2-2話:
O県柏原高校は、特別進学校というわけではないが、偏差値はそこそこ高く、自由な校風がウリだ。
さすがに私服登校は不可だが、髪を染めたり、ちょっとしたアクセサリーを付けた程度で校則に引っかかることはない。
授業中にさえ持ち出さなければ携帯電話も許可されているなど、割と学生の自由に任されている。
が、唯一の決まりというか、暗黙の慣習というのが存在した。
部活動である。
入学すると部活見学なる期間が設定され、入部届け片手に無理やり部活を梯子させられる。
一応、帰宅部という選択もできなくないのだが、面談という名の圧力により、相当気の強い生徒でなければ、事実上の強制といっても過言ではなかった。
どうやら先代校長の方針らしく、「学生は学生の間しかできないことをするべし」とかなんとか。
アルバイトが禁止されているのも、この辺りの理由からである。
しかし、所詮は半端な県立校だ。気合いの入った部活など、そうそうあるものではない。
で結果、謎の部活が乱立するという現象が起きていたのだった。
放課後である。
今居るのは北校舎、四階の端っこだ。
喜一郎は、ボランティア部と書かれた部室の前で悩んでいた。
(停学、か。あの女なら、密告すくらいは当たり前にしてきそうだが)
停学が痛いとは思っていない。
学校はつまらないし、内申など興味もない。
クラスでの評価は気がかりだが、元々ないに等しいともいえる。
いまさら、一桁得点の上下を気にしても仕方ないだろう。
(問題は、あの女がどこまで本気か、か)
別れさせ屋、というだけではない。
堂々と教室に乗り込んできたり、手段を選ぶタイプには見えなかった。
喜一郎は、親に反対されながらも一人暮らしをしている。
しつこくあの手この手で絡まれ、最悪、その辺りをつっつかれることも否定できなかった。
「行くしか、ねえか」
軽くノックして、返事を待った。
「どうぞ、開いているよ」
大きく深呼吸して、ドアを開く。
ええい、勢いだ、勢い。
舐められるとロクなことにならない。そう意気込んだ喜一郎は、奇妙な光景に脚を止めてしまった。
「どうしたんだい? 中に入らないのかい?」
内装が奇妙だったというわけではない。
長机が置かれ、向かい合うように椅子が並べられている。
物は非常に少ない。隅にある、布のかけられた絵画用のイーゼルだけが浮いていた。
まあ、それはいい。いいのだが。
「なんだ、その格好」
歯切れが悪いのも無理はない。
朽木はなぜか、トレンチコートを羽織り、ディアストーカー帽を被った上で、キセルを咥えていたのだ。
まるで、往年の探偵映画のように。
滑稽を通り越して、実に珍妙だった。
「いやなに、こうした方が理解しやすいかと思ってね」
「……理解だと?」
「そうだよ。だってキミ、怒ってるだろう?」
朽木がトントンと対面の椅子を示す。
座れ、ということらしい。毒気を抜かれ、渋々席についた。
「さて、飲み物はいるかい」
と、朽木が席を立った。
「いらねえよ」
「それはよかった。ここにはブラックコーヒーしかないからね。走って買ってこいと言わずにすんだよ」
「……そうかよ」
買ってくるのは喜一郎らしい。
どこまでも人を馬鹿にした女だった。
「ちょっと待て。お前、ブラック飲めるのか?」
「もちろんだよ。キミみたいな甘党と一緒にしないでくれ」
「あ、甘党っ……って、そうじゃねえ。この前はクレープで甘いのが良いって」
「ああ、アレか」
お湯を沸かしていた朽木がふりむく。
猫撫で声でうっとり言った。
「実はオカズクレープの方が好きなの、私」
喜一郎は激しく舌打ちした。
「ふう、ひどいな。ウケはいいんだよ。このぶりっ子キャラ」
「相手が知らない間は、だろ」
「それはそうさ」
インスタントコーヒーを注いだ朽木は、そっと口をつける。
顔を歪めないところをみると、本当に猫舌でも、甘党でもないらしい。
とんでもないクソ女だった。
「さてと。くだらない雑談はこのあたりにしよう。で、聞きたいことは?」
「その前にまず、言うことがあるだろ?」
喜一郎は、低い声で言った。
眉間に皺が寄っていく。
結局、ことここに至っても細かい説明の一切を受けていない。
これで譲歩を引き出せると思っているのだろうか。
