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中編

19.



「融様・・あの・・。」「瀬奈、どうした?」


瀬奈は十二単を剥がされ、襦袢姿で融に床に組み敷かれ、もうどうしたらいいかわからなくなっていた。


「閨のことって、ご存知だったの?」「何をだ?」「もういじわる。私の戸惑い、わかってるくせに。」「言わせたいのだ。このかわいい唇に。」そうやって、顎を持ち上げられる。

そしてじっと見つめる涼やかな目。その帯びた熱を注がれて、瀬奈は恥じらいのあまり痺れたように動けなくなっていた。


「こわいか?」「いえ。」気丈にも言い返すが、体中緊張で固まっているのが丸わかり。

「無理しなくていい。」おもむろにまた融が口を吸う。すると、瀬奈の意識が靄がかかったみたいにぼーーっと霞む。

なんだか現実じゃないように漂って、そこに伸びてきた手が、瀬奈の体をやわやわと触る。


「君の体も、やわらかいな。さわり心地が良い。」声がした。

なによ、乳母の嘘つき。融様の女たらし。何が男女のことがおわかりにならないよ。

誰と比べてるのよ。


でもそんな瀬奈の心も知らず、融さまの優しげなる手は、

みいやにもしていたように、瀬奈をゆるゆるに溶かしていく。

にしても・・恥ずかしい、この格好。

いやいやと抗い、内心、うそーーっと悲鳴を上げるしかなかった。

女嫌いの東宮様と聞かされていて、

きっと男女のことがおわかりにならないでしょうから、中の君さまが、しっかりとお導きしなくてはいけませんよ。乳母から、そう、きつく言い渡されていたのに。


やーーーん。何よ、この格好。恥ずかしくて、死んじゃう。

「なにか、不満そうに見えるのだが。君の目が。」上から見下ろされて、ふふって笑われるのも、なんだかしゃくにさわる。


「だって・・東宮様は、女嫌いとお聞きしておりました。

だから、嫌だったけど、乳母から、みっちりいろんなこと聞かされて、もうここ数日、嵐のように頭のなかぐるぐるで狂いそうだったのに、融様は慣れてるみたいだし。

私のアレはなんだったのって、心が整理できませぬ。」訴えた。ふつふつと怒りさえ湧きおこる。


融はそんな瀬奈に面白そうに、その頬に手をやると、

「じゃあ、弁明しよう。まず最初に、女嫌いではない。それは間違いだ。」


「あ・・あ?」じゃあ・・おんな好き?


「それも違う。好きなのは、君だ。

君もさっき叫んでたろ。他の男に文もらって気持ち悪かったと。僕も、前に寝入った君を抱き上げ触れたときから、この・・触れたこの手に他の女が触れるのが、嫌で。ずっと君の感触を大事にとっておきたかったんだ。思っていたのは、それだけだった。

そして、慣れてなどおらぬ。」

だが感に堪えぬようにその両の手で、瀬奈の肌に触れると、優しく唇を寄せた。体じゅうを・・食べ尽くされるようなぞくぞくする感覚。


「でも、君が来てくれた。だからもう大丈夫だ。

僕の体は、喜びに震えているよ。この体に触れてもいいのは、君だけだから。」無邪気に言う。そして、またぎゅっと抱きしめられた。その力強さに、瀬奈の体は一瞬で火がついたみたいに熱くなる。「触れてほしい。ほかならぬ、君だけに。」


「そして、君を愛しみたい。何をしたらいいのかは、体が教えてくれるようだ。沸き上がってくる。

だから、素直に僕を受けとめてほしい。君の体の熱で、僕の血が逆流して、君に飲み込まれたがっているよ。気持ち良ければ声を上げてくれ。

猫にでもわかることが人間に分からぬとは思えない。」


瀬奈は、ぼっと顔から火を噴いた。そうだった。確かに。聞くとするでは大違い。

乳母から耳知識をうるさいほど言われるときは、いやいやっシンジラレナイて思ったけど、

融様のは、全然嫌じゃない。それどころか、もっと触りたい。そして抱きしめてほしい。体が勝手に。

自分のものじゃないみたいに、疼く。変。


「でも君は、僕の為だと、そんな嫌なことを我慢して聞いてくれてたんだね。」

うれしいよ。融は、そう言い、「その気持ちに応えなきゃ。」と少し笑い、

瀬奈のうなじに唇を這わせ、食む。痛いような疼痛に快感が呼び返されるような変な気分。でも、いつしか瀬奈は、融の手の中で、ふわふわとした心持ちだった。

みぃやとじゃれあって眠る。そんな夜のように。


そこに融の捜し求める指に、瀬奈が素直に反応を見せると、

安心したように、何かが添えられた。


「ただ、加減が分からぬゆえ、痛くしてしまうかもしれぬ。

その時は、言ってくれ。緩められるか、自信はないが・・。」


どきっ。胸が高鳴る。あ・・これが。

目をつぶる。この人のお役に立ちたい。そんな気持ちも溢れてくる。

でも次に、

躊躇いがちに押し付けられたモノの、その信じられ無さに、ええええーーっと

「む、むり。」でも、力任せに・・ああっ融様。い、いたいです。

冷汗が・・滴る。何度も何度も、「すまぬ・・。堪えてくれ。」それだけを言って、


いつしか破瓜の痛みを受けた。

そして繋がった。痛・・い。でも、ちっとも嫌じゃない。融様のすべてを受け入れたようで嬉しくて涙が出る。そしてただ、腕を回したその背中にしがみ付く。


・・でも。嫌じゃない。痛いけど、全然。

この御方に、委ねることができて、何よりも、この御方で。

胸の奥から、こみ上げてきた。幸せで幸せで・・なんて自分は幸せなんだろうという気持ちが溢れくる。



猫の声がかすかに、聞こえる。


「あ?みぃや?」瀬奈が言った。「どうした?」「声が聞こえたようで・・。」「クロ・・クロ・・そこに、いるのか?」




え?


はっと目を開けると、そこは神社のお社だった。

横には、クロが、にゃーにゃーと、瀬奈の顔を舐めていた。

まるで、朝だよ、起きてよと言うように。


・・寝てた?やだ。瀬奈は慌てて体を起こして、周りを見回した。雨は上がったようで障子は明るく、また昼間の光が差していた。

夢みてたの?・・にしても、私、欲求不満なのかしら。あんな夢見るなんて・・。しかも雛人形のような着物同士って、深層心理どんなコスプレ好きなのよ。かぁぁっと顔が赤くなる。


しかも、傍らに、融さんも横になっているのに気付き、また少しぎょっとした。


「ん?」融もみぃやに顔を舐められて、起こされていた。

そばに龍笛も落ちていて「おかしいな・・笛を吹いてたと思ったけど・・疲れて、いつのまにか寝ちゃってたのかな?」不思議そうに、周りを見ていた。

「じゃあ、あれは夢?」そして、瀬奈に気付き、すぐになんだか目を逸らす。


融も思い出して少し焦っていた。

何だったのだろう。淫夢って?今この時に、アレって・・かなり気まずい。

しかも、体中に、生々しい感触があった。

こんな所で瀬奈に迫ったのが、悪かったのかな・・。神様に、ゴメンナサイをした。



でも瀬奈も同じように、なんだか目を逸らしながら立ちあがって障子をバタバタと開けだして、

「空気悪いよ。じゃあ・・雨もあがったし、私も。もうそろそろ、帰るね。」

慌てたように、そう言いだした。


え?!

「あ、あのさ。」慌てて引き止める。「はい。」融の声に、恥ずかしそうに振り返った瀬奈。顔が朱に染まっている。綺麗だった。とても。


「今度いつ会える?」


困ったような瀬奈に、

「明日は?」ごめんなさい。バイトが・・「じゃあ平日、暇な日ある?」えっと・・木曜の午後は授業無いです。「じゃあ・・。」融は何か言い掛けたが、その前に、「図書館にいます。」瀬奈に、そう言われたので。


少し残念そうな顔を返しながらも、

じゃあ、会いに行くよ。またメールするね。


その言葉に、弾かれたように瀬奈は立ちあがり、「またね。」走るように去って行った。

後には。あ・・お弁当がそのまま残されて。

見つけて融は、残念そうに微笑んだ。

一緒に食べたかったのに・・まあいいや。あとで、食べようか、みぃや。


そういって、そのしなやかな体を撫でると、

なぁご。そう言ってみぃやは気持ちよさそうに、目を細めた。



20.



「瀬奈。」東宮様は、隣ですやすや眠るその頬に唇をあてる。

疲れたか。それもそうだ。

突然の入内。しかもすぐに閨に引っ張り込んで、濃厚な夜が1つ過ぎた。


あの日、窓からやってきた君が・・信じられないが今、僕のそばにいる。

触れるとそのやわやわとした体。何度も抱いて、そのたび我が身が喜びに戦慄く。もっともっとと、いろんな表情を見たく思う。僕の所作に恥ずかしそうに、でも、受け止めてくれる君を、見たい。そして全身で感じたい。

これはなんだ?わが心に問いかける。

心が体に伝わって。そしてその体がまた心に。ぐるぐると、愛おしさに、気が狂いそうになる。


・・融様。私はなんて幸せ者なんでしょうと、

あの時君は、何度も何度もうわごとのように言った。僕もだ。

何度も繋がり君の中に愛を注ぎ込むたびに。心がうち震えて、愛しさに天に昇り漂う。



クロ・・?クロの気配を感じる。もしや、そばにいるのか?

君が、彼女を僕の許へ連れて来てくれたのか?

雷が落ちて・・その命と引き換えに、彼女を呼び寄せてくれたのか?

クロ。君にも逢いたい。礼を言わなくては。叶うなら、優しく撫でて、君の好きな煮干しを上げよう。



そんな時、手の中の瀬奈が身じろぎをした。う、うん。と目が開く。


「と、とおるさま。」抱かれたその腕に気付いて、その可愛い口が僕の名を呼ぶ。

呼ばれるや否や、唇を塞いでいた。

う・・うん。そして押し開いて、君の何もかもを蹂躙する。


「や・・だ。またそんな。朝から・・。」息も絶え絶えな瀬奈。「関係ない。明日まで仕事もない。君とずっとここで。」


え・・あ。戸惑いの声は、いつしか喘ぎに変わる。


「や。また。あ・・。」「瀬奈・・。もっと君がほしい。まだ・・足りない。」

与えられたわずかな幸せに群がるように、体があさましくも欲深いほどに。

どろどろと。溶けていく。心も体も、瀬奈の中で。

気が狂ったように暴れまわり、快感が意識を押し上げる。

受け止めて瀬奈は、あられもない声が出てしまいそうで、唇をかみしめている。寝具の端を。く・・くく。体がのたうつ。


「声を聞かせておくれ。君の。僕を感じて、上げる君の声。」またたまらなくなって融は、動きを強める。


あ・・ああ・・融様。もう、私・・だめ・・ ああ。僕もだ。君の中に、注ぎ込んでいいのか。許されるのか、これは・・。


ああ・・ああ・・また意識が遠くなり、

飲み込まれる。君と言う海の中に。何度でも何度でも。

そして二人はまた泥のように眠った。



そして婚礼より三日目の夜、二人の枕元に恭しく餅が運ばれてきた。

三日夜の餅という儀式。古来より残る不思議な風習だ。

神話の中の、イザナギとイザナミの結婚は、声を掛け合うことだった。君。飼い主様。

そう呼びかけた時に、僕たちの縁はもう結びついていたのだろうか。

そういえば古来我が国は一人の妻に一人の夫であったものが。それがいつのまに、多くの妻を娶らなければ男ではないような・・そんなことになったのか?


融は、ぐったりと伏せっている瀬奈の口にふざけて餅を押しこんだ。

「ちょ。やめてください。自分で食べられますって。」

目を白黒させて瀬奈は、でもはずかしそうに、咀嚼して。ごくっと飲み込む。


それにしても、この三日三晩。瀬奈は、混乱の極みだった。

そこらじゅう体痛いし。眠いし。疲れ取れないし。

融様って、酷い。

ひどいけど、だけど、甘美で。見つめられると体の芯が疼いて、変な反応をしてしまって、それが融に気取られて、また組み敷かれるという悪循環。


「これで君は、僕の妻。深い縁を結んだ。

三途の川を渡る時は、君の手を取るよ。待ってておくれ。」「はい。」

少女のころ読みふけった物語に出てくるような場面。それがわが身に起こるなんて・・今だ信じられない瀬奈は、返事を返すだけで精いっぱいだった。

でも、

そう言った時の東宮様の目の翳り。諦めの色が色濃く滲んでいたことの意味がわかったのは、

それから何年かあとのことでした。




木曜日の昼下がり。

融は、図書館へ入って行った。人は、まばらだった。

定期テストもまだまだ先なので、真面目に勉強している者は少ない。


その中で、奥の机で教科書を開き、辞書を片手に、黙々と勉強している女の子の姿があった。

・・瀬奈だ。融は、近づいて行く。


「せな、みっつけた。」ちょっとおどけた声をかける。瀬奈が、顔を上げた。


「レポート書いてるの?」ええ。自分で課題をきめて、その参考になる文献を探して要約するって宿題なんですけど、テーマ決めるの失敗しちゃって。全然本が無くて・・外国の本まで手を伸ばして探しているんですけど・・。


ねぇ・・融は、そう言いかけたが、

しーんとした図書館では結構響いて回りが咳払いをする。仕方なく、もっと声を潜めた。


「ねぇ瀬奈。ここじゃ、話できないから、カフェテリアへ行かない?」


「ごめんなさい。まだレポート書き上がって無くて・・。」「そっか。じゃあ、このあたりうろうろして待ってるよ。」

近くにいても気が散るかなと気を遣い、所在無げに、融は本棚あたりをうろついた。何か時間をつぶせる本はないかな?と目を遣る。


小説だと、逆に熱中し過ぎてダメかもと、新書あたりの棚に行き、

歴史探訪~平安の時代を読み解く~ そんな背表紙が目についた。

手を伸ばした時、この前の夢・・あの雛人形みたいな二人の閨の場面が脳裏に浮かび、

わわわっ。少し頬が赤くなる。

この時代に生きてたら、僕らはどうなってしまったのだろうか。

でも、人はいつの時代にも変わらないモノはある。

そういえば和邇神社の本殿は、平安の頃からあるらしい。何度も焼失して再建されて。

不思議だな。そんなころからずっと変わらぬ人々の営みがあって。祝詞も、平穏無事を望む人たちの心からの祈りだ。



そんな時、本を何冊も抱えた長谷高子にばったりと出くわした。瀬奈と同じクラスと言ってたから、1年生の木曜の午後は、あまり授業が開講されてないのかもしれない。


案の定声をかけられた。


「小野さん、この前はありがとうございました。」「ああ、いや。」別に・・と。棚の向こうの瀬奈が少し気になり、戸惑いながら融は答える。

「みるきーも喜んでました。みぃや、可愛いですね。」ああ。あれで結構オテンバでさ。庭で暴れ回ってるよ。狩りの時の目が真剣でさ・・ついねこばかに語ってしまって、はっと気付き、

じゃあ、またね。・・と適当に、離れようとしたが、

「メール、なんで返事くれないんですか?お誘いしたのに。」そんなことを言われて少し困惑する。「ああ、ごめん。そうなの?気付かなかった。」しらばっくれ、

何の気なしに、話題を逸らす。「そういえば、あの日帰った後雨だったろ。大丈夫だった?」「ええ、家に帰り付いた後突然降りだして、ビックリしました。」


「あ。もしかして、雨が降りだして、あのあと、おねえさまとお社で雨宿りしてたんですか?」

なんだか目が興味津々だ。「いい、シチュですよね。」意味深な目。


「あ、ああ・・。干してたものが濡れてしまって、後片付けが大変だったよ。」

そんな高子に融の目が泳いだ。何、言い訳をしているような?年下と思えない雰囲気に、たじたじになってしまう。


「小野さん、ちょっとカフェテリアご一緒できませんか?お話ししたいこともあるし。」高子の誘い。


「悪いけど、僕は、瀬奈待ってるから・・。」そう言って融は、瀬奈のいる方向を指差す。高子は本棚の陰から覗き、一心不乱に机に向かっている瀬奈の姿を目にして、

そして、「え?」と、ちょっとびっくりな顔をされた。


「小野さん待たせて勉強してるんですか?」どんだけーー!と高子は、おどけて見せた。


「私だったら、考えられないな。

恋人だったら、絶対その人を、優先しますよ、そんなの。普通でしょ。そして、家に帰ってから勉強しますよ。」




「そんなの、人それぞれだろ?」融は、少しむっとして言い返したが、


「そんなの、言い訳ですよ。小野さんって、優しいんですね。

もっと怖いのかと思ってました。

高校のときなんか、コクられる女の子をバサバサ振りまくったって聞いたから。」意外――っと、なんだか少し芝居がかった言い方。


「なに、その噂?やめてよ。どこから聞いたの?

