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短編No.01-20

No.14 Love Your Dancin’

作者: 藤夜 要

 彼女と出逢ったのは、親へのささやかな反逆を企てて予備校をサボった日。衝動的にそんな行動をとった為に時間を持て余し、僕は何となく代々木公園へ足を向けた。

 まだ陽が落ち切らない夕刻の公園は、あらゆるジャンルのダンスパフォーマーが、己の存在を主張する様に踊り狂っていた。犬の散歩をする老人や主婦が胡散臭そうに彼らを見ながら通り過ぎるが、そんな軽蔑とも屈辱とも言える視線も彼らを止めることが出来ないらしい。かく言う僕も、侮蔑の目で見る大人達と同じ、蔑んだ目で彼らを一瞥しながら、公園の奥へと歩いていった。


 ――結局、そんなことをしていたって、時間の無駄にしかならないのに。

 それが、中学受験を目前にしていた時に僕の出した結論だった。

 ダンスなんて、ほんの一握りの才能のある人間しか成功しない。仮に世間の注目を集めたところで、生活の糧に出来るかも怪しい。プロになりたい奴は腐る程いるんだ。僕なんかがその頂点付近に立てる筈がない。

 再三説得する両親の言葉を、今の僕はそのまま自分の意見として納得していた。

 納得していたつもりだったんだ。彼女のダンスを見た、あの時までは。


 彼女は、既に完全に陽が落ちた暗がりの中、観衆ゼロの芝生で自分の世界に入り込んでいた。あれは、多分ハウス・ダンシング、かな? 僕はテレビやDVDを使って、独学でブレイクを適当にやっていただけだから、他のジャンルのことはよく解らない。解らないのだけれど……。


 外灯が浮き立たせる、少し傷んだセミロングの金髪、小柄な割に鍛えられた二の腕、軽快に踏まれるステップの切れのよさ、彼女の額から飛び散る飛沫が時折キラキラと瞬いて――バックに流れるミュージックにあわせ、僕はいつしか小刻みにつま先だけでステップを踏んでいた。彼女の魅力的なダンスと、心から楽しんでいるその表情が、とうに鎮火したと思っていた僕の内なる熱をいつの間にか再燃させていた。

「Hey you! Come on let's DANCE!」

 目が合った瞬間、彼女にそう声を掛けられ、僕はその途端現実に戻った。僕はもう諦めたんだし、彼女のダンスに見惚れていたのが本人にばれてしまったのも恥ずかしかった。その羞恥心が、僕のステップするつま先の動きも止めてしまった。

「あれ?」

 彼女は日本語でそう言って怪訝な顔をした。少しの間僕を凝視すると、CDを止めて近づいて来た。

「アタシのところで足を止めるんだったら、絶対b-boyだと思ったのに。違うの?」

 b-boy――この制服姿の僕の、何処をどう見たらダンサーだと思い込めるんだ。ちょっとリズムを踏んでしまっただけだろう? 何故そう感じたのか解らないが、不快感を伴う疑問が浮かんだ。取り敢えず表向きは温和な返事をしておいたが。

「あ、いえ。気持ち良さそうに踊ってるなぁ、とちょっと釣られてリズムを取っちゃっただけなんですよ。巧いですね」

 汗だくで、大して可愛い顔をしているわけでもないんだが、KIRAというロゴの入ったタンクトップを着た彼女が零した笑みは、少しだけ僕をドキっとさせた。

「さっすがアタシ。ど素人にリズム刻ませる程、ちゃんとダンスに気持ち乗せれてるんだねっ。ありがと、少年!」

 いちいちむかつく女だった。同世代にしか見えない癖に、見下す様な『少年』という呼称も、『さすがアタシ』という自意識過剰さも、何だかその時の僕は、妙にむかついてしょうがなかったんだ。

