アレクサンドリア図書館にて
本稿は、最低限の骨組みだけで表現されています。
魔導書について、図書館の怪、図書館探索、犯罪者の過去、各自の意見、ラストバトル。
魔導書というものがある。
黒魔術に関して最も奇想天外であると言われる「グラン・グリモワール」
バイエルン州立図書館に収蔵されている「ミュンヘン交霊術手引書」
天地のすべてを知るラジエルが書いたという「天使ラジエルの書」
北欧の呪術を書き記した「ガルドラボーグ」
賢者の極みと呼ばれた「ピカトリクス」
これらの書物は世界中の魔術師が求めてやまない知識の源泉である。
◇◇◇
俺と、ユーコフ、カナリアの3人は、図書館司書の服を借りて着用している。
図書館の仕事は覚える事が多いので、メモと館内地図が欠かせない。
ヒラヒラとした服は書籍の運搬に支障がある可能性があるので、厚手の生地である。
紙魚という虫を駆除するので殺虫剤で汚れてもかまわないように黒い服。
本に不用意に手あかや指紋をつけないように、常に手袋をする。
そして、広い図書館で迷子になっても戻れるように、位置がわかる魔法具、発振石を着用する。
簡単に言えば、ブレザーの学生服を着ているのである。
学生服の上から、胸までしか丈のないちいさなマントを掛けている。
これは服の中に埃が入りにくいようにする工夫なのだそうだ。
「この図書館の書庫には殺人犯が収容されているのです。前任の館長が辞書を編纂するにあたって、最も優秀な人を募ったのですが、殺人鬼だったので、警察と取引をして、書庫に監獄を作り、そこで辞書の編纂のための用例を集めさせているのです」
そう説明してくれるのは、現館長のサワコさん。
「収容されている殺人犯の名前はメイヤー。60歳。凶悪な男ですが、まだ完成していない辞書の編纂のためには必要な人材なのです。しかし、辞書の作成が終われば、死刑となる予定です」
なるほど、であれば怪異はそのメイヤーが?
「メイヤー自身は独房の中で黙々と編纂作業を行っています。問題なのは『ビブロス』と呼ばれるモンスターです」
モンスター退治ですか。
「紙魚という虫がいるのはご存知ですね?紙を食べる小さな虫です。ビブロスは紙魚の中でも魔導書を中心に食べたものが変化したものと言われています。現在メイヤーのそばには大型のビブロスが発生しており、メイヤーへの食事供給が滞っているのです」
なるほど、それは困りましたね
「辞書の完成は国家的プロジェクトです。是が非でもビブロスを倒し、メイヤーの仕事を続けさせていただきますよう、お願い申し上げます」
サワコさんは人差し指と中指をクロスさせる。
たしかこれは、いい知らせを待っていますというハンドサイン。
がんばっていこう。と、俺たちは思った。
◇◇◇
1階通路を歩きながら作戦を練る。
「カークはビブロスを見たことはあるの?」ユーコフは少し不安そうだ。
「ああ、あるけど、本当に弱いモンスターだよ。館長さんがあんなに不安になることは無いはずなんだよね、ビブロスも狩れない図書館司書なんていないはずだし」
「きっと突然変異ビブロスなのよ」とカナリアが言うが
「ビブロス自体が突然変異なんだよ、でも魔導書を食べた紙魚というのはよくある話なんだけど、魔導書の種類によっては相乗効果で大きくなる可能性はあるね」
「ほらあ!」カナリアが得意げである。
「なんにせよ、時間はあるんだ。慎重に進めよう」
◇◇◇
1日目
ユーコフは、カナリアと絵本を物色していた。
絵本はカナリアでも一瞬で読み終わる。絵がかわいいところが求められているのだろう。
飛び出す絵本の中にビブロスが居たが、かわいいビブロスである。
カナリアはとどめをためらっていたが、ユーコフが無残にたたきつぶした。えらいぞ。
2日目
新刊のエリアを探索した。
新刊なのに紙魚がつくだろうか。ついていなかった。さぼってたみたいなものだ。
面白そうな本をいくつか読んだ。
ユーコフもカナリアも漫画が楽しかったようだ。なによりである。
漫画を食べてビブロス化する紙魚はけっこう居そうだと思ったが、今日ではないだろう。
3日目
「総記」「情報科学」「哲学」「歴史」のエリアを探索した。