僕って、どんな酷い男なんだよ。」今までも、そんな酷いことはしてないよ・・と融は、、

なぜ、この子との会話、こんな言い訳がましくなるんだろうと、訝しがった。


「聞いたのは、浩史さんと剛司さん。他にも、いろんな武勇伝を・・。」フフっと笑いそうな口元。悪戯っぽい高子の表情に、かっと体が熱くなる。あいつら、何を。


「そうなんですか?じゃあ尚更・・今からカフェテリアに、小野さん来てくれなきゃ!」

高子がちょっと甘えたようなしぐさで迫ってくる。なぜ?そんな目で見返す融。


「これから私、浩史さんと剛司さんに会うんですよ。

2.3日前に、掲示板の前で、声掛けられて。木曜の午後ならって約束して、待ち合わせなの。

だいたい私が、この大学に来てること、二人にチクったの小野さんでしょ?」


「ああ、五節舞いの女の子のこと、前にあの二人すごく知りたがってたから。

僕の神社との本会つながりで、情報くらい知ってるだろうって、前に迫られたことあってさ。

それで、この前会った時に、

ちょっと耳に入れたんだけど。そうか・・やっぱりあいつら、手が早いな。」苦笑いした。


「責任取って、ついてきてくださいよ。

知り合いいないと、何話したらいいかわからないし。」畳みかける高子。


そんな言われ方に、何だか少し責任も感じて、

ううん?悩む融に、


「あ、じゃあ、おねえさまには、うまく言っときますから。それで大丈夫ですよ。融さんお借りしますから、会いたかったらカフェテラスに来てって。そう言いますね。」そう勝手に決め、くすくすっと笑うと、駈け出した。


「あ・・やめっ。」と融が止めるよりも早く、高子は瀬奈のもとに行った。そして、話を告げている。

融はあとを追いかけた。


「瀬奈。僕は、待ってるから。気にしないで。」そう言ったが、時すでに遅し。



高子は、どんな説明をしたものか?

「融さん。そんな。お友達が待っているなら、行ってください。

高子に、独り占めはずるいなんて、言われちゃったわ。」そう、寂しそうに笑う。


「別にいいだろ。恋人なんだから・・。」融は言ったが、

瀬奈はその言葉に少し戸惑いを見せて、


「でも。なんかずっと待たれているのも、プレッシャーだから。

レポート書きあげたら行きますから。ねぇ、私のことなんか、気にせず、行って。」


いろんな感情が交差する。待ちたいのに。でも、そんな瀬奈を非難するような言葉を言われ。友達の手前という立場もある。喋った責任なんて言われたり。

・・いろいろ考えてるうちに、袋小路に入った。どうしようもなくて、安易な道を選んだ。


「じゃあ、少しつきあって行ってくるね。悪い。」そう言って融は、瀬奈に手を振る。



「おねえさまも、横で待たれているのは、プレッシャーだったから、

ちょうどいいって言われてましたよ。」そんな高子の手前勝手な言い分とともに、

融は、なかば強引に、カフェテリアへと引っ張って行かれた。




21.



レポートの目途がやっと付いて、瀬奈がいっぱいの本を抱えカフェテリアを訪れた時は、

既に太陽は傾いて、高台にあるこの大学の4階は、夕日に美しく照らされていた。


その中でも、ひときわキラキラと目立つ高子は、すぐに目についた。

奥の窓際の席。

そしてその隣に座る融。正面には、友達だろうか、男の人が2人。


「えーー、融。そこまで思われてんのに応えないって、どうなのよ!」背の低い方の男が、無責任に言い放った。

「もてる男は、嫌味だねー。」もう一人の背の高い男も言う。

「やめてくれよ。テキトーなことばっか言わないでくれ。君も。」そんな言葉が途切れ途切れ聞こえる。

そして高子の少し高めの声。笑い声がさざめく。



「そうなんだよ。こいつってさ。いつもポーカーフェイスで、何考えてる か分からないところあって、その割にはいつも吃驚することするの。」「そうだよ。春休みの間に、いつのまにか恋人作ってんなんて、知らなかったぞ。俺らなんていつも必死こいてんのによ。」「そーいや昔、横からかっさらって。そして、かっさらった意識もなかったよな。」


「いつの話だよ。それに、そんなことしてねーって。」

なんだか融は、一人やり玉に挙がって弄られていた。


「高子ちゃん。こいつなんて、やめなよ。」「そだよ。しかも恋人いるし。」「俺、オレにしなよ!」二人が畳みかけているが、高子は、それに対して、ただ微笑みを返している。

「高子ちゃん、もしかして、アレか?私、まーつーわ!って奴?」

昔懐かしい曲を、突然2人がフリつきで、歌い出す。


「まつわまつわ、いつまでもまーつーわ。他の誰かに、あなたが振られる日まで!」

歌いながら、最後に「おーー、こわっ。女、こわっ。」とおどけて見せる。



楽しげな談笑。いかにも大学生というその雰囲気が、瀬奈を憶病にした。

物陰に立ち止まる。このまま、声掛けず帰ろうか?


開け放たれた窓から、涼しい風が吹きこんだ。夕方になってゾクっとすこし肌寒い。

瀬奈が踵を返そうとした時、手にした本が1冊落ちた。


その音に、融の顔がふと上がって、次の瞬間嬉しそうに立ちあがった。

「あ、瀬奈、終わったの?」


そして人を押しのけて、瀬奈に駆け寄った。「本、そんなにいっぱい。重そうだね。ごめんね。こんな所まで、来させて。」

荷物を奪い取るようにして、とりあえず友達のいる席に戻る。


「ああ、こいつら、高校からの腐れ縁の二人。

浩史と剛司。」融は手早く紹介した。「こんにちは。」「どもー」軽く挨拶。

「おねえさま、融様、お借りしてすいませんでした。お返ししますね。」高子は、なんだか余裕たっぷりの言い方。


「じゃあ、瀬奈、行こうか?」融は、そう言って荷物を抱え、手を取り、

そのまま立ち去ろうとしたが、


「わぁ。この子が融の彼女ちゃん?話、聞きたいなー。どうやって、融オトしたの?

教えてよー。いいっしょ?座ってよ。」

「そうだよ。ねぇ、こいつの弱点って何?」

「私も詳しく知りたいです。おねえさま。隠しだてしないで、暴露しちゃってぇ。

お社で、宮司姿で迫られたんですか?」すこしハスッパな言い方。でも、高子が言うと、かわいく聞こえる。


ぶっ・・融と瀬奈は顔を見合わせた。

そして瀬奈は特に、真っ赤になってうろたえた。


「あ。図星!」「ダメですよ。

神聖な場所で、いけないことしちゃ!」「わぁ、すけべ。」3人揃って、そこまで言うか。


「もう。そんなことするわけないだろ?」瀬奈を庇うように、真顔で言い返す融。その姿を、やいのやいのみんなが囃子立てる。


もうやってられるか・・じゃあな、と捨て台詞を残し、融は瀬奈の手を取って一目散に逃亡した。



そのまま大学の正門を出て、帰り道を歩いていた。


「ごめんなさい。楽しく話してたのに。」と瀬奈。「楽しくなんかないよ。」


融は、そう冷たく言って、周りを見回し、建物の陰に引き込んで、唇を合した。

びっくりした目の瀬奈に、「だから、気にすること無いよ。

君に逢いたくて、ずっと木曜日を待ってたのに・・とんだ邪魔が入って。

こっちこそ、ごめんよ。」


「何のお話ししてたんですか?」「どうでもいい話。」それだけを言う。

融は、それ以上は、何も言うつもりは無さそうだった。


「でも・・楽しそうでした。

いいなって。」複雑な心境が、口を重くする。



高子が他の友達に、

「あーーー!好きだった人、タッチの差でとられたぁ。」って、騒いでいたのを聞いてしまったから。

「その人追いかけて、同じ大学に来たのにぃ!今、彼女いないって聞いてたから、チャンス!って、入学式の日に、絶対コクろうと思ってたのにーー!」


そうぶっちゃけられた友達も、

「えーー、そこまで思ってた高子の気持ちがさ。通じないなんて、絶対無いよ。私が男だったら、こんな可愛い子逃して、しまったって思うと思うなーー。

だから、別れるまで待ってたら?それか、別れさせちゃえ!」なんて無責任な言葉まで。


「そだよ。目をうるうるさせて。・・でも、私、恋人いるって聞いても諦めきれないの。まだ好きなんですぅって縋ったら、イチコロだよ。頑張っちゃえ。」


そんな励ましまで、聞いてしまった。



私と融さんとは、たまたま神社の境内で出会っただけのこと。猫に偶然取り持たれただけの。

昔の融さんなんて知らないし、今・・だって、そんなに知らない。

私なんて、隣に立つには相応しくないよ。


相応しいのは多分、可愛くて、裕福な家のお嬢様で、ずっと融を慕っていたという高子のような子。

さっきだって、隣にいて、すごくハマっていた。

同じ地元で、特に努力しなくても、もともと共有しているモノは多く、よく知っている。

彼をサポートすることに、苦労することはないだろう。


なんで・・融さん。私なんて、選んじゃったの?



そんな瀬奈が醸し出す、どよーんとした重い雰囲気を、

融は、僕がカフェテリアに行ったこと、やっぱり気にしてるのか?と深く悔いた。


「ごめんね。待ってたかったんだけど。

なんか待たれるのも嫌かな・・と勘ぐっちゃって。

でも、やっぱり待ってるべきだったな。君の機嫌が悪いみたいだから。」執り成すように、

抱き寄せる。


「違うの。・・偶然なんだけど、

高子が、融さんのことずっと好きだった・・って友達に言ってたの聞いちゃったの。」つい、心の中にあることが、ぽろっとこぼれ出た。

入学式にコクるつもりだったんですって。私なんて、春休みの、ほんのちょっと前だっただけのことで、タッチの差で奪われたなんて、言ってるみたいで・・。と、言い募る。


「それが?」「え?」問い返される。「そんなの本当の僕が好きなんかじゃないよ。

由緒正しい和邇神社の跡取りとかさ。地元の名士の孫とかさ。サッカーのキャプテンとかさ。みかけの僕しか知らないだろ。それに少なくとも僕は彼女のこと、何とも思って無い。

僕の恋人は、瀬奈、君だよ。」そういって、怖いくらいの瞳で見つめられた。


「僕は、君に・・もっともっと本当の僕を見てもらいたいって思ったんだ。」

「そして、僕も君のことをもっと知りたい。

だから・・変な言葉に揺らがないで。お願い。僕の好きなのは、本当に君だけだから・・。」



唇が合わさる。でも、言葉はどこかにすり抜けていく気がしていつも不安になる。

僕の気持ちは、本当にキチンと君に、届いているんだろうか?


それに君はまだ僕に、好きって言ってくれたことがない。頼ってもくれない。

メール送るのも、いつも僕の方から。





そこに唐突にスマホの音がした。

融はあわてて胸ポケットから取り出して、目を走らせ、


ふーーっと溜息をついて、困ったように言った。




22.




「じいさんからだ。」ごめん。ちょっと出る。瀬奈にそう断って。

・・もう、なんなんだよ。えーー?はあ?もう、わかったよ。買って帰りゃいいんだろ。

そして、かなりの剣幕で、ブチっと切った。


「ごめん。本当は、これから食事でも一緒に・・って誘いたかったのに、

じいさんが、ヘルパーさん断っちゃったみたいなんだ。夕食買って、帰らなきゃ。」


そんな言葉に、

「そう。じゃあ・・私帰るね。」と、手を振ってサヨナラと、少し寂しげに立ち去ろうとした瀬奈へ。



「あ・・いっそ、ウチ来ない?」

融は、何気なく口にした。


「え?でも・・」お家の人に会うなんて・・瀬奈は躊躇したが、

「家の人って言っても、じいさんだけだし、そんな気を使うことないよ。

昔は怒鳴ってばかりだったけど、最近は結構丸くなってるしさ。

それに僕、話し足りないから。今日こそ君ともっと話したかったのに。

消化不良だし。来てくれると嬉しいな。

ダメ?」そう言って、じっと物欲しそうに見つめる瞳は、

なんだかお預け食ってる犬みたい。


「う・・うん。じゃあ。どうせ私も今日は帰ってご飯食べるだけだし。

お邪魔します。よかったら何か作りましょうか?」「ああ、いいな。ソレ!」


融は、うきうきと、また手を繋ぐ。


・・融さんのお家って、どんな所なのかな。おじいさんって、どんな方?

少し不安な気持ちもありつつも、楽しそうな融さんが嬉しくて。

帰り道、小さなスーパーに寄り、なんだかんだ籠にほおり込む。


「なんだか、こういうのって新婚さんみたいで嬉しい。」と少し頬染め含み笑った融に、

軽々と脳内爆破された瀬奈だった。




「ん?お客さんか?」 部屋から、ひょこひょこと廊下を歩いてきたおじいさん。

腰の手術のあとのリハビリ中で、まだ少し足はおぼつかないが、それ以外は元気そうだった。


食卓には、買ってきた惣菜や、手早く作ったもの、いろんな料理が並んでいた。

そして、晩酌の日本酒も忘れずに。



「ああ。僕の恋人。夕食一緒にと、連れてきた。」融はそう答えて、瀬奈を紹介した。

「こんにちは。」瀬奈は深々とお辞儀して挨拶をする。ちょっとドキドキ。



「人並みにお前にも、恋人ができたのか。そりゃ安心した。」そんなおじいさんの言葉。


あ?れ?少し戸惑う瀬奈。もしかして・・融さんが恋人家に連れてきたのは初めて?なのかなと。



「融は、小さい頃から、好きとか嫌いとか、そんな話一つ出なかったからな。ばあさんとよく、融は恋愛など出来ないのか、する気がないのかと、訝しがってたんじゃよ。

両親のことも影響しているんかもしれんと。なにせ1番翻弄されたのは、融だからな。

ところであんた、

こいつの両親のことは、知っとるのかな?」そんなじいさんの言葉に、

「もう、そんなんは、いいじゃん。とりあえず、ご飯食べよう。腹減ったよ。」ぶった切る融。今は、あんまりそんな話をしたくないようだ。


「あ、この煮物は、瀬奈が作ってくれたんだよ。」そういって、食卓の皿を指差す。


「ほう。うん。なかなか上手いな。ばあさんの味に似とる。」じいさんは、箸で器用につまんで口に入れると、そういって満足げに笑った。「やっぱ、あのヘルパーは断って正解じゃった。料理、作ってくれるのはいいんだが、不味いんでな。」はははと。

口を丸めて笑うその顔は、ひょっとこのお面に似てるかも、なんて、

瀬奈は不謹慎なことを思ってたり・・。


そんな視線に、気がついたのか、

「あ、なんだ。わしみたいな御面相のじいから、こんなカッコイイ・・今はいけめんって言うのかの?そんな孫が、って不思議に思ってんのか?。」ふぁっふぁっふぁっ。

また一層目が細くなる。細い目に、目尻が上がって、おかめの方が似てるかしら?

