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47話*「本名」

 ドクンドクンと動悸が激しさを増すが、それが自分のなのか、背を預けるルアさんのかはわからない。ひとつ確かなのは互いに困惑し、緊張しているということ。

 横目で見ていたジュリさんはマリエットさんに向き直すと確認するように問うた。


「本当に漆黒でしたの? 少なくとも、わたくしは見たことありませんわ」

「私もだけど御本人が一番驚いてらしたわ。『本当にいないんですね』って、とても寂しそうに」

「そ、そのホタルさんは今……?」


 なんとか振り絞るように訊ねると、マリエットさんは眉を落とし、瞼を閉じた。

 静寂が包んでいるはずなのに心臓の音がうるさい。両手も震えはじめ、握り拳を膝の上で作ると、彼女の瞼と口がゆっくりと開かれた。


「……亡くなったわ。二十年以上前に起こった『薔薇庭園』の『福音の塔』火災で……まだ二十代と若かったのに」


 やっぱりといった答えに、握っていた手が解かれる。当時を思い出すようにマリエットさんも目を伏せた。


「そんな悲しい出来事があっても『幸福の鐘』がある限り塔も残さなければならないなんて、ロギスタン夫妻にとってはお辛かったでしょうね」


 揺れる金茶の瞳と静かに告げられる言葉に喉が鳴る。

 思い返せば『福音の塔』内を見たのは、わたしもお義兄ちゃんも養親が亡くなった後。鐘のためとはいえ、悲劇の場所となった塔に入れたくなかったのかもしれない。焼け焦げた屋根を見る度、二人が何を想っていたかなんて想像できるわけない。

 顔を伏せる横で、ジュリさんが続けるように口を挟んだ。


「火災の原因はなんでしたの?」

「ホタルさんは塔内で薔薇の研究をされていたから、不意に火薬が混じって爆発が起こったんじゃないかって聞いたわ」


 お義兄ちゃんとルアさんの推測が当たったということでしょうか。

 考えただけで背筋が凍り、また両手を握りしめていると、ルアさんの大きな手に包まれる。その手は優しいのに表情は硬い。すると、マリエットさんは頬に手を寄せた。


「でもね、当時私もこの塔に住んでたから爆発音を聞いたのだけど、その前に悲鳴みたいなのを聞いたのよ」

「ホタルさんのですか?」

「それが子供だった気がするのよ。夜泣きみたいな声」

「……グレイとか?」


 ポツリと呟いたルアさんに沈黙。

 いえ、さすがにそれはないと思いますよ! 確かにお義兄ちゃんは生まれてるかもしれませんが、それだと巻き込まれて今いないです!! 勝手に殺さないでください!!!

