3.古代エルフ
森の中の、小さな建物。
丸太がふんだんに使われた、どこか懐かしさを感じさせる古い家――
「……汚いところで、すいません」
森で会った女性、フィリアに連れてこられたのは、彼女が一人で暮らす家だった。
俺は台所と一緒になった居間に通され、古めかしい椅子に腰を下ろした。
目の前には、これまた古めかしいテーブルが置かれており、フィリアは入れたてのお茶を置いてくれた。
「いや、綺麗にしているじゃないか。
確かに古くはあるが、年季が入っていて落ち着くよ」
元の世界では築浅のアパートに住んでいたから、古いだけの部屋でも何となく郷愁を感じてしまう。
子供の頃に住んでいた実家を思い出してしまう……というのかな。
「そう言って頂けると、まぁ……」
フィリアは笑いながら、俺の向かいの席に座った。
彼女も自身の前にコップを置いていたが、俺のコップとはデザインまるで違った。
いや、これはデザインが違うというより――
「……そのコップ、ユニークな形をしているな……」
「え? あー……、あはは。
これ、私が作ったんですよ。おかしいですか?」
コップを作ること自体は、特におかしいことではない。
何がおかしいかといえば、やはり形のことだろう。
「おかしいというか、面白いな。
こっちの俺のコップも、フィリアが作ったのか?」
……と、ここまで言ってふと思う。
俺は、フィリアのことを――初対面の人なのに、自然と呼び捨てにしてしまっているな。
元の世界では基本的に、俺は誰に対しても『さん』付けをしていた。
それが社会人としての礼儀だったし、常識だと思っていた。
しかし今は、何というか……何だろう?
呼び捨てにすることが、ごく自然というか……当たり前のように感じられた。
「はい、そっちのコップも私が作りました。
……バルダーさんのコップ、割とまともなものを選んだんですが……どうですか?」
「ああ、こっちは普通だと思うぞ」
そう言ってから、俺はお茶を口に含めた。
ちなみに『バルダー』というのは、フィリアに対して名乗った俺の名前だ。
もともとの名前である『遥』を、この身体に似合うようにもじってみたのだが……まぁまぁ、響きとしては妥当な感じだろう。
「それは良かったです♪
……あの、改めてお伝えしたいのですが……。
今日は助けて頂きまして、本当にありがとうございました」
「いや、気にしないでくれ。
しかし、俺がいて運が良かったな」
「本当に!
この辺りはいつもは平和なんですが……今日は一体、どうしちゃったんでしょう?」
フィリアは不思議そうに首を傾げた。
この女性……いや、見た目は完全に少女か。
この少女は表情をころころ変えるから、どうにも見ていて飽きることが無さそうだ。
「さっきみたいなイノシシは、普段は出ないのか?」
「はい。あの子たちには縄張りがしっかりあって、基本的にはそこから出てこないんです。
でも今日は目が血走ってましたし……何かあったんでしょうか」
「ふむ……」
……いつもは縄張りから出てこないから、フィリアが襲われることもない。
しかし今日に限っては縄張りから出てきていたから、フィリアは襲われてしまった……。
少しだけ、自分のせいかも……と思ってしまう。
根拠は無いが、何となく。
「それよりも、バルダーさん!
今日はたくさんお礼をしたいです。お時間はありますか?」
「時間?
そうだな、特に予定は無いが……」
「本当ですか?
腕によりを掛けますので、夕飯を食べていってください!」
「飯か……、それは良いな。
今日は何も食べていないから――」
……今日は、というか、今までこの身体は研究室のカプセルの中にいたのだ。
きっと、いわゆる『食事』はしてこなかっただろう。
俺の答えを聞くと、フィリアの顔はぱぁっと明るくなった。
「それじゃ、お腹ぺこぺこですよね!
バルダーさんって身体が大きいし、たくさん食べそう!
いろいろ作っちゃいますよー!!」
「ああ、すまないが頼む。
ついでに、今日はここに泊まっていっても良いか?」
「え?
……あ、あー、そうですよね。……お泊りも、大丈夫です!」
俺の言葉に、フィリアは一瞬だけ固まってしまった。
よくよく考えれば、一人暮らしの少女に言う台詞ではなかったか。
「い、いや、すまない。この辺りのことも、あまり知らなくてな。
……そうだ、軒下を貸してくれればそれで良いから」
「いえいえ!
命の恩人にそんなことさせては古代エルフの名折れ!