ますます不謹慎なことを思っていた。


「そうじゃなぁ。融は、わしのつれあい。ばあさん似よの。

切れ長の目も。まっすぐで黒々とした髪も。ばあさん若い頃は、

もう、この町では、小町娘だったでのぉ。」


「言い方古いよ。小町娘って。」融が、そんなところをツッコム。



そんなとき、カタコトと音がして、みぃやが、ひょこっとやってきた。

「にゃあ!」


わぁ、みぃや!気付いて、融が出した手に、みぃやが寄ってきて喉を鳴らしてすりすりした。

「僕の家に来るには、まだ早い時間だよ。みぃや。」


「私ん家が留守だったから、こっちに来たのかしら?」と瀬奈。


・・おいで。にぼしあげるよ。融が席を立って、台所に向かった。みぃやもその後ろを、しっぽをぴんと伸ばして、付いて行く。



残された瀬奈とおじいさん。

「あの仏壇の所にあった写真が、おばあさまですか?お綺麗な方ですね。」話し掛けた。

瀬奈は家に来て、まず仏壇にお線香を供え、手を合した。今もまた仏間から仄かに線香の香が漂ってくる。


「ああ、先にぽっくり逝きよってなぁ。残された身にもなってほしいものよな。」じいさんが、寂しそうにしみじみしていた。

「融の行く末まで見届けんとな。無責任じゃよ。」




「して、瀬奈さんじゃったかな?どちらの村の人なんじゃ?」生まれはどこか・・という意味のようだった。

突然聞かれ・・「あ。あの、北陸の・・です。」県名を口にする。


「地元じゃないんか。そりゃ、遠くじゃの。

して、実家のお父さんは、どんなお仕事をされているのかの?」


その時融が戻ってきた。

あ、じいさん。なに、身辺調査みたいなこと・・聞いてんだよ。そんなこと、どーでも・・。そう言った融に。「そんなことどーでもよくないわい。そういうことこそ、キッチリしとかんと。」じいさんがやけに語気を強める。


「・・・実家は、化学工場を経営してたのですけど・・今はやってなくて。」


どうしてだ?おじいさんが訝しげに聞く。融が、もういいだろ。と止めたが、


「1年前に倒産して・・。父は自己破産をして・・。」瀬奈は、バカ正直に答えた。


その言葉を聞いて、おじいさんの表情が硬くなった。

「瀬奈さん。それでうちの孫に寄生しようとしているんじゃないだろうね?

まさか、借金の肩代わりなど頼んで無いだろうな?」


「何、人聞きの悪いこと言ってんだよ。そんなことないったら。

彼女は、実家の商売を再建するために、頑張ってんだから!」融は、庇ったが、


「申し訳ないが・・別れてやってくださいな。今日も、これで帰ってください。旨かったし、今日の所はありがとう。でもうちの孫はやれん。」


ちょ!勝手に決めんなよ!融がじいさんに声を荒げたが、


「そんなこといっても。わしは、ばあさんと約束したんじゃ。

自分の孫がみすみす苦労するのがわかっているような相手と、許す訳がなかろうが。」


「あたま、固ぇぇんだよ!」融が、今までにない迫力で叫び、その声に吃驚してみぃやは飛び退き、瀬奈の陰に隠れた。


融さん、やめて。瀬奈が止めたが。



「あのな。お前なんて、わしの生きてきた年月に比べたら、半分の半分しか生きて無いんじゃよ。どっから見ても、未熟で幼い。

だから分からんのだ。そんなのどう頑張ったって、不幸になる。

年長の者が教え諭すのは当然じゃろ。100人に聞いても、100人が同じことを言うじゃろう。言うことを聞いておけ。悪いようにはならんから。」


そしておじいさんは、次に瀬奈の方を向いて、

「瀬奈さん。あんたも聡明な方のようだから、わかるじゃろうが。

この家は、167代続いた由緒正しい宮司の家系。本来ならば、よそ者も受け入れたくないんじゃから。」


「そんなこと言ってるから、僕の母親も出てったんだろうよ!

養子のあの人だって。」父と言う呼び方すら許されなくて、融は、こんな言い方をする。



おじいさんは、融のそんないい分には何も答えず、

「ふぅ。ご飯はもうよいわ。腹いっぱいじゃし。疲れた。

風呂は今日はいい。もう休むことにするわい。あとを頼む。そしてな。瀬奈さん、帰ってくれ。そしてもう二度と孫に会わんでくれ。」

そう言い残すと、二人に一瞥をくれておじいさんは、奥の間に戻って行った。




「やっぱり根本的な所は、全然変わって無いんだな。帰ってくるんじゃなかった。」頭を押さえて、融は絶望的に口にした。

「融さん、私・・。」「なに?」「やっぱり、無理。お付き合いできません。」

クロを撫でながら瀬奈は、そう口にした。

ごめんね、クロちゃん。結びつけてくれたのに。頑張っても、私にはどうしようもないことが多すぎて・・。ずっと撫で続けていた。にゃあ・・にゃあ・・。

クロがもし口がきけたのなら、頑張ってよとでも、言ってくれてるの?


「そうなんだ。捨てるんだ・・君も、僕を。あっさりと。」やけに冷静な口調で、融が言う。

「え?そんな。」つもりじゃない・・と瀬奈は呆然。


「だって、君は自分のことしか言って無いじゃん。

相応しくないとか。私ではダメとか。

僕が、君と付き合いたいとか、ずっと一緒にいたいとか、

そんな言葉はガン無視でさ。」求めているのに、応えてもらえないことには、慣れてるけど。融が、傷ついたような眼で、そんなセリフを口にする。


その瞬間、瀬奈の胸が締め付けられた。この人の寂しさを埋めてあげたいのに。

その為だったら、どうなったってよかったのに。

傷つけてしまった。



「わかったよ。瀬奈、送って行くから。」

ちょっと待ってて。支度するから。そういって、融は自分の部屋に入って行った。





23.



「家出?」


瀬奈は、部屋から出てきた融の、その荷物の多さにびっくりした。クロまでリュックに詰め込んでいる。


「ああ・・当分この家に帰ってきたくないから。」


そして融は、じいさんの部屋の前まで行って、しばらく帰らない。そう告げた。

「そうか。好きにすればよかろう。」


それだけ?


瀬奈も、「すいません。お邪魔しました。」とご挨拶をし、融の実家を後にした。






「融さん、どこ行く気なの?」


「君を送ってから、漫喫か深夜営業のどっかで時間潰すよ。

それからは、友達の家でも渡り歩こうかな・・。

バイト辞めたのが痛いな。」


「ねぇ。そんなの良くないよ。

帰ってあげてよ。」「嫌だ。今、じいさんの顔見たら、殴ってしまいそうだ。」頑な、で。


この人は・・きっといつもそうなんだ。

悲しくて、どうしようもない時もいつもこうやってやり過ごして。


「ごめんなさい。」瀬奈はつい、その腕に取り縋って謝った。

「君のせいじゃないよ。あの頭固いじいさんのせい。

でも、君もそれで、僕と付き合えないなんて言い出すし・・。」そう言いながらも、融は瀬奈の手を振り解かなかった。


「でも、孫に平穏に幸せに暮らしてほしいっていう気持ちもわかるもの。」と瀬奈。


「余計なお世話だよ。」

そして瀬奈に向き合うと、

「で、君は、僕から離れて、これで満足?」突っかかった。


「だって。私、力が足りないんだもん。

貴方のこと何も知らないし、この土地のことも何も知らない。

そうよ。

貴方がこうして一人で困ってても、匿う場所すら持ってないの。

私の下宿、男の人は入れちゃいけない規則だし。見つかったら、追い出されるの。

近くに親戚もいないし、心安い男友達だっていないし、お金だって持ってないし。」


「べつに君に迷惑掛けるつもりはないよ。」融は、前を向いた。その横顔が何だか痛々しくて。そうやって・・融さんは、我慢してしまうんだ。

すべてを飲み込んで。



「だって。私だって、悔しいよ。融さんの力になれないんだもん。」

そういって、融の上着の裾を引っ張って、ただ唇を噛む。


その時、手が伸びてきた。融の掌が、やさしく瀬奈の頬にかかる。



「じゃあ、別れるなんて、言わないでよ。」底知れぬ深い闇に吸いこまれるような瞳。

「きみは、いるだけで、僕の力なんだから・・。」その眼で射抜かれる。捨て猫のようなこんな目を向けられて、素通り出来る訳がない。



「・・・連れてって。」「え?」「私も帰らない。だから、連れてって。」


って? 融の驚いた目があった。


「だって・・今の融さん一人にしたくない。

私、融さん傷つけちゃった。自分のことばっかり考えて。

だから、そばにいる。いられる時まで。今は、それだけしか言えないけど、

それでいい?融さんが嫌になって捨てる時まで、一緒にいさせて。」一気に言った。


いいのか? そう言うと融は、


「じゃあ、あのさ・・神社行こうか?そういや、まだ鍵持ってるんだ。前に濡れた道具類をもう一回干さなきゃいけないからって思って。

本殿。座布団くらいならあるし。一人じゃ怖いけど、二人なら。

それにそこならゆっくり喋れるし。」


なんだか、融さんでも怖いんだと思うと、ぷぷって吹き出す気持ち。

「うん。クロもその方がいいわよね。広いし。じゃあ、いこ!」

そう言ってお社に向かって歩き出した。参道の石段に差し掛かる。


その辺りに来ると、融も、だんだん頭が冷めてきたのか、

「ごめん、瀬奈。僕、無理させてない?

今日は、なんだか勝手に図書館に押しかけて邪魔して、

その後実家にも無理に連れて行って、勝手に酷いこといわれて。

しかも、夜は神社って。疫病神は僕の方だよね。

君が僕と付き合えないなんて言ったのも、当然な気がしてきた。」



「違うよ。融さん、そんな言い方しないで。

私は、ただ融さんが困るようなことは、したくないって思っただけなの。

こんなことで、おじいさんと融さんの仲が悪くなるのは嫌だったから・・。」


「仲違いしたってかまわない。僕は、瀬奈と別れたくない。」

融の手に、強い力がこもる。瀬奈も、その手を無言で握り返した。


瀬奈は思っていた。

この手を離す時は来るかもしれない。でも、許されるその時まででいいから、

その間に少しでも融さんが元気になりますように。



社に着いた。

鬱蒼とした藪が闇を作って。一人だったら肝試しだよ。

真っ暗な中、手探りで鍵を開けて入る。

灯りをつけ、まずみぃやをリュックから出してあげる。


にゃう!喜んで駆け回るみぃや。

早速、ネズミでも取ってやろうかと思ったのか、奥の間へと潜りこんで行った。

「元気だな。なんかいいね。みぃや見てると、元気出てくる。」「私もよ。こんな好き勝手に生きられたらいいな、なんて。」そういって二人で、くすくす笑う。


融が、奥から座布団を抱えてきた。


「なんだか君とやっと落ち着いて話せそうだ。」「聞かせてくれる?貴方のことを。」

「君のことも、もっと知りたい。」


敷き詰めた座布団。その上で、融のその腕の中に飛び込み、

お互い抱き締め合った。



「母か出て行ったのは、僕が5歳の誕生日を迎えた時のことだったよ・・。」

融が、ぽろっと話し出して。それは長い夜のまだほんの始まりにしか。過ぎなかった。




「それで今は?

お母さんは、どうしてるの?」


「さあ。生きているとは思う。でも、ばあさんの葬儀にも来なかった。

じいさんに聞いても、勘当娘に用は無いとか言って、

取りつく島がなくて。」


「お父さんは?」


「母の養子さんのことだったら、隣町にいる。母が家を出たすぐあとに、その人も家を出た。・・・その時から、もう父さんと呼んじゃいけないって言われてさ。今は、別の人と結婚して、子供も2人いるようだよ。上が女の子で、下が弟。」


「なに?そのよそよそしい言い方。その人、融さんのお父さんじゃないの?」「どうも・・違うみたい。

結婚した時、母は僕を既に妊娠してたようだから。」


「僕は誰の子なんだろうって、

子供心にずっと、考えてたけど。答えが出ない。

書類上は、じいさんとばあさんの養子にされて、由緒正しい宮司の家の跡取りなんてことにされているけどさ。

生まれてこなければよかったのかも。望まれなくて、母も父も僕を捨てて・・。」


今度は、瀬奈が融を強く抱きしめた。


「融さん。

あなたが誰であっても。私はあなたが好きだから。

貴方の生きてきた軌跡を、愛おしく思う。

生まれてきてくれて、ここにいてくれてありがとうって思うよ。

ご両親だって、きっと何か事情があったのよ。

私、こっち来てすごく心細かったの。あなたが出してくれた手は、温かかった。

でも、縋ったらあなたの重荷になると思って、ずっと躊躇してたの。

貴方が嫌だからじゃないのよ。分かって。

そして、悩まないで。自分のことも責めないで。」


瀬奈のそんな言葉に・・安心したように、融は、唇を合した。


「瀬奈・・。」離すもんか・・君を。


そう言って、そして融は、瀬奈の服のボタンに手を掛けた。





24.



「え?」戸惑う瀬奈に。「君の肌に触れたい。だめ?」

そんな目で見られたら、嫌なんて言えないんだから・・もうこの人は。


瀬奈が目線で頷くと、ポタンを外したシャツをおし開いて、

その胸に融は顔を埋めた。「君は、あたたかいな。」

そんな仕草、1つ1つまで、何だか愛おしさがこみ上げる。

母を求めている子供のような・・。

さっきまでとは違う融の顔がそこにあった。




にゃうーー、にゃうーー!

そんな時、みぃやが埃だらけで、背中にのしかかってきた。とんだお邪魔虫だ。



「あらあら、どうしたの?」起きあがって、瀬奈がクロに尋ねる。

とん、と融の背中からおりたそこには、また龍笛が落ちていた。



融も気付いて、体を起こす。「また、吹けってことか?」


この前引き出しに仕舞ったはずだけど?訝しげに拾い上げる。

そして、前この笛を吹いた時に見た、変な夢が・・融の脳裏にふと蘇る。

唐突に嵐のように、ひとつになれた幸せな気持ちが心を、射抜いて・・。



「そういえばこの前、吹いてもらったのに。何も言わなくて、ごめんね。

上手だったよ。聴いてたら、泣きそうになっちゃって。

融さんって、なんでも上手なのね。」

そう言った瀬奈の言葉に乗せられたわけでもないが、


また、笛に誘われるように、口をつけた。

音が鳴る。原始が呼びさまされるような、懐かしい音が。

調べはそこにあって。

ただ誘われるがまま吹き散らかす。

人の営みは儚くとも、命尽きるとも、君へのこの想いこの世に留めたく、

海浜にさすらい。山月を彷徨いて。君の御霊を追いかけよう。

わが君。愛しきわが君。



「何?」また、白い靄が広がる。そして、吸いこまれる。

体が宙に浮いたような感覚が。

そして、みぃやの声が、遠くから聞こえる。

にゃーにゃーと。まるで愛しい飼い主を呼ぶように。




満開の桜の下。


あっ・・その時、ともに奏でる瀬奈の箏の糸が、ピーンと切れた。


「申し訳ございません。」「ああ、瀬奈。ケガはないか?いいよ、無理するな。」

そして、笛の音は続いた。


荘厳な世界が、そこに広がる。溜息しか出なかった。

夢にまで見た、東宮様の奏でる龍笛の調べ。それが現実にこの目の前に。

瀬奈は、幸せに酔いしれていた。こんな幸せが・・また訪れるなんて。

でも、

想夫恋は、うまくいったのに、次の曲では瀬奈の箏は、ついていけなかった。奏するには、力不足でそれが何だかひどく悔しい。



「僕としては、満足だけど。

我が妃は、なんだか不満げだな?」曲が終わり、瀬奈ににじり寄ると、楽しげに笑う東宮様。


「だって・・一緒に奏したいってずっと思ってたのです。」瀬奈は訴えた。前に会ったときから、ずっと一途に練習していた。

「でも、私の腕はまだまだだってことが、よくわかりました。」悔しげな顔。


融は、くすっと笑うと掌で瀬奈の頬を撫でた。


「君は、頑張りやで、そういう所好きだが、

でも、一緒に、こうしていられることこそが、幸せなんだと思うが。違うか?」


「夜が待ち遠しい。

今宵も行くから・・待ってておくれ。」そんな囁きに、瀬奈の頬が朱に染まる。



「東宮様・・お妃様に、ご懐妊の兆しがございます。」


そんな知らせに、藤壺へ急ぐ東宮様の姿があった。

「聞いたが。瀬奈、本当なのか?」「はい。」恥ずかしげに、消え入りそうな声で答える瀬奈。

・・・この心の高ぶりは何なんだ。僕の・・僕と瀬奈の子ども。愛しき君と僕の子どもが、このお腹の中に宿った?と。

東宮の心は躍っていた。


「ああ、この夏の暑さは辛いだろう。滋養のあるものをとって、大事にするように。」

大切なものを抱くように、瀬奈を抱きしめる。

「融様、ありがとうございます。

なんだかすごく大切な贈り物賜ったみたい。あのね。動くんです。お腹蹴るんですよ。

触ってみます?すごく元気なの。これは絶対、男の子のような気がするんですけど。」


そして、東宮様が手を添えた・・。わぁ。その衝撃は、宇宙を超える。


「この蹴りの強さ。この子は、蹴鞠が上手そうだな。

しかし君によく似た女の子かもしれんぞ。」「まあ!」東宮の言葉に、瀬奈がぶーって顔をする。


「・・それは、どちらでも、よい。元気に産まれて欲しいものだ。

だが、それより、僕は君の体の方が心配だ。

なんだかいろいろ引っ張り回されているみたいだけど、大丈夫なのか?」東宮が慮る。


このところ、大臣たちの動きが慌ただしい。やれ男児祈願のお参りだ祈祷だと、手を変え品を変え、

陳情に来ている。魂胆はわかっている。偵察と、次の妃の入内への布石だ。


「少し動き回った方が、お産は軽いらしいですよ。大丈夫です。融様。」そんな陰謀に巻き込まれていることなど、つゆ知らず。どこ吹く風。君らしい。


心配そうな視線を落とし、「ごめん。仕事の途中で抜けてきた。また夜に・・。」

そう言って、東宮様はまた清涼殿へと仕事に戻られた。






25.