「少年って同い年位でしょう、えっと……」

 まだ名前も聞いていないことに、僕はその時ようやく気がついた。彼女は自分の胸元をちら、と見て

「KIRAって呼んで、少年は?」

 と気さくに僕にも名を問うて来た。お前、今咄嗟に適当に名乗っただろう。そんな皮肉も込めて、僕も校章をチラ見してから、学校の名前を名乗ってやった。

「代々木です。随分自信があるんですね。どうして一緒に踊ろうなんて思ったんですか? あわせるなんて難しいでしょうに」

 彼女は『してやったり』という顔をして、笑った。

「ほーら、ホントは踊りたくってうずうずしてるんじゃない、b-boyの代々木クン。勝気な目をして見ていたからね。一緒に踊ったら、きっとアタシも新しい刺激を貰える、って思ったんだ」

 何を言おうとしたのか知らないが、次の言葉を彼女が紡ぐ前に、彼女の携帯が着信を知らせた。ディスプレイを見て、ふと彼女の表情が曇ったのは、僕の気の所為なのだろうか?

 KIRAと名乗った彼女は、手短に

「アタシ、基本毎日この時間は此処にいるから、次は一緒に踊ってみよっ」

 と言って、背を向けると携帯に出たまま僕の存在を掻き消した。

 KIRAと僕は、そんな風に出逢った。彼女にとっての僕も、僕にとっての彼女も、自分の人生を通過するエキストラの一人に過ぎない、その程度のお互いだと、その時の僕は思っていた。




 別に、彼女の言葉を真に受けて公園に向かう訳じゃあないんだ。昨夜、また母親にぐだぐだと言われてむかついたから、今日も予備校をサボってやれと思っただけだ。最初からそのつもりだったから、予備校で使う教材の代わりに私服をナップザックに詰めて来ただけで、決して踊るつもりで着替えた訳じゃない。……たまたま、持っている私服がナイキのスウェットとか、だぼだぼのゆるTしかないとか……それだけだ……。

「うゎっはははは! 気合入ってるじゃん、少年!」

 KIRAはそう言いながら、僕の手からニット帽を奪って『ぽすっ』と僕の頭に被らせた。僕の服装を上から下まで、女子高生を嘗め回す様に見る親父みたいな見方で品定めをするKIRA。

「ブレイク? あったかな、それっぽそうな曲。ってか、何でもいっか。お互い好きにやっちゃおうっ」

「あんたの好きな様に、の言い間違いだろう?」

 僕のそんなささやかな抵抗は、KIRAのかけたミュージックに掻き消された。

 随分古い曲だ。でも、聴いたことがある。アップでリズムを取りながら

「TMの『COME ON LET'S DANCE』って知ってる?」

 と訊いて来た。

「いや、でも聴いたことありそう」

「今のファンク・ミュージックの原点だもん。アタシの中では、この曲がダンスの原点なんだっ。ウツのダンスを見てこの道を目指そうって決めたのさ」

 その後の言葉は、もう聞いてなかった。案外、KIRAも何も喋っていなかったかも知れない。今流行の曲程速いテンポではなく、かと言ってダルく感じる様なルーズさもない。適度に心地よいアップテンポ。久々にダンスをする僕にとって、体慣らしに丁度よいリズムと、そして何よりその曲のシャープさが、どんどん僕をエキサイトさせていった。

 母親に吐き出された言葉――高校受験程度で浪人なんて、母さん、恥ずかしくてご近所で顔を伏せて歩いてるのよ――その言葉を蹴散らす様に、宙に向かって蹴りかます。

 今度こそ受かってくれなきゃ、高校受験で二浪もした子なんて、後々の就職活動でも不利なんだから――その言葉を、弾く様にヘッドスピンでかき混ぜる。

 耳に心地よく響くTMの歌詞そのままに、踊ることで自分の自由を証明する様な、奇妙な気持ちの僕がいた。


 曲がフェードアウトし始めた時、気がつけば数人の観衆が拍手を惜しみなくくれていた。

「うゎ、ハズかし……」

 KIRAが「Thank You!」と礼を述べながら、シャッポを抱えてチップを貰い歩くことも、その拍手も、物凄い羞恥を感じて、僕は被っていたニット帽を目深に被って俯いた。

