役場の男
由美子が図書館に着いたのは、昼前だった。警察署を出て美津子と別れた。カーラジオからは「川の捜索が続く」と繰り返し流れ、新聞記者が商店街をうろついている。だが、由美子の頭は祠の紋様と金属の欠片で一杯だ。警察が川にしか目がいかないなら、自分で調べるしかない。彼女はカウンターにノートを置き、奥の棚へ向かった。町史や古い記録が眠る場所だ。藤尾家の過去と祠の秘密が、ここに隠れているはずだ。
由美子は古い箱を引っ張り出し、蓋を開けた。戦後の新聞切り抜きや手紙の束が詰まっている。「藤尾キヨ」の名前が頭に浮かぶ。祖母が祠を守ったなら、その理由が分かるかもしれない。彼女は紙の束を手に取り、ページをめくり始めた。黄ばんだ紙が指先にざらつく。しばらくすると、1953年の手書きの記録が出てきた。「藤尾家の訴え」とタイトルが付いている。
そこには、祖母キヨが町に提出した文書があった。「祠の土地は子守りの神に捧げられたもの。開発は許されない。子を奪う災いが再び起きる」。由美子は目を凝らした。図書館の手紙と同じ言葉だ。だが、続きがある。「戦前、祠の封が解かれ、子が行方不明となった。藤尾家が再び封じた」。由美子は息を止めた。戦前にも子供が消えたのか。祖母が封じ直したなら、今の失踪は封が解かれたせいなのか。
彼女はノートに「戦前の行方不明」と書き加えた。だが、具体的な年号や誰が消えたのかは書かれていない。由美子は次の資料を探した。箱の底に、古い地図があった。祠の周辺が墨で囲まれ、「藤尾」と記されている。隅に小さなメモが挟まっていた。「1940年、祠の石に異変。藤尾キヨが町長に警告」。異変とは何か。昨夜の紋様と関係あるのか。
その時、図書館の戸が軋む音がした。由美子は顔を上げた。背の高い男が立っている。スーツを着て、手に書類の束を持っている。男が近づき、声を掛けた。
「藤尾さんですか? 町役場から来ました」名刺をカウンターに置く「藤尾さんが所有している土地のことでご相談が」
由美子は警戒した。役場の人が動いたということは、やはり町長が絡んでいるのか。彼女はノートを閉じ、立ち上がった。
「祠のことですか?」
男が頷く。
「そうです。あの地域は開発が進んでますが、祠周辺が藤尾家名義で残ってる。町への譲渡の手続きをお願いしたい」
「今ですか? 子供が消えて、捜索で騒いでるのに?」
男があからさまに目を逸らす。
「川は警察がやってます。こちらは子供のこととは関係なく数年前からの開発プロジェクトなんです。工場ができれば雇用も増える。藤尾さんにもメリットが」
「でも、祠の屋根が昨夜崩されたんです。町長が急いでるって業者が言ってた。子供が消えたのと本当に関係ないんですか?」
男が一瞬、表情を硬くした。
「それは……分かりません。ただ、手続きを急いでいただければ」
由美子は黙った。男の態度が怪しい。町長が川に目を向けさせ、祠のことを隠して開発を進めたいなら、このタイミングは偶然じゃない。彼女は首を振った。
「あの土地のことはもう少し考えさせてください。すぐには決められません」
男が小さく頷き、「早急にご検討いただきたい」と書類を置いて去った。由美子は書類を見た。祠周辺の土地を町に譲る契約書だ。あの辺りの土地が自分の相続したものだとは、祠を調べる過程で知ったばかりだ。特に執着もしないが、署名すれば、藤尾家の痕跡が消える。町長がここまで動くなら、祠に何かあるのは確かだ。今は署名する時ではない。
その夕方、美津子が図書館にやってきた。息を切らしている。
「由美子さん、商店街で聞いてきたよ。優太が失踪前に祠に興味持ってたって」
由美子は目を丸くした。
「どういうこと?」
「近所の子供が言ってた。優太が『祠に隠し扉がある』って話してたって。翔太と一緒に見に行くって言ってた日が、消えた日なんだ」
由美子は息を呑んだ。やはり優太が祠に近づいていた。紋様や封と関係あるのか。彼女は美津子を見た。
「町長が祠を崩させたのは、それを知られたくなかったからかもしれない」
美津子が頷く。
「私もそう思う。町長、工場のことばっかり言ってるけど、裏があるよ」
由美子は写真を取り出した。祠の石を写した白黒写真だ。渦のような紋様が、昨夜と同じだった。裏に「1940年、祠異変」とある。彼女は美津子に渡した。
「戦前にも祠の周りで子供が消えてる。祖母が封じたけど、また解かれたのかも」
美津子が写真を握り、目を潤ませた。
「優太、見つかるよね? この方向でいいよね、私も手伝うから」
由美子は胸が締め付けられる思いだった。美津子の声には、優太が生きているという確信と、由美子への信頼が込もっている。彼女は美津子の手を握り、静かに答えた。
「うん、もっと調べるよ。間違いなく優太君は祠が関係してると思う」
祠の過去が、きっと優太と翔太を見つける鍵になるはずだ。




