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大公、身分を隠して平民のおっさんになる

「はぁ、はぁ……す、凄い斬れ味だ。これで失敗作だとは。クックックッ」

 人を斬ったというのに、男の持つ刀には血の一滴も付着していない。


 男は不敵な笑みを浮かべながら、夜の闇へと姿を消した――


 


 東方の国から、このインガ公国に流れ着いた鍛冶屋の噂は、公都の剣士達の間で酒の肴になっていた。


 クミナス神王国の製鉄法とは全く異なる方法で作られる剣の切れ味は凄まじく、四人の人間を重ねて、真っ二つに、当に一刀両断できるほどなのだとか。


「四人を一遍に斬れる剣なんてあるわけねえだろ。なあラウルのアニキ」

「ヨタロ……お前さんまで噂の鍛冶屋の話か」

「そりゃあ、俺だって剣士の端くれよ。そんな剣があるなら欲しいってもんですわ」


 だらしのない服装をした平民のチンピラのヨタロも、最近では毎日のように鍛冶屋の話をしている。


「そろそろ閉店ですよ、ラウルさん、ヨタロさん」

 公都の片隅にある小さな食堂――小太り食堂。父娘で営むこの店は連日、庶民たちで賑わっていた。


 ヨタロの分までの払いを済ませて店を出る。


「ラウルのアニキ、今日もごちそうさまでした。えへへ」

 一応、準貴族である騎士家の倅の俺が、平民のヨタロの分を払うのは、しょうがないことだ。

 

 ヨタロは数回浅く会釈をすると、千鳥足を不器用に進めながら彼の家がある貧民街へと消えていった。


 公都のはずれにある、私営の剣術指南所を営む騎士爵のソディア家。その倅がラウル・ソディア、我である。継承権の無い騎士爵の倅である我は、体裁こそ貴族扱いされるが、一般人とさほど変わらない。


「ふう。我も帰るとするか」

 我が帰る場所は、公都のはずれにある剣術指南所。ではなくインガ公国の大公宮殿。


 なぜならば、騎士爵家の倅、ラウルとは世を忍ぶ仮の姿。我の正体は大公マディンなのである。

 大公の地位を継いで五年、政務に追われる日々に辟易としていた。

 我はそんなある日、太子であった頃にお忍び訪れた公都へと出かけてみた。

 

 民のフリをして買い物をし、街を歩き、酒を飲んだ。

 これがなんとも愉快で心が踊ったのだ。

 

 以来、我は週の三割は騎士爵の倅という設定の身分に扮し公都で息抜きをしているのだ。

 

 インガ公国はこのクミナス神王国の政治と軍事を担っている。

 大公である我の日々の政務は、元老院、貴族院たちから上がってくる新法案のチェック、隣国の軍事情報の収集から軍隊の人事、配置に至るまで多岐にわたる。

 そして膨大な量だ。


「だぁぁ! つまらん! 早く公都でお忍びしたいぞ。爺! 爺!」

「はい大公殿下、爺が参りましたぞ」


 爺――元、元老院で我の家庭教師であった大貴族。

 我が世を忍ぶ仮の姿、ラウル・ソディアの父()――ジク・ソディアも爺が担っている。


 「とりあえずの決裁をしていただいたら、街へ降りましょうぞ」

 爺の励ましの言葉でモチベーションを上げる。

 彼こそ真なる我のメンターであった。


 趣味であるお忍びをうまく立ち回れるように、騎士爵の倅という身分を用意してくれたのも爺だ。

 公都に降りる際に、いつも共をしてくれるのは、彼自身も民の暮らしを楽しんでいるからだろう。

 


 さて、今週の政務も粗方やっつけた。うずうずと胸に渦巻くストレスを、やっと開放できるというものだ。


 鏡面に立ち冠を外す。整えられた髪を両手でかき乱し着替える。

 お忍びスタイルへと変身が完了すると、爺と共に大公宮殿の裏口から抜け出すのであった。

 


 昼下がり、ソディア剣術指南所には指南役代理として任せているアロンが、門下生たちに稽古をつけていた。

 

 我がお忍びを始めた四年前、体裁を整えるためだけの剣術指南所の門を叩いたのが、このアロンである。

 もちろん開店休業を目的としていたので断ったのだが、毎日門の前に立っているアロンに根負けして剣術を教えるようになった。


 大公家に代々伝わる秘剣術を簡単にし、適当に名付けたソディア流闘剣術。

 アロンは剣の才があったのだろう。


 メキメキと実力をつけ、我が不在の時は指南役を任せている。

 しかし、この剣術指南所、思いの外評判が良くてな。

 貴族の門下生は一人も居ないが、今では公都に数ある私営指南所の中でも名門と呼ばれつつある。


「あ、大旦那様、ラウル師範。おかえりなさいませ。皆も挨拶しなさい」

「「「おかえりなさいませ」」」

 

 一般平民とさほど変わらない我にまで礼儀正しく挨拶をするなんて。

 やはり気持ちが良いな武道というのは。


「アロン君、なんだか門下生が増えてない?」

「ええ、今週どこのならず者かわかりませんが、人斬りの被害が増えまして」

「え? そうなの? 物騒だなぁ」

「護身のために入門希望者が増えたんですよ」


 それにしても公都で人斬りとは度し難い。

 治安を守る騎士庁は何をやっておるのだ。しかも我に報告が上がってきていないとは。

 次の議会で激詰めしてやるか。


 

 稽古が終わり、門下生は三々五々に指南所を出ていく。


「よし、爺。今日は一緒に飯でも食おう」

「はい! 大公様。いつもの〝小太り食堂〟ですな」

「ああ」


 我が贔屓にしている小太り食堂。

 今日も小太りの店主と娘が出迎えてくれる。


「あ、ラウルのアニキ〜! と、アニキのお父さん。こんばんわっす」

 チンピラのヨタロがすでに良い感じに仕上がっていた。


 我と爺が小太り定食の看板メニューである豚カツを待つ間に、キンキンに冷えたラガーを喉に流し込む。

 普段飲む高価な葡萄酒も良いけれど、稽古で汗を流したあとのラガーというのは格別の極みだ。


「テスちゃん、ラガーのおかわりをくれ。爺……父上は何を飲みますか?」

「そうじゃな、米酒を冷でくれんかの」


 危ない危ない。ついいつものクセで爺と呼んでしまいそうになる。

 店の娘、テスは満面の笑みで酒を運んでくる。いつも明るくて素直で、本当に良い娘だな。


 ガラガラッ――


 店の引き戸が開き貴族らしき若者が三人、ふてぶてしい態度で座りテーブルの上に足を組む。


「おい、女! ラガー持って来い」

 実に横柄な態度だが、平民が貴族に歯向かうことなんてできないのが、この国の身分制度だ。

 

「チッ、アイツらまた来やがった」

 先ほどまでご機嫌だったヨタロが、不機嫌そうに舌打ちをする。


「おい、平民。今、舌打ちしただろ? ああ?」

 三人の貴族が立ち上がりヨタロに詰め寄ると、ヨタロは苦虫を噛み潰したような顔をする。

 

