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カノジョは、別れさせ屋。  作者: 原田孝之
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1-3話:

 

 ――ごめんなさいっ。


 逃げる彼女の目尻には、光るなにかがあふれたように見えた。

 追いかけることはできなかった。

 男が道を塞いでいたのもある。けれどそれ以上に、空いた胸の穴が足取りを重くしたのだ。


「あー、サイアクだわ。ユリカのおっぱい、結構気に入ってたんだけど。ま、しゃあなしか」


 同じく取り残された男が携帯を操作する。彼女へ連絡を取ろうとしているのだろう。

 出なかったのか舌打ちすると、再度画面を叩き、


「あーもしもし、あ、俺俺。今町に居る? もしさ、今から送る写メの女の子見つけたら連絡くんない? …………あーなに、俺がマジになるの珍しいって? あー、ま、正直今ちょっとオコなんだよね。こんなのと較べる? って感じ」


 と、ポケットに手を突っ込みながらこちらを鼻で笑った。

 見下されたのは、言うまでもなくわかった。


(相手にするまでも、ないってことか)


 すでに居なくなった男を思い浮かべながら、喜一郎は何度も、自分とそいつとを比較した。


 イケメンなあいつ、普通以下な自分。

 自信満々なあいつ、声も出せない自分。

 本命なあいつ、浮気相手な自分。

 何を較べたって、勝てっこない。


 なのにどうして追いかけると決めたのか。

 たぶん、答えが知りたかったのだろう。

 どうして二股を選んだのか。自分を満足させるため、人を踏みつけにして満足なのか。


 それを、彼女に尋ねてみたかったのだ。


 日の傾いた夕暮れ。

 喜一郎はGPSアプリを頼りに彼女を追った。

 電源を落とされたのか、パタリと居場所がわからなくなる。当てもなくさまよい、諦めようかと駅にたどり着いたときだった。


 不意に夕陽がかげる。駐輪場前の涼台で、一人うつむく少女の姿をみとめた。


 自分の彼女。

 いや、名も知らぬ誰かの、彼女だった。


「あ、はは。見つかっちゃった、か。今は、喜一郎くんにだけは、会いたくなかったな……」

「説明してくれるよな」

「怒ってる、よね。それも当然だよ」


 喜一郎は隣に座った。

 しばしの間、無言の時間がつづく。彼女はやがて、ぽつりぽつり過去を語りはじめた。


「私の家って、結構厳しくて。喜一郎くんも知ってると思うけど、何時までに帰ってきなさいって決まってるの。ううん、それだけじゃなくてね。習い事とか、お塾とか、いろいろ、本当に色々あるんだ」

「……」

「堅苦しい家柄ってわけじゃないんだけどね。一人娘なのもあって、花よ蝶よ、って感じかな。あれ、みんなと違うかもって小学生のときに思った覚えがあるよ」

「……それが嫌だったのか?」

「それは、ううん、だよ。お父さんにも、お母さんにもすごく感謝してる。厳しくても、私のためを思ってくれてるってのはわかってるから」


 なんとなく、理解できる話だと思った。彼女の所作には育ちの良さがにじみ出ている。


「だから、私は言われたとおりいい子でいるの。そうしていれば、皆、喜んでくれるから。そう、思ってたんだけどね」

「……」

「言われたとおり勉強して。買ってきてくれた服を着て。勧められた本を読んで。でも、あるときね、自分の部屋をみて思ったの。私が選んだものって、どれだろうって。私が好きなものって、なんだろうって」

「……自分が、嫌いになったのか?」

「そういうわけじゃ、ないかな。からっぽだなって思ったの。そんなときだった。彼――彰人さんと出会ったのは」


 一段と彼女の声が落ちる。

 握られた手が震えているのに気付いた。


「去年の夏休み前、だったかな。友達に誘われて、他校の男の子とお茶することになってね。お話も上手だったし、それに、みんなにも人気があったから。帰りに二人でカラオケに行こうって誘われて。断るのは失礼かなと思って、ついていったの」


 やがてその震えは、全身へと伝わってゆく。

 掠れた声には悲痛さがこもっていた。


「最初は歌ってただけだったんだけど。だんだん、頭がぼーとしてきて。それでうとうとしてたら突然キス、されたの」

「……」

「それからは……あとはもう、いいよね? 言いたく、ないや。で、これは後で気付いたんだけど、飲み物にお酒が入ってたみたい。ふふ、バカだよね。そういう目的だって、薄々わかってたのに。私、言い出せなくて。でも、そういうことしたなら、たとえどうであっても、ちゃんとお付き合いしないとって。それで、恋人に。向こうがどう思ってるかは、わからないけど」


 濁した裏を察するのは、喜一郎とて難しくなかった。

 今日のやりとりを見るに、結局都合のいい女の一人でしかなかったのだろう。

 それでも彼女は、からっぽな自分の中にやどる唯一の幹にすがったのだ。

 それが虚構であると、自分でもわかっていながら。


「好きになる努力はしたし、たぶん、好きになれたと思うんだ。でも……」

「合わなかった、か」

「そう、なるのかな。私、大人数で遊ぶのは苦手だから。我慢しなきゃ、我慢しなきゃ、我慢しなきゃって。派手な遊びとか、楽しいって自分に言い聞かせて。でも、彰人さん、変わらず人気だったから。付き合ってるって友達に言ったら、次の日から無視されたのはつらかったなぁ」