 抗議するようにルアさんの手を叩くと、口元に手を寄せていたジュリさんが呟いた。


「当時……塔はその方だけでしたのよね?」

「ええ、夫妻は家に帰られていたからホタルさんだけのはずよ。遺体も彼女だけだったと聞くし」

「そうなると……事件性を感じるな」

「ですわね」

「ふんきゃ?」


 叩いていた手を止めると、ルアさんもジュリさんも難しそうな顔をしている。

 マリエットさんと顔を見合わせると、ジュリさんが立て掛けていた杖を手に取った。


「悲鳴の後に爆発が起こったのなら、考えられるのは魔力の暴発」

「暴発って、前ケルビーさんが起こした?」

「うん……感情が高ぶると体内から漏れた魔力が空気上で爆発を起こすんだ。これは……どの属性も同じだけど、魔力が高いヤツは規模がでかい」

「特に幼い子供さんは制御が利きませんから、もし高い魔力を持って生まれて起こしたのなら刑が下りますわ」


 水晶を小さく叩きながら話すジュリさん達は真剣で、わたしは言葉に詰まる。マリエットさんも困惑しながら口を挟んだ。


「でもホタルさんは独身だったし、魔力もモモカちゃんのようにまったく感じ取れなかったのよ?」


 その言葉に三人の視線がわたしに集まる。

 いえ、まったくというかゼロなんですけど、とは言えず冷や汗をダラダラ流しながら気付いた。同じ漆黒の髪と瞳。感じ取れないほど弱い魔力。そして名前の響き……まさか。

 ゴクリと唾を呑み込むと、恐る恐る訊ねた。


「その……ホタルさんの……本名ってわかりますか?」


 今度はマリエットさんに視線が集中する。

 自分と“似てる”女性ひとに動悸は激しさを増すばかりで、これ以上聞くのは危険な気がする。でも、聞かずにはいられなかった。

 わたしの眼差しに、マリエットさんは紙に何かを書くと差し出す。書かれているのは──。



『佐久間 蛍』



 左右から顔を覗かせた二人は眉を上げると互いを見合った。


「これ……どこの字だ……」

「第一、なんて読みますの?」

「変わったお名前でしょ? これで」

「さくま……ほたる……」


 呟いたわたしに三人は目を見開くが、その視線には気付かず、震える手で紙を握る。この世界では見たことない文字。けれど知ってる。だってこれは──日本語。

 ドックンと大きな音が胸の奥で鳴るとルアさんの膝から降り、紙を握りしめたまま声を上げた。


「この人はいつからフルオライトにいたんですか!? 日本からきたんですよね!? 他に何か聞いてませんか!!?」

「ちょっ、モモカ……落ち着けって」

「いったいどうされましたの?」


 たった数秒の間に額と両手からは汗が流れ、全身が熱く、喉も渇いたように痛い。それを落ち着かせようとジュリさんから紅茶を受け取ると、呆気に取られていたマリエットさんが口を開いた。


「えっと……ごめんなさいね。わけありみたいで私も詳しくは知らないけど、管理をはじめたのはグレイ君が生まれてすぐの頃よ。亡くなったのはその一年後だったかしら」

「奥様の産休代理でしたのかしら」

「そうかもしれないけど……でも、確かに“ニッポン”って所で薔薇の研究をされてたって……モモカちゃん?」


 久し振りに聞く故郷の名前と字に身体は固まったかのように動かず、何も考えることができない。ただ僅かに、カップを持つ両手が震えていた気がする。



* * *



 沈みだす夕日が窓から射し込むと、綺麗に磨かれた金色が輝きを増す。

 舌もない鐘は、ただ置かれてるだけなのに幸福を呼ぶとされる宝物。とても綺麗だったという音を聴きたいと思う。けれど、その下で亡くなった人を考えると複雑だった。


 日本語が書かれた紙を握りしめたまま『西の鐘』を一人座り込んで見上げていると、ギシギシと板を踏む音。振り向くと、階段の穴から琥珀の髪が見え、ルアさんが顔を出す。


「モモカ……落ち着いた……?」

「はい、なんとか。ご心配かけました」


 苦笑しながら紙をポケットに入れると、隣に座ったルアさんは腰に掛けていた剣を床に置き、わたしの頭を撫でる。その優しい手に自然と笑みが零れると、彼は迷うように訊ねた。


「聞きたかったこと……違ったのか?」

「いえ……充分すぎるほどでした。でも許容範囲を大幅に超えちゃって……余計わからないんです」


 優しい手が遠退くと、わたしを見つめる青の瞳が真っ直ぐ刺さる。見つめていると吸い込まれそうになって、体育座りした膝に顔を埋めた。


 知りたかった塔のことを聞けた。そこに住んでいたという人についても。

 でも、わたしと同じ日本人だったなんて思わなかった。はじめて同郷の人の存在がわかって嬉しかったけど、わたしもよく知る塔で亡くなってしまったことになんて思えばいいのかわからない。養親もお義兄ちゃんも何も言ってなかったし……わからないことだけが積み重なってしまった。