「……い、いえ。舌打ちではなくってですね」

「不敬罪だな。おい、表に連れって斬っちまおうぜ」


 不敬罪――平民が貴族に対して侮辱的行為をした場合、貴族当人の判断で処罰して良い。あとで、騎士庁に処罰した平民の身分札と書面を提出するだけという、言わば貴族特権である。


「待ってくださいな、お兄さんたち。舌打ちだけでは不敬罪にはならんでしょう」

 ヨタロと貴族の間に割って入る。


 不敬罪にでっち上げることはできるだろうけど、我のことをアニキと慕っていくヨタロを見捨てるわけにはいかないしな。


「あ? お前、身なりが良いな。貴族か?」

 貴族たちは我の腰帯から下げた身分札を覗き込む。


「騎士爵ソディア家のラウル?……なんだよ、準貴族の息子じゃねぇか。よく見たら、帯刀してるの木剣だし」

「ハッハッハッハッ、俺たち男爵家だぞ? お前も一緒に斬ってやろうか?」


 自分たちの身分札を我の眼の前に掲げる貴族ども。

 我が公国の貴族にこんな奴らが居ようとはな。まったく。


 「よし、俺たちが教育してやる。表に出ろ」

 貴族たちが我の襟を掴み、店の外へと連れ出そうとする。


「ま、待て、お前たち! 大こ……ラウル!」

「大丈夫ですよ、父上。ヨタロと米酒を楽しんでいてください」



 店の裏路地。魔導灯の青い灯りが、貴族たちの抜いた剣の刃に反射する。

 

「木剣で真剣の俺たちの相手をしようなんて馬鹿な奴だな」

 自信満々な貴族たちのプライドは、次の瞬間ずたずたに叩きのめされることになる。


 それはそうだろう。我は国の軍事を預かる大公なのだ。

 代々は伝わる我の秘剣術を前では、軍を統べる大将軍ですら赤子扱いなのだから。


 国の法で貴族以外は、当代の騎士爵を除いて帯刀が許されていない。

 設定上、我は真剣の帯刀ができないから木剣なのだが。


 我の剣術を相手に、真剣だ木剣だというのは問題ではない。

 

 打ちのめされて気絶する三人の貴族たちを、道の端へと転がし小太り食堂へと戻る。


 

「アニキ、無事でしたか?」

「ああ、ちょっとお灸を据えて来たよ」

「さすがアニキ、伊達に指南所の師範じゃないぜ! で、でも、相手は男爵家ですぜ? 後で大事になるんじゃ」

「ああ、大丈夫大丈夫。なんとかなるさ。さて、飲み直そう。テスちゃん、ラガーおかわり!」


 しかし、この日の出来事は事件の始まりに過ぎなかったのだ。


  翌日、我は政務を放り投げ、ラウルに扮して公都へと降りた。

 人斬りの件といい、先日の貴族の件といい、ここ最近、公都の治安が急激に悪くなったことが気になっていたからだ。


 「ラウルさん、今日はお酒は召し上がりになられないのですか?」

 小太り食堂の娘、テスが珍しそうに我に話しかける。

 

 それもそのはず、我はお忍びの際は必ず酒を飲んでいたからだ。

 我にとってお忍びと酒はセットなのだ。

 その酒を我慢してトンカツだけを食らっているのは理由がある。


「ラウルのアニキ、なんで飲まねぇんですか?」

「人斬りが横行してると聞いてな。今日は夜回りをしようと思ってるんだ」

「公都の治安を守る剣術師範! かっけぇっす」


 目を輝かせるヨタロは、自分も同行したいと言う。

 ヨタロはこう見えて意外と剣の腕が立つ。昔から貧民街のならず者たちと喧嘩に明け暮れていたからだろう。

 彼が木剣を腰帯にぶら下げ、自称剣士を名乗っているのもハッタリだけではないのだ。

 

「でもお前さん、酔ってるからな。酒を飲むと判断が遅れるから今日はやめておいたほうがいい」

「なぁに、人斬りが出たら大声だして、野次馬を集めるくらいの役には立ちますぜ」


 二人分の払いをテスに手渡し、店を後にする。

 

 ヨタロの話では人斬りが出たのは先週に二回、酒場街と貧民街の夜中。

 ちょうど今時分だ。

 

「ここから夜回りしながら、お前さんの住んでる貧民街まで行くとするか」

「なんか、送ってもらってるみたいで嬉しいっす。えへへ」

「何言ってるんだ、まったく。気色悪いな」

「気色悪いって、そりゃぁないでしょう」


 

 貧民街が近くなってくると道を照らす魔導灯が無くなる。

 人気(ひとけ)もなく人斬りをするには絶好の場所だ。


 砂利を踏む足音がする。

 耳に集中し、足音を数える。四人……来たか。


「ヨタロ、木剣を構えろ。防御だけに集中して、隙を見て逃げるんだ」

「い、いや。お、お、俺だって戦いますぜ」

「やめておけ。相手は真剣だ、しかも四人」


 黒い布で口と鼻を覆った男たちに前後に挟まれた。

 まずいな、これではヨタロが逃げる隙がない。


 暗闇の中でも剣を構える立ち姿で、この者たちが手練れであることがわかる。

 剣身が随分と細い。しかし、レイピアとはまた違った形状だ。


 一人が剣を振りかぶりヨタロに斬りかかる。間合いの取り方、踏み込み、敵ながら天晴な攻撃だ。しかし、ヨタロもなんとか反応し、木剣を斜めの角度で受けようとする。

 

