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絵本カフェと癒しの魔法ランチ

「ありがとうございました。またお越しください」


 作り笑顔の下で、もう来ないでくれ、と思った。


 私、椿木風香は同世代のカップル客の姿が商店街に消えていくのを見届けると、飛ぶようにしてカフェ店内に戻り、テーブルの隅に乱雑に積み重ねられた絵本の無事を確認しに走った。


(よかった。汚れてない……)


 ハラハラとしていた気持ちが収まり、ほっと安堵のため息を吐き出す。

 カップル客が「懐かしい~」と、はしゃぎながら選んでいた絵本は、日本で昔から親しまれている名作ばかりだった。私も保育園で何度も読み返したし、図書館でもシリーズを制覇した。なんら、自宅にも同じものがある。


(こんな偉大な絵本をカステラを食べた手で読むなんて、ありえない……)


 思い出すと、怒りがふつふつと沸いてくる。

 先ほどのカップル客のうちの男が素手でカステラを食べているのを目撃してしまってから、私は絵本がべとべとになっているのではないかと、気が気ではなかったのだ。

 だからずっと、カップル客が早く帰ることと、もう二度と来ないことを心の中で呪うようにして願っていた。


(あぁ……絵本が好きでこのお店を選んだのに。逆にストレス……。やっぱり私、接客向いてないなぁ……)


 一安心からの自己嫌悪。感情はジェットコースターである。

 

 ここは京都三条の寺町通の商店街でひっそりと経営している絵本カフェ。名前を【尻尾屋】という。

 以前は絵本の修繕を請け負うお店だったのだが、先代店主が亡くなったタイミングで、孫である現店長が店舗を大改装し、飲食をしながら蔵書を読むことができる絵本カフェをオープンさせたのだと聞いた。


 店内には壁に沿うようにして本棚が並び、家具はダークブラウンで統一された木製、照明はランプのような形をしたアンティーク品。ソファ椅子はほどよくふかふかで、気持ちよく読書に没頭できるという、居心地の良いお店だ。

 加えて、絵本のラインナップも実に優秀だ。日本の有名な絵本だけでなく、マニアックな隠れた名著や海外のもの、絶版になったものまで集められていて、私が客としてここに来た時、すぐに心を射抜かれてしまったことは記憶に新しい。


 そして、四条駅近くのおんぼろアパートからも徒歩で通える距離であることもあって、絵本好きの私は22歳にして、初めての接客のアルバイトに挑戦したというわけだ。


 けれど、現実は理想のようにはいかない。

 このカフェで働き始めてから二か月。元々人付き合いが苦手な私は、接客にいちいち緊張してしまったり、お客さんの嫌なところばかりが目についてしまったりと、アルバイトに入るたびに心労を積み重ねていた。


 正直、辞めようかなと思うことも何度かあったが、私がそれをしないのは、絵本が大好きだから。そしてアルバイトの時給が異常にいいからだ。最低賃金よりも千円ほども高く、店頭に貼られていたアルバイト募集の紙を見た時は、闇バイトだろうかと目を疑ったものだ。


(接客は好きじゃないけど、絵本に触ってる時間は好きなんだよね)


 私はカップル客が置きっぱなしにしていった絵本をせっせと本棚に片付けながら、そんなことを思う。


 私の将来の夢は絵本作家だが、今はフリーのイラストレーターを名乗っている。

小さい頃から絵本作家になりたかった私は、北山にある美術大学でキャラクターデザインについて真面目に勉強した。

 けれど在学中に絵本コンクールに応募したり、先生のコネをお借りして出版社に持ち込みをしたりしてみたが、作家デビューの糸口は掴むことはできなかった。


 私はそのまま美大を卒業してしまい、現在はゼミの先生がおこぼれで紹介してくれるイラストの仕事と、この【尻尾屋】のアルバイトを兼業し、なんとか食いつないでいる。


 ただ、回してもらえるイラストの仕事というのが、かなり非情な条件のものが多い。イラスト一枚当たりの報酬金額と納期がシビアすぎて、正直眩暈がするものばかり。

 しかし、絵の仕事をもらえるだけ有難いので、文句は腹の底にしまいこんでいる。世の中には、そんな縁すら掴むことのできない人がごまんといることくらいは知っていた。


 私は丁寧にキャラクターに命を吹き込みたいという理想と、スピードと効率を重視しなければ、私が食いっぱぐれてしまうという現実とのジレンマに苦しむあまり、最近では大好きな絵を描くことすら億劫になりつつあった。


(私から絵を取ったら、ほんとに何も残らないのに……。あぁ、お先が暗いよ~……)