「ラッキーっ。少年、キミのお陰だよ。アタシも合わせる勉強になったしねっ」

「合わせるって……どんだけ上から目線なんだよ」

 体と一緒にほぐされた心が、KIRAに気安い口を叩かせていた。その後も暫くの期間、僕は彼女と同じ曲で、それぞれにダンスで思いの丈を吐き出していた。




 別に金が欲しい訳じゃないんだけど。

 シャッポに入ったチップは、当たり前の様にKIRAが全額懐に入れる。金が欲しいんじゃなくて、むしろ逆に、自分が好きで勝手に公共の場を使って踊ってるのに、ちゃっかり金を取るというのが僕にはどうも戴けなかった。

「ねえ、前から言おうと思ってたんだけどさ。金取るの、やめない?」

 貰ったチップを数えている彼女に、さりげなさを装って言ってみた。金勘定の為に無言が暫く続いた後、KIRAは相変わらず自分のバッグに入っている巾着袋に金を入れ込みながら、皮肉った声で反論した。

「少年は優雅なお受験boyだからそんな綺麗事が言えるのさ。こっちはスクールの金を工面するのに必死なのっ」

 その嫌味な言い方にカチンと来て、オブラートに包んだ言い方をする気が萎えた。

「そのお受験boyをそそのかして、金稼ぎの片棒を担がせてるのは誰だよ。俺が一緒に踊るまでは、シャッポも持ち込んで無かった癖に」

 言ってて自分が落ち込んだ。言葉にして、初めて気がついたんだ。僕は、KIRAに利用されてたってことなのか、と。それを裏付ける様に、KIRAの眉間に深い皺が寄って、バッグをまさぐる手が止まった。

「……分け前を寄越せ、ってこと?」

 まるで自分が被害者だと言いたげな瞳を僕に真っ直ぐ向けて来た。その瞳が潤んで来たかと思うと、ぱたぱたと黒ずんだ涙が彼女の頬を汚して行った。

「な、泣くことないだろ? マスカラはげてみっともないって。不細工が増すぞ」

「不細工言うなっ! 踊ってないアタシの程度なんか、自分で知ってる!」

 論点が、完全にずれた。小学生みたいに声をあげて泣きじゃくる彼女を持て余し、かと言って、十時を回ったこんな深夜に彼女独りを放り出して帰る度胸もなく。僕はただベンチの隣に腰掛けて、彼女が泣き止むのを待ち続けるしかなかった。


「お受験boyは、謝る。ごめん」

 ずず、と鼻をすすりながら、KIRAがようやく泣き止んだのは、周囲からすっかり人影の消えた十一時近くだった。どこにそれだけの水分があったんだろう。

「本当に、分け前が欲しい訳じゃないから。自分が好きでやってることで金を取るのが、僕の中では夢を金に替えてる気がして汚く感じただけなんだ。KIRAの言う通り、僕は理想論を言ってるだけなんだろうな」

 そう答えた僕は、余程変な顔をしていたんだろうか? おもむろにKIRAが自分のことを話し出した。

「アタシん家さ、俗に言う『家庭不和』っていうの? 『家庭機能不全』とかって奴で、親から離されて施設で暮らしてんだけどさ。大勢いても、だーれもアタシのことなんか知らない訳よ。ま、親から離される前も似た様なもんだったけどさ。中学ん時、たまたま先輩の家で見せてもらったTMのPV見てダンスにのめり込む様になって、それで初めて自分の夢っていうか、生き甲斐っていうか、生きてるって気がする瞬間を見つけたんさ。だから、ずっと此処に来るんだ。プロになりゃ、ずっと踊れるでしょう? 誰かがアタシを認めてくれてる、見ててくれてるってことでしょ? 金に見合うだけのダンスが出来てるっていう自信はあるんさ。それくらい、精一杯でいつでも踊ってるから。命懸けだよ、アタシは。少年には悪いけど、スクールに通えなくなったらデビューのチャンスも消えるんだ。だから、これは止めないよ。でも、少年に無理強いはしない。もう甘えんなっつーなら、無理しなくていいさ。受験生なんでしょ?」