「総記」ってなんだ?と思っていたが
「当該資料の主題が複数の分野に属していたり、どの分野にも属さないものを一括して扱っています」と、サワコさんが教えてくれた。
ビブロスは複数見られた。過去の偉人ぽいビブロスだったので、歴史なんじゃないかと思っていたが、これはカナリアがつぶした。
カナリアさんは司書になってくれたらいいわね!と、サワコさんが言っている。
カナリア自身が本大好き!と言ってくれるなら俺もそれは良いと思う。
4日目
ビブロス自体がそんなに強くないということがわかったので、手分けしてビブロスを倒す。
「言語」「文学」「芸術」がカナリア
「地方史」「社会科学」「自然科学」にユーコフ
「技術・工業」「産業」「魔道学」「本館蔵書」がカーク
それぞれ、ビブロスがいそうだな、というところのコツがわかってきたようだ。
しかし、「魔道学」をパラパラと開いていくが、大型のビブロスは出る気配がない。
普段からきちんと処理している証拠なのだろう。
5日目
ユーコフとカナリアには自由に本を読んでて良いと指示をして、書庫監獄のメイヤー氏に会った。
俺がすんなりここまで来れるということは、食事の供給も問題ないのではないだろうか。
メイヤー氏はヒゲたっぷりのガリガリに痩せた男である。
「はじめまして、メイヤーさん」
「ああ、はじめまして、猫ちゃん」
「食事をお持ちしました」
「ありがとう」
その程度のやりとりだったが得るものはあった。
メイヤーはずっと本を読んでいる。おそらく大型ビブロスは、メイヤー自身から生成されている。彼自身が「本の虫」なのではないか。
通常であれば、人間がビブロスになることは無い。しかし、きっかけと魔術が重なれば。
彼は殺人者で、魔導書を読むことができる。
おそらく、彼の殺人の被害者にビブロス化の原因があるだろう。
6日目
ユーコフとカナリアは引き続き自由な読書タイム。
俺は犯罪史と新聞を読み進めた。当然メイヤーの犯罪についてである。
メイヤーの犯罪被害者の中に、館長の娘がいたことを発見した。
読書タイムはやめ、作戦タイムに切り替えだ。
会議室を借りて、ホワイトボードの前で二人に話をする。
「今回のビブロスは、人間の魂を食べていると思う」
ユーコフとカナリアを呼び寄せて、現状のすりあわせをした。
ユーコフやカナリアのような子供に凶悪犯罪の知識を与えると、トラウマになったり、ショッキングな内容に脳の成長に悪い影響を与えたりする。
という可能性もあったのだが、秘密にするよりは意見を聞きたいと思った。
「そういえば、ユーコフって何歳なんだ?」
「14だよ」
「そうかあ。こないだ話をした、俺のかたきうちの話があっただろう?」
「騎士のナナバを追っているんだよね」
「そうだ。俺としては、ナナバを発見次第果し合いをして決着をつけたい。ナナバが憎くてたまらない。そう思っている。あれはちょうど俺が14歳の時だったよ」
ユーコフはそう聞いて、少し姿勢を正して話を聞き始めた。
「今回の犯罪者メイヤー。メイヤーには被害者の霊が復讐したくて、虎視眈々と機会を探している。被害者は3名、どれも若い女性だ。メイヤーは、メイヤー自身のみだらな欲望を満足させるためだけに少女を拉致し、犯行に及んでいるようだ」
あまり犯罪そのものの詳細は語らないようにしようと思っている。
「そして被害者の中にこの図書館の館長、サワコさんの娘さんがいる。館長さんの憎しみ、恨みは相当なものだろう。そして、館長さんが憎むこころと被害者の娘さんたちの復讐心と、メイヤー自身の贖罪意識、あるいは再犯したいと思っている意識。そういったものが絡み合ってビブロスが生成されている。
俺は過去に親を殺されて復讐したいと思っている。俺が館長の立場なら、次の週には毒を盛っているだろう。それがバレたとしてもかまわない。後の事より復讐心を満足させることを優先するだろう。それなのに彼女はそうしなかった。なぜだろうな。」
ここまで説明すると、各自の意見はどのように出るだろうか。
ユーコフが言う。
「僕がメイヤーだったら、そんなに色々な人から恨まれているんだから、早く死にたいと思うんじゃないかな?
