1-5話:
喜一郎の通う柏原高校の校舎は一風変わっている。
一階に職員室、二階に一年、三階に二年、四階に三年と上がっていくのは一般的だが、なぜか一部教室は北の別校舎に入っていた。
都市再開発にともなうクラス増加と、設備の老朽化が北校舎新設の背景らしい。
しかし、喜一郎のような一般学生は別の意見を持っている。
築十年もない白塗りの壁、
エレベーターに玄関前の自販機、
垂涎の的なエアコン完備の教室。
その学生にはすぎた待遇に、皮肉を込めて、
白亜の塔、と。
まあ、喜一郎以外はそんな呼び方していないが。
象牙の塔に準えたくなるぐらいには、別世界といったおもむきだ。
そしてなにより。
喜一郎にとっては重要な、
あの「国際教養科」が入っている。
つまり、地を這う凡人にとって北校舎は、羨やまずにはいられない、まさに天を突くバベルの塔であった。
――昨日までは、だが。
「チッ」
築三十年はすぎたボロボロの南校舎から、喜一郎は激しく舌打ちする。
北校舎をにらむまなざしは、腐乱死体のように濁っていた。
先日、夜の街路にて。
恋人「朽木氷織」に裏切りを告げられた喜一郎は、思いつくかぎり彼女を罵ろうとした。
しかし、彼女の反応はにべもなかった。
『この私と付き合えたんだよ。むしろ感謝してほしいな』
唖然とする喜一郎。さらに朽木は続けた。
またね、筵田くん、と。
謝罪も、弁明もなく彼女は消えた。
怒りの矛先は失われ、
振り上げた拳はさまよったまま。
待てよとも言えず、
喜一郎はただ見送るしかなかった。
(やめだ、やめ。いまさら、どうだっていい)
頭の中で彼女を塗りつぶし、教室のドアを開く。
静かに窓際の席へと滑り込む。
二年四組は、すでに多くの生徒が各々散らばって、おしゃべりに勤しんでいた。
「アンタたち、またそんなモノ持ってきて!」
「げ、バカン長に見つかった」
「バカな委員長が怒ってるぞ、逃げろ!」
「だーれーがバカですってっ! あっ、コラっ。待ちなさーい!」
逃げる男子を、委員長と呼ばれた女子生徒が追いかける。
彼女は教室の外まで追いかけ、逃げられたことに肩を落とした。
「今日も元気だね、メイちゃん」
「もお八重子。元気なんじゃなくて、アイツらのせいで……って、大丈夫? ひどいクマだけど」
うるさくもまばゆい日常が広がっている。
かしましく騒ぐ女子たち、
くだらないことで盛り上がる男子たち。
朝の挨拶ですら冗談が詰まっている。
そんな中、喜一郎は携帯を取り出した。
ニュースサイトを開き、ただスワイプする。
この行為に意味はない。
ただ、他人を近寄らせないためのものだった。
(はぁ、帰りてぇ)
時の流れから置いていかれる感覚だ。そんな気怠さに身を委ねていると、突然、後頭部に衝撃がきた。
「ご、ごめんなさいっ」
ふりむくと、気の弱そうな女子が頭を下げていた。
寝ぼけていたのか、どうやら鞄が当たったらしい。
携帯を見たまま「別に」と言おうとしたとき、別の人物が駆けつけてきた。
「ちょっとなに筵田、八重子に文句でも?」
「め、メイちゃん。違うよ、私がドジしちゃって」
「ホントなの?」
ガルル、と番犬のようににらんでいる。
空気を自称する喜一郎にとって、敵意を向けられるのは珍しかった。
(オレ、なんかしたか?)
メイと呼ばれた少女は、その小さな背で友達をかばいながらふんと鼻を鳴らした。
「今回は八重子が悪かったみたいだけど。アンタもアンタで、そんな眠そうな顔してるのが悪いのよ。さっさと顔でも洗ってきたら」
「……」
「ささ、行こ行こ八重子」
「えっと、うん。あの、本当にごめんなさい」
二人から目をそらし、再度頬杖をつく。
ボーッと窓の外を見ていると、再び教室が盛り上がった。
幼馴染、島陽希の登場だ。
彼は挨拶を返しながら、喜一郎の前に座った。
「よっ、喜一郎……ってどうした? 元気ないな」
「陽希か。別になんもねえよ」
「おいおい、隠したところで長い付き合いだからわかるって。つか、なんか怒ってねえか?」
「キレてねえよ」
「なんで長州? まあいいや。で、彼女とはうまくいってんの?」
やっぱり聞かれるか。喜一郎は深呼吸して、大きく息を吐いた。
「別れた」
「えっ、今なんて?」
「別れたんだよ。何回も言わせんな」
「………………マジ?」
「嘘なんか吐くかよ」
吐き捨てるよう言うと、陽希は目を剥いた。
「な、なんでだよ! 音楽性の違いか?」
「別に、なんでもいいだろ。つか音楽性って」
「いやいやいや、あんな美人なのになんで!? 絶対、もったいないだろ!」
「それこそ合わなかったってやつだろ。ま、あんなのと合うやつがいるとは思えねえけど」
それこそ自分を完璧美少女と自称したり。
思っていても、言っちゃまずいだろ。
美人は美人でも、アレは色々とない。
喜一郎はうえっと顔を歪めた。
「喜一郎がそんな風に言うなんて珍しいな。怒ってるのなんかはじめてレベルで見るし」
「結構頻繁にキレてるけどな」
「いや、さっきのとは違う気が……」
と、陽希が話の途中で視線をそらす。
つられて、喜一郎も視線を送った。
「おいあれ、たしか……」
「ああ。なんで普通科なんかに」
がやがやと外の廊下が騒がしい。
陽希が一言断って、人だかりに混じった。
(うるせえな、なんだ?)
その瞬間、騒動の主人が姿を見せた。
ピシャリと音を立てて教室の扉が開かれる。
入ってきた人物――少女は、ゆっくりと教室を見渡す。
目が合い、喜一郎は心臓が掴まれた気分になった。
「お、お前、どうしてっ……!」
立ち上がった喜一郎に少女が歩み寄る。
たなびく鴉の濡れ羽黒。
陶器のように白い肌。
切長の目、艶めいた唇。
忘れようもない端正な顔立ちをした少女は、颯爽と人垣を割りながら喜一郎の前に立った。
「――やあ、筵田くん」
開口一番、少女はそう言った。
開かれた窓から春一番が吹き込んでくる。
惚ける喜一郎に向かって、ピースをつくった。
「私と、付き合ってくれないかい?」
それが、朽木氷織との二度目の出会い。
そして、別れさせ屋の始まりだった。