嘘と違和感と、事実
「・・・? 姉ちゃん、何? それ・・・」
埃っぽい部屋の中、薄汚いベッドからゆるゆると体を起こした少年の瞳には、小瓶に入った薄い黄色の液体が映っていた。
掃除をサボっていなくても、周りの空気が悪すぎるため、その小瓶にそそぐ日の光にはどうしても舞う物が見える。
「お薬。 ・・・ちょっとした縁で、貰ったの」
カーリマンズ学院のとある研究室の面々と、一介の清掃員。立ち聞きも縁の形で、黙って拝借したのが『貰った』うちに入るならの話ではあるが。
しかし、彼女にとってはどうでもいいことだ。実際の罪がどれだけのものだろうと。
「さ、打つわ」
「うん。・・・これで元気になれるのかな」
「病気ならなんでも効くって言ってたから、多分ね」
姉は微笑みながらそう言ったが、実際はそれほど期待してなどいない。新発見のたびに大騒ぎする研究者の大声にびっくりしたことなどいくらでもある。それをこき下ろされる姿も。
それでも。
もしかしたら、と、思ってしまうのだ。そして、こんな事は別に初めてでもない。
彼女の弟は、その様子のとおり、病魔に犯されている。
治らない病気ではけしてない。しかし、治すまでにかかる費用が高すぎる。罹患者の少なさから、専用の薬の大量生産が出来ず、貧民街ギリギリの場所でいきている姉弟に払えるような額ではない。
だから、酷使されている分を自発的に頂戴するだけ・・・ それくらいいいじゃないか、と、悪びれる気もない。
鉄っぽい変な風味がする以外は、苦くもなんともない『薬』を弟は飲み、そして・・・
研究室にいる目つきの悪い、金の短髪の男の人・・・ ラトという青年から「大食らいの義理の姉の『余った作り置き』の処理をしてくれ」と頼まれて、貰ってきた料理で腹を満たした。
・
翌朝。
彼は、明らかに『違う』のを感じた。
体の中にいた、ずっと神経を尖らしていた守護者が、久しぶりに気を抜いたような。
知らず知らずそれを常としていた圧力が、抜け去ったような。
変わっていないはずのこの埃っぽい空気のかけてくる負担が、なんでもないもののようになったような。
「あら、起きたの? なんだかよく寝ていたわね。 ・・・顔色もいいみたい」
「・・・うん」
乾いてしまったパンを、薄いスープで戻すようにして作った粥。お世辞にも美味いものではない。なのに、何故だろう。いつもと違って、ちゃんと味がある。飲み込むと、胃に染み渡っていくのがよく分かる。
立とうと、してみた。こっそりと。
さすがに筋肉が落ちているのだろう。無理だった。
けど。
・・・体を起こそうとするだけでも起きる鈍い頭痛が、全くこない。
あのやりきれないだるさが、無くなってしまっている。
「姉、ちゃん」
「・・・何?」
「なんか・・・ その」
今日だけのことかもしれない。
今までだって調子のいい日と悪い日はあった。その振り幅が大きくなった時の前の夜に、偶然それっぽいものを口にしただけかも。
それでも。
「・・・今日は、調子いいみたい」
そう言うのが精一杯だった。確かなことなんてわからないのだから。
それでも今までにない・・・ いや、久しぶりだった。こんなに・・・
体が、軽いのは。
「そうか。昨日のアレ、効いたのかしらね」
姉の反応も、慎重だった。期待してダメだったことなんて何度もあった。だからこそ・・・ でも。
今までと違う気がする。気がするくらい、良いはずだ。
そんなふうに思うと、自然顔が綻ぶ。
その日の彼女の足取りは心なしか軽かった。
・
「先生っ!!」
ギリギリ貧民街ではないところに住む姉弟が知っている医者などというのは、いい意味か悪い意味かはともかく、裕福な医者ではない。
病魔に人の貴賎を見る気はないだろう。しかしかかる設備や薬の諸費用はそう変わらない。必然的にこんなところで医者を続けるのはいろんな意味で難しい。医術は忍ぶ術で仁術だ。
「どうした?」
「弟を・・・診て欲しいんです」
「容態が悪く?」
「逆です」
・・・・・・!!?
そんなはずはなかった。
あの病気は自然に治るようなものではない。そのはずだ。
しかし。
連れられていったその娘の家で、診断した『弟』は、完全に回復していた。
「・・・治っとる」
「よかった・・・!!!!」
声を震わせながら、弟に抱きつく娘。もうずいぶん前から調子は良かったらしい。治ったのだという確信が欲しいために呼ばれたのだろう。
「・・・どういうことかな。この病気はほうっておいて治るものじゃない。薬を手に入れるには、私にもすぐには用意できない額の金が必要だったからこそ、治す算段がつかなかったんだ。
・・・何をしたんだね?」
「・・・きっと、神様がお救いくださったんですよ」
弟に抱きついた笑顔とは正反対の、張り付いた笑みでそう答える娘。そんな敬虔な娘ではないことはよく知っている。役に立たない仕事ぶりをするような愚鈍な娘ではないが、バレない範囲なら軽犯罪をすることにも躊躇わないほどにはすれてしまっている。
弟の方は、何も言わない。そこにも、違和感があった。
思い当たることがあった。
彼女が今出向いているのは、カーリマンズ学院。この地方で言えばトップクラスの学院である。




