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アムリタはめぐる  作者: おかのん
第2章
16/28

『命』と、それを表す『薬』

 気がつくと。

 そこにあったのは見慣れた天井だった。

 

「・・・えーと」


 自分の家の自分の部屋だ。見慣れ過ぎている。

 ティナはここで寝た記憶がない。最後にしていた事を思い出せない。ただ・・・

 体が軽くなったような感覚がある。


「ふぇ?」


 何故か手を見てしまう。しかしそれで思い出した。自分が血を吐いた事と、そのまま倒れた事。

 ふと見ると、ベッドのわきにヴァスがいた。自分のもこもこの手を頬の下にして寝ている。多分、ティナの容態が安定したところで安心したのだろう。

 

 ・・・どうしたらいいのだろう。

 確か、血を手で受けた。手に残っているわけではないが、頭をなでてもいいのだろうか。


「・・・起きたか」

「あ、ファロー」


 視界に入らなかったが、どうやら部屋にいたらしい。

 そう言えばリドルは医者だと言っていた。ファローも医者だ。彼らが運んでくれたのだとすれば、消毒をしていないという事はないだろう。


「ちょうどよかった。聞きたい事がいっぱいあるわ。・・・というか御免なさい。その・・・

 黙ってた事・・・

 もう、知ってるわよね。私が、アイディスっていう病気にかかっている事」


 友人が目の前で血を吐いて、その時かかっている病気を調べないわけはないだろう。主治医か父に聞けば事情を含めて大体分かる。

 しかし、それには答えず、ファローはティナに抱きついた。


「・・・ファロー?」

「・・・・・・私は、何をしたらいい?

 ティナ、お前が生きてるという喜び、いなくなるかもという恐怖。それと何も変わらない気持ちが、『アムリタ』の有る無しで決まるのなら、何としてでも、一刻も早く世界中に広めようと思っていた。けれど・・・

 それが、『命』を表すのなら」

「『命』? ・・・『アムリタ』って・・・何?」

「『アムリタ』とは、『万能薬』の事だ。・・・ヴァスの・・・ 人狼(ライカンスロープ)のもっている特別な薬。細菌、ウイルス系の・・・ いわゆる伝染系の病であれば高い効果を示す薬だ」


 ティナに隠す意味はないだろう。

 もう、ある程度はリドルやヴァスに聞いて知っているかもしれないが・・・

 彼らとの出会いから、全部話した方がいい。そう思って、ファローは語り始めた。


 大した長さでもない、しかし、三人の強い葛藤と決意の話。

 一つの種族の未来・・・ いや、滅亡の引き金を引くかもしれない、戦争さえ起きかねない『事実』を抱えての二人の旅と、それについて行こうとした、もう一人の医者の話を。


 ティナは、ヴァスの横でそれを静かに聞きはじめた。



 ・



 そして、その話の結びの場面。

 この三人の旅の終着点、つまりここでの、ティナが倒れた後の。

 『アムリタ』が使われた時の話。


  『人狼(ライカンスロープ)の血』が、『取りだされ』る。



「・・・っ!!!!!!!」



 『人狼(ライカンスロープ)の血』が、ティナに使われる。



「おいっ!! 適応は調べないのか!?」


 血液である。しかも人に近い姿をしているとはいえ異種族だ。むしろクロスマッチを見るまでもなく駄目そうな気もするが、リドルはこともなげに答えた。


「不要だ。すべてOなうえに・・・ 数百の生き物で試した。あの時の女の子も、人体実験を兼ねてたんだよ」


 あの時の女の子、というのが。

 ファローと出会ったあの村の、助かるかどうかわからなかったあの子の事だと分かった。


「貴様っ・・・!!」

「俺も妹に使う前に自分でやった」


 絶句するファロー。

 しかしその事実は、検証を重ね続けたリドルこそが、結果を見るたびに戦慄した事なのだ。


 それは、まるでそのために神が作ったように。

 人狼(ライカンスロープ)の血は、どんな生き物のどんな血液型とも、不適合をおこす事はなかったのだ。

 その有用性と実用性の高さ、しかもそれが天然ものである衝撃。


「他の方法であの子が救われる事はなかった。賭けでもあった。それよりもお前は考えろ。今、目の前で起こった通りの事が答えなら、どういう事になるか。

 ・・・馬ってのは、野生のものはとっくに絶滅しかけてる。移動手段として家畜になってるから、その数は膨大だし、そんなこと考えないけどな。

 毛皮が暖かいってわかって乱獲が止まらずに、絶滅しかけた動物もいくらでもいる。

 薬になると分かって、研究室でしか見られなくなった草が何種あると思う?