 木剣で真剣を相手にするときの、防御としては申し分ない。

 斬撃の軌道をずらすことで、木剣自体が切られることがないからだ。


 しかし、その完璧なはずの受けは意味をなさなかった。

 木剣はまるで大根を切るかのように切り落とされ、ヨタロの腕を掠めた。


「ぐわぁっ」

 飛び散る血しぶきが、傷の深さを物語る。

 間髪を入れずヨタロに襲いかかる追撃。咄嗟に我はヨタロを蹴り飛ばし、同時に木剣で相手の柄に突きを入れる。


 なるほど。反り返った刃の重心を使い、引き斬る。これがこの者たちが持っている獲物の特徴だろう。


「ヨタロ! 腰帯で腕を縛って血を止めろ」

 我の指示を聞いたヨタロは、あたふたしながら腰帯を外す。


 さて、これで一対四。だが、四人一斉にかかってくるには突きしか出せない。

 この場合、一人と応戦している間に背後から斬る、もしくは突く。というのが定石だ。


 我の剣術ならば何のことはない。異常な斬れ味という点に注意さえすればよいのだ。


 予想通り、一人が切りかかってくる。先程の要領で、今度は相手の手首を木剣で打ち付けた。続いて背後からの斬撃を、飛んで躱し即座に反撃の突きを繰り出す。


「クソ、お前たち撤退するぞ」

 一人の号令で、四人は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


 統率が取れている。逃げる方向を四方に散らしたのもよく訓練された兵法の手練れのなせる業だ。


 これはもしかすると……



 ヨタロの傷の手当をするために、ソディア剣術指南所へと向かった。

 血の出方からすると、太い血管は切断されていないものの傷の深さは相当だ。


「おやおや、これは手ひどくやられたの。しかもこの斬れ味、胸が高鳴るわい」

 ヨタロの傷の手当をする爺が目を輝かせている。


 この人は、政治学、経済学、魔導学。更には医学にまで精通している。

 我の家庭教師として幼い頃から色々習ったが、未だに底の知れない人物だ。


「ふむ。骨も血管も神経も無事じゃ。しばらく剣は握れんが綺麗に切れてる分、治りも早そうじゃな」

 曲がった針と糸で、手際よく縫合していく様に見入ってしまう。


「すげぇ、あっという間に傷が塞がっちまった。アニキのお父さん、何者っすか?」

「ホッホッホッ、趣味の延長よ。また斬られたら縫ってやるわい」

「いや、もう斬られたくないっすよ」


 この日、ヨタロはソディア家の屋敷に泊まることになった。

 しかも、我と同室。

 宮殿の寝所は常に衛兵が立っていて、何人(なんぴと)たりとも入ることができない。


「アニキの家にお泊りなんて感激っす! 楽しいっすね。恋バナしましょうよ」

「黙って寝るんだ。傷が治らないぞ」

 

 そんな我が、民とベッドを並べて寝る日が来るとは。

 おかしなものよな。だからお忍びはやめられない。

 

 それにしても、此度の人斬り事件。

 思ったよりも根深いものかもしれないな。


 明日は足を伸ばして、()()()に行ってみるか。


「ラウル、ヨタロ君。朝ご飯ができたぞい」

 爺の手作り朝ご飯。これもお忍びの楽しみの一つだ。

 幼い頃から爺はよく飯を作ってくれた。


 しかも、味は宮殿の料理人にも負けない。万能すぎるだろ、本当に何者なんだろうこの人は。


「かーっ! うめぇっす! お父さん、小太り食堂よりうめぇっす!」

「なになに、趣味の延長よ。おかわりもあるでな、たんとお食べなさい」

「うっす!」


 気持ちが良いほどにがっつくヨタロの姿をみて、爺が微笑んでいる。


「さて、そろそろ門下生たちが来る頃だな、今日は出稽古に出掛けようと思う」

「お! 面白そう! 俺もついて行っていいっすか?」

「お前さんは怪我人だから、留守番だよ」

「えー」

 

 訓練場でアロンに出稽古に行く旨を伝え、門下生たちに用意をさせる。

 総勢二十名。ぞろぞろと向かうのは、公都の中心街にある公営剣術指南所。


 ここはインガ公国軍の騎士や剣士、加えてインガ公国の予備軍と予備軍補が多く在籍している剣術指南所だ。

 公国の戦力を上げるために、他流の指南所も自由に稽古に参加できるようになっている。


 戦場での戦いを想定したインガ流剣術を指南するここに来たのには理由がある。


 昨日の人斬りたちが使っていたのが、インガ流剣術だったからだ。

 とはいえ、この剣術を使うものは多く、人斬りの犯人を探すのは難しいだろう。


「よし、皆。怪我をしてもここは医務室があるから大丈夫。思いっきり勉強してきなさい」

「「「はい! ラウル師範」」」


 広い訓練場の中央には丸く囲った一対一専用のスペースがあり、大勢が観戦することもできる。

 手練れの騎士が審判であるため、重傷に繋がることが少ないのも良いところだ。


 次々と挑戦する門下生たち。戦績は個々別別いったところだが、剣を握り始めて一、二年の平民がよく頑張っていると褒めるべきだろう。


「ソディア流剣術、アロン。インガ流剣術、コーネル。前へ!」

 審判が手合わせをする二人の名前を呼ぶ。

 いよいよ、ソディア流剣術の優等生、アロンの出番だ。


 上段に構える相手のコーネルに対して、中下段に構えるアロン。

 互いにジリジリとすり足を進め、制空圏がぶつかる。


 先に仕掛けるコーネルに対して、木剣を斜めの角度で受けるアロン。

 コーネルの鋭い縦斬りは軌道を逸らされて地面を叩いた。


 上手い。さすがアロンと言いたいところだが、彼は普段、初手を躱しての反撃を得意とする。

 彼に受けさせるとは、相手も中々の腕前だ。


「チェストォォ」

 アロンの謎の掛け声とともに防御の態勢から繰り出される回転斬り。

 コーネルは、それを地面についた木剣に体重を乗せ防いた。


 一撃目が躱された時に防御と連携させるインガ流剣術の型だ。自然な流れでこの動きができるのは、よく修練している証だ。

 

 二人は間合いを取り、二撃目の準備に入る。

 互いの持てる技でどうやり取りをするかをシミュレーションする。こういった頭脳戦になるのは、実力が拮抗しているからだろう。


 互いに決定打が決まらない状態が続き、遂に時間切れとなった。


「引き分け!」

 審判の判断。我の目から見てもそう見えた。



「ラウル師範、不甲斐なくて申し訳ないです」

 アロンは悔しそうな顔で頭を垂れた。


「いやいや、大したもんだよアロン君。本当に」

 実際アロンの実力は、公国軍でも小隊長くらいにはなれる程だ。

 騎士庁に推進しても良いかも知れないな。その方が彼にとっても実入りが良くなるしな。



 収穫はあった。出稽古に来た甲斐があったというものだ。門下生の皆にとってもいい経験になったであろう。


 指南所へと帰る道、彼らの顔は自信に満ち、清々しい顔をして闊歩していた。

 

 

 この日の夜も、我は夜回りに出かけた。

 ポイントは昨日と同じ、酒場街から貧民街までのエリア。

 

 魔導灯の青い光は今日も道を照らしている。

 クミナス神王国から魔導管を伝って供給される魔導で光を発するこのシステムは、公国の生活インフラだ。


 これも貧民街まで伸ばす必要がありそうだな。

 灯りのない場所には悪が潜みやすいのが世の常である。人斬り事件を解決したら着手するか。


 そんなことを考えていた矢先。

 

「キャァァァァァァ」

 

 酒場街に女の悲鳴が響き渡る。

 駆けつけると父娘らしき二人が四人組に襲われていた。父親は殴られたのだろう、顔が腫れ、口から血を流している


「テ、テスちゃん?」

 これは驚いた。襲われているのは小太り食堂の父娘だった。

 

