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35「意地と矜持」

 どうぞ。

 敵は死人だ。生前の姿があることは知っていても、もう蘇ることはないと割り切れた。何より、俺の手はすでに汚れてしまっている。死人を何人倒そうが、後でいくら後悔することになろうが……後戻りはできない。


 しかし、彼女にそれを強要することはできなかった。


「お姉ちゃん……リリ姉ぇ! なんでそんなやつに……!」

「生前から強かったから、ぜひ欲しくてね。強めの酒と、抱かれる快楽でとろかして、かなり頑張ったよ。強さは健在だ」

「志崎ッ、お前……!!」

「姉妹で仲良く僕のものにならないか? 悪い取引じゃないだろう」


 瞬時に飛びかかった剣が、刀に受け止められた。


「邪魔しないで!! こんなっ、こんなやつに……!!」

「死人を操るのは、状態異常でもなんでもない。単純に「操作を受け付けるから」って理由でしかないんだよ。対応したリモコンで動かない機械なんて、不良品じゃないか」


 輝く剣は、しかし闇の刀にことごとく止められていた。打ち合うたびに傷付いていく少女は、あまりにも痛々しい。


「ふざけんな、この野郎!」

「さて、君の方も終わらせないとな……おっと、空間操作はやめるんだ。彼の足首が断裂して消えてしまうよ?」


 ごく小さく展開したゲートが一瞬で狭まり、足首ががっちりと固定されてしまった。トラは歯噛みしているが、実際に言われた通りになるしかない状況である。


 いまだ倒れていない波瀬の銃弾を、ギリギリ〈流刃〉で受け止めている。


「足掻くなぁ。そのスキルも、痛みで集中が途切れれば使えなくなるかな?」

「ぐ、がぁ……っ!!」


 狭まっていくゲートに挟まれた足首が、ぼりんと音を立てた。関節が外れたかのごとき激痛が走り、足首があるのかないのかさえ分からなくなる。


「今の音、骨だろ? 諦めてくれ、直すのは大変なんだ」

「誰、が!」


 ついに、防ぎ損ねた銃弾が腹に突き刺さった。


「っ、ぐ」

「頭に入れれば死んでたんだがなぁ。まあ、心臓を狙おうか」

「ん。させない」

「魔法は、専門外……!」


 どうにか防ごうとした二人は、志崎の放った悪霊めいた煙に吹き飛ばされた。


「僕は後衛でね。武器を瞬時に作れるって以外には、前衛に向いてないんだ」

「充分だろうが……」

「その義憤。僕のために活かしてくれ」

「やめるのじゃ!!」


 あえなく吹き飛ばされたトラは、ごろごろと転がる。


 最期の瞬間まで、決して堕ちるものかと志崎をにらむ――


「よっしゃー完全体! お姉ちゃん復活っ!!」

「は?」


 激しく切り結んでいたはずの剣士二人が、両方止まっている。


 がっくりとうなだれた羽沢さんの黒髪が、真っ白く染まる。バレリーナ風の鎧が空気に溶けるように消滅し、中のレオタードがにじむように黒く灼け、不可思議な刺繍が走った。


「なんだと……?」

「べーだ。あんたに渡すものなんてなんにもないもーん」


 放たれた銃弾が逆戻りし、波瀬は脳天を撃ち抜かれて倒れた。


 和装のような、あるいはセーラー服のような外装が追加されたかと思うと、山伏のような羽織がふわりと被さる。何がなんだか分からないが、何かが起きていた。


「〈怨冥剣士(おんみょうけんし)〉、羽沢リリナ。帰ってきちゃったー!」


 真っ白い髪と黒いコスチュームの羽沢さんが、ぶっ壊れたテンションで笑っていた。


「魂の上半身だけ切り離すの大変だったわー、もーいや。ジョブの性質、本体に残っちゃってるし!」

「おんみょう、……?」

「妹と仲良くしてくれてサンキュー、こみっちくん! 話は、あと!!」

「ぐわっ!!?」


 オーラが触手のように変形し、志崎を掴んで放り投げた。そして、動き出した死人と目にもとまらぬ剣戟を交わす。


「あんたの語る幸せって、あんたのエゴだけでできてるのよねー。家族に捨てられたこと、噂のせいで孤立したこと、酔っぱらっていろいろ話してくれたけ、ど!」


 どす黒い剣が舞い踊り、自分の体だったはずの死人を切り刻んでいく。


「面倒見てくれたおじさんのこと、忘れて! 下半身で突っ走ってただけでしょーが!」

「僕の大事な人は一人しかいない。だが幸福はみんなのものだ! ならば、自分を救いながら他人を救うしかないだろう!」

「前提が違うだろうが……!」

「罪を犯した僕に、二度とチャンスを与えないとでも言うのか!?」


「「違うッ!!!」」


 声が重なった。


 志崎の思考は、あくまで自分本位に動いている。あの港町で過ごした幼少期が自分を歪ませたと――自分は被害者であり、やり直しの機会を与えられなかったと考えているのだろう。


「幸せがセックスしかないって? 価値ある人生は今終わることって? ちょっとでも今を味わってから言えっての!」

「誰に報いようともしないで、何が“救い”だ……! 犯して殺して、いったい何をやってたつもりなんだ? お前が気持ちいいだけだろうが!!」


 死人が岩に叩きつけられ、粒子状にほどけていく。


「おっと、妹が起きるころかなー。じゃ、あと頼んだよ!」

「任せてくれ。何とかする」


 ふくらはぎの上に〈流刃〉を巻き付けて、感覚のない足首を放置したまま、義足代わりに使う。足に同期させるようにと考えただけで、だいたいその通りになった。


「……はっ!? お姉ちゃんは!?」

「一瞬戻ってきて、自分を倒してたよ」

「え……っと?」

「敵はもうあいつだけだ!」


 手札を失い、MPもほとんど使いつくした志崎は、健在ながら手の打ちようがない様子だった。


「くそっ、調整中だが……! 出てくるんだ」

「ゆきみん……やっぱり」


 ぶつぶつと何事かをつぶやいている雪見さんの状態は、先日の波瀬さんと同じだった。戦闘開始とともに格納して調整していたようだが、間に合わなかったようだ。


「マナを補充するんだ、早くしろ! こんな低レベルの雑魚に……イレギュラーがあろうと、負けるはずがないんだ!」

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