「おーい、表情、硬いよ? 笑ってないと、幸せの尻尾を逃がしちゃうんだからさ」


 キッチンから「ね、椿木ちゃん」と声を掛けて来たのは、店長の夢園小太郎だった。


 彼はここ、絵本カフェ【尻尾屋】の店長兼料理人。

 世界各地の絵本を集め、料理の腕は一流という、絵本カフェの店長としては申し分ないスペックの持ち主だ。

 しかも人当たりの良い端正な顔つきで、すらりと背も高い。ゆるりと無造作に跳ねる髪も似合っているし、大人の余裕みたいなものも感じられる。ついでに声も良い。


 男女問わず彼目当てに店を訪れる客も多く、きっとモテの多い人生を歩んできた人なのだと思う。フツ面かつ内向的でまともな友人すらいない私とは、何もかもが大違いだ。


「幸せの尻尾って……お店の名前の由来ですか?」


 私は絵本棚をしまい終えると、今度はテーブルに残っている皿やグラスを重ねながら、夢園店長に尋ねた。会話のキャッチボールをしなければと、必死に絞り出した質問だった。

 だが彼はあっさりと、「いや、違うよ」と否定してしまった。


「生き物の尻尾だよ」

「え……。じゃあ、店長のペットですか? 犬とか猫とか…?」

「いやー、ペットは飼ったことないねぇ。でもまぁ、ユニコーンは好きかな。純潔の乙女じゃないから、生では見たことないけど」

「へ、へぇ……。ユニコーンだなんて、店長、意外とファンタジックデスネ……」


 一瞬ドン引きの顔をした私を見て、夢園は「冗談だよ。ペガサスの方が好きだって」と悪戯っぽい表情で笑った。

 

(いや……そこじゃないし……それにユニコーンとペガサスにそんなに差を感じないんだけど……)


 私は仕方がなく、へらへらっとした愛想笑いをお返しする。多分、硬い笑顔だ。


 この夢園店長という人は、黙っていると二枚目だが、喋らせると三枚目な人だった。

まぁまぁな頻度で飛び出す笑えないラインのジョークに、私のメンタルは日々ガリガリと削られている。


 つい先ほども、「朝起きたら、いつの間にかカフェタイム用のケーキが完成してた。多分、小人が来てたねぇ」という謎の話を聞かされ、「ホラー苦手なんで、やめてください……」と苦笑いのリアクションを取ったところだ。


 もしかして、夢園店長は絵本マニアをこじらせすぎて、頭の中が不思議ちゃんになってしまったのかもしれない。私だって絵本コンクールの作業で睡眠が取れていなかった時は、軽くファンタジーな幻影を見たことがあったのだから、大いに有りうる……はずだ。


(まぁ、生活費が稼げたらいいんだし、夢園店長とは深く関わらなくてもいいよね……)


 私が心の中で、「ビジネスライク、ビジネスライク」と呪文のように繰り返し唱えていると――。


 うっかり身体が触れてしまったのか、私の手近にあった棚から一冊の絵本がパサリと床に落ちてしまった。

 あれ、ぎっしり詰まった絵本棚なのになぁと、少しだけ違和感を覚えつつも、私はその絵本を屈んで拾い上げた。


(綺麗な装丁……。えっと、タイトルは――)


 裏表紙に描かれた煌めく西洋のお城にうっとりとしながら、私は絵本の表紙を見ようとした。

 その時だった。


「コホンッ」


 頭の上から上品な咳払いが降ってきて、私は「えっ」と慌てて顔を上げた。

 目の前に私よりも頭一つ分背の高い女性――キラキラと輝く素材でできた空色ドレスを纏った美女がいた。蜂蜜色の美しい髪をアップし、頭のてっぺんには宝石があしらわれた金色のティアラ、耳や首元にも一目見るだけで高価と分かるアクセサリーを着けている、高貴そうな外国人女性だ。


(わぁ……すごい……。中世ヨーロッパのお姫様みたい……、じゃなくて!)


「い、いらっしゃいませ!」


 いったいいつの間に入って来たのか分からないが、きっとお客様だろうと判断した私は反射的に頭を下げた。

 ものすごく気合いの入ったコスプレイヤーさんだろうか。美人は何をしても様になるから羨ましい。まるで、本物のプリンセスだ。


 もしや、日本語が分からないお客様なのではないかと思った私は、「うぇ、ウェルカム!」と挨拶をし直したのだが、それは無駄な心配だった。


「初めまして、新人さん。ごきげんよう、夢園さん。私、城を飛び出して来たの!」


 女性客が鈴が転がるような声で話したのは、流暢な日本語だった。お城とは自宅のことだろうか。役に入り切るタイプのコスプレイヤーさんらしい。


「おやおや。きっと今頃、城は大騒ぎだろうに」

「かまわないわ。困ればいいのよ」

「やれやれ。やることが大胆だねぇ」

「昔からよ。夢園さん、私の性格を知っているでしょう?」


 カウンターキッチンの向こうでやれやれと肩を竦めている夢園店長とプリンセスな彼女の会話を聞いていると、二人はどうやら長い付き合いらしい。

 友人か、それとも何度も来ているお客さんなのかもしれないな、類は友を呼ぶってやつかなと、私は空気に徹しながらこそこそとテーブルを片付けていたのだが――。


「それよりお腹が空いたわ。夢園さん、ランチをお願い。私、この店員さんと話して待っているから」

「えっ」


 不意にプリンセスに腕を組まれ、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。


(は……話して待つ……? このプリンセスコスプレイヤーと⁉)


 息がかかるほどの距離にいる美女の顔を見上げると、迫力のあるまつ毛に縁取られた碧眼と視線がかち合い、私はすっかり圧倒されてしまった。美人は目力も強いらしい。ますます話すネタなど思い浮かばない。


「ででででも、私、片付けがありますし。他のお客様もいらっしゃるかも……。ね、店長?」

「そんなの俺がやっとくしさ。しばらくは誰も来ないから平気平気!」


(何を根拠に……!)