 KIRAは一気にそう吐き出して、僕に握手を求めて来た。

「Thanks.キミのお陰でお客が集まったのは確かさ。また、元の方法で金を工面するよ」

 その時の僕は、機関銃の様にまくしたてたKIRAの饒舌に気圧されて、条件反射的に出し出された手を握り返しただけだった。KIRAはぐっ、と一度だけ強く僕の手を握り締めると、

「キミも、本当にしたいことなら『何を犠牲にしてもいい』くらいの覚悟で、真剣に向き合いなよ。踊ってない時のキミは、アタシと同じで打ち上げられた魚みたいな目をしてるよ」

 それだけ言うと彼女はCDを肩に担ぎ、いつもの巾着袋が入ったナップザックを背負って、暗い闇の向こうへ消えていった。


 ――元の方法で金を工面する。

 その言葉が、僕はずっと気になっていた。その言葉を聞いた瞬間に脳裏に過ぎったのが、初めてKIRAに逢ったあの日、携帯電話を受けて歪んだ彼女の曇った表情だったから。そこに根拠も確証もなかったけれど、何かヤバい手口で金を稼いでいたんじゃないかと勘ぐっていた。

 あれからも、僕は毎日代々木公園に通っていた。勿論、ちゃんと予備校に行った後。

 恥ずかしかったんだ、僕は。ダンスとも受験とも真剣に向き合わないでいた癖に、文句ばかりが一人前だった自分に、KIRAの一言で気付かされた。彼女に一言お礼を言いたくて、そして、出来る限り一緒に踊って少しでも力になりたくて、いろんな時間帯を選んで、毎日通った。

 だけど、『これは止めないよ』と言っていた筈の彼女と、その後二度と逢うことはなかった。




 あれから何回も季節が巡り、既に諦めがついているというのに、習慣になってしまった僕は、今日も就活を終えた後、代々木公園に足を運ぶ。


 僕はあの年の受験に合格し、無事高校生活を送ることが出来た。皆より一つ年上だったから、押し出される様な形で先生達の説得に当たってダンスサークルを結成し、三年間をダンスと大学受験に向けての将来を見据える時間として過ごした。ダンスの時間が、唯一KIRAと一心同体でいられる時間だった。――そう、僕は後で解ったんだ。大した美人でも可愛い子でもない、マスカラお化けで、感情の起伏が激しい、自信過剰のKIRAが好きだったんだ。だから、あの頃あんなに必死になって彼女を探し続けたんだと思う。

 初めて彼女と再会したのは、テレビの液晶ディスプレイ越しだった。画面の向こうで、垢抜けた彼女が、『KIRA』という芸名を引っさげて登場した。夢が叶ったんだ、と嬉しかったのと同時に、遠くへ羽ばたいて、僕の手の届かない高みまで行ってしまったことに寂しさを覚えた。でも、満面の笑みで踊ってる。『KIRA』という名の由来は、という問いに対し、『アタシをこのステージまで来させてくれた、一番最初の恩人だった少年にそう名乗ったから』と言ってくれた彼女の中に、僕が今も生きていると思えたから、それだけで満足だと感じている。少しだけ文句を言うとすれば、歌もそんなに巧いなんて知らなかったことくらいだ。生で聴いてみたかった。

 大学の進路は、経済学部に決めた。自分でダンススクールを興す夢を見つけたんだ。KIRAみたいな苦労をしなくても、ダンスに専念出来るスクールを作りたい。まずは経営理念を学びかった。同時進行でダンスの方に力を注ぐのも怠らない。講師をたくさん雇うなんて無理だろうから、大学もダンスサークルに所属して仲間を増やし、皆で起業しようと持ち掛け、この二年半の間に綿密な計画を練って来た。汚い話だが、資金作りの為の就職活動に個々に励んでいるというのが現状だ。

