紡ぐ言葉と締め括る言葉
「・・・そうだったんだ」
『アムリタ』に関する事は初めて聞いたティナは、茫然とした。
知らない間に、自分が完全に中心になってしまっている。自分を無視して。とはいえ・・・ 三人に全く悪気はないだろうし、自分は事情を黙っていた上死にかけているわけで、お互い様である。
それよりも。
うなだれたファローの方がティナにとっては問題だった。
それは・・・ もしかしたら、生きぬこうとは思っても、死を覚悟してしまって、そして拾いなおしたかもしれない自分の命よりも。
『感染症』を細菌、ウィルスの区別なく治療してしまうという『アムリタ』の有用性が、『免疫不全』を引き起こすという特殊なそれ、『アイディス』にも通じるのかどうかは未知数なのだ。だからそんなことより、目の前の親友の酷い落ち込みようの方が気にかかった。自分の今の状態に加えて何より、先の話に出てきた、『アムリタ』の正体はファローにとって酷に過ぎた。
有用すぎる。
しかも影響が大きすぎる。
そして容易に想像のつく未来は最悪だ。
生き続けたい、という当たり前の思いをある側面で叶えながら、一つの種族を滅亡に追いやるようでは話にならないし使えない。いや、使ってはならない。それがどんなに大切な物をどう救おうとも。
数など問題ではない。助ける者のために、犠牲となる者が、死す者がいていい筈がない。
『万能薬』が。
生き続けたいという思いを、踏みにじる何かであっていい筈がないのだ。
だからこそファローのショックは尋常ではなかった。
目の前にあるのに。夢のような薬が。一年の間に500万人が命を落とす原因を、消す事が出来るのに。なのに。
使えば、それが可能なのに。
でも。
ファローの思考はぐるぐる回る。
『アムリタ』で助かる筈の命はこの瞬間にも尽きているかもしれない。いや瞬間をどうとらえるかによるが、500万を360日、24時間60分60秒で割った時、1以下にはならないのは容易に想像できる。
同時に、種族を一つ潰れるその中で生まれる怨嗟が、どれほどのものかなど想像もつかないのだ。
広まって、いや、知られてしまえばもう歯止めの利かない一方の滅びの待つ一方の救済。
それは、『生き続けたい』『生き続けていてほしい』という、当たり前の、でも叶わない事もある願いの具現化が引き金となる。
「・・・これでは、私はもう何も出来ない。何も・・・
あんなに素晴らしくも、ここまでおぞましい薬があるか。けれど・・・
この瞬間、なんだ。人は・・・ 今もきっと死んでいる。助ける方法は、ある。『感染症』であれば何にでも効く薬があるんだ。
救えるんだ」
どちらが大切だ、などとは言えない。ハーフエルフであるファローは、人でも人狼でもないからこそ、余計にだ。命が等価値であると分かるのだ。彼女はエルフでさえない。種族単位の色眼鏡を持たない。
彼女はこの世界で生まれた時から自他ともに認める一人ぼっちで。
でも、今はその事を辛いとは感じない程、この世界に認められている。だからこそ。
どちらが大切だ、などという答えを持ちえないから。
「・・・ひっ・・・」
怯える声のような、悲鳴のような、そんなしゃくりあげるような泣き声は、そこで止まる。
「教え・・・てくれっ、ティナ・・・!! わたしっ・・・は、どうすればいいっ・・・!!!」
使わなければ、止まらない死がある。使えば、始まる滅亡がある。
そんな思いだけがぐるぐると、終わらない。答えがない。
「・・・教え、られないよ。私にだって、分からないもの」
当然だった。
この問題は、二人の手に余る。聞いてしまえば、じっとなどしていられないけれど、勿論解決する義務などないのだ。それではファローの気が済まないだけだ。それはファローの勝手というだけだ。
「でも、さ」
でも。
「私、この病気の事が分かった時・・・ いっぱい泣いたよ。生きる意味が分かんなくなったし、死ぬのは怖かった。好きな人たちとの、いずれ来る別れは悲しかったし、私がいなくなる世界の事がどうでもよくなるような気持も味わったよ。
私以上に必死になって治療法を探してた父さんが愛おしくて見てるの辛くて滑稽だったし、むかついた。立場が反対なら同じ事するだろうなって思う癖に、もうすぐ死んじゃう私の心の何が分かるのっておもった。 ・・・何言ってんのかな。私も良く分かんない。ええとね」