 ぐぬぬ! コミュ障の気持ちの分からない店長め!

 正直、プリンセスコスの外国人美女客とのガールズトークは、しゃべり下手な私には荷が重い。

 私はそう言わんばかりの顔をしていたのか、夢園店長は「大丈夫、大丈夫。椿木さんも、知ってる人だよ」と、謎の励ましをしてくれた。


「え……お客様とは初対面のはずですけど……。ですよね?」


 夢園店長があまりにも断定的な物言いをしたために、私は一応女性客に確認を入れた。背の高い彼女を見上げると、「そうといえばそうだけど」と、これまた謎の返事が返ってきた。

 そして彼女は、自信ありげにデコルテに手を添えながら名乗ってくれた。


「私は貴女を知らないけど、貴女は知っていると思うわよ。私の名前はエラ」


(……誰?)


 存じ上げませんと言いそうになった私の口が開くよりも早く、彼女のぷるっぷるのピンク色の唇から驚きの言葉が飛び出した。


「超絶不本意なあだ名は、『灰まみれのエラ』。『シンダーエラ』よ」

「灰まみれ……シンダーエラ、シンダーエラ……。シンデレラ⁈」


 日本では『シンデレラ』という作品名が有名だが、その主人公の名前はエラ。「シンダー」は灰まみれという意味だったはずだ。


 私の答えは当たっていたらしく、「御名答」と微笑みながら、女性はドレスの裾を軽く持ち上げてみせた。

 そして、持ち上げられたドレスの中から姿を現したのは、かの有名な――。


(うそうそ? まさか、本物のガラスの靴が?)


 ところがどっこい。目に飛び込んできたのは、美しい刺繍が施された絹張りのヒールだった。


「あっ。今日はガラスの靴、履いていないんだったわ!」


(ガラスの靴を履いてないシンデレラ……⁉)


「いやいやいやいや! 本物のわけないですよね? ロールプレイ中のコスプレイヤーさんですよね? ですよね?」


 シンデレラを名乗る女性をソファ席にご案内した私は、電光石火の勢いでキッチンへと駆け込むと、夢園店長を問いただす。

 もし、アルバイトをからかおうとしてお客様と結託しているのなら、かなりつまらない冗談だ。だって、物語の登場人物が現実世界に出てくるわけがないのだから。


 しかし、当の夢園店長は相変わらず飄々としたままだった。彼は私にレモン水を注いだグラスを持たせると、「本物だよ。会えて光栄だよねぇ」と、ふざけた口調で詳細を煙に巻いてしまう。


(ちょ! この人はもうぅぅぅっ!)


 にやにやと笑う夢園店長を罵りたくなったが、私は喉まで出かかった言葉を寸前のところで押し留めた。

ソファにぼふんと沈み込んでリラックスしている自称シンデレラ氏と目が合い、笑顔でちょいちょいと手招きをされたからだ。


「椿木さん、早く早く」


(名前呼ばれたぁ……)


 ばっちり、ネームプレートを見られている。漢字が読めるらしいので、ますますシンデレラ説が弱まっていく。

 私は緊張しながらグラスを彼女の前にそっと置き、正面のソファに遠慮気味に腰かけた。


「えぇと……、本日はお城からお越しになられたんですよね……?」

「そうよ。私、王太子妃だもの。王子とは交際ゼロ日婚だけど」

「へぇ~。シンデレラさん、ご結婚されてるんですね~……」

「そのあだ名、浸透しすぎていて困るわ。この名前を考えた継母と義理姉たちのセンスには、むしろ脱帽だわ」

「す、すみません。エラさんと呼ばせていただきます……」


(すごい……役に入りきってらっしゃる……!)


 語られるエピソードにシンデレラ味がありすぎて、むしろ感心してしまう。

 結婚したと言うのだから、おそらく時系列はシンデレラの物語のエンディング以降。「シンデレラは末永く幸せに暮らしました」の後だろう。


 まだコスプレイヤー説を捨てきれない私が、「末永く幸せに暮らしているわけですよね」と、話を合わせようかと迷っていると、彼女は唐突に「はぁ……」と重たいため息を吐き出した。

 重い。めちゃくちゃに重い。これは末永く幸せでないことを示すため息に違いない。

 迂闊な発言をしなくてよかったと、私は胸をハラハラとさせながらエラさんの顔をそろりと覗き込んだ。

 するとまた、零れ落ちそうな碧眼と目が合ってしまい、私はおろおろと身を縮こめた。コミュ障は美形の迫力に弱いのだ。


「ねぇ、椿木さん。貴女は一目惚れってしたことある?」


 エラさんは悩ましげな声で私に語り掛けてきた。

 話題は、まさしくガールズトークの典型。恋バナだった。一番の苦手分野である。


(一目惚れどころか、一度の恋もしたことないんですが……)