 夢は、次第に僕の中で切迫する思いに変わっていく。

 KIRAの人気に翳りを落としたきっかけは、僕があの頃懸念していた『元の金の稼ぎ方』だった。タブロイド誌にすっぱ抜かれたスキャンダル。やっぱりあの頃のKIRAは、金を得る為に『売り』をしていた。事務所のコメントでは、報道された写真の相手は当時の彼女の恋人で、たまたま一回りも年上の資産家だった為に資金援助をしていただけで、結婚を前提の付き合いをしていたので、警察の取り調べ結果からも淫行の事実はないと証明されていると釈明していた。きっと、僕だけが知っている。真剣な付き合いだったら、あんな苦しげな顔なんかしなかっただろう。

 一時期は『ダンスの神の化身』と謳われたKIRAは、その後テレビの前から消え去った。今、彼女はどうしているのだろう。KIRAにとってのダンスは、魚にとっての水の様なもの。幼子にとっての母の様なもの。そして、僕にとって、KIRAの様なもの――。


 初めてKIRAと踊った、あの外灯の下のベンチを目指して歩いていくと、珍しく人だかりが出来ていた。僕は心の中で「ちっ」と舌打ちをする。勝手な話ではあるが、そこは僕なりの聖地サンクチュアリなのだ。人に我が物顔でいられたくない。それがエゴだと解っているので、普段は人気の少ない夜にしか来ない様にしていたのだけれど。

 足早に通り過ぎて、そのまま帰ろうとしたのだが、鳴り響くリズムについ足を止めてしまった。この曲は……。

「COME ON LET'S DANCEだ……!」

 慌てて人ごみを掻き分ける。リクルートスーツ姿の一見いい大人が、b-boyスタイルの少年達を掻き分ける大人気なさを恥じる余裕が僕にはなくて。

 写メのシャッターを切るフラッシュの中に、懐かしくも大人の女性になった、生身のKIRAがそこにいた。あの頃と同じ、身体にピッタリとフィットした短い丈のタンクトップに、ホットパンツをまとったダンススタイルで、あの頃よりも洗練されたダンスを披露して観衆を魅了していた。

「Hey! You! Come on let's DANCE!!」

 僕と視線の合った彼女が、手を差し伸べてあの時と同じ台詞を僕に告げた。それぞれが勘違いしたのか、それとも僕の勘違いだったのか、「Yeah!!」という歓声の返事と共に、観衆の一部が彼女に更に近づき、皆でダンスを披露し出す。

 まるで、ゲリラライブの様だった。平日の黄昏時、TMの曲が大音響で代々木公園に鳴り響く。奇声と共に踊り狂う天使達。僕や、通行人の人達は、呆然とそれを眺めていた。

 リクルートスーツも、ガードのない頭も、僕の内からこみ上げて来る熱いものを抑えることは出来なかった。どんな言葉で表現したらいいんだろう? あの時の想いが、今の僕の原動力になり続けていることだけは自信を持って人にも言える。

「Come on! 少年!」

 その声に答える様に、かつて『少年』だった僕は、スーツの上衣を脱ぎ捨てて、カッターシャツが擦り切れて穴が開くのも構わずに、b-boy、b-girl達と踊り狂った。公園管理者の係員が駆けつけて来て、無理矢理解散させられた後も、その火照った身体と気持ちは醒めなかった。




「久しぶりに代々木で踊ったよ。ハチャメチャしたのも久しぶり。KIRAといると、こういうサプライズがあるから、あの頃もすごく面白かった」

 片手にCDラジカセを担ぎ、もう一方の手でKIRAの手を握り締め、彼女の一歩前を進みながら僕は言った。僕の上衣を羽織って、過剰に露出した肩を隠したKIRAは、照れ臭そうに「はは」と笑った。何となくそのままぶらぶら歩き、噴水のへりに腰掛けた。

「久しぶり。元気そうでよかったよ。よく僕だって判ったね」

 あの頃よりも変わっている筈だから、思ったままにそう言った。KIRAと違って、僕はKIRAの目につくところになんていなかったから、成長期の頃に逢った僕と今の僕では全然見分けられないと思っていたから。