「ラウルさん、助けて。お父さんが、お父さんが」

「大丈夫、殴られただけだ。死ぬことはない」

 襲われている恐怖で取り乱しているテスの肩を抱き、を落ち着かせると逃げるように指示を出す。


 背格好、剣の構えをから推察するに昨日と同じ四人組だ。

 あとは決定的な証拠を揃えるだけだ。


「貴様は昨日の」

「ああ、今日は逃さないよ。コーネル君」

「な!」


 覆面をしているのになぜ正体が? そう思っただろう。

 驚くのも仕方ないが、我レベルの剣の達人になれば構えを見ただけで人の判別くらいつく。

 そのための出稽古だったのだから。

 そう、人斬りの一人の正体は出稽古でアロンと試合をしたコーネルだったのだ。


 「コーネル君、正体はバレているんだから覆面を取ったらどうだい?」

「……」


 取らないか。まあ他の三人の顔も確認しておきたいし、一つ使うか。


縮地(しゅくち)――(とつ)

 脚に集中した力を開放すると、ダンッという音と同時にめっこりと地面が抉れる。

 次の瞬間、木剣の剣先がコーネルの覆面の布だけを掠め取る。

 連続して同じ技を繰り出し、残りの三人の覆面も同様に剥いでいく。


 縮地――大公家に代々伝わる秘剣術の一つ。

 体内に流れる気の力を脚に集約させて爆発的な速度で距離を詰める移動法は、相手から見ると瞬間移動したように見えるのだ。

 

 まさに初見殺し。コーネルたち人斬りは自分の覆面が剥がされたことに気付いていない。

 

「ふん、やはり全員昼間に見た顔だな」

「なっ」


 コーネルたちは隠していた顔が露呈していることに気づくと腕で顔を隠す。


「顔がバレたくらい構わん、お前はどうせここで死ぬだからな。死人に口無しよ」

 四人が連携を取りながら攻撃を繰り出だすが、体捌きのみで躱す。

 彼らの持つ剣の斬れ味に対して、木剣での防御は意味をなさない。


 剣撃を躱してのカウンターが次々と決まる。


「殺しはしないから安心しろ。でも、骨の二、三本は覚悟してくれな」

 彼らだって腐っても剣士、実力の差が雲泥ほどあることは理解しているだろう。

 

 殺気が消え、怯えているのが手に取るようにわかる。

 一人が逃げたのを皮切りに追随して逃走を図る人斬りたち。


 「あらら、逃さんよ。お前たち」

 【縮地(しゅくち)――(ざん)

 逃げるコーネルの背に斬撃を浴びせる。苦悶の声と共に倒れるコーネルは白目を向いて体を痙攣させた。


 【縮地(しゅくち)――|ざ……】

 技が発動しない。先程の連発のせいで、気が練れなかったか。

 三人は逃してしまったが、調べれば身元もわかるだろう。

 まあ、コーネルは捕まえたし。今日はこれで良しとしておこう。


 

 捕縛したコーネルを騎士庁へ引き渡し、ソディアの屋敷へと戻ると爺とヨタロが晩酌をしていた。

 予備騎士軍に属しているラウルの身分は逮捕特権がある。夜中であるため、逮捕に至った経緯と書類は後日提出することとなった。


「ヨタロ、お前さん、酒なんて飲んでると傷口が開くぞ」

「へへ、そしたらまたお父さんにちゃちゃっと縫ってもらいますよ」


 呆れたものだ。が、彼のこの性格がチンピラでありながら皆に好かれる要因だろう。


「あれ? ラウルのアニキ、その剣って人斬りが持ってたやつじゃ」

「ああ、さっき人斬りの一人を捕まえてね、剣に興味があったから持って帰ってきた」

「いいんですかい? それって騎士庁に渡さないといけない証拠品なんじゃ」

「まあいいじゃないか。自分の目で確かめてみたくてな」


 指南所に置いてある、この国のごく一般的な剣の3割程度の刃の幅で半分程度の細い剣身。

 ふむ、刃渡り、重さはそこそこあるな。

 

「ヨタロ、ちょっと普通の剣を持って構えてくれ」

「い、いや、俺まだ傷が……」

「なに、傷口が開いたら、また縫ってもらえばよいではないか」

「そんなぁ」


 ヨタロが構える剣を目掛け平突きを一閃。

 キィィィン――

 甲高い金属音が部屋に響いた。


 ただならぬ剣だと思っていたが、驚くべき結果だった。

 ヨタロの持つ剣にヒビが入り、折れ曲がっている。方や我の持つ剣には小傷一つ付いていないのだ。


「これは……一体」

「ほほう聞いたことがある、多分それは東国の()と呼ばれる武器じゃな」


 爺が顔を近づけ、まじまじと刀を観察する。


 公国では溶かした鋼を型に入れ研いで刃をつけるが、刀は鋼を熱し幾度も叩いて鍛える製法らしい。


「それで、ここまでの威力が……」

 こんなものが公国に持ち込まれているとは。その数によっては公国軍をも脅かしかねない。


 斬れ味を試すための人斬りが、組織ぐるみで行われているとしたら……

 実に由々しき事態だ。


「父上、この刀とやらの刃を潰しておいてくれませんか」

「ほう、これを使おうと?」

「ええ、木剣では流石に心もとないので」

「ここまでの代物の刃を潰すのは骨が折れそうじゃ、少し時間をもらうぞ」

「ええ。頼みました」


 明日、捕らえたコーネルを尋問する必要がありそうだ。

 刀がこの国の不届きな組織に行き届く前に防がねばならない。


「さて、お開きにしよう。ヨタロ、お前さんも帰りなさい」

「いや、ラウルのアニキ。それは無理かもしれません」

「ん? どうした」

「き、傷口が開いちゃって……」

「だぁぁ、ヨタロ! すまん!」


 腕からドボドボと血を流すヨタロ。この後、我と爺が慌てて手当をすることになった。

 


 騎士庁は公国軍の組織や騎士、剣士の教育、治安維持のための組織である。

 罪を犯した者を捕らえ、投獄、取り調べをした後に司法庁へと立件する。

 司法庁主導の下、裁判が行われ罪状が確定し、裁きが下される仕組みだ。


 騎士庁の取調官は、捕らえられた者の取り調べをする際に、実際に捕らえた者と同席する決まりとなっている。


 今回コーネルを捕らえたのは、騎士庁に登録されているラウル・ソディア。

 よって我は騎士庁へと登庁し、取り調べに参加する権利と義務がある。


 コーネルには吐かせたい事が山ほどある。

 今回の人斬り事件が組織的な犯行であることは、火を見るより明らかだ。

 一剣士が、公国の転覆すら可能にしかねない、刀などという代物を何本も手に入れられるはずがないからだ。


「騎士爵ジグ・ソディアが嫡男、ラウル・ソディアだ。事件番号二六〇番の取り調べのため参った」

「おはようございます、ラウル様。えっと、二六〇番……二六〇番。あれ?」

「二六〇番、コーネルの取り調べだ」

「いや、事件番号の末番は二五九番ですね」

「そんな訳はなかろう! 昨日の夜中に引き渡したコーネルの事件だ」

「い、いや……うーん。確認してまいります。少しお待ちを」


 しばらく経って、職員が戻って来る。

 

