9 いつまで勇者気取りですか(1)
「……む」
まぶたにいやらしい光を感じて目を開ける。
朝だ、朝なのだ。
朝だということは頭で分かっている。
しかし体が言うことをきかない。
きかなくていいのでは?
「ユーマ、おはよう! 朝ごはん、できてるよ!」
ドアの外から無慈悲な声。
「……ふぁ~い」
仕方がない、ベッドに別れを告げよう。
のそのそと起き上がり、背伸びを1つ。
髪をいじいじしながら部屋を出る。
ここは僕たち4人の自宅。
自宅といっても、かつてフウロギルドとして使われていた住宅。
いつものギルドから歩いて10分ぐらいのところ。
ハロルドさんの前のギルマスが空き家を改装してギルドとして使っていたそう。
今は誰も使っていないということで、住まわせてもらっている。
ダイニングに下りていくと、みんな席に着いていた。
「ユーマ、おはようさん」
「ユーマちゃん、おはよう」
「……おはようございます」
みんな早起きだが、1番早いのはアヤさんだ。
朝からみんなの洗濯をしてくれる。
次にフミさん。
新聞を3つも4つも読みながら朝ごはんを待っている。
その次がヒナ姉、ごはん当番。
毎朝みんなの朝ごはんを作ってくれる。
そして作ったら僕を起こしてしまう……
いや、起こしてくださる。
そして絶対の最後が僕。
寝ぼけながら朝ごはんを口に運ぶだけのマシーン。
今朝はトースト、目玉焼きとベーコン、サラダ、ヨーグルト。
トーストにいちごジャムをべちゃべちゃに塗って、いただきまぁす。
「あんむ…… むんぐむんぐ…… けふぅ」
あぁ〜 糖分が巡る〜
日中を生きる活力が湧いてくる〜
のんびりと朝ごはんを楽しんだ。
「お義母さん、今日も会合ですか?」
「あぁ、午後から2件じゃな」
「じゃあ午前中のうちに報告書、まとめておくね!」
一緒に出勤。
みんな元気に話し合っている。
僕は頭がぼんやりしてて、会話に入れない。
「おう、みんなおはよう」
ギルドにはハロルドさんが1番乗り。
入口の鍵を開けて僕たちを待っている。
「おはようございます!」
「おはようございます〜」
「おはようさん」
「……おはよう、ございます」
こうしてギルドの1日が始まる。
そして僕がちゃんと起きるのは昼前になってから。
朝ってなんであんなにポワポワしちゃうんだろう。
◇◇◇◇◇◇
午後。
頭もスッキリ冴えてきた。
陽気が満ちる気持ちのいい日。
実に穏やかで平和だ。
だけどこんな平和な日こそ、何かしらトラブルが、
「偉そうにすんじゃねぇ、女のくせに!」
……言ったそばから。
この罵声は、相談室からか。
アヤさんが危ない。
急ごう。
「イヤ、やめて! 放してください……!」
「いい顔と体してんだからよ、俺が男との付き合い方ってヤツを教えてやるよ。ん?」
あ?