「キミの瞳を見れば判るさ。アタシに自信をくれた瞳だから」

 KIRAらしくない弱気な言葉に僕はかなり面食らった。

「らしくないじゃん。初めて逢った時から自信過剰だった癖に。テレビに出てる間も大きなことを言って笑いを誘っていたじゃないか」

 言ってから、「しまった」と思った。今の彼女の状況を思い遣れない一言だったと後悔しても遅かった。

「……もう、アタシは踊れない。踊る場所、なくしちゃった。少年の言った通りだった。夢を金で買うなんて出来っこなかったんだよね。今頃ツケが回って来て、事務所から今度の契約満期を迎えたら、更新するつもりはないって言われた」

『無性に少年に逢いたくて、毎日公園のあの場所へ、時間の許す限り来ていた』と聞いて、僕は不謹慎にも彼女の心の痛みの前に、喜びを先に感じてしまった。一緒に夢を追えるかも知れない。KIRAが僕らの計画に参加してくれたら、昔のKIRAみたいな子達の環境を、もっとよくしてやれるかも知れない。

「KIRA、こんな計画があるんだ――」

 僕は、彼女に起業の計画を話した。彼女への好意が絡んだ邪念を含んでいるのではない。話している熱のこもった自分の声に、自分でも驚くくらい、この計画に情熱を捧げている自分を再認識させられた。踊りたい。躍らせてやりたい。ダンスの素晴らしさをもっと世間に知らせたい。踊るパフォーマー達を蔑む視線で一瞥する公園を行き過ぎる人達に、あの躍動感を伝えたい。鬱積した日常をなぎ払う様に踊る彼らの情熱を、醒めた目の彼らにも浮かべて欲しい。生きる喜びを諦めないで欲しい。その架け橋が、僕らの好きなダンスであって欲しい。

 KIRAは僕のそんな想いを、ちゃんと歪めずに受け止めてくれたに違いない。それは、次第に輝いて来た瞳と、緩んで下弦をかたどる唇が示していた。

「アタシ、また踊れるんだ……。少年が踊る場所をくれるんだ……」

 ありがとう、とKIRAは目に涙をいっぱいに溜めて、また凝りもせず黒いマスカラ混じりの筋を頬に伝わせながら、思い切り僕に抱き付いて来た。

「う……わっ、ちょ……っ!」

 KIRAのかたどる下弦の後ろに、昇り始めた下弦の月が、KIRAとそろって僕に微笑んでいる。祝福するように輝く満天の星を仰ぎながら、僕らはゆっくり背後の噴水の中へ落ちていった。

「ご、ごめん。後ろが水だって忘れてた」

 ずぶ濡れのKIRAは、やっぱり薄明かりの中で全然美人でも可愛くもなかったけれど、僕にはとても輝いて見えた。魚には水を。幼子には母を、そしてKIRAにはダンスの場を――そうして初めて輝ける。その働きに僕が関われることが、何よりの僕の誇りになった。

 ずぶ濡れのまま、噴水の貯水の中で僕らの話は尽きなかった。資金はアタシに任せて、とKIRAは胸を張り、僕は教室会場やシステムについて教授を願う。噴水の水如きで、僕らの絶え間なく湧いて来る熱い想いが冷やされることはなかった。


「あ、そういえば、少年の名前を聞いてないや」

 不意にKIRAが口にした。やっぱり『代々木』は嘘だとばれていたのだな。思わず僕は噴き出してしまう。

「確かに、もう『少年』ではないもんな。KIRAがあからさまに『KIRA』なんて適当に名乗るから、こっちも言いそびれちゃったんだよ」

 渋谷透と本名を名乗ると、「結局駅名じゃん」と小馬鹿にした様に鼻で笑った。その方が、KIRAらしい。不遜で自信過剰で、ダンスさえあれば何も怖くない、そんな熱いKIRAのままでいて欲しい。僕の願いを察した様に、KIRAは僕を呼び捨ててこう言った。

「トールね、OK.アタシはね――」

 出逢ってから四年目にして、僕はようやく素顔のKIRAと廻り逢えた。

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