「どうだった? 事件番号二六〇番のコーネルは居たか?」

「いえ、留置していた牢にもコーネルという者は居なかったです」

「なんだと!?」


 これは一体どういう事なのだ。

 昨日、確かに引き渡した罪人が忽然と姿を消すなんて。

 しかも、書類まで無いなんて…… 


 

  我はその足で騎士庁の訓練場へと向かった。コーネル以外の剣士たちを探すためだ。

 訓練場への入場記録を見るが、コーネルはどうやら来ていないようだ。


 いや、それはそうだろう。昨日今日で訓練場に来るほど馬鹿ではない。

 ざっと訓練場を見回すが、案の定、他の三人も見当たらない。


 事件番号のもみ消しができるのは、上級官か力のある貴族。

 一度、大公の姿に戻れば、視察の(テイ)で調査は可能だろうが、さてどうしたものか。


 関係する上級官の招集にも時間がかるし、一人一人取り調べている時間もなさそうだ。



 我は結局、ソディア家に戻ることにした。

 今は、少しでも早くコーネルたちを見つけなければならない。


「父上、今戻りました」

「大公殿下、お戻りですか。先程ヨタロは帰宅しましたぞ」

「そうか、では言葉遣いを戻すか。爺、珍妙なことになってしまった」

 

 爺に事の経緯を説明し、大公直属の近衛兵を動かすように指示を出した。


 大公直属の近衛兵である〝赤き剣〟。

 精鋭十人から成るこの組織は、皆が大公家の男系の血統の男女で構成される。

 武力、知力、諜報に長けた者たちで、男子に関しては現大公家の者にもしものことがあった際の大公継承権も持っている。


 我、ラウルもとい、大公マディンからすると全幅の信頼を置ける者たちだ。

 もちろん、大公家の秘剣術も全員が習得している、言わば公国最強の部隊である。

 

 さてと、赤き剣たちの報告を待つ間、情報収集がてら遅い昼食を食べに小太り食堂に出かけるか。

 


 店に入ると、頬に湿布を貼った主人がいつも通り料理に勤しんでいる。


「ご主人、顔の怪我の調子はどうだい?」

「いらっしゃいラウルさん、ええ、お陰様で。本当にありがとうございました」

「なに、たまたま通り掛かってよかったよ」

 

 主人とテスに今回の犯人がコーネルという剣士であるとこを告げると、目を丸くして驚きの声を上げる。


「そのコーネルという人たち、昨日閉店までうちの店で飲んで人たちだ」

 客の話し声というのは自然と聞こえるものだ。

 会話の中で名前を呼んだのだろう。殺そうとするターゲットがいる場所でなんとお粗末な。


 きっと奴らは小太り食堂の父娘に目をつけていた。

 閉店まで店に居て帰宅を待ち伏せ、斬る、か。

 そして四人全員があの刀という武器を所持。


「試し切り……だな」


 過去、先代大公の時代にあった剣士特権。

 身分札を持たない、逃げた奴隷や難民は斬っても構わないという法。


 当時、鉄の鍛造技術向上のために、罪人で試し切りをしていたが数が足らず、不法難民や脱走奴隷の掃討と称し行われていた。

 治安も良くなるし一石二鳥だなんて言っている貴族も居たな。


 我の代になって即刻廃止したが、まさか再び試し切り目当ての人斬りが横行するとは。

 

「それにしても、ここのトンカツは本当に美味いな」

「ええ、最近の交配技術の賜物ですよ。三元豚と言いましてね」


 爺が言ってた、成長が早く病気にも強いというあれか。

 

「いっつも味見とか言って、いっぱいつまみ食いしてるもんね、お父さん」

「お陰で、こんな太っちゃって。共食いってか? こらテス、誰が豚だ!」

「「「あはははは」」」 

 

 自慢のトンカツに舌鼓を打ち、満足して店を出た。

 指南所に戻ると、そこは思いも寄らない事態になっていた。



 ◇ ◆ ◇



 時は少し戻り、ラウルが騎士庁へ到着した頃。

 留守を任されているアロン主導の下、門下生たちは素振りの訓練を終え、試合形式の地稽古を始めたところだった。


 先日の出稽古で気合が入ったのだろう。

 この日の門下生たちの気迫は、普段より増していた。


 突然、指南所に現れたのはコーネル率いる大勢の殺気立つ剣士たち。

 明らかに不穏な空気が流れる。


「コーネル! 貴様、捕まったんじゃなかったのか」

「ああ、不当逮捕で無罪放免さ。その御礼にまいった次第よ、ラウルはどこだ」


 血走る眼で睨みつけるコーネルは、堂々と対峙するアロンの襟元を掴む。

 

「外出なされてるが、どうした? 出稽古というよりは……道場破りに見えるが?」

 

「イキりがやって、貧乏人共が! 雑魚はすっこんでやがれ」

「ソディア流剣術をなめてもらっては困るな。お前らなど俺たちで十分だ」

「あ? 上等だ、お前らやっちまえ!」


 一斉に襲いかかるコーネル勢に応戦する形で、指南所は乱戦状態へとなる。

 互いに乱戦に対する技を持ち合わせている流派同士。最初こそ互角にやり合っていたがアロンたちだが、数の力に一人、また一人と戦力を欠いてゆく。


 まるで戦争の前線のような怒号が鳴り響く指南所に、近隣に住む野次馬が人だかりを作った。


 