「んあ? 何だ、ガキ?」
「ユーマちゃん……」
先に体が動いた。
気付けば男の手を取り上げている。
「邪魔すんなよ。今いいところだろうが」
「……ギルドはそのような場所ではありません。必要なら酒場へどうぞ」
跳ね上がる心臓を抑えて言葉を並べる。
「調子こいてんじゃねぇぞ……?」
血走った眼が僕を捉える。
いつもなら怖がっていた。
でも今は、それ以上に、アンタを許せない。
「おいケント! 何してんだよ。街に女ひっかけに行くんじゃなかったか? 行こうぜ」
部屋の外から別の男の声。
「チッ、興ざめだ。クソ野郎」
男は僕の腕を振り払って出ていった。
「アヤさん、大丈夫ですか? 何されました?」
「私は大丈夫、ちょっと抱きつかれただけだから……」
勝手に抱きついてんじゃねぇよ。
「それよりユーマちゃんは? 腕、大丈夫?」
「えぇ、何とも」
落ち着いてからアヤさんに事情を話してもらう。
「あの人はケントさん、B級パーティの魔法使い」
「アレでですか?」
ナラカさんが浮かばれないよ。
「B級に上がったのはもう5年くらい前のことなの。そのころはやる気もあって真面目みたいだったんだけど……」
「だけど?」
「中央に招集されてからはうまくいかなかったらしいの。それでだんだんメンバーとの仲も悪くなっちゃったって」
実績が認められたB級パーティは中央ギルドに集められる。
そこで与えられたクエストをクリアすれば審査を経て、晴れてA級に昇格できる。
だがその壁は高い。
A級は超級魔物、魔王レベルと対峙しうる。
それに値する実力が求められるのだ。
だからA級になれるのはほんの一握り。
世間ではB級が一般冒険者のゴールと言われる理由がそこにある。
「それでA級に上がれず、地方に戻ってきたと?」
「そうなの。それからケントさん、もっと荒れちゃって。お酒、ギャンブル、女の人…… 他のメンバーも好き勝手して、やがてパーティは解散。しばらく冒険者もやめちゃってたの」
「都落ち」か。
勇んで中央に行ったB級が、現実を知って地方に戻ってくる。
そうして失意のうちに冒険者としてのキャリアを諦めてしまうことを、巷では都落ちと呼ばれている。
「アヤさんはどうしてケントさんと面談を?」
「元メンバーの人から頼まれたの。『本当はできるヤツだから、やる気を出させてくれないか』って」
「ありがたいメンバーですね」
「それで連絡をとってお話してたんだけど、私が怒らせちゃったみたいで……」
「何て言ったんですか?」
「『まだケントさんの力を必要としてる人はいますから、一緒にやり方を考えていきましょう?』って」
ど〜こに怒る要素が?
「とにかく、それが逆鱗に触れて襲われてしまったと」
かつては実力者だったのだろう。
多くの尊敬と感謝を集めていたのだろう。
だけど今は今だ。
その品性、見下げるよ。
「ギルド庁に報告しましょう。処分してくれるかも」
「でも何かルールに違反したワケじゃないわ。態度がちょっとよくないってだけなの」
ちくしょう、その通り。
単なる素行不良だけではギルド庁も罰則を与えられない。
もっともなやらかしをするまで待つしかないのか。
「ハロルドさんとフーリンさんには言っておきましょうね」
「えぇ、歯がゆいですが」
「……ユーマちゃん、怒ってる?」
「分かります?」
さすがににじみ出てるか。
言葉にも顔にも。
「あんなことされたら、そりゃあ怒りますよ」
「あんなことって?」
言わなきゃダメ?
「……アヤさんに、その」
「ん?」
「抱きついてたの」
「イヤだった?」
「……ん」
アヤさんの優しさがあんなヤツに踏みにじられた。
すご〜くイヤだった。
「そう、私のために怒ってくれてるのね。嬉しいわぁ」
アヤさんが立ち上がる。
「私もね、ちょっとイヤだったの。だからね……」
僕に向かって大きく腕を広げて、微笑んでくる。
「そのイヤイヤさん、上書きしましょ?」
「……うん」
僕は、その腕の間にすっぽり収まる。
腕が畳まれて、アヤさんの体に埋まる。
いつもの、柔らかくて温かいの。
他のヤツにとられていいワケない。
アヤさんの匂い、好き。
言葉にしづらいけど……
言うなら、お母さんの匂い、かな。
「ありがとう、助けてくれて」
「……ハロルドさんの方がよかったでしょ?」
アイツをポカン、と懲らしめてくれただろうに。
「駆けつけてくれたのが何より嬉しいの。ユーマちゃんの顔を見たとき、『あぁ助かった』って思ったんだから」
「……本当?」
「本当も本当、大本当♡ ヒーローみたいでドキドキしちゃった♡」
「……ならいい」
みんなを守れるヒーローになってみたいよ。
心からそう思う。
3分くらいして。
「……もういいんじゃないですか?」
「ん? もういいの?」
「はい」
アヤさんから離れる。
細長い指が名残惜しそうに僕を手放した。
「うぅ〜ん、元気もらっちゃったわぁ。『元気100倍!』って感じねぇ」
「大げさですよ」
僕もだけど。
「じゃあ仕事に戻ります。無理しないでくださいね」
「うん、ユーマちゃんもね」
相談室を出る。
火照る顔が冷えていくとともに、迷惑系冒険者への対処を考え始めた。