 そんな気まずい気持ちが顔に出てしまったらしく、エラさんは「ないなら、ないでいいのよ」とあっさりと話を進めてくれた。


 というか、始めから私の体験談など欲していなかったのだろう。エラさんは、ようは自分の話を聞いてほしいに違いない、と私はすぐに察して傾聴の姿勢に入った。

 エラさんは美しい青い瞳を細め、遠くを見つめながら話し始めた。


「王子……、私の旦那さんは、頭もよくて武術にも秀でている優秀な人なの。そして運命を信じるロマンチスト。あなたも知っているでしょう?」

「お会いしたことはないですけど、そんなイメージは……」

「そうなのよ。舞踏会で出会った私に一目惚れをして、運命を感じて、すぐに結婚したいと思うような人よ! でも、それってつまり、私の内面を知らずにプロポーズをしたということでしょ? 外見百パーセントの求婚よ。私が有象無象のモブ令嬢よりも美しいから、この機会逃してたまるものかとアタックしてきたということでしょう?」


(じ、自分で美しいって言っちゃうんだ)


 私はエラさんの剣幕に圧倒され、ソファの上で竦み上がった。

 あ、これ王子様の愚痴だと気づいた時には、エラさんはさらにヒートアップしていた。


「でも、そのくせ顔はろくすっぽ覚えてなくて、消えた姫君の捜索方法はガラスの靴頼みって、どういうこと? いくらガラスの靴がオーダーメイドでも、もしなんとなく履けちゃう人がいたら、娶っちゃったわけ? 多分、ローラー式に片っ端から国中の女を当たったら、二、三人くらいはガラスの靴を履けていたと思うわ。私が運のいいタイミングで発見されたってだけ。っていうか、そもそもどうして家来任せなの? 本気で好きになったのなら、自分で捜し回らない? 草の根掻き分けるでしょ? 人任せでいいわけ?」

「え、エラさん。落ち着いてください」


 私はおろおろしながらどんどん早口になっていくエラさんを宥めようとしたが、正直彼女の言葉には考えさせられるものがあった。

 物語だからとふわっとしていた王子事情が突き回され、私まであの人大丈夫かなと心配になってきた。


 一目惚れをして、落とし物を頼りに名の知れぬプリンセスを捜し出してからの交際ゼロ婚だ。私が親なら、「ちょっと冷静になろうか」と強引に襟首を掴むところかもしれない。

 しかも、未来の王妃選定なのだから、余計に慎重になって然るべきだ。ガラスの靴のプリンセスのことは、花嫁候補として一年くらいは様子を見た方がいい気がするし、その間王妃教育的なこともしてあげた方がいいだろう。


(――なんて、現実的なことを考え出したらキリがないんだけど……)


 コスプレイヤーさんのロールプレイという割には、目の前のプリンセスが抱く不満は、たいそう本格的な現実味を滲ませていた。

 設定がきちんと練られており、私を簡単に巻き込んでしまう演技力も素晴らしい。憂いを帯びた表情も、対峙している私からは本物にしか見えない。


「私、適当に選ばれたんじゃないかって思うの。元々結婚願望がなかった王子が、親に迫られて花嫁探しをさせられていたんだから。取り敢えず、親が喜びそうな顔の女を選んどくか、的な」

「えぇぇ……」

「私がお城に来てからも、完全にお飾りなの。君は何もしなくていいから。笑っていてくれるだけでいいからって。こっちは暇すぎて死にそうよ!」

「わぁぁ……」

「だから、もう帰らないの! 面食い王子との結婚にピリオドよ!」

「ぴ……⁈」


 エラさんは言葉を挟む隙を与えてくれず、私は中途半端な相槌しか打たせてもらえない。

 すごく凝った設定のシンデレラの不満の落とし所は、いったいどこにあるのかまったく分からない。

 エラさんの息継ぎのタイミングでマシンガントークが途切れた時に、私は再び彼女を宥めにかかった。


「まぁまぁ。まずは、王子様と二人でお話されたらどうですか? 話せば分かるっていうじゃないですか」

「はぁ……。そういうのじゃないの。私は、堅実的な意見が欲しいわけじゃないの」


 エラ氏、ため息を吐く。


(このプリンセスレイヤー、めんどくせぇっ!)


 焦って終着点を探ったものの、あえなく失敗してしまった。

 もうやだ。やっぱり恋愛経験皆無のコミュ障にこの手の話題は難しい。

 諦めて、言葉のサンドバックになろうかなと私が思った時だった。


 キッチンからジュワァッという胃袋を刺激する音と、より空腹をもたらす甘辛い香りがこちらに流れて来た。


「いい匂い……」


 私は無意識にそうつぶやくと、香りを追うようにしてキッチンに視線を向けた。

エラさんも同様であり、「この香りは、照り焼きね」と、期待いっぱいに美しい碧眼をキラキラと輝かせていた。


 シンデレラが、「照り焼き」が何たるかを知っているのかということはさて置いて。


 ランチの調理を終えた夢園店長が、「やあ。俺も話に入れてくれよ」と、軽快な足取りで料理を乗せたお膳を運んでやってきた。

 お膳の中身は、ごはん、豆と豆腐のサラダ、具沢山なお味噌汁、そして照り照りに焼かれた豚肉に巻かれた小さな三日月形の何かだ。


(うーん。これは、もしかして……?)