 ◇ ◆ ◇


 我が指南所の門をくぐり、目にしたものは傷だらけで倒れる門下生たちの姿だった。


 見たところ木剣による傷だが、倒れてなお幾度も殴打されたようで、重体の者も多くいる。


「アロン、大丈夫か!」

 ひどくやられたであろうアロンの顔は頬の骨も割れているだろう。


「ラ、ラウル様、すみません……コーネルたちが襲って……来て」

「なんだと! コーネルが? ヤツはどこへ行った?」

「わ、わかりません」

「そうか、わかった。もう安め。今、医者を呼んできてやる」


 この数の重症者は町医者では対応できないだろう。

 騎士庁の医療組織を動かすかなさそうだ。


 議会の決議無しに、この組織を動かせるのは一部の者のみ。

 我は、医療組織の出動を許可する旨の書面を作り、腰に下げた身分札を手に取った。


 身分札を二つに開くと蝶番を支点として、印が内側から現れる。

 赤き剣の印である。二十年前、我は公太子になる前に赤き剣だった。


 いつか使うこともあろうかと、返却しなくてよかった。

 一、街の指南所の件で、大公印を押すわけにもいかないからな。



 お陰でなんとか、皆一命をとりとめてくれたが、我の怒りは沸点を超えていた。

 一人、ソディアの屋敷で酒を飲み怒りに震えていると、覆面をした人物が音もなく背後に立つ。


「叔父様、ご報告に上がりました」

「その声はミリアか。申せ」


 覆面の女は、赤き剣の一人で、姪のミリア。

 一七歳と若く、女ながら、赤き剣の中でも秀でた者だ。


「コーネルの居場所を特定しました。貧民街の先にある廃村の資材置き場です」

「ほう、あそこか。ミリア、一般人のふりをして騎士庁に通報して参れ」

「御意」


 深く頭を垂れると、ミリアは闇に溶けるように姿を消した。


 許さぬ、下郎共。捻り潰してやるわ。


「爺! 刀を持って参れ!」



「大公殿下、刀の刃を潰しておきましたぞ」

「ご苦労。これで殺さずに戦うことができるというものだ」


 木剣だと刀を携えた奴らと戦うのにはさすがに不利だ。罪人であれ大公である我が公国の民を殺してしまうというのも信条に反する。


 コーネルから奪った刀の刃を潰した、この不殺(ふせつ)の刀は我にぴったりではないか。

 手に馴染むこの刀の美しさに、しばし見惚れる。


「大公殿下、ニヤけてますぞ。門下生たちがやられた怒りが収まったのですかな?」

「んなことはない。わなわなと怒りが溢れてくるわ」

「爺もお供いたしましょうか?」

「老骨は茶でも飲んでてくれ」

「老骨とはお言葉ですな。爺だってそこらの剣士には引けをとらんのに」


 実はこの爺、剣の達人である。

 それもそのはず、我が使う大公家の秘剣術の師匠は若き日の爺なのだ。

 大公家の男系しか使えないはずの秘剣術をなぜ、爺が使えるかは……不明だ。


「では爺は、料理でもしながら大公殿下のおかえりを待つとしますかな」

 爺に見送られ馬に跨がり、貧民街の先にある廃村へと向かった。


 貧民街、相変わらず瓦礫に廃屋ばかりで腐臭が漂っている。

 治安も悪く、犯罪の温床にもなっていると聞く。

 

 貧民街を横目に馬を走らせること一刻、大公領の端の廃村に着いた。

 先の戦争で前線が近いこの村は補給所として使われ、村民は公都へと移住した。

 長く続いた戦争のため、戦後この村へ戻って来る者はおらず廃村となったのだ。


 たしか、貴族の誰かが管理しているはずなのだが。

 隣国との境にはこういった廃村がいくつもあり、貴族に領地として割り振られる。

 領地といっても、領民も居なければ管理には金が掛かるので、貴族としてもいい迷惑なのであろう。


 コーネルのヤツめ、実質の管理者が居ないのをいいことに、廃村を根城にするとは全く持って度し難い。


 

 資材置き場、あそこか。

 木材で作られた倉庫。戦時中は兵舎として使われていたのだろう。

 大人数が潜伏するには十分な大きさだ。

 

「見張りもいないか。素人の集まりだな」

 中の様子を伺うと、酒盛りをしている剣士たちがざっと四、五十人。


 うむ、一人で戦うには少し数が多いかも知れないな。

 最近、体力が衰えてるのに大丈夫だろうか。


 些かの不安が過る。若い頃の我ならば、この程度は準備運動にちょうどいいなとか考えたんだろうが。


 なんなら最近、ちょっと四十肩的な痛みもあるしな。

 言い訳を無理やり探している自分が嫌になる。


 パァン――


 両手で頬を叩き自分に活を入れと、倉庫の扉を蹴破った。


「誰だ貴様!」

 扉付近に居た剣士が、立て掛けた刀を手に取る。

 

「ふん」

 我は抜刀から一閃。剣士は鞘から剣を抜ききる前に悶えて倒れた。

 刃を潰した刀の威力は十分、殺さずに制圧する事に関してこれ以上の得物はないな。


 その様子を見た剣士共は一瞬静まり返る。


「ラウル、貴様ぁぁ!」

 コーネルが咆える。ここからが本番だ。

 

 秘剣術はなるべく使わずに体力を温存しておかなければ。

 先日も、【縮地】五回でスタミナ切れを起こしてしまった。全盛期ならばもっと連発できたのにだ。


「歳は取りたくないものよ。お前たち、あんまり頑張らないでくれよ」

「いまさら何言ってやがる、一般人のおっさんがよ」

「おっさんはひどいな……一応まだ四十歳なんだが」

「おっさんじゃねえかよ! お前ら、このおっさんを殺っちまえ」


 まるで津波のようだ。

 四十人以上が一斉に向かってくるのは圧巻だな。なんて、考えている場合じゃないぞ。


 しかも、相手の半分は刀を持っている。こんなに量産されていたのか。

 相手の剣の腕が未熟でも、あの刀だ。

 気を抜いたら、腕の一本は容易に失ってしまうだろう。

 

 受ける、反撃をする。

 受け流す、反撃をする。

 捌く、反撃をする。

 隙があれば攻撃をする。


 なんとか体力を温存しながら凌いでいるが、さすがにこの人数相手に真正面から戦うのは初めてだ。

 体力もそうだが、これを続ける集中力を保つのも難しそうだな。

 

 

 十五分ほど剣を振りっぱなしで、やっと三十人を戦闘不能にした。

 が、まだ二十人以上いるじゃないか。


 そろそろ秘剣術でコーネルだけでもやっつけておいたほうがいいだろうか。

 

 次の瞬間、太鼓の音と共に倉庫になだれ込む百名ほどの軍勢。


「公国騎士団だ! 全員動かずに、剣を置け!」

 青と白の制服、騎士庁の騎士たちだ。


「ふう、やっとご到着か」

 これで一息つける。正直そろそろ息が上がりそうだったので、嬉しい助け舟だ。

 ミリアに感謝だな。


 次々に、刀剣を捨てる剣士たち。

 これで一件落着だ。コーネルの野郎め、取り調べで思いっきり絞ってやるぞ。


「ラウル・ソディア! 自警団の襲撃及び人斬りの容疑で捕らえる」

「な、なんだと?」


 騎士団が言い放った言葉に耳を疑う。

 どういうことだ? 援軍じゃないのか?

 

「罪人、ラウル・ソディア! 早く剣を捨てろ」

 くそ、どう行き違ったらこうなるんだ。


 公国軍をかき分けて先頭に出る貴族が、不敵な笑みを浮かべる。

 

「カンテミール子爵、なぜこのような場所に……」

 コーネルが貴族に駆け寄り、頭を垂れた。

 

「なに、私の計画を邪魔する不届き者の顔を拝もうと思ってな」

 軽蔑したような眼差しを我に向ける貴族は、知った顔だ。

 どうやら庶民の格好をした我が大公であることには気づいていないようだが。

 

「騎士爵の息子ごときが、よくもこのカンテミールが維持する治安を乱してくれたな」

 カンテミール子爵――騎士庁の治安部隊を統括している貴族だ。

 こいつが裏で絵を書いていやがったのか。

 

 しかし、この人数相手に立ち回る事もできなければ、正体を明かすわけにもいかない。

 ここは、おとなしくお縄につくしかないのか。

 我、大公なのに……


「貴様ら、全員顔を覚えたからな! 覚えてろよ」

 我の口から自然とこぼれたセリフ、傍から見たらまさに悪人の吐きそうな言葉だった。


 

