまったら、精神への負荷は相当だろう。もしかするとモーチョの精神が崩壊するかもしれない。
同じ魔法を何回かけても効果が強まらない魔法が殆どだが、失敗によって変質した魔法の場合は何が起こるか分からない。一か八かミーナに魔法をかけてもらうという手段は、危険かもしれない。
「ううん、確かに、そうなると、やっぱりこの場じゃモーチョを治せないか。どうすれば……」
モーチョを放っておいて、町へ行くか、魔女の所へ行くのがいいだろうか。しかし、そうなると、今度はモーチョが不安だ。
持ち前の力があるとはいえ、足を怪我して身動きが取れないまま放っておいたらどんなトラブルが起こるか分からない。野生動物に襲われるかもしれないし、野盗だって出ないとも限らない。
かといって、町まで運ぼうにも、この状態で近寄るのは危険だ。
「ううん……仕方がないか。モーチョは一旦放置しておくしかなさそうだ。でも、出来るだけ早く戻らないといけないから……」
人手が足りなくなったら一旦城へ戻って応援を呼ぶのがセオリーだけど……この場合、もっと近い距離に魔法使いが居る。
「魔女……か……」
そう。町の半分もしない距離に魔女の住処がある。騎士団の一員としては、騎士団の力だけでどうにかするのがベストなので、時間的に余裕があるなら城の方へ応援を頼むべきだろうけど……この場合は時間を重視した方がいい。依頼主であり、ミーナの師匠である魔女に応援を頼むべきだろう。
「そうだね……よし、ミーナ……」
「あ、危ないぴょん!」
「ええ?」
アークスが振り向いた瞬間、アークスの方へと凄い勢いで滑空してくる物体が目に映った。その物体は、既にアークスの目前まで達していて、アークスがそれを、トロールの持っていた斧だと認識した時には、アークスの視界から消えていた。
「あ……あぐっ……!」
アークスの腹部に強烈な痛みが走った。モーチョの攻撃を受けた時の痛みよりも、もっと痛い。いや……比べものにならないほどの痛みだ。
「う……がはっ!」
口から赤い、どろっとした液体が吐きだされ、血のにおいがアークスの鼻にこびりつく。
「あ……はぁっ……はぁっ……」
息が苦しくなる。目眩もしだした。立っていられない。アークスはその場で地に伏した。
「あ、アークス!?」
ミーナの声が聞こえる。アークスは、首をどうにかミーナの声がした方へと向けようとするが、体の自由が利かない。見えるのは、地面を流れる血だけだ。
「ぶもぉぉ!」
「あ……アークス……」
ミーナはアークスを唖然としながら見下ろしていた。
モーチョの斧は、回転をしながらブーメランのようにアークスを襲った。斧はアークスの腹に命中すると、周りの肉をごっそりと抉っていった。
アークスの傷からは真っ赤な血が流れ、周りの花の白や黄色い色を侵食するように、アークスの赤い血が真っ赤に染めていく。
「ど、どうすれば……ただでさえ回復魔法や補助魔法は苦手なのに、こんな大怪我……」
ミーナがオロオロしている間にも、アークスの血は絶え間なく流れている。
「森羅万象たる草の力、そして豊穣なる土の力を今ここに……ソイルケア!」
魔法を唱えたが、何も起こる気配は無い。
「むむむ……傷つきし闘士に癒しの光を……トリート!」
ミーナは別の魔法も試したが、やはり上手くいかない。
「ああー、ダメだぴょん。ミーナちゃんは補助が……」
ちらりとモーチョの方を見る。モーチョは斧を投げてしまったので、これ以上はこちらに攻撃できない。加えて我を忘れてその場で暴れているので、すぐにこちらへ来ることもない。
今はとにかく、アークスをどうにかしないといけない。
「何も……出来ないぴょん……」
ミーナは嘆いた。補助の魔法は成功しないし、医療の知識など、勿論あるわけがない。これほどの大怪我をしていたら、うかつに動かすこともできない。打つ手が無いのだ。
「どうにか……誰か! 誰か助けてぴょん!」
ミーナは天に向かって叫んだが、聞こえるのは荒々しいモーチョの声だけだ。近くに人は居ない。
「ここの精霊力じゃあ、ミーナちゃんは魔法を……でも、なんとかしないと……ミーナちゃんは……ミーナちゃんは……し、しん……森羅万象たる草の力、そして豊穣なる土の力を今ここに……ソイルケア!」
魔法を唱えて見たものの、その声も震えてしまう。この精神状態では、攻撃魔法の方さえ使えるか分からない。
「み……ミーナちゃんには、もうどうにもならないぴょん……誰か……モーチョ……」
再びモーチョの方を見るが、やはり暴れているままだ。
「モーチョ……モーチョ! アークスが大変なんだぴょんよ! どうにかしてくれぴょん!」
近くにはモーチョしか居ない。すがりつく思いでモーチョのことを呼ぶミーナだが、モーチョは暴れるだけだ。
「何やってるぴょん……人が……人が死にそうなんだぴょんよ、モーチョ! モーチョぉぉぉ!」
アークスの生死は!? 主人公がミーナに交代してしまうのか!? 次回へ続く!