「しっかりしてくださいませ。中の君さま。

もう少しです。」


くくーっと苦しげな声が聞こえる。


この部屋は?やけに汚く狭い部屋。形ばかりの白い几帳が立てかけられ、その奥に、

昔からの侍女が二人ばかり白衣を着て、瀬奈を励ましている。


これは、出産か?


そして祈祷の読経の声も聞こえず、そこは、しんと静まり返っていた。


「ひどいです。みんな東宮様には、いい顔をしておいて、

私の所でお産みくださいなんて誘っておきながら、いざという時はこんなところに押し込め、僧侶をみんな引き揚げさせるなんて・・。」

厩のような所に連れてこられ、この場に残ったのは、昔馴染みの侍女が2人。


「こら。言っても詮無いことは言うものじゃないよ。

気が散るからおやめなさいな。一番お大変なのは、中の君さまなのだから・・。」

年嵩の侍女が、年若き侍女の嘆きを諌める。



「そうよ。そんなの必要無いし、静かで丁度いいわよ。」

瀬奈が言ったそんな言葉に、侍女が涙ぐんだ。

「お前たちにも、苦労かけるね。残ってくれて、ありがとう。流石に一人では無理だから。

でも、大丈夫よ。もうすぐだから。お腹の子がそう言ってるわ。」

そしてまた陣痛が来たのか、一転うんうん唸り出した。

汗だくになった瀬奈が、侍女に汗を拭いてもらいながら、

力んで、大きく膨らんだおなかが、ぶるぶると揺れる。


「頭が、出ました。もう少し、もう少し・・。」年嵩の侍女が伝える。

はあはあ。苦しげな息が。


そして、うおうっと獣のような声とともに、一気にずるっと出たソレは、口に詰まったものをぜんぶ吐きだす勢いで、大きく空気を吸い込み、次の瞬間泣き出した。


おぎゃおぎゃおぎゃ!外にも伝わるその声は、空気を震わせた。

お生まれになられました。

元気なその声。聞く人誰をも幸せにする、その声。


「なんと、元気な、男の子ですよ。やりました。皇子様です。」「男の子、やっぱり男の子でしたよ、中の君様!」

「もうこんな小さいのに、足でどんどん蹴飛ばして。お強いこと。」


そして年嵩の侍女は慣れたように、へその緒を切り、産湯を指示する。

後産もすんなりと出て、瀬奈は、やっと終わった大事業に、くたっとへたりこんだ。

でも、なんて幸せな充実感。

融様・・私頑張りました。すぐにでも、お会いしたい。でもそれは無理。産褥で3か月はお会いすることがかなわないと聞かされていた。

うふっ。でも、いいや。融様の御子ですよ。小さくてたよりなげで、かわいらしくて、しかも愛しい愛するあなた様の赤ちゃんがここに。


「抱かせて。」瀬奈のそんな声に、侍女がそっと胸に乗せた。すると、何かを求めているような動きで、赤ちゃんの口は、おっぱいへと向かい、そして吸いつく。

「あらあら。」うん。「じょうず。」


侍女は泣いていた。中の君さま、おめでとうございます。

やっぱり、中の君さまは、お強い星の許に生まれついていらっしゃるんですね。

そーですよ。祈祷なんかなくても、悪霊なんて来ないんですよ!

年若い侍女が、鬼の首を取ったみたいに言って号泣している姿に、くすっと笑う。


年嵩の侍女が告げた。

「さきほど、五位の蔵人、尾塙さまが見えられるとの先触れがありました。来られましたら、東宮様への伝言をお願いいたしましょう。」「余計なことは、言わないでね。」瀬奈が、絶え絶えな息の下から、釘を刺した。

「はい。」侍女がそんなことは百も承知と返事をする。「東宮様を、心配させるといけないから・・無事に生まれたことだけを、伝えてね。」


「はい。安産であられましたと!

そして、母子ともに、お健やかであらせられますとお伝えいたします。」




「融さん・・大丈夫?」にゃーにゃー?


社の外がほのかに明るい。瀬奈とみぃやの声に目覚めた。

夜明け?夏に向かい、だんだん日が昇る時間が早くなっているようだ。


「ああ、もう朝か。」なんという1日だったんだろう。

それに、またいつのまにか寝ていたようだ・・。融は、枕元に落ちている笛を見遣った。

夢の中での、笛と箏の音が蘇る。



「融さん、あれ?目のまわり?」目の周りにうっすらとついた涙の痕を見つけられ、

瀬奈が心配そうに覗き込んで。

「おはよう。瀬奈。」その顔を強引に引きよせ、唇を奪って誤魔化した。

融さん、あ、なに・・やだ・・瀬奈が少し抗い、

にゃーにゃーと、みぃやがその周りを駆け回る。


「こんなところで、朝を迎えさせて、ごめんね。」



外の水道に出て、二人で顔を洗った。なんだかキャンプみたいで、楽しいよって。

渡されたタオルの香り。

木立からもれる朝日が2人を射して、気持ちのいい風が2人を包む。

そして融は社に戻ると、

昨日の大荷物の、リュックを開けて、突っ込んでいたパンと缶コーヒーを取り出した。


「こんなものしかないけど・・。」ぺったんこになっている牛乳パンを差し出し、

瀬奈に勧める。


「たき火でも熾して、焼こうか?」と瀬奈。藪でたきぎ拾ってきたらイケそうよ?

「面白そうだけど、火事になったら、困るよ。」大丈夫。お線香焚く場所でやればいいじゃん。「だめだよ。においうつるし、バチあたりな。」あらあら、本殿に泊まった人が、そんなことよく言いますよね?


なんだろう。すごくやりとりが楽しい。一晩をすごした気安さも手伝ってか、二人の距離が、少しずつ近づいて。

そんなことをやいのやいの言い合って、パンを食べた。味気ないパンなのに、すごくおいしく感じる。融は、すごく満ち足りた気分だった。

・・・やっぱり、瀬奈といるのは、楽しい・・・



「・・母も僕を産むときは大変だったのかな?」「え?」

今日もまた、自分が出産するなんて変な夢を見ちゃったよーーと思っていた瀬奈は、

そんな融の言葉に、一瞬驚いて二の句が継げなかった。


・・もしかして、融さんも同じ夢を見てるんじゃ?脳裏にそんな疑いがもたげた。

でも、まさかそんなことありえないし・・と否定しつつ、


「急に、どうしたの?夢でも見たの?」瀬奈は軽く、聞いた。


「ああ。変な夢だった。

子供を産むということは、あんなにも大変なことだったんだな。

命を賭して。そうだ。昔の時代なんて特に、命を落とした人はたくさんいただろう。」


「・・・・?」やはり、一緒の夢を見ていたのかしら?昔の時代なんてわざわざ口にするところが、ますますアヤシイ。



「母に、会いたい。」唐突に融が言った。「そして、僕を産んだ時のことを聞いてみたい。

あんなに大変な思いをして、産み落としてくれたんだよな。

僕の顔を初めてみた時、嬉しかったのか。悲しかったのか?」


そんな融の言葉に、確信を持って瀬奈が言った。

「嬉しかったに、決まってるじゃん。」

「産もうって決心して、おなかの中で育んで。やっと会えたって。きっと・・そう。」

やけに力が入る。きっと私も、あの夢を見たから。


そうだといいな。融が少し寂しげに微笑んだ。


「そしてもう1つ聞きたいことは。5歳まで育ててくれて。

そこでどうして、僕の手を放したの?ってこと。」


「事情があったんだと思うよ。」そこはわからないので、瀬奈は、執り成すことしかできない。


「会ってくれるかな?」


「うん。きっと大丈夫よ。

でももしダメでも、行くことが大事じゃない?会いたいって思う気持ちを伝えるだけでもさ。」瀬奈が言った。


「そだな。」パンをもぐもぐしながら、

融は、そこでしばらくぼーーっと物思いにふけっていた。


家帰って、じいさんに聞いてみるか。

ダメなら、母を知ってるという、いろんな人尋ね歩こう。



「それでさ、瀬奈。お願いが・・。ついてきて欲しいんだ。」そう言って融が、縋るような目をした。

瀬奈は、にこっと笑う。「もちろん。そのつもりよ。

じゃあ、私下宿戻って、今日の所は大学行って課題提出して、そのあとバイト変わってもらったり、いろいろ用意しておくから。」


「じゃあ。土曜に、朝6時出発で。」「うん。わかったよ。」

にゃーー、みぃやも連れて行ってくれとでも言うように、甘えてきたが、


「ごめん。みぃやは連れていけないな。お留守番よろしくね。」にゃ?

わかってるのか、わかってないのか、首を傾げるみぃや。


そして石段を下り、手を振る君を見送る。



僕の明日は、どっちに広がっているんだろう。

でも、

君のおかげで、歩き出せる気がした。

ありがとう。


また変わりばえしない一日が始まると、

行きかう人の姿を目にしながら、

僕は歩みだす。


もう迷わない。




26.



柳左大臣邸では、使いの役人の伝達を受け、大臣の歯ぎしりが止まらなかった。


あの更衣が、何事もなく、出産しただと?

まさか・・あの状態で、しかも男児を産みまいらすとは、なんたる強運。


別に手を拱いていたわけではない。

次なる妃の入内を目論んで、帝に申し入れを繰り返していたが、

その都度誰かが猫憑きとなり、それは猫の祟りに間違いないと皆が怯え、断念を余儀なくされていた。


しかし、それをあざ笑うかのように、入内から時を置かず、

こたびの、あっというまの懐妊。誰もが驚いた。

腹いせに、産室を提供した臣下に圧力を加え、粗末な部屋へと移動させたり、

僧侶を引き揚げさせるなどの妨害を行ったのは、柳大臣の仕業であった。

他にも、床下に呪詛のお札を貼ったり、策を尽くしたのだが。


「息のかかった陰陽師総動員で、男児忌避の祈祷もさせていたというのに、

みな使えない・・陰陽師ばかりだったな。」すべて空振り。忌々しげに吐き捨てた。


「しかし、妃の身分が低いので、東宮様の一人目の御子ではあるが親王になれないのは、幸いじゃった。」

柳大臣は、ほっと息を吐き、そうお付きの者に呟いた。

「はい。東宮様は、その御子への親王宣下を直訴されたそうですが、帝に世が乱れると止められたと聞き及んでおります。」


ふふっそれだけは、いい気味じゃの。柳大臣はほくそ笑んだ。


「だからまだ間に合う。して、次の手、首尾は上々か?」


「はい。言われておりました通り、乳母のなり手を妨害しております。

柳左大臣に睨まれると分かっていながら、手を上げる者は、誰もおりますまい。」


ふふふふ。

乳を貰えねば、生き長らえることも叶わないものよの。

命が惜しくば、宮中を去るしかあるまい。




一方、

長谷右大臣の、動きもあった。



「道満、こたびのこと、実は、

裏ですべてお前が操っているのではないわな?」


それは、また帷子の辻で動きを止めた牛車。

今度はそれに乗った長谷右大臣が、道満を待ち伏せて話しかけていた。


「何を言いだされるかと思えば。・・お戯れを。」道満は、くくくっと笑いながら、不敵な口調で受け流した。


「ほとんどはうまくいっておる。しかし、思惑が外れた所があるではないか。

女をあてがい、東宮様には、ゆるゆるご成長頂こうなどと笑っておったが、

よもや一足飛びに子が出来るとは思いもせなんだわ。

それに口がさない者たちには、東宮様は、まるでさかりのついた猫のようになったと揶揄されておる様子。しかも生まれた子は、おのこであるがゆえ。出来すぎよ。

これは、少々詐欺ではないかと、お前に疑いがもたげたのだよ。」


「しかし、柳左大臣からの入内をことごとく、猫憑きで妨害したのは、長谷右大臣さまのご命であらせられますゆえ。そこが少ししくじりだったのではないですかな?」いやらしく道満は言い返した。


「ほら。声が高いぞ、道満。人聞きの悪い。

言っておくが、

柳左大臣のあれは、猫の機嫌を損ねただけであるがゆえに。

男児祈願といいながら、ま逆なことをしている輩を見つけて、猫も、怒ろうことであろうからな。しかも、祈祷もろくに行わず女も子供も葬ろうなど、愚の骨頂であろう。

そんな奴には、猫憑きがたびたび出るのも、仕方ないわい。」


この長谷大臣は、自分で命じておきながら、猫のせいにするとは、

つくづく、肝が据わっていることよ。道満は腹の中で舌を巻いていた。やはりつくとしたら、長谷大臣側で正解じゃったな、と。



「ただ、動物を操るのは、お前しかできないことだからな。それはきっとお前を知る人なら誰もがお前の仕業に思っているだろうが。」長谷右大臣が、賢しらな表情で言う。

その物言いに、初めて道満の顔色が変わった。

盗人猛々しく、道満すらも脅迫する・・長谷右大臣・・おそるべし。


「いかにも。そして晴明は、式を操るのが上手だ。あの日の式は、晴明のお得意じゃった。」そういって、道満も負けず、にっと笑い返した。

帝へ、穂積家の中の君の入内を迫ったあの日の出来事のこと。

こっちだって、あなたの手のうちは知ってますよという反撃だった。

つまりあの日の怪異は、すべて長谷右大臣の命で、道満と晴明の手によって仕組まれていたのであった。



「あの更衣が、我々の想像を超えていただけですぞなもし。」

道満はサラッと、言い切った。

普通の女だったら、あれだけ追い詰められてまともに子が産めるとも思えない。

強靭な体力、そして強靭な思いがあったということだろう。


「しかし。長谷右大臣。

おんし、何をそんなに恐れている?

あの更衣、身分は低い。その産みまいらしたお子は、男であっても、天皇の後継ぎである親王にすらなれないことは、最初から分かっていること。

もとはといえば、それを計算に入れて、入内させた更衣ぞ。」


「しかし。あそこまで東宮様が執着をするとは思わなかった。

足しげく通っておったと。そして毎夜その腕から、ひと時も離さないと聞いた。

危険ではないか?なんとかしたほうが・・。」長谷右大臣が焦りの色を出した。

 掌中の珠の、大事な娘をこれから嫁がすことを目論んでいる父親としての立場が、

長谷右大臣の一番弱い所が、突かれているのかもしれなかった。


「大丈夫だ。

執着が多いほど、離れた時の寂しさは募るもの。

心の隙間ができるのよ。恐れるには及ばずだ。」道満は、何を見通しているのか、確信をもった口ぶりで、長谷右大臣を煙に巻いた。


「わしが、このことに対して何かを目論んでいるなんてことはないぞよ。

それをして、わしが何か得をするか?

利する所がないのに、わしが何か仕掛けるわけもなかろうて。」



「確かに。何の得もせんのに、お前が動くわけもないな。」やっと長谷大臣は納得した。

「じゃろう?」にっと、道満の口元だけが笑う。


「だからこれは世の流れじゃ。東宮の成長の一環じゃと、

まだまだ見守っておればよかろうて。

おんしの娘の入内までは、あと何年かの辛抱じゃ。

何事も、喜びも大きければ、悲しみは深くなるもの。」そう言って、道満は、遠い空を見遣った。煙が上がっていた。どこかで野辺送りをしている煙か?


「その間に、何か事情が変わることはないのか?」

そう聞きかえした長谷大臣は、また既に道満の手の中に落ちていた。



「大丈夫じゃ。卦によると、

次の子は当分出来ん。次に懐妊せしとき、先帝は退き、東宮は即位する。

そんときに、おんしの娘は、正后で入内じゃろ。

うまいことやるがよい。」



「それにしても、あの東宮も、見違えるほど、大人になったものよ。

いっぱし父親の顔になってくるようだな。」それは、良きことじゃろうて。道満が、そうも呟いた。


「さかりのついた猫も時期が来るとおさまるぞなもし。おんしも、覚えがあるだろう?

