2.村山龍香(その1)
暗殺者として特定の組に所属はしてないが、裏社会において名を馳せ金さえ積めばどんな人間でも斬る辻斬りとして知られる桃髪の女村山龍香。
しかし、彼女が暗殺稼業に手を染めるまでの道のりを知る者は誰もいなかった。
…時は17年前。当時の龍香は小学生だった。
「年度末の学力テスト返すよー。」
年度末には学力考査が行われる。一枚の紙に国語と算数の点数が書かれ、用紙は返されず点数のみを通達される形であった。
「村山さん…すごいね。今年もどっちも満点か。ところで、いつも一人で誰かと遊ぶわけでもなく放課後残ってるみたいだけど」
「先生。テスト返すだけですよね。下校時間を守っている限り放課後どうしようと私の勝手だと思いますけど」
「ムッ…まぁでも貴女の言う通りね。何かあったら親御さんに相談して」
「相談したってどうにもなりませんから」
そう言い切って、龍香はテストの点数の通達用紙を受け取ると足早に教室に戻ってしまう。生意気な生徒ではあるが、担任はこの少女のことが気になっていた。
放課後いつも学校に残っているがクラブ活動に勤しんでいるわけでも誰か特別仲のいい友達がいるわけではない。連絡帳は真面目に書くが、親が見た痕跡は殆どない。何より冬でもないのに小学生には似つかわしくない長ズボンを年中履き、頬には治そうとした形跡も見えない深い傷跡があり顔にはいつも絆創膏が貼ってあったり半袖になったときに露になる腕には痣が浮かんでいた。しかし、それほどの外傷を常に負いながら学校でいじめを受けている、という報告もない。そして、何を言うことも彼女はなく問いただそうとしても強めの言葉で会話を打ち切ったり上手にはぐらかしたりして彼女の真意を知ることは担任の教師はできなかったためだ。
「4時か…帰るしかないか。」
彼女が家に帰ろうとしない理由は極めて簡単であった。親と顔を合わせたくないからである。
連絡帳も学校のテストも、親にはただの一度も見せていない。玄関の扉を開けると猛烈なアルコールの臭いが鼻につく。昼から酒を飲んでいたのだろう。
「龍香ァ!テメェまたこんな時間まで!」
「昼から酒飲んで母親殴る奴の面誰が見てえんだよ言ってみろよ。母さんは夜遅くまで働いてんのに恥ずかしくねえのか!」
「んだとコラァ!」
龍香の父親は彼女に拳を振り上げ殴打する。しかし、彼女にとっては最早父親がいるときは当然のこと。そう、日常的に虐待を受け続けていたのである。彼女の頬の傷や体の痣は全てこの男の暴行によってできたものだ。
彼女は父親のことを尊敬したことなど、ただの一度もなかった。毎晩夜遅くまで働き、自分の養育費を出しているのは母親であることを10歳にして理解していたからだ。しかし、母親に感謝こそすれど龍香は母親が好きなわけでもなかった。
父親が家から出て数時間後。夜も更けたころ、母親が帰ってくる。
「ただいま…」
「母さんか。あいつならいないよ。ご飯も作っておいたし、私寝るね」
「龍香、ごめんね…」
「お小遣いくれてる分の奉公だしいいよ。っていうか謝る前に早く離婚して。あのクソ野郎と離婚しないなら私中学卒業したらこの家出てくから」
とても小学生の子供が言う台詞とは思えない台詞だった。その言葉に対して、母親は決まってこう言う。
「でも、あの人は貴女のお父さんなのよ」
「あんな奴父親じゃないよ。お父さんだなんて呼びたくもない」
そう吐き捨てると、彼女は母親との話は打ち切りとばかりに寝てしまう。母親が嫌いな理由は明らかに父に非がある中でただ頭を垂れすすり泣くだけの母親の事も軟弱な人間として見ていたからであった。それでも母親のために家の家事は行っていた。小遣いをくれる分のお返しである。
そんな荒んだ家庭環境で育ち、彼女は中学校へ進学した。そして中学二年生の時、事件は起きた。
いつも他の女と遊び歩き、夜は家に帰らないはずの父親が何故かその日は家にいた。他の男と一緒に座り卓の上には酒のボトルと札束が置かれている。良からぬことを考えていたのは、明白だった。
「んじゃあ拉致っちまえばいいんだな。」
「ああ、俺んとこのクソガキてめえんところに引き取って貰うわ。顔だけはよく育ってくれたからなぁ、きっといい売女になるぜ」
何を話しているのかを龍香は察した。自分を訳も分からないヤクザに売り渡して、風俗店で金づるとして使い潰す気であるということを。線が繋がった時、彼女は包丁を握りしめ父親の懐に潜り込む。
「な、に、て、め…」
力なく振り上げられた彼女の父親の拳は彼女に触れることもなくだらりと落ちる。
「あんたも同罪だ。」
そう龍香は言い放ち、話し相手の男には首に向け包丁を突き刺す。抵抗さえも男に許さず男もまた倒れた。
これが、彼女にとって初めての殺人だった。
「チッ。しかしこいつらどうするか」
そうすると彼女は家の物入から鋸と鉈、スコップを取り出しその変わり果てた姿の男二人を地中に埋まるよう解体することを試みた。相手がどのような人間であれ、人を二人殺している。事情が分かってしまえば少年刑務所行きが免れられないことはよくわかっていた。
自分が悪いとは思っていない。やらなければこちらがやられていた。しかし、究極の理不尽を二人に浴びせかけた事実を咎められることは彼女はわかっていたのだ。
しかし、タイミングが悪かった。筋肉質であった連れの男はすぐにバラせたのだが彼女の父親は肥満体質であり、鋸がなかなか入らない。苦戦していたところに、だ。
「りゅ、龍香…なに、やってるの?」
「母さんか。どうも私を金づるにしたかったみたいでね。正当防衛だよ。」
母は龍香を咎められなかった。と、いうより取り返しのつかない事態になってしまったという感情が勝っていたのだろう。人の道を歩む者が行ってはならない娘の行為を、ただ膝をつきながら眺めることしかできなかった。
そして翌日。母親もまた、変わり果てた姿で龍香が父親を殺した部屋で倒れていた。遺書を一枚残して。
「『私は貴女を助けられなかった』…助けられるわけなかったろうが。助ける力なんてあったら、あんな男とは決別していただろうが。」
そうして、彼女は机の上にあった札束を懐に入れた。そして。
「袋詰めにして埋めるにも車もないし流石にこの人をバラすのは気が引けるな…あの野郎が手入れしてないおかげでこの家がボロくて助かったな。漏電火災ってことにしとけば死体は焼き払えるだろう」
家が燃えているという通報が入り、夫婦の焼け焦げて元の状態も判別不可能な死体が発見されたのはそれから数時間後の事だった。出火原因は漏電による火災、家の老朽化により瞬く間に燃え広がり家にいた夫婦は焼死という調査結果が挙げられた。その家の一人娘は学校に登校していたため無事である...と見られていたが実態は違った。
娘は学校に登校せず、かと言って家にもいなかったのである。そして警察が隠ぺいした事実がもう一つあった。
出火時刻と思しき時間と、検死結果の死亡時刻とに著しく差があったのだ。