過去の犯罪の罪をつぐなうためでも、独房でずっと仕事をさせられて、いつ殺されてもおかしくない状況なら、早く殺してくれと思う気がする。
逆に館長さんなら、永遠にこの苦しみを味わい、娘さんが感じたような絶望感のまま死んでほしいと思う気がする」
ひどいやつだな。しかし、整合性はとれている。メイヤーが現在生きているという理由にも、納得できるものを感じられる。
カナリアが言う。
「私が館長さんなら、書庫に閉じ込めると同時に、何か追加で呪いをかけていると思うわ。
政府にバレないように、もっとメイヤーが苦しむように。
もしかしたら巨大ビブロスは館長が産んだ怪物なんじゃないかな?」
うーん一理ある。食事を満足にとれないというが、俺は持っていくことができた。
最低限の食事はビブロスが調整しているのかもしれない。
「二人とも良い意見だと思う。特にユーコフ、被害者の立場と加害者の立場両方を思いやろうとしているのは答えに近いかもしれない。ありがとう。
俺が考えているのは、館長自身が辞書の編纂に対して生涯をかけて取り組むようになった可能性だ。
辞書の編纂というのは、非常に難しい事業だと言われている。言葉を使うことは簡単だけど、その言葉を定義するのは難しいことだから、国がその事業を行うということは、言葉をあつかう文化のために、とてもとても重要な仕事なんだ。
前任の館長が認めたほどに優秀な能力をメイヤーが持っていて、非常に精力的にそれに取り組む。
サワコ館長が黙々とはたらくメイヤーの仕事ぶりを見ることで、逆にメイヤーを尊敬してしまうことがあるかもしれない。
そして、娘の仇であるメイヤーを憎む想いと、尊敬してしまう想いが存在することによって、その矛盾を解消するためにビブロスが出たのではないかということだ」
と、言ってみたのだが……
「「そんな事ある?」」
「ちょっとそれは美しすぎるんじゃないかな」
「メイヤーのかわりなんていくらでもいるわよ!」
二人には不評である。まあ、わからなくはない。恩讐の彼方に互いを理解し合うというのは美しすぎる気はする。美しいのだが。あくまで犯罪者は犯罪者という気もする。
しかもメイヤーの場合はやむえず、ではなく暴虐的で自己中心的な性犯罪だから、俺の感情としても、酌量の余地はない。これは希望的観測が過ぎるのだ。
「確かにそうだ。色々と思いやりが必要かなと思うふしもあるが、とにかくビブロスを倒そう。それが依頼だしな。ビブロスを倒すことがどういう結果になるか、乞うご期待だ」
ビブロス退治の準備を行い、満月を待った。
◇◇◇
メイヤーの独房は、書庫の一番奥にある。
書庫はハンドル操作で本棚を移動できる。
ハンドル式スタックランナーという方式で書棚自体を動かしながら、独房までの道を開く必要がある。
書棚の一番奥の奥、最後のハンドルを操作すると、ようやくメイヤーの独房への道が開かれる。
窓からの月明かりは書棚を薄暗く照らし、手元のランプは書棚に大きな影のゆらめきを作る。
書庫のハンドルを回すと、魔獣の威嚇音が聴こえる。
「ガルルル」
「グルルル」
「ガルルルル」
ハンドルを回すごとに、威嚇音が大きくなっていくようである。
「ガルルル」
「グルルル」
「ガルルルル」
書庫の上に、三体の大型の獣があらわれた。
青白い身体、二本の大きな角。
これが、ビブロスか。
◇◇◇
ビブロスたちは、俺たちそれぞれを個別に倒すつもりらしい。
