吐息その2『黒白のdebut~いつか辿り着く場所~』
遂にここまで来たのだ。
沢山の愛を受けて、力強い声援に背中を押され、ようやく辿り着いた大舞台。
傍らに立つ彼女と共に駆け抜けてきた日々が走馬灯のように脳裏に流れていく。
照明が落とされた暗がりの中、思い出に浸っていると、
「いよいよだね……」
隣の彼女が前を向いたままに呟いた。
自分の黒とは対になる白を基調とした衣装を身に纏う甜飴といきが漏らした言葉に込み上げてくるものを感じながら、言葉を返した。
「そうだねー、って……とい緊張してんの?」
「だって――!」
暗がりで気付きにくかったが、身体を近付けたことで、その表情が薄らと認識出来た。
表情は引き攣り、出会った頃の固さが蘇ったかのようだった。
その姿に、つい悪戯心が刺激され、からかうように、
「じゃ~あ、手……握っててあげる」
猫撫で声を耳元で囁き、彼女に手を差し伸べる。
きっと彼女は子供扱いやめてねー、と言って苦笑いを浮かべるだろう。それでいい。彼女の緊張がほぐれるなら、こういうからかいはアリだろう。
「ん……」
けど、思っていた反応とは異なり、彼女はおずおずとこちらの手を掴み、やがて指先まで絡ませてきた。
「と、とい?」
「……なんだ、ねぴも震えてるじゃん」
予想外の行動に面食らっていると、彼女から意外な言葉が投げ掛けられた。
どうやら、自分も緊張していたらしい。これでは、先程の言動が自分の緊張を紛らわせるためのものだったと思われないだろうかと心配になる。
自分でも気付けていなかった内心を見透かされた気恥ずかしさに、彼女から視線を逸らし、俯いてしまう。
暗闇のおかげで、紅潮している顔が見られていないのが救いだった。
「といの前では、カッコつけたかったんだけどな……」
それでも、一向に引かない顔の火照りを誤魔化すために、精一杯の強がりを溢す。すると、彼女は指先に力を込めて、
「ねぴはいつでも最高にカッコ可愛いよ」
そう言って、その表情は見ることは出来なかったが、きっといつもの微笑みを向けてくれているのだろう。
――まったく……
欲しいときに欲しい言葉をくれる、最愛の人には敵わないな、と溜息が漏れてしまう。
『――開演まで残り10秒です』
インカムから聞こえてきた声に意識をこれからのことへと集中させる。
気が付けばどちらの身体からも震えは消え去っていた。
「行こう――とい」
「うん――これからも一緒だよ、ねぴ」
幕が開き、光の波がこちらを包み込んでくる。
眩い光のヴェールの向こうには、今まで支えてくれたファンの皆が待っている。
これまでの感謝を伝えるために、繋いだ手を硬く結んで、共にステージへと降り立った。
ここは私達の夢の舞台――だけど、ゴールではない。
輝かしい未来へ進むためのスタートライン――
◆
「ーーって、夢オチかーい……」
目を覚まして気怠げに発した声は、朝ぼらけの淡い光りの中へと溶け消えていった。
随分と臨場感のある夢だったせいか、現実との境があやふやになりそうではあったが、
「ん?」
ふと持ち上げようとした左手に妙な力が加わった重みを感じ、ゆっくりと視線をそちらに向けてみる。
ーーあー、なるほど……
重みの正体を認識し、何故あのような夢を見たのかを理解する。
持ち上げた左手が、隣にいる彼女と手を繋いでいたのである。ご丁寧に指先をしっかりと絡めた恋人繋ぎというやつだ。
ぼんやりとしていた頭が急激に覚醒していき、面映さに頬が熱くなるのを感じる。
ーーまったく……
どちらから相手の手を取ったのかは分からないが、このまま彼女が目を覚ましたらどんな反応をするだろうか……
「まぁ……いっか」
どうせこちらが期待するような意図では受け取ってくれないはずだ。仲が良い友人として頬を緩ませるのが関の山だろう。
ならばーー
「よいしょ、と」
繋いだ手はそのままに、彼女に身を寄せる。起こさないよう最新の注意を払いながら、彼女の空いた左手をこちらの背に回すように導いてくる。
「ん……」
彼女の甘くて柔らかい香りに包まれて、至福の時を味わう。
起床まで残り30分ほどだが、しっかりと堪能させてもらうことにする。もしそれまでに彼女が目を覚ましたとしても言い訳はどうとでも出来るだろう。だから、
「ーーいつか、きっと……」
彼女の温もりに包まれていると、覚醒したはずの脳が再び眠りの底へと沈んでいくのを感じる。
甘美な誘惑に抗うことも出来ず、微睡の中へと落ちていく……