 白い皿の上に並ぶ5つの肉巻きを見つめ、私はハッとした。

 これは、エラさんのために選ばれた食材に違いない。だってシンデレラといえば、あの食材しかないから。


 そして、夢園店長がいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「【姫君に贈るカボチャの肉巻きランチ】、召し上がれ」


 夢園店長は、お膳をエラさんの前にそっと置いた。

 食欲をそそる濃い香りが目の前に来て、私は思わず「はわぁ……」と間の抜けた声を出してしまった。


「カボチャは運命の食材だろう? プリンセス」

「舞踏会の後、スタッフたちで美味しくいただいたのを思い出すわね」


(スタッフって何だ)


 そう言いたいが、二人がつっこみ待ちではなさそうなので、私はグッと堪えて押し黙った。


 一方夢園店長はというと、配膳後は機嫌よさそうにカウンター前の椅子にすとんと腰を掛け、優雅に足を組んでいた。

 おいおい、お客様の前でその斜に構えた感じはどうなんだと問いたくなる。だが、如何せん、顔とスタイルが良すぎるために絵になってしまう。足長いな、色気があるな、イケメンだな。という感想が不満を追い抜いていくのだ。これはずるい。


 いつまでもエラさんの正面にいては、彼女が食べづらいだろうと思い、私はそんな夢園店長の隣にそろりと移動した。


「ものすごく役に入り込んだコスプレイヤーさんですね。設定が斬新で、ついていくのがやっとなんですけど……」


 私はひそひそと夢園店長に耳打ちをすると、彼は「椿木ちゃん、まだ彼女を偽物だと思ってる?」と、にやにやと愉快そうに眉を持ち上げた。

 私が「え……?」と回答に迷っていると、その間にエラさんは胸の前で丁寧に両手の平を合わせていた。


「いただきます」


(日本式……!)


 エラさんは、流れるような動作でお箸を手に取ると、優雅な仕草でかぼちゃの肉巻きを口に運んだ。私よりも箸の使い方が美しい。


「んっ……!」


 驚いて、碧眼を大きく見開くエラさん。

 照り照りに焼かれた豚肉と、太陽のような色のカボチャの間から、みょんと溢れ出てきたのはとろけたチーズだった。

 うわぁ、これ絶対に合うやつだ……と、私は見ているだけで唾液が止まらない。


「醤油と砂糖の絶妙な甘辛さ! これぞ照り焼き! カボチャの甘さとチーズのコクがたまらなく合う! いえ、待って!」


 感情が高ぶっている様子のエラさんは、ご飯茶碗をまるで秘宝のようにして持ち上げると、「これよこれ!」と瞳をキラキラと輝かせた。

 エラさんはカボチャの肉巻きをご飯にワンバウンドさせてから、ぱくり。そして白米を追ってぱくり。


「んんんんん~~っ!」


 先程まではソファに深々と腰掛けていたエラさんは、すっかり前のめりになって悶えている。


「やっぱり、ご飯が一番合う! お肉の脂とお米のふくよかな甘みが絡み合って、まるで昔からの幼馴染の許婚のようにしっくりくる美味しさだわ!」


(よく分からない食レポだけど、めちゃくちゃ美味しそうに召し上がられている……!)


 エラさんを見ていると、肉巻き、ご飯、肉巻き、ご飯、時々サラダとお味噌汁へと、箸が止まらない様子である。


「このサラダ……只者じゃないわね……! ヘルシーなのにメインに負けないしたたかさがある……まるで虎視眈々と政権奪取を狙う頭脳派宰相のようだわ!」


 エラさんがそう評価した豆と豆腐のサラダは、私も賄いで何度か食べたことがある。

夢園店長お手製のゴマドレッシングがなかなかパンチのある味で、淡泊なサラダもおかずのようにしてモリモリと食べることができるのだ。思い出すと涎が出てきてしまう。


 汁物も美味しそうだ。

 根菜や油揚げ、ネギといった具がいっぱい入ったお味噌汁からは、ふわりと温かい湯気が立ち昇っていて、優しい煮干し出汁の香りが鼻腔をくすぐってくる。


「あぁ……あぁ……っ! 体が芯から温まる……! こってりした照り焼きの脂が優しく流れて消えていくわ……! これでまた、いくらでも肉巻きが食べれてしまう! こんなにガツガツ食べさせて、いったいどうするつもりなの⁉ 逆に信用できなくなるじゃない! まるで慈愛に満ちたフェアリーゴッドマザーじゃない……っ」


 やはり、例えが独特すぎる。これがロイヤル系食レポなのか。

 とはいえ、エラさんの食事はどんどん進む、進む。箸が止まらない様子である。

 このシンデレラ。食いっぷりが良くて、見ていてたいそう気持ちがいい。


「どうだった?」


 夢園店長は長い脚を組み替えると、空っぽになった皿の前で上品にグラスを傾けるエラさんに問い掛けた。


「家庭的で、とても美味しかった。悔しいくらい」


 エラさんはグラスを両手で包むようにして握ると、先ほどまでとは打って変わって、落ち着いた口調で答えた。

 その表情は、いわゆる大満足のご馳走様でしたといったふうではない。

 蒼く美しい瞳が切なげ潤んでいるように見えた。


(あれ……。これって演技じゃない……?)