寝る場所もしっかりと準備させて頂きますっ!!」
その後、俺とフィリアは何度も押し問答を繰り返したが……結局俺は、押し負ける形になってしまった。
イノシシ相手なら負ける気は全然しないのに、まさかこんな少女には負けてしまうだなんて……。
「――それなら、俺はこの部屋で寝ることにしよう。
フィリアは、フィリアの部屋でちゃんと寝てくれな」
「はい、承知しました!」
結局のところ、妥協点はそこになった。
この家で一番立派な寝床はフィリアのベッドだが、俺がそこを占領するわけにはいかない。
ましてや一緒に使う……というのは、明らかに考えてはいけないことだった。
「――ところで、さっきちらっと言っていたが……。
『古代エルフ』とは何だ?」
フィリアのことはエルフだと思っていたが、本人は『古代エルフ』だと言っていた。
ファンタジーものが好きな俺としては、やはりそこは気になるところだ。
「あれ、そんなこと言ってました……?
えぇっと、レアなエルフ……って言いますか」
「レア?
涙が宝石になったり、何かの秘宝の鍵になっていたり?」
「想像力が豊かですね!?
も、もしそうだったとしたら……私、バルダーさんに攫われちゃいます?」
「いや、興味があるだけだ。
逆に、そんな能力があるなら守ってやりたいくらいだな」
「ほ、ほえぇー……」
フィリアは間の抜けた声を出しながら、顔を真っ赤にしてしまった。
「ああ、いや……。
言葉のあやだ。言葉のあや」
「うぅーん……。
バルダーさんって結構――」
「……ん?」
「い、いえ、何でも無いです!
えっと、それで『古代エルフ』のこと……ですよね。
普通のエルフとは大差は無いのですが、まぁ、長寿と言いますか?」
「長寿?
エルフ自体、長寿じゃなかったか?」
俺の知識としては、エルフだって何百年も生きるイメージがある。
その先には寿命があるだろうが、それでも人間の数倍、十数倍を生きることが出来るのだ。
「そうですね、普通のエルフも千年くらいは生きますが……。
古代エルフは寿命が無い、くらいに長いんです」
「ほう、それは凄いな……。もしかして、不老不死なのか?」
「いえ、老いがほぼ無いっていうだけで、ちゃんと死にますよ。
バルダーさんの攻撃なんて食らったら、あっという間に天国行きですから。
懐かしい人には会えちゃいますが、私はまだまだ生きていたいですねー」
そう言いながら、フィリアは楽しそうに笑った。
「まぁ、フィリアには攻撃しないでおくよ」
俺も、フィリアに釣られてついつい笑ってしまう。
そんな風にお互い笑い合っていると、隙を突いて、フィリアが俺に顔を近づけてきた。
そして彼女は笑みに、不思議そうな表情を織り交ぜてきて――
「……そういうバルダーさんは、いったい何者なんですか?
もしかして、魔族さん?」
話題が突然、俺のことになった。
油断してただけに、少しヒヤッとしてしまう。
――魔族。
俺も思っていたことだが、魔族という存在があるのであれば、俺の姿はきっと、人間よりも魔族に近いのだろう。
しかし俺自身、俺という存在がよく分からない。
生みの親である研究室の老人曰く、『破壊と暴風の覇王』ではあるわけだが――
「……よく分からん。
俺はこの世界に、呼び出されたばかりなんだ」
「呼び出された……?
もしかして、他の世界から来たんですか?
凄いですね!」
「……?
他の世界のことを、何か知っているのか?」
「いえ、初耳です!」
そう言いながら、フィリアは自信たっぷりに胸を張った。
……新しい情報を期待していた俺は、完全に肩透かしを食らってしまった。。
昔のコントであれば、きっと椅子ごと、テーブルごとひっくり返っていただろう。
「あのなぁ……」
俺が苦笑いをすると、フィリアは優しい笑顔を向けてきた。
「でも、何か分かると良いですね」
「……そうだな」
……心地良い。
冷たい水を飲んだときも、汚れた身体を洗ったときも、熱い石の上を歩いたときも、心地が良かった。
しかしフィリアからは、それとは別の心地良さが伝わってくる。
この世界に来たばかりで、俺はまだ右も左も分からない。
しかしこの場所……フィリアのいる場所こそが、今の俺の、唯一の居場所のような気がしてくる――
「……さて、バルダーさん」
「うん?」
俺が優しい気持ちになっているところに、フィリアが話を続けてきた。
「せっかく強いバルダーさんがいるので、ご馳走の食材集めを手伝ってもらいたいのですが!」
「食材集め? 畑仕事でもすれば良いのか?」
「いーえ!
たまには私、鳥肉を食べたいと思いまして」
「鳥肉? ああ、しめれば良いのか?」
「……そうですね?
いえ、そうですね!」
「……うん?」
どこかテンションの上がるフィリアを眺めながら、俺は疑問符をしきりに浮かべた。
鳥肉……ってことは、飼っている鳥をしめる……んじゃないのか?




