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祠の影  作者: 西川 笑里
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二つ目の影

 由美子が図書館を早退したのは、次の日のお昼を少し過ぎた頃だった。空は灰色に曇り、冷たい風がコートの裾を揺らす。手に持ったノートには、昨日書き留めた優太の言葉と祠の記録が乱雑に並んでいる。町の中心から外れへ向かう道は、舗装が剥がれ、足元に小さな石が転がっていた。彼女は森の入り口を目指していた。そこに、祠がある。歩きながら、由美子は昨日見た写真集の白黒写真を思い出した。苔むした石と崩れた屋根が、頭の中で現実と重なる。


 優太の失踪から一夜が過ぎ、町はざわついていた。朝、商店街を通った時、近所のおばさんたちがひそひそと噂話をしているのが聞こえた。

「佐藤さんとこの優太君が消えたって」「祠の近くで遊んでたらしいよ」


 その脇を由美子は立ち止まらずに通り過ぎたが、胸の奥で何かが締め付けられるようだった。あの子の笑顔が、頭から離れない。優太が最後に図書館に来た時、手に持っていた本のページを指でなぞっていた姿まで、鮮明に浮かんでくる。


 森の入り口に着くと、風が木々を揺らし、葉擦れの音が響いた。細い獣道が奥へ伸びている。由美子は深呼吸して一歩踏み出した。子供の頃、母に「近づくな」と言われた祠が、こんな形で自分を引き寄せるとは思わなかった。道の脇には、枯れた草と古い石が散らばり、どこか寂しげだった。足音が土を踏むたび、小さな砂粒が跳ねる音が耳に届いた。


 祠に近づくにつれ、空気が重くなった気がした。木々の間から、苔むした石が見えてくる。屋根は半分崩れ、風に揺れる雑草が石の周りを覆っている。由美子は立ち止まり、ノートを手に持ったまま見つめた。写真集で見た姿そのままだったが、目の前にあるそれは、なぜか生きているように感じられた。静かすぎる。鳥の声すら聞こえない。風が木の枝を揺らす音だけが、耳に低く響いていた。


 足元に、落ち葉に隠れて何かが落ちているのに気づいた。由美子は屈んで拾い上げる。小さなキーホルダーだ。プラスチック製で、丸い顔のキャラクターが笑っている。優太が持っていたものだろうか。昨日、図書館で本を読んでいた時、彼のランドセルに似たものがぶら下がっていた気がする。由美子はキーホルダーを握り、祠を見上げた。ここに、優太がいたのか。指先でキーホルダーを撫でると、冷たい感触が手のひらに残った。


「由美子さん!」


 背後から声がして、由美子は振り返った。森の入り口に、美津子が立っていた。目を赤く腫らし、コートを羽織ったまま息を切らしている。由美子はキーホルダーを手に握ったまま彼女に近づいた。


「美津子さん、どうしてここに?」


「警察が祠を見てきたって言うけど、何も分からないって……私、もう我慢できなくて。優太がここにいる気がして」


 美津子が声を震わせる。由美子は彼女の肩に手を置くと、彼女が細かく震えているのがわかった。


「私も、今来たところだよ。このキーホルダー、見て」


由美子が手にしたキーホルダーを見せると、美津子が目を大きく開いて受け取った。


「優太の! 昨日まで持ってたやつだよ。やっぱり優太はここに……」


 美津子が祠の方に駆け出そうとするのを、由美子が腕を掴んで止めた。


「待って。落ち着いて。一人じゃ危ないよ」


「でも、優太がいるかも!」


 美津子の声が森に響く。由美子は彼女を静かに見つめ、頷いた。


「分かった。一緒に行くよ。でも、気をつけて」


 二人は祠に近づいた。石の表面に、薄く何か文字のようなものが刻まれているのが見えた。由美子は目を凝らしたが、苔に埋もれて読めない。美津子が祠の周りを歩き、草をかき分けた。


「優太! いるなら返事して!」


 美津子の叫びが空に吸い込まれる。返事はない。由美子は祠の裏に回り、地面を見た。土が少し掘り返された跡がある。誰かが最近ここにいたのか。それとも、自然の仕業か。彼女はしゃがんで土に触れた。湿っていて、指先に黒い泥が付いた。


 その時、遠くでサイレンが鳴った。町の方からだ。由美子と美津子は顔を見合わせた。警察だろうか。何か見つかったのか。だが、サイレンが近づく前に、別の声が町の方から聞こえてきた。誰かが叫んでいる。


「また子供が消えた! 今度は山本さんとこの子が!」


 声は風に乗り、森に届いた。由美子は息を止めた。「山本さんとこの子」とはもしかして優太の友達だろうか。確信があるわけではないが、そんな気がした。どちらにしろ、これで二人目の失踪だ。

 美津子が由美子の腕を掴んだ。


「由美子さん、どういうこと? 何が起きてるの?」


 由美子は答えられなかった。ただ、立ち止まって祠を見上げた。石の隙間から、冷たい風が吹き抜ける。その奥に、何かが潜んでいる気がしてならなかった。


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