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祠の影  作者: 西川 笑里
2/16

優太の不在

 翌朝、由美子が図書館の鍵を開けると、空気がいつもより冷たく感じられた。昨日の美津子の言葉が頭に残り、眠りが浅かったせいかもしれない。カウンターに荷物を置いて窓を開けると、森の方から湿った風が吹き込んできた。カラスの声は聞こえない。代わりに、遠くで誰かが叫ぶような音が一瞬だけ耳に届いた気がした。


 電話が鳴ったのは、それから間もなくだった。由美子が受話器を取ると、聞き慣れた声が震えながら響いてきた。


「由美子さん……優太が、優太が帰ってこないの!」


 美津子の声は普段の明るさを失い、途切れ途切れに泣きそうだった。由美子は受話器を握る手に力を入れた。


「帰ってこないって、どういうこと? 昨日は帰ったんじゃないの?」


「ううん、昨日は帰ってきてたけど、夜中にいなくなってて……朝起きたら部屋にいないの。布団もそのままなのに!」


 美津子の言葉が早口になり、由美子は頭を整理しようとした。小学生の優太が夜中にひとりで家を出るなんて、普通は考えられない。昨日、美津子が「ぼーっとしている」と言っていたことを思い出す。


「警察には?」


「今、連絡したところ。まだ来てないけど……由美子さん、どうしよう。私、優太が祠の近くに行ったんじゃないかって」


「祠……」


 由美子は声に出して呟いた。美津子の言う通りなら、優太は何か変なものに引き寄せられたのだろうか。「神様が呼んでた」という言葉が、また頭をよぎる。受話器の向こうで美津子が鼻をすすった。


「由美子さん、私、昨日言ってたでしょう、優太のこと変だって。あの時ちゃんと聞いておけばよかった」


「そんなことないよ。落ち着いて。私も何かできるか考えるから」


 電話を切った後、由美子はカウンターに手を置いて深呼吸した。図書館の中は静かすぎて、自分の心臓の音が聞こえるようだった。優太の丸い顔が浮かぶ。あの子が消えたなんて、信じたくない。でも、美津子の震える声が現実を突きつけていた。


 外を見ると、町が少しずつ動き始めていた。商店街の角で、近所のおばさんたちが立ち話をしているのが見える。おそらく、優太のことがもう噂になっているのだろう。藤尾町は狭い町だ。悪い知らせは、あっという間に広がる。


 由美子は引き出しからノートを取り出し、ペンを手に持った。考えるより先に、何かを書き留めておきたかった。昨日、優太が最後に図書館に来たのは午後4時頃。その後、図書館を出て家に帰るまで友達と遊んでいたという。祠の近くで。そして、「神様が呼んでた」と口にした。紙にその言葉を書きながら、由美子は眉を寄せた。子供の空想にしては、タイミングが悪すぎる。


 ふと、カウンターの隅に置かれた古い写真集に目が留まった。町の歴史をまとめたもので、何年も前に寄贈されたものだ。表紙は色褪せているが、中には祠の写真があったはずだ。由美子は本を手に取り、ページをめくった。ざらりとした紙の手触りが、妙に落ち着かせてくれた。


 あった——

 白黒の写真に、苔むした祠が写っている。屋根の端が崩れ、石の周りに草が生い茂っている。キャプションには「藤尾町の祠。子守りの神として信仰された」とある。由美子は目を細めた。子守りの神。優太が言った「神様」と関係があるのだろうか。


 写真の下に、小さな文字で続きがあった。「古くから、祠に子を捧げると願いが叶うとの言い伝えがあるが、戦後の一時期、行方不明事件が相次いだため近づく者は少ない」。由美子は息を止めた。行方不明事件。戦後なら、70年以上前だ。でも、その一文が今、目の前で起きたことに重なって見えた。


 窓の外で、パトカーのサイレンが遠くに聞こえた。警察が動き出したのだろう。いてもたってもいられず、由美子は立ち上がっていた。本棚の奥に、もっと古い資料がある。町史や新聞の切り抜きが、雑多に詰まった箱だ。優太のことが頭から離れない。美津子の泣きそうな声が耳に残る。


 ——祠に何かあるなら、見つけなきゃ


 由美子は呟きながら、埃っぽい箱に手を伸ばした。祠のことが、ただの迷信じゃないかもしれない。そんな予感が、彼女の胸を締め付けていた。

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