第2話 挨拶をしよう!
さて、挨拶だ。
気合を入れ、俺は廊下を歩く。
どうでも良いが、貴族の家はとことん豪華だ。品の良い家具に見るだけで心を潤わせ、弾ませる芸術品。貴族は体裁のためにそれなりに高価なものを誰にでも見える様に飾ると聞いたことがあるが、まさしくその典型だ。
しかし、趣味が良いために悪い気分にはならない。配置や順番も考えられているのだろう。芸術についてさっぱり分からない俺でも、透き通る様な風景画や好みの壺などに目を奪われる。例え贋作でも怒らない。
「しかし、旦那様。いきなり食事を共にするとは……大丈夫ですか?」
幼馴染兼執事のブランシュが心配そうに話しかけてくる。むしろ頭を心配されている気がする。それはそうだろう。今まで俺ことギルバルトはあまり声を荒げなかったし、寡黙に近い性格だった。いきなりたくさん話しまくり、しかも訓練や戦闘以外で声を張り上げれば狂ったと思うに違いない。俺でも疑う。
だが、ブランシュには何とか誤魔化した。
曰く、父親の背中を見て育ったためあんな風にカッコ良くなりたいと思ったこと。ただ父親の様にフランクに話すと、自分では威厳を出すことが出来なくなると不安を抱いたこと。
故に頑張って今の今まで背伸びをして背中で語る様にしていたこと。
だが、もう限界が来たということ。
何より、子供からこれ以上逃げたくないということ。
好きだからこそ避けてきた。傷付けたら恐い。子供は未知の存在に見えた。
色々捲し立てて勢いで押し切ったが、まあブランシュもまだ半信半疑といったところだろう。俺でも疑う。
しかし、前世を思い出してしまった今、逆立ちしたって俺には背中で語る寡黙の人物を演じるのは無理だ。
俺は、前世ではよく喋っていた方なのだ。
もちろん言葉もなく共にいる空気が好きな時もあるが、常に何も喋らないままなど、死ぬ。死んでしまう。誰かと話したい。繋がりたい。笑い合いたい。
そのためには、まず殻をぶち破る。そんな人物像を演出するのだ。つまりは、地で行くということだ。
「さあ、挨拶だ! 人間関係の基本は挨拶から! 挨拶に始まり挨拶に終わる! それが人間!」
「まあ、確かに基本ではありますね」
「というわけで、いざ! 尋常に!」
ばあん、と気分は扉を豪快に勢い良く開け放っていたが、実際は使用人達が丁寧に腰を折って開けてくれた。本当に俺は貴族なのだ。慣れるのに時間がかかりそうだ。
そうして開け放たれた先には。
「え……」
「……お、おとう、さま?」
大きく目を丸くした二人の天使がいた。
――かあああああわいいいいいいいいいいいいいいいっ!
くりっとした大きな目に、ぱっちりした睫毛。あどけないまあるい顔に、まだまだ小さなお手て。そんな二人につぶらな目で見上げられた俺は、見事に心臓を撃ち抜かれた。
お互いに手を握り合って、不安そうに見上げてくる顔とかまで可愛すぎる。むしろ、不安にさせるとかありえない。
こんな可愛い天使を放置とか、ギルバルト本当に馬鹿だろ。
大丈夫だ。これから俺が存分に愛するからな!
というわけで! まずは! いざ! 挨拶!
「……」
「……」
「……………………」
「……………………」
「…………………………………………」
「…………………………………………」
沈黙。無言。痛々しい空気。
何故だ。
何故なんだ。
俺の。
俺の口が。
――開かないんですけどおおおおおおおおおおっ⁉
嘘だろ⁉ 何故⁉ ホワイっ!
開けよ! いや、声を発しろよ! 見つめ合ってだんまりとか、どれだけ生殺し状態なんだよ!
いやいや、おかしい。今、あれだけ軽やかに口が動いていたのに。何だ? この現象は?
挨拶するだけなんですけど? 横からブランシュが物凄い目で見て来るんですけど? 俺もそんな目になりたい。俺にその目を俺が向けたい。
「……ち、父上。……おはようございます」
「……お、おはよう、ございます」
ちょこん、と天使二人が近くの椅子に座ったまま可愛らしく頭を下げてくる。
やばい。このままだとマジで感じ悪い。
だからこそ、俺は物凄い労力で口を開いた。ぎぎぎ、と蝶番が錆びた様な音が聞こえたが気のせいだ。
しかし。
「……、…………………………、……ああ」
――「ああ」、じゃないんですよ! このばかぎるばるとおおおおおおおおおおおっ!