 公太子として生まれ、国を治める大公になるべく帝王学も学んだ。

 そんな我が、まさか投獄されることになろうとは。

 

 

 人生始めての牢獄、冷たく不潔な地面に寝そべりながら過ごす夜。

 頭を置く自分の腕枕は、涙で濡れたのだった。

 

 

 

 夜中の牢獄に忍び寄る足音がする。


「大公殿下、爺です。起きていらっしゃいますか?」

「爺、助けに来てくれたか」

「まさか投獄されてるとは、遅くなって申し訳ないことでございます」


 一向にソディア家へ帰ってこない我を探し、自警団の襲撃と人斬りの容疑で捕まったことを知った爺が、内密に釈放するように配慮した。


 いくら仮の姿でわからなかったとはいえ、大公を投獄したとなれば関係者全員の首が飛んでしまうからだ。



 冷えたからだを温めるために茶を入れてくれる爺が申し訳無さそうな顔をしている。


「爺が気づいてくれて良かった。危うく罪人になってしまうところだった。ハッハッハ」

「笑い事ではありませんぞ、大公殿下。しかし、なぜ公国軍が大公殿下を……」


 ミリアが一般人を装って騎士庁に通報した情報はカンテミールを必ず通る。

 人斬り事件の絵を書いてたのがカンテミールならば合点がいく。証拠の隠蔽と邪魔者の排除をするために、捕縛対象をコーネルたち一味ではなく我にしたということか。


「なんと、まさかあの勤勉で真面目一辺倒のカンテミール子爵が?」

 爺が驚くのはわかる。我もカンテミールは真面目な性格という印象を持っていた。


「人は見かけによらぬよな。随分と悪党の顔をしていたぞ」

「むぅ、大公殿下、どうするおつもりで?」

「もちろん、盛大にお仕置きするしかないな。粛清というお仕置きをな」



 ◇ ◇ ◇


 インガ公国宮殿内の円形会議場には、十名の元老院と二十名の上級貴族や書記官などがずらりと並んでいる。


 我の命により、臨時公国会の招集がされたのだ。


 議案は昨今、多発している人斬り事件と治安維持法の改正についてである。

 参考人として呼ばれた騎士庁の治安部隊長が尋問台へと登ると、人斬り事件の件数を報告すると元老院や上級貴族たちから多くの質問が飛ぶ。


「人斬り事件以外にも不敬罪での現場処刑の件数も増えているようだが、なぜだ?」

「お答えします。昨今、貴族の方たちが庶民の飲食街を多く利用していることが起因していると思われます」

 

「なぜ、飲食街を利用するだけで増えるのか理由を述べよ」

「お答えします。処刑された死体からは酒を多量に飲んだ形跡があり、酔った庶民が不敬を働くという場合が多いようです」


「貴族がわざわざ庶民が飲むような場所に何故行くのだ?」

「それは、各人の自由と申しますか……」

「対策はしておらぬのか」


 息をつく間もなく飛ぶ質問に治安部隊長がたじろいでいると、治安部隊を統括する上級貴族カンテミールが変わって答弁する。


「昨今の不況は庶民だけでなく、下級貴族たちにも波及することであり高級料理店に行くには懐が寂しいのでしょう。これは治安部隊の問題ではなく、私ども上級貴族や元老院、果ては公国の政治が行き届かないからではないのでしょうか」

 

 長々と流暢にカンテミールが答弁すると、今まで質問を飛ばしていた者たちが言葉をつまらせる。

 

「もう一つの質問にもお答えしましょう。治安部隊の対策としては人不足を補うために、現在、庶民を中心とした民間の治安維持隊を組織しようと準備しております。これに対しての予算は現在の騎士庁の予算内で賄える計算となっております」


 質問と野次のすべてを完全論破、会議場はカンテミールの独壇場となり、拍手する者すら多数現れる始末。


「これ以上、質疑が無いようでしたら私はこれで」

 したり顔のカンテミールは自分の席へと戻ろうと尋問台から降りる。


 「待て、カンテミール子爵」

 会議場に我の声が響いた。

 

「はっ、大公殿下」

「そなた、民間の治安維持隊を組織していると言ったな」


 ◆ ◆ ◆


 時は我が牢屋から出た直後まで戻る。我は赤き剣を招集した。


「殿下、赤き剣十名、揃いました」

「夜更けにご苦労、今より廃村まで行く。我について参れ」

「御意」


 カンテミールの横槍で我の思惑が台無しになってしまったからな。

 今度は万全を期して人斬り共を捕らえてやる。

 我が捕縛された時の「覚えてやがれ」が負け惜しみで言ったのではないのを証明してやろうではないか。我はしつこいのだ。


「叔父様、お顔が邪悪でございます」

「ハハハ、ミリア。正直、(はらわた)が煮えくり返るほどの屈辱であったからな」

 

 コーネルたちの中で戦えるのは残り三十名程度だろう。

 赤き剣の剣士たちは若い分、我よりもスタミナがあるし、総勢十一名。

 

 断言しよう、一方的な蹂躙になると。


 数時間前と同様、廃村の倉庫の扉を蹴破る。

 

「き、貴様! ラウル。どうして」

 コーネルが間抜けな声を上げる。

 

「覚えてやがれって言っただろ。約束通り、成敗しに来たぞ」

 非常に気持ちがよい。牢獄に居る時に絶対このセリフを言おうと思ってた。


 コーネルたちが刀を持ち襲いかかってくるが、問題ない。

 赤き剣の剣士であれば、一人で対処できる人数を十一名で応戦するのだ。

 まるで赤子の手をひねるように、倒していく赤き剣の剣士たちはかすり傷一つ負わない。


 

 当にオーバーキルである。

 必要以上に、完膚なきまでに叩きのめしたのは、個人的な感情によるものだった。


 顔の形が変わるほどお仕置きをしてやり、一味の全員に縄をかける。

 倉庫に併設されていた鍛冶場には、刀を作る東方の国の鍛冶屋が監禁されていた。


「言葉はわかるか?」

「へぇ、なんとかわかりやす」


 肩腕の筋肉が隆々とした鍛冶屋から訛の強い言葉が返ってくる。

 話を聞いたところ、国を追われインガと公国に流れ着いたところカンテミールに拾われて監禁されたという経緯だっだ。


「そうか、安心せよ。お前は難民として公国で保護をする」

「へへぇ、ありがとうぜぇます」

 

 こうして、コーネル一味は討伐されたのだった。


 

 ◆ ◆ ◆


 

 「待て、カンテミール子爵」

 会議場に我の声が響いた。

 