言われるまま入部する気はさらさらないが、何も知らないまま引き下がれるわけもない。
何を思ったのだろうか。
朽木は、ああ、と両手を打った。
「なるほどね。つまりキミはあやま――」
「そうだ。別れさせ屋なんざやっている理由を教えろ。それと、この前のこともな」
一瞬、朽木は動かなくなった。
「えっと、そっちなのかい?」
「はあ? それしかないだろ」
「……そうなの、かな。私が変なのかな」
朽木はしきりに首を捻っている。
とぼけるつもりか。イライラして、貧乏ゆすりをした。
「別れさせ屋。あの後、それについて調べた。結果、わかったことがある」
「……」
「別れさせ屋は、違法。つまり、犯罪だ」
それは、ネットで調べた結論だった。
陽希の話は氷山の一角だったらしい。
多額の報酬を受け取っておきながら、実際にはまるで働かなかったり。
人の背後をつけまわして、それで警察の厄介になったり。
挙句の果てには、依頼内容次第では依頼人からも金銭を脅し取ったり。
出るわ、出るわと。
この女も十万を受け取っていた。
つまり、犯罪者である。
「お前は、オレを道具にして二人の仲を裂いた。オレのことはとりあえず水に流してもいい。だが、お前のやっていることは犯罪というだけじゃない。倫理に悖る、最低最悪の行為だ。それも、自分の欲望のために、心を弄ぶなんてな」
人の想いを。
願いを足蹴にするなど、反吐の出る行為だ。
喜一郎は吐き捨てる。
「これは正義感、なのかな……?」
なぜか朽木は訝しげに観察してきた。
「聞いてんのか」
「ああ、えっと。まあ、そうだね。ふむ、どこから訂正したものか」
朽木は、組んだ腕を指で叩いた。
「色々突っ込みどころはあるんだけれど。そもそもキミは、別れさせ屋という職業を根本的に誤解しているみたいだね」
「誤解?」
「そうさ。そもそもキミは、別れさせ屋というのを一個の職業だと思っていないかい?」
「どういうことだ」
「つまりだね――」
朽木はキセルで帽子のツバを持ち上げた。
「別れさせ屋とは、探偵の一種なのさ」
脚を組み直した朽木は笑みを浮かべると、とうとうと別れさせ屋の正当性を語りだした。
別れさせ屋とは、業務上探偵業等という区分に分類されること。探偵業を営むには、行政に届け出をしなければならないこと。むろん、朽木の所属する会社も認可を受けて業務を請け負っていること。
「そしてそもそも、探偵とはどんな仕事だと思う?」
「あ? そんなの、アレだろ。殺人現場に乗り込んで、犯人を言い当てたり」
「残念、それはフィクションの話だね。世間一般の探偵は、足で調査がほとんどさ」
彼女が言うところによると、浮気調査や猫探し、人探しが探偵業のほぼすべてであるらしい。考えてみれば当然だが、警察が探偵という見ず知らずの人間を現場に引き入れるはずもないのだ。
朽木はつまらなそうにキセルを弄ぶと、ディアストーカー帽を乱雑に投げ捨てた。
「そしてもちろん、別れさせ屋の仕事のほとんども、尾行がほとんどだ。浮気現場を撮影したりとね。キミの調べたことは、かなり例外的な話なんだよ」
「……なら、構わないってのか。その、無理やり肉体関係を結んで、別れさせるってのが」
「それこそ勘違いだよ。その手の手段は、いわゆる管理売春に当たるからね。接吻でさえ、依頼者に提示することはできない」
もちろん、匂わせることはするらしい。そのような雰囲気を作り出し、気を引く方法は何度も取っていた。
ある種の信頼ゆえだろう。喜一郎に対し、あれだけ無防備だったのは、自分から何かできないと確信を持っていたというのだ。
「これでわかっただろう。探偵は違法じゃない。なら当然、別れさせ屋も違法じゃないのさ」
喜一郎は唸った。
たしかに、一定の理解はできる。一口に会社といっても海千山千だろう。
コンプライアンスを遵守する会社。
利益至上主義の悪徳会社。
世の悪評がそっくりそのまま、犯罪者・その予備軍であるというのは過ちなのだろう。
しかし、気になる部分はまだあった。
「オレは、まだ納得できねえな」
「どうしてだい?」
「心なんて絶対不可侵なものを、金次第でもてあそぶなんて、最低だ」
「なるほど、道義的な問題か」
朽木はふむと頷くと、ピースをした。