 ファロー、医者であるお前になら、当事者であるヴァスよりも、その事が深く分かる筈だ」


 よく分かる。とてもよく分かる。


 命を救う、命。 『血』が『アムリタ』・・・『万能薬』。

 その事実を知って、脳裏に浮かんでしまった二つの事。


「ああ、あ・・・」


 リドルが自分に何を心配したのかよく分かった。

 それは、それで苦悩した揚句に、止まれないかもしれないその使命感を気遣ってくれたという事だ。

 嬉しくて、悲しかった。思った通りに、自分は苦悩しているのだろう。

 言う通りにしていればよかったのかもしれない。知らないままなら、彼らを軽蔑していればそれでおさまったのに。


 けれど、もう。


 ティナには、使われて。

 ファローは、知ってしまった。


 『血』が、薬であるという事は。

 ほぼ確実に、二つの事が起こる。

 突き放した表現をすれば。

 乱獲、密猟と・・・その後、保護、隔離、量産。

 

 同時に・・・

 『人狼(ライカンスロープ)』の、社会性の滅亡である。


 老衰以外に、『仕方なく』死ぬことなどない。しかしそれでも、死は無慈悲に訪れる。その人間の全てが、終わる。消えてしまう。どれだけ愛されていようと、誰に必要な人だろうと、死ぬ時には死んでしまう。

 その中で。

 『伝染病による死』というものが、全く消せるとしたら。

 

 医療先進地域であれば、死因の上位は、心疾患、能血管疾患という、『体の不調が限界を超えた』もの。もしくは、各部位の腫瘍・・・いわゆる『ガン』だが、後進地域・・・というか世界的にみると、『微生物感染症』による死は桁外れで一位にいるのだ。

 20億と言われるこの世界の総人口で、約1800万とされる年間の死者のうち、500万人が『感染症』で命を落としている。


 年間最大500万人を救う『血』。

 誰かにとってかけがえのない誰かを、他ならぬ、世界のすべてを認識する『自分』の全ての『基盤』を。

 失わずにすむ方法があるのなら。

 

 それは、どんな道徳よりも矜持よりも事実よりも優先されるだろう。

 求めるものがいる以上、歯止めは絶対に効かない。

 まずは乱獲が始まるだろう。今必要な人間が手遅れになる前に。輸血での方式で収まるわけはない。年に死ぬ人間が500万いる中で、人狼族の個体数は万に届かない。しかもこの数字は死亡した者だけで、『死ぬ可能性のある患者』に全て処方していたらそれこそ一地域の伝染病の鎮静までに、人狼族は滅亡してしまう。

 人狼族も抵抗はするだろうが、組織的に動き、罠や戦略を用い、兵器や魔法を操る『人間(ヒューマン)』に善戦出来るとは思えない。個体の能力がいかに高くても、先は見える。


 そして乱獲によって著しく個体数を損なった場合、人狼族そのものが滅亡すれば、未来にとって多大すぎる損失だ。そうなると今度は保護の動きが出てくる。しかし、今必要な人間は後をたたないだけに、制限がかかれば密猟が横行する。それを取り締まる体制が出来上がり、機能するまでどれだけかかるか。

 それが実を結んだとしても、それは隔離した上でしかなしえない。人狼族という種族は、『己の血』を『量産』するためだけの、経済動物、家畜となり下がる。全て人の都合で。


 救いたい、救わねばと思った人の手で、聖五種族の一角が社会性を失い『滅亡』する。

 人が人である故に。

 生きていたいという、当たり前で最低限の純粋な願いが、ともにこの世界で同じ思いを持つ筈の別の命を完全に食いものにし、取り返しのつかない破滅に追いやる。

 そんな未来を確信させる、夢の万能薬、『アムリタ』。


 人狼(ライカンスロープ)の、血。

 間違いなく夢であり、悪夢のような現実の引き金。


 結果だけの残る現実にファローは反応できなかった。

 それは、友人にそれまでを話し終えた今も同じであった。

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