 嫉妬、か。

 どこにでもある、ありふれた話だ。

 陽希から聞いた彼女の悪い噂を思い出した。


「そんなに我慢して、他に女の人がいるかもって聞いても、聞こえなかったフリをして。そうやってごまかしてきたのに……」

「そこにユリカって女が現れたわけか。さっきも怒鳴られてたが、あんな感じで詰め寄られたのか?」

「最初は、電話だったんだけどね。別れろ、別れろって何回も。悪女とか、泥棒猫とか、しつこいくらい」

「……」

「あとは、尾行されたり、SNSに無断で写真をあげられたりして。それだけ好きってことなんだろうけど、ね」

「それは、度が過ぎてるな」


 結果、彼女はより孤立を深めたのだろう。

 そのうえで、ユリカという女は彼女を呼び出し、彼氏の前で堂々と攻撃した。

 異常な執着心だと言えなくもない。


(でも、なんかおかしくないか?)


 気持ち悪さで顔をしかめる。気付かなかったのか、彼女は力無く息を吐いた。


「それでもう、パーンって。なんか、もうどうでもいいやって。そのとき、思ったの。だったら、いっそ悪い子になってやろうって」

「……となると、オレは当てつけか。なんでオレだった? いくらでも都合のいい奴はいただろ?」

「わかってるのに、聞くんだね。喜一郎くんのイジワル」


 少しだけおどけながら、彼女は言った。


「彼……彰人さんと正反対だったから。あとは、タイミングかな」

「はっきり言うんだな。それで、どうなった?」

「別に、何も変わらないよ。彰人さんは、そういう気分のとき以外は連絡してこないから。全然喋ってくれない喜一郎くんと一緒に帰ったり、つまんないボケばっかりする喜一郎くんと一緒に帰ったりするだけ」

「おい」

「あ、ごめんなさい、怒った? でも、喜一郎くんも悪いんだよ。適当な返事しかしてくれないし。一緒に行った映画もネットのオススメです、みたいな。男の子は、もっと女の子をリードするものだと思いますっ」

「……だったらすぐ別れりゃよかっただろ」

「そう、なんだけどね。でもね、なんでだろ。すっごくつまらなかったのに、なんでかな、世界がちょっとだけ明るくなったような気がしたの」


 彼女は顔をあげると、ふと前方のキッチンカーを指差した。


「あのクレープ屋、覚えてる?」

「帰りに寄ったときのことか? オレがおかずクレープを注文して機嫌が悪くなった」

「そうっ。ずぅぅっと上の空だし、ああもう別れてやるー! って思ってたら。そしたら喜一郎くん、気まずそうにクレープを買ってくれて。でもそしたら、まさかのツナ。ああもう、ダメダメだよこの人って。そこは甘いものだよ、ふつう」

「……そんなふうに思われてたのか」

「そうだよ。喜一郎くんはダメダメなのです。でも、ね。そのときこうも思ったんだ。本当は、こういうデートがしたかったんだって」


 彼女の声が落ちる。

 真横を見て、ぎょっとした。ポタポタと流れる涙が彼女の膝を打っている。

 夕陽で赤く染まるその横顔は、どこまでもはかなく、せつなかった。


「わるい」

「――優しくしないで!」


 彼女は袖でごしごし顔をぬぐうと、首を横に振った。


「ダメ、ダメだよ。今優しくされたら、喜一郎くんに頼っちゃう。それはダメ。絶対、ダメなの!」

「……頼るのは、いけないことか?」

「そうだよ。されて嫌なことを、私はした。それも、何も関係ない喜一郎くんに。そんな私が、喜一郎くんを頼っていいわけがない! こんな私が、喜一郎くんにふさわしいわけないの!」

「……」

「私は大丈夫。だって、いっぱいもらったから。たくさん、もらったから」


 ふと、彼女のカバンが震えていることに気づく。微笑みは今にも折れそうなほど弱々しかった。


「いくのか?」

「……行くよ。だって、付き合ってるから。恋人が居るのはいいことなんだよ。楽しいことも、辛いことも、みんな二倍になるの。そういう素敵な関係。ときには喧嘩することもある。だけど悪い日は、永遠に続いたりはしないから」

「辛くなるだけだとわかっていても、か?」

「だとしても、これが私で、私だから。ごめん、私って本当にバカだよね。だから、忘れて。……私のことなんて」


 彼女は立ち上がり、スカートをひるがえす。

 そして、トレードマークであるピースサインを胸の前につくった。


 どんな意味が込められていたのか、喜一郎にはわからない。

 ただ彼女は、夕焼けを背負い、逆光の最中、どんなときより輝かしく笑った。


「――さよなら。筵田くん」


 そう絞り出すと、彼女は背を向けた。

 儚く散ったその涙が金縛りの呪文となり。

 手を伸ばそうも、すべては後の祭りだった。


 彼女の姿は黄昏の中に飲まれていく。

 遠く、遠くに。




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