その子の成長とともに、東宮も立派になられるわ。ますますの、ええ男ぶりよ、のう。

男のわしでもふるいつきたくなるわい。

それに、大事なものができると、慎重になるものよ。

何も持たず、自暴自棄になっていた頃の東宮とは違う。」大事なものは、守りたくなる。だから、人間は強くも弱くもなる。物事は、表裏一体だ。



道満は、それだけの言葉を残すと、ふっと次の瞬間、長谷大臣の前から掻き消えるように、その姿を消した。






27.



「瀬奈、こっちこっち。」

待ち合わせの駅のロータリーで、大型バイクにまたがった融が、

瀬奈に向かって手を挙げていた。


駆け寄ると、ジャケットとヘルメットを渡され、後ろの席に乗るように言われる。

それでか・・。

メールで、動きやすいGパンにトレーナーで来るように言われていた。瀬奈は納得したが、

でも・・えーー?ココ乗るの?タンデムって、見たことはあるけど乗るのは初めて。

一瞬の躊躇はありつつ、えいやっと飛び乗る。



腰に手をまわすように言われ、

ぎゅっとしがみ付く。そのまま発車し、風を切り徐々に加速を。

融の声が、耳からで無く体を伝わり、全身に響いてくる。

「あのさ。じいさん、教えてくれなくってさ。

また大ゲンカ。

仕方ないので、家探ししたら、僕の母子手帳を見つけて。

僕が生まれた、産院にまず行ってみようかと思うんだけど・・。」


そして、瀬奈と融の彷徨は、少し町はずれの産院から始まった。




おぎゃあおぎゃあ・・。

朝の授乳の時間だったのか、赤ん坊の泣き声が隅々に響き渡っていた。


生まれてこの方、そんな大量の赤ちゃんなんか見たこと無いよ・・と融は、

その迫力に、驚きを隠せなかった。



受付で尋ね、お医者さんに会わせてもらうと、

「ここで産まれた?へえ。」

若めの先生は忙しそうに、特に何と言うことも無く相槌を打つと、

「じゃあ。父の方がいいね。父はもう年で、一線を退いて、話をしたそうだから、いろいろ教えてくれるかもよ。」そんな、親切なのか、ただの厄介払いなのかわからないセリフで

融と瀬奈は、別棟へ案内された。


「ほう。大きくなったな。取り上げた子が、立派になってやってきてくれるのも、なかなか感銘が深いことよ。」

出てきたじいちゃん先生は、上品な白い口髭に、銀髪。物腰もおっとりとした素敵な人で、嬉しそうに迎えてくれた。

「で、あんたも、もうそろそろか?

親子三代、ウチで産んでる家も多いぞ。」


わ、わたしは、まだ!・・からかわれて、瀬奈は、顔が真っ赤。


「ふーーん。

小野 葉子さん、なぁ。

取り上げたことはオボロゲに覚えておるような気もするが・・。特に印象に残ることもなかったなぁ。健診の状況も順調そのものだ。」

じいちゃん先生は、母子手帳を渡され、パラパラと見て、呟く。

そりゃそうだなぁ。毎日何人も取り上げている身からしたら、そんなたった一人のことなど・・。

ガッカリとした融の姿を前に、


「でも、印象に残って無いということは、無事で全く問題ないお産だったという証じゃろう。そして、それがどんなに稀有で幸いなことか・・。」

じいちゃん先生は、そこで口を噤んだ。きっと何十年かの間には、どうしてあげることも出来なかった事や、いろんな思いがあるのだろう。


しかし融は諦めること無く、まだ一縷の望みで食い下がった。

「でも母は、何だか事情があって、僕を産むこと悩んでいたようなことも聞いたのですが。

そんなことは覚えてないですか?」


「無いな。」即答だった。

「結構そういうことは、伝わってくるものだがな。

こちとら、お産の時は応援団みたいなもので。迷いや悩みがあると、叱責して追い払わんといかんから、そういうのには、敏感だぞ。極限の状態に誤魔化しはきかんからな。

あんた。この子に会いたくないのか?会いたかったら、もっと頑張りなさい・・などとよく言ったもんだわ。」

ふふふふ、笑うと皺が刻まれる。素敵な皺だ。


「偉そうに、言ってたな。私には、子を産むことなど出来ないのに。

でもなぁ。産んだ後の、あの幸せそうな表情が好きで。

きっとあなたの母親も、そういう笑みを浮かべていたと思うよ。」


じいちゃん先生は、そういうと、融をカッチリ見据えた。誤魔化しの無い目だった。



「うーん。でも、手がかりは、何もなかったな。」部屋を辞去した融に、

「でも、よかったね。

何事もないのが、幸せか・・。そうよね。みんな普通に、当たり前にやってるように思ってるけど、実は一人一人に奇跡が起こっている位の、凄さで。

全然、当たり前じゃないのよね。」

瀬奈は、ぶつぶつ呟く。遠くから、赤ちゃんの声がかすかに聞こえる。すごいな。その数だけ、奇跡があって、幸せがあるなんて。



「でも、次どこ行こう?」融がそう言いながら、二人待合室を抜けて出て行こうとした時、

すれ違いざまに、声を掛けられた。



「おや、まぁ。小野さんとこの融じゃねーか。

どーしたんじゃ?こんな所で。」そこで、一転声を潜めると、

「あ、あん時の子か。もしや、出来ちゃったか?」


でたっ。近所の知り合い。植木職人トヨキチおじさんだった。

「やめてよ、おじさん。違うって。」

もぅ、なんでまたここで会うかな。まぁ、近所だから仕方ないけど。

「ちょっとおじいさん先生に、僕の産まれた時の母の話が聞きたくてさ。」慌てて必要以上に、弁明する。じゃないと、何を吹聴されるか・・怖い。

「おじさんこそ、ここに何の用事なの?」


「って、孫に子ができてな。お見舞いじゃよ。

まさか70歳そこそこで、曾孫ができるとはなぁ。」トヨキチおじさんは、テレる。


「わぁ、おめでとうございます!

お子さんやお孫さんの、ご結婚が早かったんですね。」瀬奈が言うと、


「そうよ、私なんて、まだ50歳になってないのに、おばあちゃんよ。」と横にいた、トヨキチさんの娘さん、とは言えもうかなりのおばさんだが、その人が横から話に入ってきた。



「おおっ。我が家は、もう速断即決の家系だからな。

中高の同級生とか幼馴染とか卒業後すぐ結婚だ。お前らも、早い方がいいぞ。

じいさんおっ死ぬ前に、曾孫の顔見せてやらんと。じいさん、もう90近いだろ。」


「無理だよ、おじさん。

この前、じいさんに、彼女との仲を反対されたんだ。

そんで、ケンカ中。

他にも、母さんに一度会いたい気持ちもぶつけてみたけど、それも頑固じいさん教えてくれなくて。そっちもケンカ中。

それで、策も無くてダメモトで母子手帳辿ってこの産院尋ねてみたけど、やっぱダメでさ。」


融がぶっちゃけて打ち明けると、


「葉子ちゃんの消息か・・。」

その時、横にいたトヨキチおじさんの娘であるおばさんが口を開いた。「確かな情報じゃなくて悪いんだけど、前に同窓会で、他の人が噂してて小耳にはさんだことがあるよ・・。」

葉子と、高校一緒だったの、私。とおばさんが打ち明けた。でも私は地味だったから、葉子と接点は無かったんだけどね・・とも。


・・・サナトリウム?


「ええ。話をしてたその人が、何かで・・仕事かな?そんなんで訪れたら、

葉子ちゃん見かけたって。ござっぱりした服着てたけど、やっぱり美しさが滲み出てて、見間違うわけもないって。

その人、ずっと憧れていたらしいから。

話しかけようとしたら、逃げられたとも言ってた。」


それは、隣の県の山あいにある療養所のようだった。冬は、雪に閉ざされ、スキー場がやたらいっぱいある場所だった。


「母は、病気なんでしょうか?」融は、尋ねたが、


「詳しくは分からない。見た・・っていうだけの話だけだから。」おばさんは、ごめんねと言うように、目を伏せた。




「行ってみよう!」「ええ。」二人は、礼を言うと、慌てて駆け出した。





28.



麓に着いた。

山の中腹にそびえたつ白い建物。


なぜこんな場所に、母は?


昔は結核などの不治といわれた病のために建てられた療養所であったが、

今は、ホスピスなども併設しながら、後遺症のある人の緩和ケアなど、終末期医療が主に行われているらしい。

生の終わりへと、ひっそりとゆっくり向かうために、その建物は存在していた。


訪れる人も無いのか、

駐車場に着くと、何匹もの猫がひなたぼっこをしていた。その中には黒猫もいて、

くりくりと毛づくろいをするかわいい姿が。


「あ、あの猫クロにそっくり。クロ、クロちゃん。」

瀬奈はそばに寄り跪いて、頭を撫でようとしたが、よそ者にはいい顔をしないのか、

ふぃ・・と横を向き、風のようにどこかへいってしまった。


「ありゃ、振られちゃったわ。」「よそ者には、冷たいのかな?」

瀬奈は融と、顔を見合す。



しかしその黒猫は、ある男の人の足元にすり寄って行った。


見れば、白衣を着た壮年の男の人がベンチに座っていた。不自由な右手を庇うように左手で、

鰹節をやり、それにがりがりと黒猫はかじりついていた。

杖が横に置いてあって、片足が不自由のように見えた。

何故だろう・・会ったことがあるような気がする。この人と。


融はただ見詰めていた。



帝・・。そう思った時、


唐突に笛の音が聞こえてきた。





「瀬奈、会いたかったぞ。」


再会に涙を流さんばかりに、東宮様に抱かれて、瀬奈は恍惚としていた。


里下がり先から、宮中に早々に戻ったとはいえ、

もう半年以上会うことも叶わなかった我が君。


「融様・・。」胸が詰まって、瀬奈は、もうそれ以上何も言えなかった。


「ありがとう・・僕の子どもを。無事、産んでくれて。」そして、君も無事で・・。よかった。本当に、よかった。求める指が知らず瀬奈の肌に強く食い込む。そんな融のお寂しさを思って、瀬奈も知らず涙が溢れる。


「でも、離れるのは、もう嫌だ。」そう縋る融。東宮であるがゆえに、産褥の汚れに近付くことは許されず、どんなに会いたくても叶わなかった。普通の身分だったら、そばで見守ることができただろうに。何度も、わが身を嘆いた。

「やだ、融様、子供みたい。」瀬奈は、子どもをあやすみたいに、頭をぽんぽんとした。

「もう、この子の父君ですよ、しっかりしてくださいな。」「うん。そうだな。」頬を染める東宮。


二人の視線が絡まり、ますます高まる愛おしさに心が焼け付くばかり。



「早く、若君に会ってくださいませ。」瀬奈がそう言うと、後ろに侍っていた年若き侍女が歩み寄り、瀬奈に若君を手渡した。

真一まさひとにございます。ひとの字は、つけることお許し頂けなかったので、一番の一と。融さまの一番目の御子としてその字を賜りました。」



「なんと・・。可愛いらしい。」融は思わず呟いた。

赤ちゃんなのに、その愛らしくも凛々しい目。涼しい目元。まごうことなき、東宮様似。そして少しおねむなのか、ぷわーっとあくびをして、可愛らしいしぐさ。あぶあぶと、会う人全てを撃ち抜いていた。


「まさひと」呼びかけると、にっこり笑う。

父も、一目で撃ち抜かれた。



「でも、すまぬ。帝に親王宣下を申し出たが、却下されてこの子は、親王にもなれず。ゆくゆくは他の姓をたまわり臣籍に下ることになるだろう・・。」

この子を、後継ぎに据えられないのだ。力なく、小犬のように萎れた東宮様の寂しげな目。


「そんなこと、最初から分かっていたことですわ。私の身分が低いので。

東宮様が、気に病まれなくとも。」でも瀬奈は、くすくすと笑い飛ばした。


「私は、東宮様との子どもを授かっただけで、幸せ者です。

産養いでは、東宮様より身に余るお祝いの品々、ありがとうございました。

父も喜んでおりました。この子は、幸せ者ですわ。」

・・お調子者の父は、これで他の妃に子が生まれなければ、この子が東宮になることだってあるやもしれんと・・大騒ぎをして、聞きつけた他の者から「そんなことは、他言めされますな。いろいろ取り沙汰されて、面倒事になりますぞ。」と、釘を刺されたり、大変だった。



そして瀬奈は、若君を融の前に掲げた。

「抱いてやってくださいませ。」そして渡す。


おっかなビックリで抱き上げる東宮。しかしそれも初めのうちだけ。

だんだんに慣れて東宮は目を細める。

「こんなに可愛いものだとは。思いもしなかった。肌はつるつるとふわふわして・・愛おしい。」


しかし、そのうちその愛らしい顔が、だんだんに渋面を作っているのにふと気づき、

「ん?もしや、おしめが濡れているのではないか?」

「あらやだ・・すいません。替えてきます。」そう下がろうとした瀬奈を押しとどめて、

「侍女にさせたらいいだろう?」「いえ。侍女はかなり疲れておりますので、その位は私が・・。」そう言い張る瀬奈に、


「よい。ここで・・替えたらいい。

君の顔をひと時でもみられないのは、寂しい。」見つめあう目。


その許可に、横で侍女がバタバタと駆け回り準備し、瀬奈は慣れた手つきでおむつを替えた。

「よしよし。きもちいいでちゅか?」そしてまた渡し、

東宮様が抱っこする。


しかし、またまたしばらくすると、赤ちゃんは、むずがって、泣きだした。


「あら・・今度は、おなか減ったのかしら。では。食事の時間ですので・・。」

そういって、瀬奈がまた下がろうとするので、東宮は不思議がって。


「どうした?乳母に頼めばよかろう。控えてないのか?」


瀬奈はそう聞かれて、言いにくそうに答えた。

「それが・・最初にお頼みした乳母様は、お家に不幸があったとかで、宿下がりを願い出られて、次もまた。

仕方ないので今まだ、探しておりまする。

先ほどの侍女はお産のときからずっと、つきっきりで、昼も夜も無くお世話をしてくれますが、まだ若く、お乳はでないので、それだけが困っているのです。


「じゃあ、どうしているのだ?なかなか乳母ができる者も限られているだろう。」「ええ。ですので、今は、私のお乳を含ましております。」瀬奈は申し訳なさそうに告げた。


え?ああ・・その言葉に、東宮様はすこし驚いたが、

でもよく考えたら、産んだ女がその子に乳をやるのは、しごく自然の摂理であると気がついたようだった。


「すごく食欲旺盛で、ぐいぐい吸われるので、もう、私の両の乳から溢れるくらい出るのです。だから、特に今のところひもじい思いはさせておりませぬ。」

瀬奈はそう言いながらも、

・・もう、その姿がかわいくてかわいくてたまらなかった。融にそっくりの赤ちゃんが、自分の乳を含み、こくこくって飲む姿は、なんだかいけないことを考えてしまう位、体が痺れ、全身、じんじんしてくる思いだった。

そしてもうそれを知ってしまった今や、乳母など頼みたくないという思いになっていた。


「無理はするなよ。

体をいとうて、大事にしておくれよ。」東宮は、瀬奈の体を心配し、

「もう、こちらに出仕して、大丈夫なのか?」困ったように聞いた。


「融様。私はもう、前のように元気です。そばにいさせてくださいませ。」


ありがとう。そう言うと東宮様は瀬奈に唇を、ちゅっと合わせた。

瀬奈の顔が真っ赤になる。


しかしそれを見守れるわけもなく、赤ちゃんの泣き声が、だんだんに大きくなってきて、


「申し訳ございません。」

瀬奈は、名残惜しく、東宮様のいる梨壺を辞去すると、部屋へ戻っていった。




29.




誰かが吹いている笛の音は、

建物の屋上から聞こえてきていた。


その調子っぱずれな音。

神楽舞のお囃子だ。

何だか幼い頃の記憶が、呼びさまされる。


母は美しかった。それはいろんな人に伝え聞いて、会えない間も、記憶のネガに鮮明に焼きつけられ続けている。

浮かぶのは、躍動する神の舞だった。剣を持ち、踊る。

長い髪が、ほつれ絡まり、全身から汗が滴る。

それを目の前にして、子供の自分はうち震え、動けなかった。


「融さん、どうしたの?」その時、瀬奈の声が聞こえ、はっと我にかえる。

さっき見たのは何だ?一瞬の白昼夢だったのか?