物凄い時間を使って絞り出した一言が、よりによって、「ああ」!
何で、「ああ」なんだよ! 「ああ」って何だ⁉ 「ああ」って!
もっとにこやかに挨拶出来るだろ! さっきまで散々叫んでただろ! 今の俺の心の声みたいに!
何故、普通に「おはよう、マイスィート天使♪」とか言えないかね。普通に天使じゃん。可愛いじゃん。むしろ抱きしめたいじゃん。
それが、よりによって「ああ」。大事な第一声が「ああ」。俺の心が死ぬ。
そのせいか、目の前の二人が物凄くびっくりした顔をしていた。
目を更にまんまるにし、ぽかんと口を開いている。そんな間の抜けた顔まで可愛い。最高の子供じゃないか。抱きしめたい。
しかし、それを何故かこの体は許してくれなかった。仁王立ちで微動だにさえしてくれない。せめて食卓に行きたいので歩いてくれ。――歩けや!
「……ええと、旦那様。とりあえず、座って朝食に致しましょう」
「……。……ああ」
ナイスフォローなブランシュによって、俺も辛うじて返事をした。先程までくるくる回っていた口が嘘の様な寡黙っぷりである。俺って無口を演じられたのか。知らなかった。
しかし、尚も子供二人は驚いた様だ。え、とか細く声が漏れる。
そうだよな。やっぱりこんな不愛想過ぎるいっぺん頭を殴られてこいな父親と食事だなんて嫌だよな。気持ちは痛いほどによく分かる。
だが、ここで挫けてはいられない。何としてでもこの頑固な固い口を割って、子供達とコミュニケーションを取りたい。むしろ取る。
ぐっと拳を握り締め、気合を入れる。――何故かここだけは自分の思い通りに動いて、びくうっと子供達だけではなく、周りにいた使用人も驚いていた。泣きたい。
そして始まる地獄の食事会。
「……」
「……」
「……………………」
「……………………」
「…………………………………………」
「…………………………………………」
再び訪れる沈黙リターンズ。
俺の口は、何故子供達の前ではまるで動いてくれないのか。心の中ではこんなにも話したいことがたくさんあるのに。
気合いだ! 気合を入れろ、俺の口!
そして。
「……、……でぃ」
物凄い振り絞って声を出した。
単純に名前を呼びたかったのだが、一音発するだけでこの労力。まるで全力疾走した様にごそっと体力が削れた。
子供達が一斉に俺の方に振り向く。それはそうだろう。今まで食事を共にしたこともなし。会話すらなかったのだ。俺から自発的に声を発するだけで驚きの連続に違いない。
「でぃ、……」
「……」
「か、……」
「……」
「でぃ、……でぃ、……っ」
「……」
ふんぬー! とナイフとフォークを握り締め、俺は再び気合を入れる。やはり周囲が思い切り飛び上がっていたが、もう気にしてはいられない。ちなみに本日のフレンチトーストはとても美味だ。シェフに後で感謝を伝えたい。
ここで何も言わなければ男の名折れ。
気合を入れて、大きく息を吸い込み。
「でぃ、あん」
「――」
「……か、……、……かー……、ら」
「……っ! は、はい!」
とてつもなくつっかえながら、何とか名前を絞り出す。
子供達が今日一番の驚きで椅子からひっくり返りそうになっていたが、使用人がすかさず椅子を固定していた。プロである。
はあっと大きく溜息を吐く。もはや体力を使い過ぎて虫の息だ。
しかし、名前を呼んだだけで終わるわけにはいかない。これではただの意味不明な親父になってしまう。
「お、ま……え、達……は……」
「……は、はい」
「……、………………、……俺、の」
いけ! いくんだ!
可愛い子供! 俺の可愛い子供! 天使! ただ素直にありのまま事実をそっくりそのまま言うだけだ。
さあ。いざ!
「…………………………俺、の、……こ、ども……だ」
「――――――――」
――終わった。
ただ事実を、ありのまま、本当にそのまま言っただけである。
肝心の「可愛い」を伝えられないまま、本日の朝食は終了してしまったのだった。泣くしかない。
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