神の御使い
カイゼル帝国。
カーリュッフから見れば・・・ 央方に位置する聖王国エインシャントを、『北』とした場合に『西方』に位置する国である。エインシャントを挟んでほぼ大陸の反対側であり、その一帯を版図としていることから、遠国ではありながらも、無視する事のできない位置にある大国だ。
カーリュッフも大国ではあるが、エウロープやエインシャントと比べるとその力は歴然である。対してカイゼルの方でも、この地域におけるカーリュッフ王国の影響力は当然認識している。未開地アーフィリアを背にこの辺り一帯に目を向け、善政と相互扶助を(思惑はどうあれ)敷くことで、エウロープにもエインシャントにも取り込まれたくない小国達が頼りにしているのはカーリュッフだ。
秘密裏に諜報員が送り込まれていることは想像に難くない。お互い様であることも疑う余地はない。
また、彼らの持つ独自の情報網に、本来の任務とかけ離れていようとなんだろうと、祖国に有意義足りそうな話があれば、調査の対象になり得ることはごく普通だった。
ならば。
世界そのもののあり方に革命をもおこすとさえ思える、『万能薬』ともなれば、躊躇う理由はなかったろう。
・
判断に迷った。
半地下にある隠れ家的な酒場への入口。何の変哲もないその場所のすぐ横に、浮浪者と旅人の中間のような男が腰を下ろしている。
しばし休むだけのつもりか、それとも今日の野宿の場に、たまたまそこを選んだのか。隠れ家と言えば聞こえがよさそうだが、要は進んで誰も入ろうとしないような、ひと目で寂れているのがわかる酒場だ。中途半端にはされている手入れのおかげで、ごくたまに出入りするのを見ても誰も気にとめないだろう。
それだけに居座られるのが少々鬱陶しい。さすがにこの距離ですれ違えば、人一人運んでいるのはバレる。
旅人はぞろっとした長髪のせいで、顔も表情も覗えない。背中に二本、何か挿してある大きな背負袋を、座っていても下ろそうとしない。
「来ないのか?」
びくりとした。
いっそ殺すか。・・・そう思った直後の、旅人からの呼びかけ。
こちらに気づいていることもありえないというのに・・・!?
「可愛い妹弟子達の為とはいえ、方法を限られていない以上、こんな臭い場所でいつまでも待つ意味はないんだ。お前らは慎重が過ぎるよ。だから少しは楽しくするために、心の準備も含めて、色々が終わるのを待ってやっていたのに、しびれを切らしちゃったじゃないか。ああつまらない」
そこまで聞かされたところで瞬時に駆け出した。
全員が、だ。
『こういう時』のコンビネーションの段取りはもう何度もしてある。
なんの合図もなくとも、こんな時どの方法で行くか、互いがどの結論に達するかは分かっているのだ。
旅人が立ち上がり少しだけ近寄ったその時に、取り囲む態勢に入っていた。仲間がそれぞれに動いて作る円環がなった直後に、そのまま一斉に攻撃にうつる。
そして一気に押し包む勢いの中、念の為に一人が酒場に続く階段まで、捕らえた医師を抱えて走りきる。
・・・はずだった。
その仲間の足は、その旅人の背にささっていた荷物が弾けて出てきた真っ黒なモノに貫かれた。
「ぎゃあああああああああっ!!?」
あまりのことに諜報員らしからぬ大声を上げ、倒れた。抱えていた医師は投げ出され、僅かに跳ねて地に伏せる。
彼の足に突き刺さったものは、もうひとつの手・・・いや、まるで蟷螂の腕のようだった。曲がり方からすればもう一関節が逆に曲がっているべきだが、その奇妙さがそこまでの思考までたどり着かせてくれない。
それは、羽の失くなった翼であった。
「!!??」
ヴァサッ・・・
無いと思っていた羽が、半透明に浮き上がってくる。
羽ばたくたびに羽を辺りに撒き散らし、ぼんやりと光る。
「貴様はっ・・・!!」
聖五種族と呼ばれる、人以外の種族がある。
『狼』に『手』を与えて、『人狼』が生まれた。
『豹』に『手』を与えて、『人猫』が生まれた。
『兎』に『手』を与えて、『草原妖精』が生まれた。
『土竜』に『手』を与えて、『鎚小人』が生まれた。
『樹木』に『手』を与えて、『森林妖精』が生まれた。
―あまり知られていないが。
第六の種族がある。
神は、『人』に『翼』を与えて、『翼人』を生んだ、という。
どこをどう見ても天使なのだが、神はその生き物を、御使いとしてでなく、種族の一つとした。
それよりも重要なのは。
『翼人』が、『悟り』・・・ 心を読む能力があるということである。
―言うまでもないが。
カイゼル帝国より放たれていた諜報員はここで一網打尽にされた。
エルフ以上の魔力を持ち、相手の心を読むフェザーフォルクに、何の対策も立てずに勝てるわけはない。
カイゼルが本気を出せば、その医師に口を割らせることはさして難しくはないし、例の姉弟に至ってはもっと容易いだろう。そこから『万能薬』の正体にアタリをつけるのは難しくはない。成分そのものは血でしかないし、そこまでわかれば十分だ。
身柄を取り戻した時点で、水際で防いだ、というところなのだろうが。
「・・・諜報員が捕まったとなれば、カイゼルは『何かある』事には確信を持ってしまうだろうな・・・。
『神化計画』は、どのみち後戻りできなくなる、か」
見た目だけはまるきりに神の御使いであるグウィンは、嘆息混じりにそんなことを呟いた。