東宮の、愛しき妻との再会。



融はベンチを振り返ったが、誰も座って無かった。黒猫もいない。

不自由な手の、男もいない。


「え?」

キツネにつままれたように呆然としている融を、

瀬奈は不思議そうに見ながら、建物へと続く石段を上っていく。融も慌てて後を追った。

古びた苔むした、その石畳。

ここは・・もしかしたら昔、神社のお社があったのかもしれない。

そんな思いも強くした。




サナトリウム。正面玄関から受付に向かう。

「小野葉子」母の名を出して聞いたが、その名を持つ患者はいないと受付の男の人に、冷たく言われた。


ガッカリしていると、

名前、葉子って言うんですか?ヨーコ?もう一人の受付のおばさんがそう聞き返し、融の外見を見て、・・あっ!と、ピンときたらしく。

「ねぇ、それって、尋ねられているのは、もしや304号室の真田さん所の奥さんのことじゃないかしら?ヨーコって呼ばれてるの聞いたような気がしますよ。

それに、その奥さん、あなたに似てるわ。探しているのは、ご親戚か何か?」


「もしかしたら、そうですね。再婚して・・姓が。変わってるのかもしれない。」

融は、そう答え、

そうか。母は、そんな可能性もあったんだ、と融は思った。


「真田さん、ずっと長く入院されている患者さんで。

このところは、ずっと寝たきりで、奥様が、ずっと付き添われているわ。」


「行ってみてもいいでしょうか?」そう言って許可をもらって、階段を上っていく。


中二階の踊り場まで来たとき、

洗濯物を抱えた女の人とすれ違った。あっ・・


「母・・さん。」融は思わず呼びとめた。

その声に振り返ったその女は、ただその場に、立ち尽くした。


「融なの?」

ひっつめた髪、刻まれた皺。苦労のあとがみえた。

でも、その容色は衰えること無く、切れ長の目は、優しく、慈愛を浮かべた頬は、まるで阿弥陀如来のように。母だ。


融は、一歩ずつ近づいて行った。まるで、近寄ると消える逃げ水に近付くように。一歩一歩。スローモーションを見ているように。


「許して、融!」母は後ずさったが、すぐ壁で逃げ場をなくし、その場に項垂れた。「何をだよ?」

「会いたかったの・・でも会えなかったの。

だって、一度捨てて、そしておめおめと、戻れるわけないじゃない。」

蹲って泣きだした母。


融は、その肩にやさしく手を置いた。

やさしくなれたのは、もしかしたら・・融は感じていた。ここのところの不思議な出来事のせいかもしれないと。

赤ちゃんの声に、そんな大変な思いをして産んでくれたこと。でもそんな自分を捨ててまで出奔したのは、きっと、何か事情があったのかも・・と考えることができた。


そして瀬奈は、後ろからそんな2人をただ見守っていた。


「母さん。僕はただ教えてほしいだけなんだ。

僕を産んで、幸せだった?そして、僕の父は誰?

そして、5歳の僕を捨てて、何を取ったの?

知りたいんだ。」落ち着いた声で聞いた。そんな言葉に、母ははっと顔を上げて。

泣き笑いの顔で、

「融。大きくなったね。こんな立派になってるなんて・・ああ。

親は無くても、子は育つとはよく言ったよね。

忘れたことなんて、なかった。でも、日々に追われていたの。許して・・。」


そんな言葉に、融はただ拳を握り締める。それは、あまりに、手前勝手で残酷な言葉だ。


そのまま泣き崩れている葉子さんを、

融は抱えるようにして、階の隅の一角にある談話室へと連れてきた。



「学生時代に付き合っていた人がいたの。

でも、家に反対されて・・。彼も一人息子で。養子に来れないような男は、ダメって。

私の時代はね。家の言うことは絶対で。自分も、そういうものだって信じてたから。

私は一人娘だったし。だから、何の疑問も持たず、言われるがまま、私たちお別れしましょうと別れを切り出したら、彼も納得してくれて。これからもいい友達でいようって、別れたの。

そして、私はその後、親が勧める見合いで、養子に来てくれる人と結婚したの。」


「結婚生活は、それなりに葛藤はありつつ、夫は無口な人で、平穏で。

こんなもんだと思ってた。家のことは、ずっとばあちゃんが取り仕切ってたから、

私は会社を辞めずに働き続けていて、

だけど・・ある日、昔付き合ってた人が、何の偶然か、

私の職場の・・。

・・そう。職場の社員食堂に、とある外食産業が入ることになり、

そこのチーフとして現れたの。」



「でも、その人との付き合いが再燃したわけじゃないのよ。

ただ単に、昔付き合ってた人が、同じ職場の敷地にいるっていうだけの話。お昼に出会って、少し言葉交わすくらいの・・。」不倫なんてしてないのよ。間違わないでと、葉子さんはしつこいくらい釘を刺した。


「夫からは、当初から、仕事はやめて家に入れって再三言われ続けてたのだけど。

でも別に、収入あるほうがいいし、私が家にいても、ばあちゃんと家事の取り合いするだけだって思ってたから、やめたくなくて、生返事でずるずるしてたら、

ある日、妊娠がわかって。そう。融が出来て。

それで、結局は会社に肩たたきされちゃった。今なら、不当解雇よね。」

ふふっと寂しそうに笑う。葉子さんの表情、やっぱり融さんにそっくり・・親子ってすごい。と瀬奈は横で、見とれていた。


「でも、実は・・夫は口に出さなかったけど知ってたんだって。私の昔付き合っていた人が職場に来たときから。

それで仕事辞めない私を、付き合いが再燃したせいだと思いこんでいたのよね。」

葉子さんは、溜息をついた。「でも・・そのことは、ずいぶん後に、詰られて初めてわかったんだけどね。」



「融が生まれて、嬉しかった。すごくかわいくって。

あの時が幸せの絶頂だったかな。

じいさんが一番に喜んでたわ。跡取りができたって。すんごい大きい鯉のぼり買ってきたのよ。覚えてる?上げるのが大変な、10人位入れそうな鯉のぼり。」


「ああ、そんなこともあったね。」融は言った。

オボロゲに覚えている。あまりに巨大な鯉のぼり。もうあれを上げようなんてパワーは誰にも無い。そんな人もいない。きっと仕舞われて、押入れの奥に突っ込まれたままだ。


「じいさんからすりゃそうよね。遅く出来た娘一人だけで、何代も続く家系が途切れそうになっていたから、それがまた、繋がったって嬉しかったんでしょうよ。

ばあちゃんの可愛がりぶりも、普通じゃなかったな。寝かしていても、すぐどっか連れて行かれちゃうの。」


融は思い出していた。・・おばあちゃんっ子だとは言われていた。母が出奔しても、さほど生活に変化はなく、自分の家が他に比べて何かおかしいと思ったのは、もの心がついてきてからだった。


「でも私はさ。それまでずっと外でオシゴトしていたから、ずっと家で育児って、煮詰まっちゃって。それでじいさんばあさんに甘えて、よく預けて昔の友達のところとか遊びに行ってたりしたな。融は、ばあちゃんに懐いて、べったりだったし。

だから、夫が仕事から帰って来ても、融はじいちゃんばあちゃんの所にいたままで、

顔見ないまま寝室に行っちゃうなんてことがよくあった。居場所無かったのかな。

その頃からね。夫とは、つまんないことでいざこざが絶え無くなって。で、挙句あのひと、時々会社に泊まり込むとか言って、帰って来なくなっちゃった。

結局は、私が幼かったってことなんだけど。」


「でも、そんな間にいつのまにか、

夫の頭の中ではね。融は、その・・私の昔付き合っていた人との間の子じゃないかって、疑いが湧きだしたみたい。

尾行されたりしてたようなの。気付かなかったけど。私の行動ってずっと監視されてたの。

どこかでその相手と、会ってるんじゃないかって。」



「ねぇ母さん。じゃあ僕の父って、やっぱり、養子だったあの人なの?」融は尋ねた。

母が今まで語った話からすると、そうなる。


「そうよ。そうなの。

なのに・・信じてもらえなかったの。

今なら、父子鑑定でもしてもらえたら、証明できるんだろうけど・・

あの人ったら、そんな興信所の報告を盾に、滔々と私の不貞を申し立てて・・。」


・・そりゃ、たまに会って、慰めてもらったりくらいのことはあったわよ。元勤めていた会社には友達がいっぱいいるから、何度か飲み会に行ったことあるし。だけど、それは夫と、うまくいかなくなった後のことなの。

葉子さんの目から、ぽろっと涙が流れた。



これは・・まさに藪の中だ。融は唸った。

今まで聞いて思っていたこととは、違う。

母の言うことを鵜呑みにすれば、僕の実の父は、隣町にいる、戸籍上も僕の父であるあの人ということになる。

でも、その話も、信用できるのか?



「じいさんも、ばあちゃんも、あんな人のいうことを信じて・・。

実の娘である私の言うことなんて、信じてくれなかった。

母子手帳に書いてある、融の臍帯血の検査報告がO型で、私がB型。夫はA型。それも証拠だなんて言い張られて。

でも、AとBからも、Oは産まれるの。そう言っても、なんだか納得してくれなくて。」


「昔付き合っていた人が、O型なのも調べ上げていたのよ。

それって、なんのためよ・・。最初に疑いありきじゃないの。」


「それに・・じいさんばあちゃんからすれば、融を取られるのを恐れたのよ、きっと。」

そう言った時の母の眼付は、一段と鋭さを増した。

なにか憑かれたように捲し立てる。

「跡取りをほしかったのよ。それに、ここまで懐いた融じゃなきゃ都合が悪かったんだわ。だから・・このまま夫を追い出す方が得策って思ったんじゃないの?

夫が、自分の子では無いって思っている方が、都合が良かったのよ。親権とか言いださないように。」


「でも、夫には、もう既に女がいたのよ。帰ってこなかったのは、そのせいよ。

ずっと自分のことを棚に上げて、私の不貞をでっちあげて詰って、別れさすのに成功した。

ねぇ、酷いと思わない?悪いことは、全部私に押し付けて・・。」



融は寒々としたものを感じた。

ああ、そうか。この母からその父のことについて、思いやる言葉はついに一つも発せられなかった。

だから、やっぱり父は、そういう心根に触れて、葉子さんを見限ったんだと思う。

愛は無いと。父も、可哀そうな人だったんだろう。




「で、僕を捨てて、それからは?

このサナトリウムに来たの?」融が、最後の問いかけをした。



「その、学生時代に付き合ってた人がある日倒れたって聞いたの。

職場でだったわ。昼間・・救急車が来て。」



「脳出血で、昏睡状態が続いて。目が覚めたけど、半身麻痺が残って。

お見舞いに行って、痛々しくて見ていられなかった。右手が使えないの。

なんだか私、居ても立ってもいられなくて・・。」


やっぱり、お世話してあげられるのは、私しかいないんじゃないかって、

思いつめて。

でも、父と母にそう告げたら、「それ見たことか。お前は、自分のやってきたことわかってるのか?」不倫してたって、決めつけられて。

違うの。あとから気持ちに気付いたの。あの人の、本当に大きな包容力に。

遅かっただけなの。たまたま・・本当に好きになったのが、別れた後だったの。」

そう言って、葉子さんは、泣きじゃくった。

誰かに言いたかったんだろう。でも、誰も信じてくれる人はいなくて。なんて、悲しいことだ。


「『おまえは、家の跡取り娘だろう?それに融を置いていくつもりか?』ってじいさんばあさんに詰め寄られ、詰られて。」


・・だって私は・・言うとおりに、いつだって親の言うとおりに、素直にやってきたのよ。

巫女姿で、神楽舞だって踊って。笛も琴も練習したわ。笛は普通男の人のものだけど、私は年が行ってからの子供だったから、じいちゃんがもう孫には教えられないかもしれない。だから息子に伝えられるようにって。跡取り娘として、

何処に行っても恥ずかしくないように。

なのに、そんなの、あんまり。みんな勝手に疑って、勝手に決めて。


その時、融には、じいさんばあさんがいるけど、あの人には誰もいない・・そう思ったの。だから、

ごめんなさい。気がついたら、家を出てた。





「ヘビーだったよ。」


夜も更けてきて帰路を急いだが、これ以上走ってたら危ないと、

後部座席の瀬奈は、

どこかで休んだ方がいいわって・・、

まるでデートで男側が言う誘い文句のようなことを口にしてしまった。


そして、

道すがらのモーテルへと飛び込んで、

力尽きたように、融はベッドに体を投げ出した。


「子供の頃の僕が、泣きだしそうで、たまらない。」

そう言って、腕で目を覆う。


「なんだよ・・自分の都合ばっかじゃないか。」そういって、融は、唇を噛んだ。


融さん、大丈夫?寄って行った瀬奈を捕まえると、そのままベッドに押し倒してのし掛かった。


「瀬奈。」狂ったように唇を押しつけて、

そのまま抱きあう。もう、涙も唾液もぐちゃぐちゃ。

そして融は、

怖いくらいの力で、瀬奈を組み敷く。

その重みで腕が痺れ、体が引き裂かれるかと、思った。


でも・・なんだか今の融には抵抗できなくて、瀬奈はされるがまま。

止まらない融にしがみつくしか出来なかった。

溺れかけた船。二人で沈んでいくだけ。



「瀬奈・・ごめん。僕は・・ああっ。」

制御できない体を持て余すロボットみたいに、涙を流しながら感情が迸る。


瀬奈は、気を失って・・そして融も倒れ込む。


夜が包み込む。深い闇が。






30.



そして木曜日。

融は、図書館で瀬奈を待ち伏せていた。

あの日からメールを打てども返事が無く、だけど会いたい気持ちが膨らんで、今にも爆発しそうで。

融は、本を手に所在無く壁にもたれていた。

試験が近付いてきたせいか、人が多い。ドアが開くたびに目を上げるが、別人で。

ガッカリを繰り返し、もう今日は来ないのかと諦めかけた頃に、

瀬奈がその姿を現した。

慌てて駆け寄った融の姿を、見上げ固まり、瀬奈は観念したようにその場に立ち止まっていた。



「ごめん。この前・・。あのあと、大丈夫だった?」困ったような瞳で、問いかけた融に、

「いいよ。大丈夫。気にしないで。」瀬奈も困ったように答える。

「でも・・ぼくは・・本当にごめん。なんてことを。」謝罪しかなかった。だって僕は君の体を・・。「やだっ謝らないで。

謝られたら、いけないことされたような気になる。いいの。私も、融さん慰めたかったから。でも、あの時、なんて声掛けていいのかもわからなかったから。これでいいの。」きっと。

そう言って、

そして、少し俯きがちに、口の前に指を立てて、小さな声で言ってねって、片目を瞑って告げる。

ほんのり染まった頬が、かわいくて、図書館じゃなかったらきっと抱きしめていた。


「やさしいよ。瀬奈は・・。

悪いのは、僕なのに。ごめんも、言わしてくれないの?」「いいの。言わないで。」押し問答を、繰り返す。


「じゃあ。今度はやさしくするよ。それで許して・・。」融は、耳元で囁き、

そして、本棚の影に引っ張り込むと、

瀬奈を他から見えないように覆い隠して、唇を合した。




「ねぇ、でも。どうして、ずっと返事をくれなかったの?」

だから、嫌われたんじゃないかと不安だった。融の躊躇いがちの、問いかけ。


「帰ったら伯母さんが来てて、他にもいろいろあったの。」と瀬奈。「なに?教えてよ。」「家の事情だから・・混み入ってて一言でいえなくて。」瀬奈は言い澱んだ。融は、また線引きされているみたいで、気持が沈む。


「いやだよ。僕の事情にはこんなに引っ張り回したのに、

君の事情は教えてくれないの?言ってよ。」


「だって・・。」父が伯母に連絡をしてきたらしい。瀬奈に援助していることを聞きつけて、そんな金あるなら、姉さん、俺の方に回してくれないかなどと。

もちろん伯母は激怒して断ったが、そのことで瀬奈の下宿に連絡を取ろうとして、

たまたま瀬奈が出かけたまま帰らないという事情を知ることになり、心配してやってきた。

そして、あんた、何やってるの。真面目に勉強しなきゃだめよ!と諭されて。


伯母は、誰と出かけたのかというところまでは、突っ込んでこなかったが、

知られたら、火に油を注ぐところだった。危ない所で。

ふーーーっ。でも確かに、最近融さんのことばっかり考えて、勉強がなかなか進まない。

恋って、勉強の敵・・。でも、そんなこと恥ずかしくて、融さんには言えない。


「勉強しないと、伯母に悪くて・・。」瀬奈は呟いた。

ざっくり話を纏めすぎ・・で、融には伝わらない。


案の定、融は申し訳なさそうな表情になって、

「そうだよな。ここにも、勉強に来たんだよな。ごめん。邪魔して。」そそくさと小さくなった。


そして立ち去る時に、

融は、急に思い出したような態で言い出した。

「あのさ。今度の、土曜。神社でさ。例大祭あるんだ。」

「あ、明後日なの?」と瀬奈。神器などを天日干ししていたことを思いだした。「来られる?祭りは夜の7時から9時。用意があるから、夕方5時位から詰めてるけど。」


「今年は、かがり火を焚いてさ。舞台で雅楽を奏することになったんだよ。

浩大が笙で、克右が篳篥でさ、僕が横笛。あともう一人和太鼓の奴が来て、4人で合わす。

もしよかったら、聞きに来てくれたら嬉しい。」


わぁ。それは素敵。瀬奈がそう言った、そのあとに融は、

今度は言いにくそうに付け加えた。

「それと、神楽舞も奉納する。急に決まったんだ。

君のクラスのあの長谷さんが、ぜひ踊りたいって地元の名士のお父さんからウチのじいさん経由で申し入れがあったみたいでさ。

神楽舞は、笛と和太鼓で拍子を取るんだけど、

あんまり急に言われたから、まだ曲をさらえてなくて、心配なんだけど。」

まだ練習中だと言った。


その言葉を聞いて瀬奈は、心がズキズキと痛んだ。私、嫉妬している。

自分は舞えないくせに、何もできないくせに、

融さんの笛で舞えるということ・・そんなことに嫉妬してる。

それに、私だけの融さんじゃないことに嫉妬してる。

しょうがないのに。


まだ体はあの日の痛みを引き摺っていた。癒えてない瀬奈の体は、階段を上るのも辛い。

でも、これからも、また傷を深めたり、増やしたりするかもしれない。

だけど、この寂しげでやさしい瞳のこの人に、

私はどこまで応えてあげることができるんだろう?