「さっきの……東の『福音の塔』火災の件だけど……」


 静かな声に少しだけ顔を上げると、屈曲させた片膝に肘を乗せたルアさんが鐘を見ていた。鐘と同じように輝く琥珀の髪を眩しく感じながら、揺れる青水晶の瞳を見つめる。


「ジュリと話して……調査し直そうと思うんだ」

「調査?」

「うん……色々と不可解な点があるし……強大な魔力を持った子がいたなら騎士団としても放ってはおけない」

「でも、本当に子供がいたかもわからないですよ」


 大きな爆発なら聞こえたかもしれませんが、東と西とではだいぶん距離があるし、わたしはマリエットさんの聞き間違いだと思っている。指摘にルアさんも頷いた。


「その可能性もあるけど……少なくとも現場に……ホタルって人以外に誰かいたのは間違いない」

「ふんきゃ?」


 確信に首を傾げると、足を伸ばしたルアさんは両手を床に着ける。青水晶の双眸は鐘に向いたまま。


「魔力の暴発って……普通なら塔ごと破壊する力があるんだ。何度か子供のも見たことあるけど……どの子も家一棟以上は潰してた」

「そ、そんなに?」

「うん……けど、塔は内部が焼けただけで……ジュリの祖母も薔薇園が焼け野原になったとは言ってないだろ?」


 不吉な発言をしないでください。は、ひとまず置いといて。

 確かにわたしが墜ちてきた時は数百万以上の薔薇が咲いていた。二十年以上経っていたとしても、火災に巻き込まれたのならあそこまでの世界は広がらないはず。


「つまり……食堂部がケルビーのを防いでるように……」

「あ、結界とやらを張っていたと!」


 ルアさんと一緒に人差し指を立てると頷かれる。

 実際現場となった食堂部も焼け焦げた跡と臭いが残るだけで何も壊れていなかったし、怪我人もいなかったのを思い出す。


「さすがに団長ケルビーのは……完全に防げなかったみたいだけど……そこそこ魔力があれば塔ひとつは護れる。けど」

「魔力が殆どない蛍さんには難しい……だから他に護る人がいた?」

「と……思うけど、その場にいた女性が亡くなったのを考えると……しかも漆黒の髪と瞳って……頭がこんがらがる」


 溜め息をついたルアさんは前髪を上げると苛立つように掻く。その仕草が珍しくて見ていると、突然手を止め、わたしを見た。


「そういえば……モモカも俺じゃないけど……結構“漆黒”に敏感だよな」

「ふんきゃ!?」

「うん……俺が言う度に……今みたいに肩も跳ねるし……不安そうな表情してる」


 指摘にまた肩が跳ねると、治まっていた動悸も速くなる。

 目を見開くわたしの髪を一房手に取った彼は、その“色”に視線を落とす。表情は変わらないが空気は重く、嫌な動悸を鳴らしていると目が合った。わたしだけを映したまま、ゆっくりと口が開かれる。



「ずっと……違うって思ってたけど……もしかして……モモカも漆黒?」



 ドクリ、と、蛍さんの時以上のものが胸に刺さる。

 ずっと言いたかった。でも言えなかった。それが彼の口から出ると、真上の鐘なんて鳴っていないはずなのに心臓がうるさい。怖い。瞳も肩も震えはじめ、唾を飲み込んでも喉の奥が、胸の奥が痛い。

 それでも何も言わず、わたしを見つめる彼が答えを待っているようで、震える口を開いた。


『きゃあああーーーーっっ!!!』


 が、外から聞こえたジュリさんの悲鳴に遮られた。

 慌てて立ち上がると屋根裏を『福音の塔』をルアさんと共に駆け下りる。一階まで降りると玄関が開いた先に、背を向けたまま立つジュリさんとマリエットさんが見えた。


「どうしたんですか!?」

「ほほほ、この子にビックリしただけですよ」


 外に出ると外はオレンジ色半分、常闇半分と星が見える空。

 そんな星空の下で頬を赤め、口元に手を寄せるジュリさんと微笑むマリエットさんのように地面を見ると、何かが土の中から出てきた。二十センチほどのずんぐり体型に尖ったピンクのお鼻。濃茶のふさふさ毛を纏った首元には、昔スーチお義母さんがプレゼントした豹柄入りオレンジのスカーフ。


「森山さん!」

「「「え?」」」


 わたしの大声に三人が目を見開くが、気にせず屈むと、小さな片手を挙げるモグラの森山さんと握手を交わす。


「こんなところまでどうしたんですか? ご飯が足りなかったんですか?」

「いや……モモカ、さすがにっ!?」

「あ、ルアさん。この方が森山……ルアさん?」


 そういえば紹介がまだだったと振り向くと“怖い”表情で空を見つめるルアさん。その手に持つ剣も握りしめてるようで首を傾げると、わたしの手を森山さんが慌てるようにペシペシ叩く。

 一人と一匹を交互に見ていると、ルアさんの低い呟きが聞こえた。


「誰だ……」

「え、だから森山さん」

「違う……何を……っ──『飄風走』!!!」

「青の君!?」


 焦り声が二つ響くと、大きな風が巻き起こる。

 咄嗟に閉じた瞼を開くと、コートを翻しながら足に円を描いた風を使い、ルアさんが宙を浮く。そのまま今まで見たことのない速さで飛んで行く彼に手を伸ばした。



「ルアさ──っ!!?」



 その声もまた遮られてしまった。

 でも今度は誰かの声ではない。大きな地鳴りと共に、以前も聞いた何かが爆発した音。けれどそれは目の前ではなく遠くから聞こえた音。


 空を見上げると西の塔と本城に阻まれてよくわからないが、ルアさんが飛んで行った先の上空に黒い煙だけが見える。わたしは目を見開いた。


 だって、あの黒煙が上がる方角には────薔薇園がある。







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