祖母の過去
由美子が目を覚ました時、窓の外はまだ薄暗かった。昨夜、図書館で見た手紙の文面——「子を奪う呪いが再び起きる」——が頭にこびりついている。彼女はベッドから起き上がり、顔を洗う。水の冷たさが頬に染み、眠気を追い払った。優太と翔太を救うには、藤尾家の土地の過去を知らなければならない。町役場に行き、記録を確認する。それが今日の第一歩だ。
朝食を軽く済ませ、由美子はコートを羽織って家を出た。町役場は商店街を抜けた先にあり、歩いて20分ほどだ。道すがら、朝の挨拶を交わす近所の人々の声が聞こえる。だが、優太と翔太のことが話題に上るたび、皆の声が小さくなった。由美子は足を止めず、役場へ向かった。
町役場は古い木造の建物で、玄関の看板が色褪せている。由美子が戸を開けると、受付の女性が顔を上げた。若くて、見慣れない顔だ。
「すみません、土地の記録を見たいんです。祠の周りの」
女性が少し驚いたように目を瞬く。
「土地の記録ですか? 閲覧には申請書が必要です。ちょっとお待ちください」
女性がカウンターの下から紙を取り出し、由美子に渡した。閲覧申請書だ。名前と住所、閲覧目的を記入する欄がある。由美子はペンを手に取り、「藤尾由美子」「図書館員」「祠周辺の土地所有の確認」と書いた。女性が申請書を受け取り、奥に引っ込む。数分後、分厚いファイルを持って戻ってきた。
「これ、祠周辺の地籍簿です。ただ、古いものは一部しか残ってなくて……何かお探しですか?」
由美子は頷いた。
「藤尾家の土地について知りたいんです」
女性がファイルを渡し、カウンターの隅を指す。
「ここでなら見ていただけます。持ち出しやコピーはできないので、ご了承ください」
由美子はファイルを受け取り、カウンターの隅に座った。ページをめくると、祠の周辺が「藤尾家所有」と記されているのは昨日見た通りだ。だが、1950年代の欄に、初めて名前が出てきた。「藤尾キヨ」とある。由美子は息を止めた。キヨ。祖母の名前だ。母が時折、「おばあちゃんは頑固だった」と笑いながら話していたのを思い出す。だが、祠のことまでは知らなかった。
さらに読むと、キヨが1952年に町へ手紙を出し、祠の開発に反対したとある。その後、土地は町に一部譲渡されたが、祠周辺は藤尾家のまま残った。由美子は目を細めた。藤尾の婆さんとは、祖母のことだったのか。だが、なぜ母はそんな話をしなかったのか。彼女はノートに「藤尾キヨ」と書き、ファイルを閉じた。
その時、奥の部屋から男の声が聞こえてきた。低い、落ち着いた声だ。
「祠の件は急げ。業者が待ってる」
由美子は耳を澄ませた。もう一人が答える。
「でも、住民が騒いでる。子供が消えたタイミングでまずいですよ、町長」
町長。由美子は背筋が冷たくなった。受付の女性がこちらを見ていないのを確認し、そっと奥を覗いた。半開きのドアから、スーツ姿の男が見える。町長の田中健一だ。60代半ばで、いつも穏やかな笑顔が印象的な男だが、今は眉間に皺を寄せている。
「騒ぎは収まる。土地さえ片付けば、誰も文句は言わん」
田中が席に座り、書類を手に持つ。由美子はカウンターに戻り、ファイルを手に持ったまま考えた。町長が開発を急ぐ理由。祠の過去を隠したいのか、それとも単に金のためか。だが、優太と翔太が消えたタイミングが偶然とは思えない。
役場を出ると、空気が冷たかった。由美子は商店街へ向かいながら、頭を整理した。祖母キヨが祠を守った。だが、今、その土地が再び狙われている。そして、子供が消えている。藤尾家の過去と失踪が繋がっているなら、自分が動かなければ。
商店街の角で、美津子と会った。彼女は小さな紙袋を手に持っている。
「由美子さん、ちょうどよかった。警察から連絡あったよ」
「何か分かったの?」
美津子が首を振る。
「キーホルダーは優太のって認めたけど、祠を本格的に調べるのはまだだって。人員が足りないとかで」
由美子は唇を噛んだ。警察が動かないなら、自分で証拠を見つけるしかない。彼女は美津子さんを見た。
「美津子さん、町長が祠の土地を急いでるって知ってた?」
「うん、商店街でも噂になってる。なんか、大きな会社が入ってくるらしいよ」
由美子は頷いた。大きな会社。業者の背後にいるのか。彼女は決意を口にした。
「私、祠のことをもっと調べるよ。藤尾家の過去が鍵かもしれない」
美津子さんが目を丸くする。
「由美子さんの家が関係あるの?」
「まだ分からない。でも、何かある気がするんだ」
美津子さんが小さく頷く。由美子はノートを握り、祠へもう一度行くことを決めた。土地の記憶が、子供たちを救う手がかりになる予感がしていた。