伝えたい。
何を伝えたいのかもわからないけど。
どうやって締め括ったらいいのか分からないまま、ただただたどたどしく紡ぐ。
「私が、最後に・・・ つまり今、何がしたくて治療もせずに先生なんかやってたかっていうとね、やりたかったからなんだ。・・・何当たり前な事言ってんだろ。でも、そうなんだ。もうすぐ死ぬって言われちゃって、残り少ない時間をどうしようって思って、いつ来るか分かんない、でもそう遠くないその瞬間までしていたいって思ったのは。
『伝える』ことで。
それが、一番・・・ したいことで。
それで・・・・・・
ねえ、ファロー・・・
一緒に、考えようよ。
どっちも出来ないのなら、そこで悩んでてもしょうがないよ。この瞬間に死んでる誰かの事であせっても、何も変わらないもの。だったら・・・
なるべく早く、でも、ファローの納得する答えを見つけるしかないよ。だって、誰も教えてくれないよ。まだ誰も知らない答えだよ。だって、その筈だもの。
いままで、『感染症』を無差別に治療する薬は見つかった事はないんだもの。
それが、人狼族の血だった事なんて、初めて分かった事だもの。
だから・・・
勉強しようよ。その答えに届く為に。何かのヒントになるかもしれない事は何でも。片っ端からでもあたりをつけてでもなんでもいいよ。やってみようよ。
毛皮があったかいのが理由で乱獲された生き物の、それでも絶滅しなかった種は、一体どうやってそうなったのかな。誰が止めたんだろう。誰が言い出したんだろう。
『アムリタ』は、どう使うのかな。100倍に薄めて少量でも効果があるなら、かなり問題が軽減すると思わない? いや、例えばだけどさ。でも、やってみないと分かんないよね。リドルはいろいろ試したと言ってたけど、その辺のアプローチはしたのかな。
今は確かに公表するわけにいかないけどさ、それならそれで使い方はあるかもしれないじゃない。新薬の実験は患者の合意の上でやる場合もあるし。その方法なら貧富の差は関係なく使えるよね。ちょっとこなれすぎな感はあるけど、私、今さっき許可なくやられたとこだけど一応感謝してるよ?」
ぷっ・・・
ファローは吹き出してしまった。
ティナは意外と、『伝える』のは上手くない。好きと豪語する割には、いつまでたってもたどたどしい。なのに、何故だろう。要点が分からなくても・・・
彼女の『思い』は、するりと届くのだ。
「考えよう。ファローが『こうしたい』って思うまで、そういう方法を見つけるまで。だってそうじゃないと意味ないじゃない。それまで救えない命の事は、諦めたくないのもファローらしいけど・・・
でもそこで立ち止まったら、今考え始めて、もしかしたら答えが出て、そこから救えるようになる筈の命に間にあわなくなっちゃうじゃない。それは、それこそ・・・
ファローが『許せない』事なんじゃないの?」
その通りだった。
「私達は、どんなことだって自分で決めないと動けない。『誰かの言いなりになる』のだって、言いなりになる事は自分で決めるんだ。だから・・・
どんなに急ぐ事だって、納得するまで考えなきゃいけない。何かをしながらでも、流される途中でも、考えるのは、それまでは続けなきゃいけないと思うんだ」
そして、彼女は・・・ティナは締め括る言葉を紡いだ。
「とりあえず・・・ 私は『アイディス』に対して『アムリタ』を処方してみた検体第一号なのよね。
実に興味深いわ」
そう言って、親指の爪を噛む。
何かの芝居の演目で、理知的な女性がいらいらとしている時にする仕草なのだが、彼女は何故かそれを笑いながらやる。
面白い物を見つけて、ゆるんでしまう口の端を引き締めるように。
母性や、面倒見のいいお姉さんのような顔は、彼女の一面でしかない。
ファローのような使命感からではなく、純粋に好奇心でまわりを巻き込みながら邁進する姿をファローは知っている。
「不謹慎な奴だ。って、相手は自分だが」
「ええ。遠慮がいらないわ」
アムリタはめぐる。遠からず世界を。
始まりがあるのなら、それはきっとこの瞬間だったのだろう。