 エラさんの哀しそうな表情は、私の猜疑心を強く揺すぶった。


 人と接することが苦手であるからこそ、私は人の抱く感情に敏感だった。

 彼女が滲ませる気品も、感情も、葛藤も。

すべて本物にしか見えない。設定でも演技でもない――そう思えたのだ。


(エラさんは、コスプレのプリンセスじゃない。もしかして本当の――?)


 もし、本当にそんなことがあるのなら。

 もし、夢のような出来事が現実に起こっているとしたら。


(子どもたちに夢を贈る絵本作家になりたい私が、目の前の夢みたいな現実を信じなくてどうするの?)


 目の覚めるような感覚に胸を高鳴らせながら、私は黙ってエラさんを見つめた。


 私は子どもの頃から、「シンデレラ」の絵本が大好きだった。初めて好きになった絵本だった。

実家にあった「シンデレラ」は三等身の可愛らしいキャラクターデザインで、仕掛けをめくるとドレスが煌びやかなものに変わるという遊びの含まれたものだった。

 物心がつくと、様々な出版社から出ている「シンデレラ」の絵本を見つけるたびに、親に買ってくれとせがんだ。


 どの「シンデレラ」も可愛くて、綺麗で、面白くて、ハッピーエンド。

 私の「好き」がたくさん詰まったシンデレラは、ページをめくる私に幸せな時間と絵本作家になりたいという夢を与えてくれた。


(私に絵本作家を目指すきっかけをくれた「シンデレラ」……。こんな私でも、できるなら大好きな彼女の力になりたい……!)


 私はエラさんの「悔しい」という言葉の意味と、彼女の本音を胸の中で想像する。


(エラさんはどうしてこのお店に来たんだろう……。お腹が空いていたから? それとも話を聞いてほしかったから? きっとどちらもそうだけど、それだけじゃない気がする……。でも、私がそんなこといきなり言出したらおかしいよね……)


 顔を曇らせて悩んでいると、そんな私の心を読んだかのように夢園店長が口を開いた。


「考えることはいいことだよ。思考停止で手足だけ動かすことなんて、誰だってできる。この店に必要なものは観察力と想像力だ。椿木ちゃんには、ソレがある」


 夢園店長が私のことをそんなふうに思っていてくれたことに驚き、思わず心がふわりと軽くなった。

 受賞実績もない、まともなコネもない、自信もない、デビューもできない。

 ないないだらけの私にあるものを、夢園店長は見つけていてくれた。


(嬉しい……)


 彼の言葉が背中を押してくれたような気がして、私は思いついたことをおずおずと口にした。


「あの……エラさんは、料理はお好きですか?」


 私の言葉に、エラさんはハッと息を呑んだ。

 それを肯定の意だと捉えた私は、少しほっとしながらたどたどしい口調で話を続けた。


「あ……えっと、私は料理なんて全然できないですけど、食べることは好きで……。でもいつか恋人ができたら、こんな素敵なご飯を作ってあげられたらいいな……って思うことはあります。エラさんはどうですか?」

「えぇ、そうね……。私もあの人に料理を作ってあげたかった」


 エラさんは左の薬指にある金色の指輪を撫でながら、こくりと小さく頷いた。

 その顔は、姫君というよりも年頃の女の子――甘い結婚生活を夢見る一人の少女だった。


 あぁ、そうか……と、私はエラさんの言動がすとんと腑に落ちた。


 エラさんは王子のことが嫌いになったから、お城を飛び出したのではない。

 愛する彼からに求められていないと感じたことがつらくて、お城を去ったのだ。


「愛した人に手料理を振る舞えたら……美味しいって言って喜んでもらえたら――。そんな時間を過ごせたら、どれほど幸せだろうって何度も想像したわ……。でも、あの人は料理なんてしなくていいって言うの。それどころか、何もしなくていい、ただそばで美しく微笑んでくれるだけでいいって……。彼は私に容姿以外のものを期待していないのよ」


「そんな……エラさん……」


 エラさんの蒼い瞳から流れる涙が、私の胸を締め付けた。


「泣かないで、シンデレラ」という、シンデレラの友達のネズミたちや、フェアリーゴッドマザーの台詞が頭をよぎる。


 エラさんは、思い描いていた甘い新婚生活と現実の差に苦しんでいたのだろう。

 愛する人がそばにいるのに、常に付きまとう孤独と戦う日々は、実家で継母や義理姉たちから虐められていた頃とは別のつらさがあったに違いない。


 これが成り上がりの自分にとって、身に余る幸せだと飲み込むべきか。それとも理想の幸福を求めて抗うべきか。

 そんな彼女の葛藤を想像すると、私はハッピーエンドなんてクソくらえと思えてきた。

 プリンセスだって女の子だ。初恋で無双なんてできるわけがない。


「王子様はきっと、エラさんがお料理が好きだってご存じないんだと思います。あなたがご実家で使用人のようにこき使われていたことしか知らないから……、だから、敢えて気遣って料理から遠ざけようとされたんじゃないかなと……」