こちらは事前に空中へ飛ばしておいた針凧で、一体の息の根を止める。
カナリアは目前の脅威がなくなったので、ポーチの中からサポート道具を出す。
光源となるライト、ビブロスは乾燥と熱気に弱いので、強い赤外線を当てることで弱らせることができる。
ユーコフは、肉体強化の秘法を使っている。
ビブロスが毛深い猛獣だとは想定していなかったが、とっさに出た対策としては良い方だと思う。
俺は短刀を魔光エネルギーで纏い、接触面を異次元に飛ばす。
場合によってはビブロスが魔法を使うこともあるのだが、今回のビブロスは直情タイプ。
真っすぐにしか襲って来ないようだ。
ビブロスの首を難なく落とし、ユーコフを見やると、彼もビブロスの喉を噛みちぎっていた。
「パサパサしてマズイ」
それはそうだろう、もとは虫だもんね。
さて、メイヤーはどうしているだろうか。
◇◇◇
書庫のハンドル操作をすべて終わらせ、メイヤーの独房までたどり着くと、
そこにはすでにこと切れたメイヤーの遺体があった。
◇◇◇
翌朝、サワコさんたちが確認すると、不思議な事にメイヤーは1か月以上前に死んでいたようだ。
そして、死後一か月以上の間も、メイヤーの提出する辞書編纂のための書類は滞りなく上って来ていたという。
俺が話をしたメイヤーはなんだったんだろうか。
「メイヤーが私の娘を殺した仇だということは、はじめからわかっていました。私がこの図書館で働きたいと希望したのも、メイヤーに復讐するためだったのです。
しかし、彼が提出する報告書、単語の用例集は、いつも唸らせる内容ばかりでした。現代的な用法だけでなく、古典的な用法にも触れて、語源をイメージできる用例を正しく。正しいかどうかはもちろん私の主観ですが、正しく出しているようでした。
そのため、彼に対する復讐はずっと保留にしていたのです。
いつしか、彼の報告書を楽しみにするようになっていました。
彼自身がビブロスとなって辞書編纂を最後までやり切ろうとしたのに、その夢を途切れさせてしまったのでしょうか?」
館長の言葉に、確証はないながらも答える。
「ビブロスは3体いました。彼の被害者の数も3名です。被害者自身が彼がもっと働くように突き動かしていたのではないでしょうか」
サワコ館長は、少し考えて笑顔を見せてくれた。
「そうね、娘と一緒に辞書を編纂していたのかもしれないと思うと、娘を誇れるような気もするわ」
◇◇◇
カナリアは不満そうだ。
「メイヤーが書いたところは全部私が書き直すから捨てなさい!」
と、館長に詰め寄っていた。しかし、メイヤーのメモを少し読んで衝撃を受けたらしい。辞書編纂はあきらめて、少女向けの本に向き直っていた。
ユーコフは知った風なことを言う。
「これでカークも復讐をやめようって思えるようになったんじゃねえの?」
イラっとしたので頭をはたいた。
「痛っ」
みんな、満足いくまで本を読ませてもらった。
わりとすぐ飽きたのでみんなで汐見小屋に戻った。
魔導書を持ち帰ったりはしなかった。
互いの居場所がわかる魔道具、発振石をお土産にもらった。
おしまい。
お読みいただきありがとうございました。
魔導書について、図書館の怪、図書館探索、犯罪者の過去、各自の意見、ラストバトル。
オックスフォード英語大辞典の編纂、菊池寛「恩讐の彼方に」、FF5の敵ビブロス。
その他の詰め合わせでした。
キリンさんありがとう、ゆる言語学ラジオさんありがとう。