「ということは、納得してくれたようだね」
なんでそうなる。
椅子からずり落ちそうになった。
「頭おかしいのか、お前?」
言葉が辛辣になる。
朽木はあからさまな嘘泣きをはじめた。
「ううぅ、ヒドイよ喜一郎くん。私のこと、そんなに嫌い?」
「……そのキャラ、次やったら目玉くり抜くからな」
「嬉しい! 喜一郎くんの部屋に私の目があるなんて。私たち、いつまでもずっ恋だよ」
「てめぇ」
「なんだい、早くやりなよ。目玉、くり抜くんだろう?」
朽木は鼻で笑った。
できっこないとタカを括っているようだ。
まあ、それはそうなのだが。
目をパッと開いているのがひたすらうざい。
うぐぐと喜一郎は唸った。
「で、これで終わりかい? なら――」
「ちょ、ちょっと待てよ。そう、そうだ。まず、この前の事件について聞いてねえぞ」
「話すことはないよ。守秘義務に違反するからね」
「あれだけ喋っておいてか」
「なら十分だろう。そもそも、事件の概要は理解できているはずだ。今さら、もう一度聞きたいのかい? 私と君との馴れ初めから」
「……まあ、たしかに」
若干、引っかかるものがないでもない。
例えばそう、なぜ喜一郎だったのかとか。
まあ、手近だっただけかもしれないが。
凹むだけな気がして、その疑問を胸にしまった。
「いや、それだけじゃねえ。金、あの金はなんだ。十万とか言ってたが、それはぼったくりすぎなんじゃないか」
「言うに事欠いて、まさかお金かい? ふう、まったくみみっちい男だね」
「みみっ……! いや、落ち着けオレ」
どの口が、と一瞬視界が赤くなった。
首を振り、冷静にと言い聞かせる。
「そもそも、お前は大事なことを端折りすぎだ。もっと詳しく聞かせろよ」
「別れさせ屋の正当性は説明しただろう?」
「まだ、納得したわけじゃない」
「そんなの知らないさ」
朽木は大げさに肩をすくめた。
「キミがどう思うかは体験してみればわかるだろう。百聞は一見にしかず、と言うしね。ということで晴れてキミもこの部活の一員だ。おめでとう筵田くん」
「はぁ! 何を勝手にっ」
喜一郎は慌てて立ち上がる。
しかし、あくまでも朽木は余裕のままだ。
「停学と部活従事、どちらが幸せだい? 考えるまでもないと思うけどなぁ」
「ぐっ」
「あーもう最初からこうすれば良かったよ。ちまちま説得するのは手間ばかりで面倒なことこの上ない」
「……このアマ」
「目上には敬称をつけるべきじゃないかな? 朽木さまとか、朽木さん、とかね」
「どこが目上なんだよ」
「部歴が長い順に偉いんだよ、知らないかい?」
「芸能界かよ、アホか」
「ふむ、なら偏差値にしようか。私は七十――」
「あぁあ、もうわかったわかった。もういいよ。なんでもいい。入ればいいんだろ、入れば!」
やけっぱちに言い放つと、朽木が首を傾げた。
「あれ、本当にいいのかい?」
「どっちなんだよ」
「ああいや、もう少し粘られると思ってね」
朽木は意外そうに頷いた。
まあ、喜一郎からしてみれば否定するのが面倒になっただけなのだが。
(ま、部活で強制なんざ聞いたことないし。適当にバックれりゃいいだろ)
と、内心でもくろむ。
元々、退部して帰宅部になった前科もある。
こんな口約束を信じるほうが馬鹿をみる。
けれどなぜか、朽木は信用しているようだ。
(やっぱ、変な女だな)
喜一郎は深く腰を下ろす。
そういえばと、一つ疑問を口にした。
「そもそもだが、ボランティア部って何を――」
そのとき、ふと部室の扉がノックされた。
喜一郎よりは大分控えめだったように思う。
朽木は組んでいた脚を揃えた。
「ああ、ギリギリセーフか」
「セーフ?」
「ミッションスタート、ということだよ」
「はぁ?」
顰めっ面で睨んでも何も答えない。
どころか、意気揚々と返事する始末だ。
そろりと遠慮がちに戸が引かれる。
ひょこっと茶色の髪が一瞬のぞけた。
「あの、下松先生に教えてもらって」
訪問者の正体が明らかになる。
知っている人間だ。
心細げに部屋を見渡した少女は、喜一郎を見つけたことで、指を差しながら大声で叫んだ。
「筵田っ!? なんでアンタが!」
その少女は、上日向芽衣。
喜一郎のクラスの委員長なる存在であった。