「そうなの⁉」


「そ……それは断言し兼ねるところでして……」


 エラさんが長いまつ毛で涙を弾き飛ばし、私を強めの目力で見つめた。

 美人の迫力に慣れていない私は、思わずたじろいでしまう。

 そうなのかと問われても、「シンデレラ」の王子視点の物語など読んだことがないため、本当にただの想像を述べたにすぎない。もちろん、自信なんてない。


 けれど、私が愛読したたくさんの「シンデレラ」の優しくて聡明な王子様なら、きっとシンデレラのことを大切に想っているに違いない。

 シンデレラを見初めた彼なら、つらい境遇を生きて来た少女を守りたいと思うはず――私はそう思ったのだ。


「それを確かめるために、もう一度王子様と会ってお話してほしいです……。私には、お二人がすれ違っているように思えます」

「そう……なのかしら?」

「知らないまま、距離を置いてしまうのは寂しいね。知ることで、いっそう面白くなるのが物語と人生ってやつなのに」


 会話にスッと入ってきた夢園店長は、チラリと一瞬だけ私の顔を見て言った。

 私はつい、彼のことをよく知らないのに、「不思議ちゃん」というレッテルを貼ろうとしていた自分へのメッセージに聞こえてしまい、ドキリとしてしまった。


(そうだ……。私、店長のこと、何も知らない……)


 夢園店長は、そんな私の胸中に気がついているのかどうかは分からないが、相変わらず飄々とした態度でエラさんに小さな紙を手渡した。


「カボチャの肉巻きのレシピ。王子様の好みの味にアレンジして、作ってあげなよ」

「ありがとう。……彼に聞いてみないとね。どんな味が好きなのって」

「俺の予想では甘めだね。当たってたら、今度教えてよ」

「ふふっ。分かったわ」


 エラさんはレシピの書かれたメモ用紙を大切そうにドレスの謎空間にしまい込むと、ふわふわのドレスを重たそうに持ち上げながら立ち上がった。


 彼女は言う。「もう12時。帰らなきゃ」と。


 店の時計を見上げると、12時ぴったりだ。いや、昼のだが。

 彼女はどこにどうやって帰るのだろうか。

 その問を私が口にしようとした時、また不思議なことが起こった。


「迎えに来たよ、エラ」


 その優しく柔らかい男性の声は、夢園店長のものではない。

 店の入口ではなく、本棚の方から優雅に歩いて来たのは、一目見て上質と分かる素材の礼服をまとった長身の外国人男性。金糸のように煌めく髪に宝石のエメラルドと見間違えそうになるほど美しい双眼の持ち主は、はっきりと言ってしまうとTheプリンスだった。


(えっ! 王子様まで⁉ いったいどこから――)


 彼はどこから現れたのか。

その答えは、本棚の中にあった。先程、私が棚に戻した絵本――「シンデレラ」の背表紙が淡い光をこちらに向かって放っている。

 きっと、エラさんもそうだったのだろう。二人は絵本の中から現れたのだ。


「どうしてわざわざ来たのよっ! 公務は⁉」

「大臣に丸投げしてきたよ! 大好きな奥さんを迎えに来たらいけない?」

「ちょ……、もうっ! 何の相談もなしにそんな……!」

「うん。だからこれからは、二人で話す時間をもっと作ろうかなって」


 始めはプリプリと怒った態度を取っていたエラさんだったが、王子の優しい眼差しにすっかり焼かれてしまい、悔しそうに頬を紅く染めていた。


「【尻尾屋】さんにいるって、なぜ分かったの……?」

「以前話してくれたじゃないか。君の恩人のお店なんだろう? だからきっと、ここにいると思ったんだ」

「まさか覚えていたなんて……」


 ツンと澄ました態度だが、嬉しさと照れくささを隠しきれないエラさん。

 私はつい「ツンデレラ」などというしょうもない単語を思い浮かべてしまったが、目の前の魔法のような光景は、形容しがたい美しさだった。小さな絵本カフェには場違いなほど美しいプリンスが、これまた美しいプリンセスを抱きしめていたのだから。


「椿木さん。お話を聞いてくれてありがとう」

「妻がお世話になりました。【尻尾屋】さん、次は僕も寄せてください」


 横に並んだ二人は深々と頭を下げると、腕を組んで本棚――帰るべき絵本に向かって歩いて行く。


「あ……、ありがとうございました!」


 私は、魔法のようなひと時をくれたお客様を胸をいっぱいにしながら見送った。

 幼い頃に絵本で読んで、心から憧れたプリンセス。

末永く幸せでいてほしいと願ったプリンス。

 同時に、幼い頃の記憶が鮮烈に蘇る。

 いつか、私も誰かに憧れや夢を贈れるような、そんな素敵な絵本が描きたいと願ったあの日のことを。


(今の私を見たら、昔の私はどう思うだろう)


 夢の詰まった物語を描きたいと思っていたのに、日銭を稼ぐための手段として絵を描いている私。

 胸を打たれるような物語を失い、コミュ障だからと自分の殻に閉じこもっていた私。

 絵を描くことが嫌いになりかけていた私――。


(――違う! 私が思い描いていた私は、こうじゃない!)