「はっ、大公殿下」

「そなた、民間の治安維持隊を組織していると言ったな」


 我が指示を出すと、捕らえたコーネルたち一味を会議場へ召喚する。


「カンテミール、その治安維持隊とはこやつらのことだな」

「なっ!!! なぜ」


 カンテミールが目を丸くしてたじろいだ。


「カンテミール子爵、も、申し訳ございません。ラウルたちに襲われて……」

 顔を腫らしたコーネルがカンテミールに許しを請う。


「誰だ! こんなヤツしらぬ。気軽に私の名前を呼ぶでない」

 カンテミールが慌てて目を逸らし、誤魔化そうとしている。


「シラを切るのか、カンテミールよ。こやつらは尋問に対し、既に自白しているのだぞ」

 我の低く冷たい声にカンテミールが身を強ばわせる。


「きっと、だ、誰かが私を嵌めようとしたのです。策略です」

 まったく往生際の悪いヤツだ。

 

「お前は、東方の国から流れ着いた鍛冶屋を監禁し、この国の剣より遥かに強い刀を大量に作らせていた。刀の出来を試すためにコーネルたちを使って人斬りをさせていたのだろう。不敬罪で現場処刑された死体の切り口も、この刀のものと一致した」


「信じてください大公殿下! そうだ、昨日捕らえた騎士爵の倅がきっと真犯人です」

「ほう、捕らえたのなら連れて参れ」

「それが、脱獄いたしまして……私は潔白です。この命に誓って潔白です」

「ほう、潔白とな。命を懸けるのだな?」

「はい、もちろんでございます。私は忠臣でございます」


 我は玉座から立ち上がり、カンテミールの眼の前までゆっくりと進む。

 階級社会のこの公国で、大公自ら貴族に歩いていくという事は珍しく、元老院たちや貴族たちがざわつく。


 我は冠を外し、整った髪を右手で掻き乱しカンテミールを睨みつける。


「我の顔に見覚えはないか? カンテミール」

「き、貴様! ラウルではないか」

「大公である我に向かって貴様、だと?」


 怒りのこもった眼を見開き怒鳴りつけると、カンテミールは仰け反り尋問台から転げ落ちた。


「え……あ、申し訳ございません、どうかお許しを」

 伏して許しを請うカンテミール。会議場に居る全員のどよめきが増す。


「申し開きは聞かぬ。貴様は平民のラウルに罪を着せようとしたのだ。それが我だと気づかずにな」

「どうか、どうかお許しを」

「さっき申したよな? ()()()()()潔白だと」

「あ、あ、あ」


 観念したカンテミールは糸の切れた人形のようにその場にへたり込む。


「カンテミール子爵の爵位を剥奪。平民とし、流刑を命じる。処刑されなかった事に感謝するのだな」


 静まり返る会議場に、書記官の筆記音だけが響いた。

 捕縛されたカンテミールはさり際に叫ぶ。

 

「大公、あなたの時代はすぐに終わる。真の忠臣は私なのだ!」

 負け犬の遠吠えにしては、何か引っかかる物言いだが。


 なにはともあれ、これにて一件落着だ。

 


 ◇ ◇ ◇



 カンテミールとコーネルたちが粛清されてから一週間、小太り食堂は今日も賑わっている。


「人斬り事件の犯人たちが捕まってよかったなぁ、テスちゃん」

「ほんと、ヨタロさんたちが夜回りしてくれたよ」

「へへへ、名誉の負傷を負った甲斐があったってもんよ」


 ヨタロの腕も順調に回復に向かっているし、小太り食堂の店主の顔の腫れも引いた。

 平和が守られ、我の趣味であるお忍びにも平穏が訪れた。


「ラウルさん、いらっしゃい。ラガーでよかったかしら?」

「ああ、あとトンカツね」


 我の暗躍で、この店の父娘の命も救われたのだ。

 ここのトンカツは公国の宝だといっても過言ではない。これが食べられるのも、お忍びのお陰だな。

 

「ラウルのアニキが帯剣してるのって、例の剣ですよね? いいんですかい?」

「ああ、コーネルが持っていたものの刃を潰したからな、法的には木剣と同じ扱いよ」


 監禁されて刀を作らされていた鍛冶職人は、公国が保護し公国軍の武具研究の一員として受け入れることにした。


 彼の技術を取り入れることで、軍事力が増すことは明らかだろう。これがもし、水面下で出回っていたらと考えると、ゾッとする。


「ラウル師範!」

「お、アロン君に門下生の皆まで。もう怪我の具合はいいのかい?」

「はい、公国トップクラスのお医者様のお陰で明日にでも稽古が再開できそうです」


 更に爺も加わり、この日は大宴会となった。

 本当は赤き剣のヤツらも誘いたかったのだが、お忍びで羽目を外している我の姿をみられるのも具合が悪い。


 奴らの労いは別途、席を設けてやるか。


「それにしても、あの人数のコーネルたちを討伐したのは公国軍ではないとの噂ですが、一体誰が? もしかして、ラウル師範が?」

 ギクーッ。

 

「い、いやぁ、俺は夜回りしていた程度だから、どっかの正義の味方じゃないかな。あはは。このおっさんが、あの人数を相手にするのは無理だよ」


 最近、体力の衰えを感じているのは事実。

 政務ばかりしていないで、稽古の時間を増やすのもありだな。


「明日からは、俺も稽古に率先して参加するか」

 我の稽古への参加宣言にアロンたちが目を輝かせる。

 

「では、儂も久方ぶりに剣を振るってみるかの」

「いいえ、大旦那様。御老体ゆえご無理はなされないほうが良いかと」

「なんじゃと! アロン、儂を年寄り扱いするとは! よし、明日は目一杯しごいてやるぞ」


 アロンを始め門下生たちが笑っているが、我は知らぬぞ。

 爺のしごきが、どれだけキツいか身を持って体験するがよい。

 

 

 公国の転覆を狙う悪を粛清し、無事に平和が戻った公都。

 しかし、水面下では更なる脅威が公国の転覆を虎視眈々と狙っているのであった。

 


 ◇ ◆ ◇


「そうですか。あのカンテミール子爵をもってしてもダメでしたか」

 黒い衣に身を包む男が背もたれの高い玉座に座していた。

 眼下には、多くの部下たちが頭を垂れている。


「妙案がございます、私にお任せ頂いてもよろしいでしょうか」

 一人の男が頭を垂れたまま玉座の前へ出る。


「許可します。期待していますよ」

「御意」



 ――公都で蠢く悪の存在にまだ気づいていないインガ公国の大公マディン。

 今日も彼は一般人のラウルに扮して、お忍びに興じているのであった。




 <了>


物語の冒頭2万文字。ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

お忍び生活をするなかで、謀反を起こそうとしている一派を壊滅することができた大公ですが、これは物語の始まりに過ぎません。


この後、次々と公国に反旗を翻す謎の組織が起こす事件に巻き込まれる大公。

己の強さと平民との絆を原動力にして、悪を爽快に、そして盛大に粛清していく活劇を引き続きお楽しみいただければ幸いです。


現在、続きを鋭意執筆中でございまして、書きながらワクワクしております。

ブクマと★評価、いただければ創作意欲の糧になります。

是非ともよろしくお願いいたします。


いぬがみとうま

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