「うん。わかったわ。絶対見に行くね。

そうだ。何かお手伝いすることある?」瀬奈は、黒い気持ちを振り払うように、申し出た。


「そうだな。始まったら、みんな総出で演奏するから、神社の仕事が手薄になると思うんだ。

じゃあ、瀬奈、巫女の衣装着てさ。おみくじとかお札売るところにいてくれない?あと、集まってくれた子供達にはお菓子配ることになってるし、それもお願い。

母が昔着てた巫女の衣装出しておくよ。」


「うん。わかったよ。」




暗闇のなか、篝火が照り映し出されるお社。

人出は近所の人が集う程度で、それほどではないが、

それでも1年に1度の例大祭のに、

上気した子ども。楽しげな親子連れ。トントンと石段を上ってくる。



「おお、あの時のねえちゃんじゃないか。なに?融のお手伝いか?」

社務所にいる巫女姿の瀬奈に、馴れ馴れしく話しかけてきたのは、トヨキチおじさん。


「こんにちは。ええそうなんです。この前はありがとうございました。」礼を言ったり返事したり、忙しい。

孫の手を引いたトヨキチおじさんは、少し声をひそめ瀬奈の耳元ににじり寄り、

「で、会えたか?」「ええ。ありがとうございます。おかげさまで。」「ヨーコちゃん、元気だったか?」「はい。」「そりゃ、なによりだ。」

そんな話のついでに、またまた早耳と言うか、どこから聞いたのか、

「仲、まだじいさんに反対されてるんだって?」「あ・・ハイ。」「気にすること無いよ。早く、子供作っちゃえ。」トヨキチおじさん・・それはちと乱暴すぎるでないかいな?

そんなことを、ごにょごにょ話していると、

そこに融のおじいさんが通りかかった。由緒正しい和邇神社、167代宮司。

宮司服の中でも祭事に着る最上級の正装なのか、いつもより威厳があってキリッとして見える。

腰もずいぶんよくなったようで、スタスタと、まっすぐに廊下を歩いていった。


「こんにちは。」瀬奈は挨拶したが、しかしその挨拶を一瞬ふっと視線を巡らせただけで、次に無視して通り過ぎた。

ありゃりゃ・・トヨキチおじさんは、それを見て、嫌ぁな顔をした。


「あいかわらずじゃな。またヨーコちゃんの二の舞をするつもりかいな。」

ぼそっと呟く。

「おじいちゃーん、早く。始まっちゃうよ!」そんな時、トヨキチさんは、掛けられたそんな娘さんの呼び声に、


「じゃあまたな。ねえちゃん、諦めんなよ!」そんなことを言って、

本殿の方へ向かっていった。



31.



篝火の勢いが、増していく。祭りの始まりは、唐突に。

まず宮司が謳い上げる祝詞が聞こえてくる。そしてざわざわとした中、

次に、

本殿の中央にしつらえている舞台に、4人が相並ぶ。笙と篳篥と笛と和太鼓。そのいで立ち、お雛様の5人囃子を想起させる。


厳かにまずは、ぶおーとか、テテテンとかいろんな音が手前勝手に聞こえ、

そして、そんな音出しが何となく絡み合い合わさり、和太鼓が打ち鳴らされ、曲が形作られていく。特に笙は、気温によって、音が上下するので、

今日のように涼しいと、後に置いたヒーターで温めながら奏さなければならない。

前にそんな話を聞いた時、なんだかだだっこをあやすみたいデスねって。瀬奈は、くすっと笑ってしまった。


遠くから聞いていても、融の笛。別格だった。

融さん、小さい頃から練習していたと言ってたものね。その澄んだ音は、夜の静けさに佇む木々を震わせていた。みんなの心も。

その姿を少しでも見ようと、本殿を覗きこんだ瀬奈は、

すこし前にその片隅で、ひっそりと融と抱き合っていた時の記憶がぼっと浮かんで、

勝手に一人で顔を赤らめ。そして、ぶんぶんと慌てて振りはらった。うーん。この神社、いろいろありすぎて、ちょっと心臓に悪い。


そうしている間にも、巫女姿の瀬奈は、

御札くださいとお客さんに呼ばれ、はーいと戻ったり、

泣きじゃくる子どもの声に、慌てて余っているお菓子を差し出して「泣かないでねー」と、あやしたり。座る席を探している人には、空いている席を探してそこまで手をひいたり、足のお悪い方も多く、椅子はないかと言われて、探して引っ張りだしたり。

トイレどこ?と聞かれてあっちですよと教えたり。ゴミ片付けといてねと、渡されたり。

えっえーー?ワタシ、会場係?

瀬奈が勝手もわからず巫女姿でドタバタ右往左往していると、

見かねてトヨキチさんの娘さんが立ちあがって、瀬奈の手伝いに来てくれた。


「去年におばあさんが亡くなられて、小野さんとこ今は、女手ないからさぁ。

こまごまとした気配りがダメなのよね。

氏子の婦人会もあったのに、自然解散しちゃったし。でも、言ってくれたら、近所のみんな手伝いにくるのに。お互いさまだからね。」

そう優しく言ってくれて、

裏手でたむろっている中学生を、こらこらこんなところで悪さしないの!中入りなさい、と、注意して、

その他もパワフルに、立ち回りながら、なんだかんだ瀬奈に、教えてくれた。


「だけど今年って、こんなに盛大にするなんて聞いてなかったからねぇ・・。一言言ってくれてたら良かったのにねぇ・・。」



でも、

瀬奈としては、そんな雑用で忙しく引っ張り回されて・・その方が気が紛れて良かったかもしれない。

舞台へ次に出てきたのは、美しい高子。見ている人たちにため息が漏れる。

神楽舞が始まった。笛と和太鼓が奏される。

どっかから聞きつけたのか、場違いな感じのイマドキの若い男の子もの姿もチラホラ見える。


その舞。やはり、素直な気持ちで直視していられなかった。おばさんに引っ張られて、舞台を覗きこんだが、

舞う高子の、メイクで隈どりをした色気あふれる目線が向かう先に、いつも融さんがあることに、どうしようもなく、

胸の奥、じりじり焦げるものがあった。

その音に乗せて舞うのは、何てエロティックなんだろう。入り込めない二人の世界。



でも、トヨキチさんの娘さんは、高子の踊りを、ふうん・・というような表情でつまらなそうに見て、

「なんで、あの子に踊らせることになったのかしら。

あのくらいだったら、今踊ったとしても、私の娘やお隣のサヨちゃんの方が上手いのにね。」って不満げに呟く。


「え?娘さん踊り手なんですか?」「そらそーよ。このあたりの年のいった娘、みんなヨーコちゃんに教わった最後の生徒よ。当たり前に練習してたわ。

流石にヨーコちゃんの舞に敵う子は、出て来なかったけどさ。

でもこの私だって、子供のころはかなり練習してたから、今でも踊るくらい出来るわよ。」ふふふっと笑う。

「ウチの一番下の息子は、あそこにいるわ。信も小さいころから鍛え上げて。和太鼓やってんのがそうよ。」五人姉弟の一番末っ子で、信さんという名前らしい。


「でも、ヨーコちゃんがいなくなって、神楽舞自体、奉納しなくなっちゃったからね。無くなるってきいて、寂しかったよ。

だけど今年、神楽舞するって突然聞いて、

吃驚よ。信にお呼びがかかったのも、1週間前。本当に急で、どうしたのかしらね。

やっぱり、おじいさんが年だから、今年最後って、

来年は融さんに譲ろうって、魂胆なのかなぁ?」無責任に言い放つ。



「それにしても、

昔は、地元の年寄りがいっぱい、終わったら打ち上げ宴会を当たり前のように夜通しやってたもんだけど、

今年、そんな準備なんて、全然無しよね。何も頼んで無いでしょ?

氏子の婦人会も仕切る人いないから、炊き出しとか持ち寄りとかも言われてないし。

どうするのかしらね。流れ解散?」と言って、時代よねぇって、笑う。


「まあ。みんな忙しいし、時代に合わないし。

無い方がいいけどね。酔っぱらいの世話、大変だから。

悪しき伝統は、廃れた方がいい、けどね。」と、おばさんは、笑いながら。「でもちょっと寂しい気もするわね。」そんなことも言った。昔は活気があって、ハレの日の高揚した気持ちは懐かしい。でも煩わしくもあり。

過渡期にあるおばさんの気持ちは、複雑なようだ。



そのうち終わって、宮司が本殿から姿を消すとともに、人々がぞろぞろ帰りだす。

祭りの終わりも唐突だ。


そこに、にゃーんと、声が聞こえた。見たら、木の陰に黒猫が。

「クロ!ここにいたの?ふふ。お前も、融さんの笛聴きに来たの?

でも、残念。終わっちゃったよ。」瀬奈は、寄って行って抱き上げた。


にゃーん。ごろごろ。久しぶりに会ったせいか、クロは瀬奈に甘えてきた。

あれあれ・・甘えっこちゃんですね。瀬奈は、久しぶりに思いっきり撫で撫でした。なんか嬉しい。



「瀬奈、ありがとう。忙しそうだったね。ごめん。

おばさんも、ありがとう。」

融が、やっと本殿から抜け出してこれたという風に、

瀬奈を見つけて声を。横のトヨキチさんの娘さんにも、如才なくお礼を言う。

そして、「みぃやも来てくれたんだ。」と、手を伸ばして瀬奈を引き寄せ、その腕の中のみぃやを撫でる。なんだか瀬奈の方が、赤面してしまった。


「お疲れさま。雅楽、よかった。あんなの聞いたの初めて。」笛の音がまだ瀬奈の耳に残っている。

でも一緒に、

その音に合わして舞っていた、高子の美しい姿も、焼きついて離れないけど・・。


「そうだよ、融。裏方は大変なんだよ。

これは彼女に、たっぷりお礼しなきゃだめよ。ほーーんと、来年は、もっと考えなきゃだめなんだからね。」

おばさんは、ひとしきり言いたいことだけ言うと、娘さんに呼ばれたようで、そこから本殿へと向かった。




「ごめんよ。じいさんの態度、不愉快だったろ。」2人になって、融は瀬奈の耳元で囁く。「でも、来るなって言われなかっただけましだと思うよ。」瀬奈はそんな返事で。実際それがとても心配だった。帰れと言われるかと。

融が、瀬奈に手伝ってもらうから・・と告げたとき、不機嫌になって、

「勝手にしろ。」と言い捨てたと聞いてたし。





「融!どこへ行ってる。こっちへこい。」しかしその時、奥の参集殿から、おじいさんの呼び声が聞こえた。


「なんだよ。」融は不機嫌にぶつぶつと言い、

「ごめんね、瀬奈。もうちょっとかかりそうなんだ。待っててくれる?」「うん。」


その言葉に安心したように融は、

渋々という態で、参集殿へと向かった。




篝火が小さくなっていき、境内はだんだんに暗くなる。

祭りの後の、うら寂しいような風情に、

立ち去りがたく思う人もいるようで、特にやることも無いのに所在無げに雑談をしているような、

そんな人影がまだまばらに残っていた。


瀬奈は、おばさんたちの手伝いも受けて、社務所を仕舞い。皆が帰った後の本殿へ行って、座布団を積み上げ、後片付けをする。ささっと箒で掃いて、ゴミを纏めて。


「信、あっち行かないの?」おばさんが、端の方で着替えも終わり、そこで荷物をまとめていた息子に、参集殿の方を指差し、聞いたが、「呼ばれたけど・・なんだか入りにくくて。」そう言葉少なく答える。



本殿と廊下で繋がった参集殿では、祭りの後、宮司であるおじいさんや融と雅楽のメンバー。そして地元の人が集まって、なんだかんだ話をしているようだった。

おばさんが言ってたように、昔ならこの場所で酒盛りが始まったらしいのだが、今年は特に準備もしてないので、最初に用意していたペットボトルのお茶とお菓子だけが並んでいる。


「娘さん、上手でしたなぁ。綺麗だし。」「華やかで、よかった。人も集まってたし。」「いえ、ずっと踊りたがってて、このたびは、叶えて頂いて、ありがとうございます。」そんな会話も聞こえてきた。地元の名士、高子のお父さんのようだ。

「ぜひ、来年も願いたいです。」

「そうですか。いつでも呼んでください。

他に、うちの娘、琴の腕前もなかなかなんですよ。一緒に奏したいなんて。小さい頃から、誰かに憧れてて・・ね。」


「やだっおとうさーん、言わないでってったら。」

その横で高子が、口を尖らして、甘えたように言う仕草まで浮かぶ。

そしてその時、その瞳は誰を見ているのかも・・。




「お前は、この後どうするんだ?」

お父さんが高子へ聞いていた。「若いものは、若いもの同士・・打ち上げに行けばいいんじゃないか?」


そして、「融君、よろしくお願いするよ。」「え?」そんな声が。


「おおっ、融。行こうぜ。」「ここは、お前の奢りでさ。」浩史と剛司も尻馬に乗る。

「そうですよ。反省会、いいですね!この4人で、また来年のために、いろいろお話ししたいです。」そして高子が上機嫌な声。無事踊りが出来たという、達成感も手伝ってか、楽しそうに。



「そうだ、融。分かってないようだから言っとくが、

地元あっての、この神社だからな。」じいさんにまで、逆なでするような念押しをされた。

その言葉は、暗に長谷家との付き合いを大事にしろと迫っているように聞こえた。



「そーだよ、融。ゆくゆくは、この神社168代だろ?

そうなると、お前が主でやるから、もっと盛り上げなきゃ。高子ちゃんにも、もっと頼むことあるんでないの?」

口々に。手前勝手に囃子立てる。


瀬奈は、それを1歩離れて、寂しく見ていた。

なんだか入っていけない距離感があった。本殿を我が物顔で歩くクロを見つけて、背中を撫でる。

にゃにゃにゃー

・・がんばってって言ってくれてる?