 胸の奥からふつふつと熱い感情が込み上げてきた。


 今すぐ絵を描きたい。物語を考えたい。絵本が描きたい。


「店長、私――」


 振り返ると、夢園店長がカウンター席から私を見つめてニヤッと笑っていた。細められた目は、まるで気まぐれな猫のよう。私のはやる気持ちを見透かすような瞳は、どこか不思議な光を放っていた。


「椿木ちゃんもさ。いつか、登場人物が飛び出て来るような絵本、描いてくれよ」

「え……っ」

 

 思わず、間の抜けた声を出してしまった。

 そういえば、夢園店長に私が絵本作家志望であることを一度だけ話したことがあった。

 アルバイトの採用面接の時だ。

 彼は、絵本作家を目指す傍らでアルバイトをしたいと話した私に、「期待の新人かな」と言って即採用してくれた。

 てっきり、店員としての能力を期待してくれているのかと思っていたのだが、まさか絵本作家の方だったとは。


「俺ね、ずっと楽しみにしてんの。椿木ちゃんの作家デビュー。お客さんのこと、よぉく見てる君なら、きっと生きた物語が創れると思うよ」

「店長……」


 彼が絵本作家として芽が出ない私のことを応援してくれていると気がつき、つい表情筋がふにゃりと緩んでしまう。

 嬉しくて胸がドキドキして仕方がない。もう一度頑張ってみよう、夢に向かって描き続けようという気持ちが溢れて来た――のだが。


「それはそれとして、ですよ‼」


 私が突然大きな声を出したせいで、夢園店長は「声でかっ!」と後ろに仰け反った。


「ちょっとちょっと! 隣の店舗からクレーム来るってば~!」

「クレームは私が言いたいですよ! ここのバイト代がすこぶるいい理由って、もしかして絵本からお客さんが来るからですか⁉」

「あはははッ! ようやく気付いた?」


 夢園店長は開き直って大爆笑だ。長い脚を遊ばせながら、お腹が痛そうに押さえている。


「アルバイトの契約書には書いてたんだけどねぇ」

「えっ! うそ⁉」

「椿木ちゃん、ろくに読まずにサインしちゃうから。不用心に毒リンゴとか、うっかり買っちゃうタイプでしょ?」

「そんなの買いませんよ!」


 私が言い返すと、夢園店長は込み上げる笑いをやっと抑え込み、改まってコホンッと咳払いをした。


「ここは元々、俺のばあさんが切り盛りする絵本の修繕店だったんだ。それは前に話したね?」

「はい……。修繕って、破れたページを繕ったりするやつですよね?」

「う~ん……それもあるけど、それだけじゃない。傷ついた絵本を癒やすって言った方がいいかな?」

「絵本を……癒す……」


 その言葉で、私はエラさんのことを思い出した。

 傷ついた心で来店した彼女は、夢園店長の作る料理に癒され、笑顔で絵本の中へと帰って行った。

 それだけではない。彼女は王子との会話で、ここが恩人の店だと認めていた。


 もしかして、と私の頭の中に一つの答えが導き出される。

 すべての不思議な出来事をまるっと収める都合がよすぎる職業が、世界に一つだけある。


「もしかして、店長って魔法使い……ですか……?」

「おっ! 鋭いねぇ! 椿木ちゃん、やっぱいい想像力してるよ! 俺のばあさん、フェアリーゴッドマザーでね。俺はその仕事を引き継いだ、悩める絵本の住人たちの手助けをする魔法使いなんだよ。どう? びっくりした?」

「軽い! 説明が軽すぎる!」


 私が顔を引き攣らせて叫ぶも、夢園店長はケラケラと楽しげに肩を揺すっている。


「洋書から来るお客さんには外国語で対応しなきゃだし、人外も多いよ。おもてなしは大変だ。でもきっと、君の創作の糧になる。……というか、俺は料理で手一杯だから、椿木ちゃんがお客さんの話し相手になってくれると助かるんだよね~」

「いやっ、そんな! 私みたいな喋り下手には荷が重すぎます! こんなファンタジー、契約外です!」

「だから、契約書には書いてあるんだってば」


 私が必死に反論していると、次のお客様がやって来た。

 明るく光り輝く絵本の隣に現れたのは、黒いローブを身に纏った鷲鼻のおばあさん――どう見てもThe魔女だった。


「魔法使いの孫! 今どきの映えるお菓子ってのを食わせな! お菓子の家作りの参考にするから!」

「ようこそ、魔女様。では、とびっきりのデザートプレートをご用意いたしますので、お掛けになってお待ちくださいませ」


 魔女のおばあさんの乱暴な物言いを受け止めると、夢園店長は「椿木ちゃん、お相手よろしくゥ」と、私に向かってふざけ気味なウインクを飛ばしてきた。


 うだうだ言っていても始まらない。

 どうやら私は、夢と魔法と美味しいご飯を作る店長に採用されたらしい。

 説明不足に対する不満はある。けれど、不思議と不安はない。

 だって、絵本はいつでもワクワクを与えくれるし、「知ることで、いっそう面白くなるのが物語と人生ってやつ」なのだから。


「いらっしゃいませ! 本日は【尻尾屋テイルカフェ】にようこそ!」


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