「大丈夫?」その時、そんな声が聞こえ、え?っと、振り返ると、信さんだった。

「ここ、地元の変な地縁あるからさ、外から見ると、おっかしいだろ?」

唐突に言われて、何と返事していいのか困っている瀬奈に、

「でも仕方ないんだろうな。ここで生まれてここで生きていく人にとっては、さ。

でも・・息詰まるでしょ。僕もなんだか暫くぶりに帰ってきて、めちゃ息詰まる。」

くくく、くるしい。そうやって、おどけて笑う。

優しい人だな。おばさんに聞いて、事情を知ってくれてるのかな。





でも、帰ろう・・。瀬奈は、そう思った。

だけど何も言わず帰るのはいけないと思って。勇気を出して、融へと声を掛けようとする・・が、声が出無い。どうしよう。


そんな姿を、見かねてか、信さんが口火を切ってくれた。


「ごめん。いいですか?俺、帰ります。

それと、この子も困ってるから・・はい。」ねっ、と瀬奈をひっぱりだして、話を振ってくれた。

「はい。すいません。

みなさん、お疲れ様です。座布団片付けました。

何だか積もるお話もあるようなので、私、帰りますね。

融さん、じゃあまた大学で。」

一礼して、そう言えた。ほっとして信さんと一緒に、部屋を出ようとしたら、


融が、不機嫌そうな鋭い目で、

「違うよ!帰るのは君じゃない。みんなの方だから。」そう言い放った。

その今までにない冷たさに、みんな一瞬で背筋が、ゾクっと。

「だって、君に仕事頼んだのは、僕だし。後片付けもしてもらって、ごめん。僕も手伝おうと思ってたのに。すまなかったよ。

そして、君を最後まで送るのは、僕の役目だから・・。」

そう言うと、瀬奈に駆け寄り、


「だから。反省会は、また今度でいいだろ。

その時は、和太鼓の信と、瀬奈も入れてね。」有無を言わさぬ迫力でそう言って、

融は、瀬奈の手をぎゅっと握った。


そして最後に振り返ると、

「それに、みんな分かってないよ。僕は、跡なんて継がないから。」

そう一言で言い放った。


その一言に、空気が凍り、じいさんと融は睨みあった。

火花が散って、周りはその2人の確執を思い、そそくさと、席を立った。



「じゃあ。また。」そう言って次々と帰るみんなを見送る。

そして、誰もいなくなった境内で、融は最後に残った篝火に水を掛けて消した。





32.



「あんなこと言って、良かったの?」瀬奈が心配そうに尋ねる。

融が、跡なんて継ぐ気ないと言い放ったことだ。


「だって本当のことだよ。神社のことも、じいさん入院したから手伝っただけで、

それでリハビリは大変だろうって思って家に戻ったけど、

結局じいさん、考えなんて何一つ変わって無かったんだ。」


・・なんか、勝手に思い遣ったことが、バカみたいだよ。

融は、そんな風に嘆いた。


「あのさ。母に会ったことも・・じいさんに言ったんだ。

そして母から、僕は間違いなく、養子だったあの父の息子だって聞かされたと言ったら。

そうか・・だって。

一言だよ。なんなんだ。

それで後で、そうじゃないかと思ってた・・と言い直して。だとしたら・・僕は、嘘つかれてたんだよ、長年。母が結婚していた時には既に妊娠してたなんて話を。それって、僕をかく乱するでっち上げだよ。」


ばあさんの日記も引っ張り出して探して読み返してみたんだ。そうしたら僕が生まれた日は、父母の結婚式から2年半後だった。




二人は、まだ神社の本殿にいた。あの日と同じように、また座布団を引っ張り出して。

お腹すいたねと、夕食に、隠しておいたカップ麺を出してきた。家出した日から、なんだかんだとここに秘匿してあるらしい。お湯は、電気ポットで沸かした。

「家、帰らないの?」瀬奈は聞いた。融は、瀬奈を抱きしめ、

「帰らない。帰りたくない。」まるでだだっ子だ。


「でも帰った方がいいよ。融さん。」瀬奈は少し強く言った。「嬉しかったけど・・こんなんじゃ融さんの立場が悪くなっちゃう。話し合うべきだと思うよ。」

静かに言った。でも融はそんな言葉に、頭に血が上り、

「なんで・・君までそんなこと言うの?今日のじいさんの態度は酷いよ。君は、

あんな思いをさせられて・・それでも、僕に家に帰れって?帰って、何を話し合えって。それにあんなで、何が分かりあえるなんて思うんだよ。」


「だって。・・たった一人のおじいさんじゃない。

ずっと育ててくれた・・。」「それは、そうだけどさ!」つい当たってしまう。


「仲違いしてしまうなんて、悲しいよ。二人とも、想い合って、それで逆に、傷つけあってるよ。」そうよ。おじいさんも、おじいさんなりの思いやりだから。それが分かるだけに辛い。


想い合う?そう呟きながら、融は、瀬奈の顔に手を添えた。

「でも。君のこと、こんなに傷つけるじいさんを僕は、許せないよ。」

そして口づけた。堂々巡りだ。これは・・。


「でもそれも・・家の為でしょ。長い間守ってきたものの為。

それを否定することって、きっとおじいさんたちにとって、今までやってきたことが、全部意味がなくなる位のことで・・。」そう。だから、どうしたらいいの?水かけ論になる。そして、いつまでも平行線。



「とりあえず、今日は帰らないつもり。ここにいる。ごめん。」申し訳なさそうに融はそう言うと、

「だけど・・、

あ?瀬奈は、帰りたい?下宿に送って行こうか?」そんなやさしい言葉。

でも違う。握る手は裏腹に、帰っちゃやだって言ってるみたいに強い力がこもって。この人は・・いつもこうなんだわ。それが分かってしまった。


「私も、ここにいてもいい?」そばにいたいよ。瀬奈が、そう言うと、

「ありがとう。体辛いんだろ?大丈夫か?」

ななななな・・・なんで?気付いてたの?瀬奈は真っ赤な顔をして、問い返す。


「だって。石段上ってきたときわかったよ。足を動かすのがいつもと違って辛そうで。

僕のせいだよね?でも君は、そんな顔も見せないで、神社の仕事テキパキこなしてくれて、

申し訳ないよ。」

そう。まだあの時の、体の痛みは癒えていなかった。

でも、そんなやさしくされると、体が自分のものじゃないみたいに、あなたに反応してしまう。

「今日は・・しないから。安心して。」そういって融は、やさしく抱きしめる。

もう、そんな言葉の一つ一つが、恥ずかしくて、どうしようもなくて・・うわーーって、瀬奈はパニクっていた。

「会いたかったんだ。あのあと、なかなか会えなくて。気が狂いそうだったよ。」




「なのに、あの時瀬奈は、信と・・。」

「え?」何を言い出すの?と融を見詰めた。

「信と帰るって言われて、頭に血が上ってさ。」と融。僕、嫉妬深くて、ごめん。

そう言って、また口付けを落とす。僕の知らない所で仲良くなったのかなんて思って・・。


「あれは別に一緒に帰るっていうわけじゃなくて・・。」言い出せない私に、気を遣ってくれたの。と瀬奈は、弁明した。

「でも、信、いい奴だろ。惚れちゃうんじゃないかと心配で。」なにそれ?


「もう。何言ってるの。

でも、私だって一緒。嫉妬深いよ。融さんの笛に合わして、高子が踊ってるだけで、

なんか居たたまれなくなっちゃった。」告白した。でも何だか素直に口に出せて、心がすーっとした。


「そうだったの?」もしかして、瀬奈も踊りたかったとか?

「え?そっち?・・違うよ。なんだか・・二人の世界が出来上がってるみたいに見えて。」そう、それで融が取られたような気になったんだ。でも、別に私が独り占めできるわけなんてないのに。でも独り占めしたいって気持ち、自分にもあるんだなって気付いてしまった。


「そうなの?そんな風に聞こえたんだ。でも、僕はあの曲は、なんか余裕無くて、自分の音だけに必死だったんだけどな。」

嘯き、「それに、僕が笛を吹いている時は、いつも瀬奈のことを思っているよ。」

そう言って、触れ合う融の体の熱が、心地いい。

「だから、そんなこと思わないで。

僕の笛は、いつも、君の為だから。」囁かれる言葉に、頭のてっぺんが痺れる。


「・・・聞きたいな。」瀬奈は呟いていた。「もう一度、今ここで。」


ああ。わかったよ。


そう言って笑うと、融は、笛を取り上げる。そして、口をつけた。


聞こえてくる旋律。


嘘でもうれしかった。いつでも私の為に吹いている・・と言ってくれたこと。

沁みてくる。じわじわと。


そのとき、クロが鳴き出した。みゃうみゃう。また恋しげに。

そして・・また・・二人は、記憶の隙間に落ちた。





33.



満開の桜の下。

笛の音が聞こえていた。


「とうさま、じょうず。」瀬奈の膝の上には、数えで4歳の誕生日を迎えた、

真一まさひとが乗り、喜んで手を叩いていた。まだ少しあどけなさが残る、

父譲りの凛々しいまなざし。何を教えても、すぐに吸収する聡明さ。

周りの者は、親王でないことを惜しがっていた。


「瀬奈。ありがとう。

幸せだ。真一まさひとも無事こんなに大きくなって。しっかりしてきたな。」


・・ええ。もうこの頃は、漢文をそらんじているんですよ。少し得意げに、瀬奈が答える。


「おいで。」

笛を置いて、融がそういって手を広げると、真一まさひとは飛び付いて来た。「とうさま。」

そのまま持ち上げられ、「そーら、高い高い。」きゃっきゃっと喜ぶ真一。



「卒乳もしたと聞いたぞ。」耳元で囁かれ、瀬奈はぽっと顔が赤くなった。「はい。やっと。遅いくらいですけど。なかなか真一が離さなくて。でもやっと、添い寝なしで寝てくれるようになりました。」

そう。結局乳母は頼まず、真一は、自分のお乳で育て上げた。

・・大変だったのは、その間の東宮様の夜のお相手。子供を寝かしつけても、急に起きて乱入されたり、もういろんなことがあった。でも東宮様は優しく、どんなことがあっても、これが生きているということなんだな、とても楽しいよと、いつも笑ってくれていたのが幸い。

今日は一緒に寝るだけでよい。君といられることが幸せだから・・。そんな言葉が耳に残る。



「そうか。じゃあもう大丈夫か?」・・え?


「前に閨で、君の胸を強くした時、乳が噴き出して、大変だったろ?」そんなこと言われて、恥ずかしさのあまり、体が縮みあがる。「はい。あの時は、申し訳ございませんでした。」

その時融様ったら、何を血迷ってか。瀬奈の胸に吸いつき、

「ふふ。真一のを横取りだ。」って、嬉しそうに。もう。


今夜も、行くから。待ってておくれ。


はい。今宵も、待っております。





朝、目覚めると、空に浮かぶお日様に2重の虹がかかっているのが見えた。

瀬奈は、そしてそれを目にした途端、ぞくりと背筋が冷えた。

・・何か不吉なことが。

あわてて嫌な予感を振り払った。でもその日は、いつまでも、どきどきと動悸が収まらなかった。



その数日後、

蔵人頭の尾塙が梨壺にやってきた。


急ぎ妃が呼ばれ。

「お妃様。本日は、悪いお知らせがございます。気を確かにもって、

お聞きください。」

そんな前置きで聞かされたことは・・。


「先日の虹を陰陽師が占いました所、凶兆と出まして、

急ぎ内裏の清涼殿の軒下を探らせました所、蠱物まじものが見つかりました。これは帝を呪い殺し、真一さまを東宮にする謀略に違いないと、問い詰めたところ、

瀬奈様のお父上は、僧侶を頼んで作らせた物に相違ないと認めましたでございます。


即刻、沙汰がおり、穂積家は一族郎党、佐渡島へと流刑が決まりました。」



「そんな・・嘘です。」あの父親が、そんな大それたことなど企てるわけがない。

ただちょっと、口が軽くて調子乗りで、そんな言葉尻を捕えられただけに違いない。そう・・目の敵にされてるのは、他でもない、唯一の妃、身分が低いくせに東宮様の寵愛を一身に受けたこの私。


「瀬奈・・すまぬ。

僕の力では抑えることが出来なくて・・。」東宮様が、目を伏せた。悔しいのだろう。顔が紅潮している。



「父君と母君は三の君と四の君を伴って、佐渡島へ。兄君は、土佐へ。弟君は、駿河へ。」読み上げる尾塙の言葉が、ぼーっと現実味無く、耳を素通りしていく。


本来ならば、瀬奈にも、のほほんと妃などでおられる神経が分かりませんね。潔く藤壺を出で、出家して尼になるようお勧めするべきだろうと、柳左大臣は、迫ったらしいが、

「・・長谷右大臣さまが執り成して手を尽くしてくださり、何とかそれだけは免れましたでございます。」


それは・・多分。東宮様が長谷大臣に取り縋って頼んだのであろうと思われた。

柳大臣を抑えられるのは、帝以外では、長谷大臣しかいないゆえ。




・・もう。家族皆が楽しく過ごした生家は無い。頼りにする者は、もう誰もいなくなってしまった。

どうすれば・・私は。

瀬奈の頬を、ただ涙が流れおちた。そして、それを止めるすべを何も持ちあわせてなかった。


「僕が・・僕が守るから。この手で君と、真一を。だから、瀬奈、泣かないで・・。」

放心状態で涙を流す瀬奈を、東宮は、ただ抱きしめるしかできなかった。





季節は流れ。


吹く風に、これから来る冬の気配を感じ、

父さまや母さま、妹たち、兄、弟。

みんな、息災に暮らしているのだろうかと瀬奈は心を痛めつつも、

それでも日々は何事もないように過ぎていく。



「瀬奈・・今宵は、藤壺には来られないから、先に休んでいてくれ。」

わざわざ昼にやってきて、何気なく告げた、そんな東宮様に、瀬奈は、不思議そうに問いかけた。


「それは何故でこざいますの?」


「長谷右大臣の大君の裳着のお披露目に呼ばれている。」

言葉少なに告げた東宮。



あ・・瀬奈は、悟った。


それは、長谷右大臣の掌中の珠、高子さまが、

東宮様の正后になる入内が近付いていることを意味した。


「そうですか。お綺麗になられたでしょうね。

もうそんなに大きくおなりに・・。」気取らせないように、何気なく言う。口許には、笑みさえ浮かべて。



「そうだな。真一ももうすぐ6歳になる。長谷家の大君も12歳になったそうだ。

月日の経つのは、早いものだな。君と過ごして、もう7年か。」

東宮様は、どこを見ているのだろう?




そして瀬奈は、東宮様の訪れが無い寝屋で、夜、一人泣いていた。


にゃ・・にゃ・・にゃ・・その時猫の声が。


「みぃや、みぃやなの?」にゃ・・にゃ・・ 「どこ?どこなの?みぃやーー!」我を忘れて絶叫する。


・・会いたいよ。そして、戻りたい。

あの頃に。まだ見ぬ飼い主様の文に心躍らせていた、あの頃に。ねぇ、みぃや・・

だって。みぃやもいないもの。

それに、誰も・・誰もいないの。もう・・誰もいないの。・・


泣き伏していると、


「かあさま、かあさま、どうかされたの?」心配で起きてきたらしい。真一が、寝ぼけ顔で覗きこむ。

「おなかいたいの?」そして、小さい手で、一生懸命さすってくれる。


ああ・・ああ・・真一。 「もうよくなりました。真一は、やさしい子ね。」

また別の涙が。


「なに?かあさま。苦しいよ。そんなにぎゅってしないで・・。」



嗚咽は、いつしか途絶え。笑い声へと。でも少しさびしげな、儚げな。

猫の鳴き声も、小さくなって。



そして・・


神社の本殿で、クロの前足に踏み踏みされて瀬奈は目を覚ました。

起きあがると目の前に、

目を覚ましたばかりの融がいた。


「また寝入ってしまったようだ。そして、また夢を見た。あの夢だ。」

何回も続いている。流石におかしいと感じていた。


「私も・・。結ばれた日と出産と。そして今日はとても悲しい夢でした。」「僕も・・全く同じだ。」二人で見ていたのか?顔を見合わせる。


「もしかして・・もしかしたら・・クロはあの日、平安時代から来て、

元は東宮様とお妃様の飼い猫だったのかしら?」突飛な考えだったが、そう考えるとすべてがすんなり収まる気がした。


「だとしても、なぜ僕らがこんな夢を見る?・・みぃやの想いが、こんな夢を見させているのか?」笛の音に誘われるように。いや、もしかするとこの笛も、東宮様のものなのか?


「帰りたいのか、お前?」融がそう聞くと、にゃー。ピンとしっぽを立てて、まるでそうだと答えているように入口へと歩いて行く。


そしてだだっと駈け出した。


融と瀬奈は、その姿を追いかけた。すると、あの雷で裂けた楠に登って、そしてみぃやは、はるか上空を見上げていた。




後編へつづく


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